第7章 part2



 約五年前、一人の科学者の卵が、中央局研究科に配属された。局内では最年少だったが、中央局員の誰よりも実績を上げるほどの発明を行い、なおかつ精力的に奇病の治療の研究を行っていた。中央局の書物に記された知識をどんどん吸収し、応用できるほどの頭のよさを持っていた。歳の割りには落ち着きがあったが、大人ぶっているのと、少し独り善がりな面があった。おまけに子ども扱いされることをひどく嫌い、一人前の研究者として扱ってくれと常々不満をこぼしていた。それでも、奇病を治そうとする研究意欲だけは誰にも負けなかった。「約束したから――」と、いつも言っていた。他の研究者達が病に倒れても、その研究者達から生体データを採り続けた。そのうち、外部調査の許可を取り、三回も出かけてしまった。そして、知らない間に自身も病に倒れ、独り病死してしまった――。

 いつからだろう、その熱心すぎる研究者が気になりだしたのは。
 最初は、真面目一本なその研究者を少しからかうつもりでいた。侮辱されると、顔によく出るのが面白かったからだ。だがそのうち、からかうことをやめていた。相手が年下なので、弟扱いしてもいたが、それもやめてしまっていた。胸の中にある何かが、彼を気にかけさせていた。
 胸の中にあるものの正体に気がついたのは、外出許可を取った相手が出かけてしまった後だった。姿が見えなくなって、初めて気がついた。ほのかな恋心を抱いていたことに。
 外部調査から帰ってきた彼に対して、胸の中で思っている事を口には出さなかった。人の気持ちに鈍感なのだから、遠まわしに言ったところで気づいてはくれないだろうから。逆にストレートに言っても、相手が困った顔をするだけだろうから。
 だが、黙っていてはもう駄目だ、言ってしまおう。そう決意したのは、相手が三回目の外部調査に出た後だった。帰って来るのを、ずっと待ち焦がれていた。そうしてやっと帰ってきたと知らされたとき、胸は高鳴った。今度こそ言える、やっと。しかし、帰ってきたその相手は、彼であって彼ではなかった。記憶をなくしたといっていたが、その言動は記憶喪失では説明し切れなかった。忘れたというよりは何も知らないと言ったほうが正しかった。相手の言動を見るたび、記憶をなくしたせいなのだと無理やり自分を納得させた。
 しかしそうやって自分を無理に納得させてきたにもかかわらず、Mother−2はあの映像を見せた。スクリーンに映されたのは、見たことのない世界、見たことのない人々、見たことのない自然。映像を見たときの衝撃があまりにも大きかった。信じられなかった。
 別の世界の彼の言葉で、改めて知った。あの言葉を伝えたいと思っていた彼は、死亡してしまったという事を……。


「はあ、終わったわ」
 研究室で、ターキアは、デスクの上に置かれたコンピューターから離れて、伸びをした。
「マザーは一体何を考えているのかしら。こんなものを作らせるなんて」
 コンピューターの画面の中には、画面いっぱいに一つの部品が映されている。実際には目には見えないほど小さなチップだが、画面内では拡大してあるのだ。そしてその中には、Mother−2に命令されて作ったプログラムが入っている。彼女が「彼」の死から立ち直る間も与えられず、Mother−2に命じられた。作成に時間は余りかからなかったが、その作業に取り掛からず、悲しみにとらわれていたために二日ほど放置状態だった。
 部屋の隅のモニターのスイッチを入れると、画面にMother−2のシルエットが映される。
「マザー、完成しました」
「アラ、アリガトウ。チャント期日マデニ作ッテクレタノネ」
 笑っているようなノイズが聞こえてくる。
「ジャ、転送スルカラ、チップヲココニ置キナサイ」
「はい」
 プラスチックケースにチップを入れておいたので、ケースごとモニターの側に置く。モニターの側には小型の転送装置が取り付けられていた。
「ジャア、モラウワヨ」
 同時にケースが消え、モニターの画面もぷつんと音を立てて、消えた。
 ターキアはMother−2に言いたいことがあって口を開きかけていた。だが、それより早くMother−2は消えてしまった。やり場のない手が、しばらく宙で止まったままだった。
 彼女は、研究室を出た。向かった先は、「彼」の部屋の物置に隠されていた秘密の通路。一体どうやって作ったのかはわからないが、その通路の先に、小さな隠し部屋があった。閉ざされていたはずのドアは、熱線によって溶かされ、無理やり外されている。そして、部屋の奥に作られた更に小さな隠し部屋のドアは、開きっぱなしだった。
 彼女は、部屋の中を見回す。部屋の場所はヴィクトルから聞いたのだが、実際に入るのは初めてだった。部屋の中には寝台と物置用の棚、デスクがあるだけ。部屋の隅には何かの機械がおいてあったと思われる四角いへこみがある。そしてその隣には、スリープ状態の機械がある。何の機械なのかと、彼女は側によってみたが、スイッチも何も見つからない。スリープ状態という事はどこかでエネルギーを得てそれを蓄えている状態なのだろうが、コンセントもケーブルもないのにどこから電力を得ているのか分からなかった。
 棚を見てみる。既にヴィクトルがそこにあったものを押収したというのだから、何も入っていないのは当たり前。埃が乗っているだけ。デスクには引き出しがついていないし、固い布団の敷かれた寝台は冷たかった。
 椅子に腰掛けた後、懐から懐中時計を取り出した。蓋を開けても、二時五分を指したまま、針は動いていない。
(どこへ行ってしまったの? ヴィクトルは、管理塔へつれていったって言うけど、それより後のことは何にも分からない……。マザーの所で何かあったの?)
 四日前、ターキアはヴィクトルから、スペーサーを見つけたという話を聞いた。ヴィクトルは彼を管理塔へ連れて行ったと言ったが、それ以降、彼が一体どうなったのかはわからないという。Mother−2は彼らには何も教えてくれなかった。それよりも、通達で知らせておいたものを急いで作れというだけだった。
(マザーが何も言わないってことは、きっとマザーの所にいるんだろうけど……)
 Mother−2は、何も知らせない。何か理由があって知らせてくれないのだ。では一体どんな理由が?
 考えながら部屋を出ようと歩くと、うっかり懐中時計を落としてしまった。
「やだっ……」
 慌てて彼女は時計を拾い上げた。が、落ちたショックで開いた裏蓋の隙間から何かが落ちたのに気づく。歯車ではない。それよりも小さなものだ。指でつまめないわけではないが、彼女は自分で持っていたピンセットを使って拾う。そして、目を凝らしてその何かをじっと見てみた。
 超小型のフロッピーディスクだった。
「これは確か、去年製造停止になったはずのフロッピー……。一体何故こんなものが?」
 懐中時計の中に入っていたのだから、このフロッピーディスクの持ち主は「彼」かスペーサーのどちらかである。
 急いで自分の研究室へ戻る。
 自分のコンピューターに、フロッピーディスクのデータ検索をさせてみる。が、画面に真っ先に表示されたのは、ビーという警告音と、画面のエラーメッセージだった。
「パスワード制になってるわ」
 真っ白な画面の中央に、メッセージ入力のウィンドウが表示される。

Code:??????

 しかし、ターキアには、そのパスワードが分からない。管理塔のメンテナンスをするのに入力するものから、自分のコンピューター用のパスワードまで、知っている限り入力してみた。だが、いずれもエラーメッセージが表示されただけに終わった。次に中央局の研究員の名前を、何十人ぶんも入力したが、ことごとくエラーした。
 彼女はしばらく悩んだ。知っている限りのパスワードが通じない。フロッピーのパスワードを弾き出すためのプログラムを知らないわけではない。しかしそれをやると中のデータを損失する恐れがあった。それを避けるためには、パスワードを入力して開かせるしかない。
「わかってる、わかってるけど……」
 ターキアは、真ん中にぽつんと表示されたメッセージ入力のウィンドウを見つめる。クエスチョンマークの列が、彼女の眼に入る。クエスチョンマークを削除して単語を入れなおしてもエラーメッセージが表示され、またクエスチョンマークが六つ表示されなおす。
「六つ?」
 ターキアはふと、画面を食い入るように見つめた。どんな単語を入力しても、必ず表示されなおす、六つのクエスチョンマーク。なぜ必ず六つ表示されるのか。
「パスワードは、六文字なのかしら?」
 試してみるために、知っている限りの、六文字の単語を入力する。ことごとく外れる。しかし彼女は、最後にこの単語を入力してみた。

Mother

 すると、ピーンという音が表示され、続いて、データダウンロードが開始された。
 パスワードが承認されたのだ。
 ターキアはどきどきしながら、画面に表示されていくデータを見つめた。


 ヴィクトルは、医務室で、薬剤を調合する手を休めぬままに、傍らに置かれた調合比率表を見る。
「次はこれか」
 彼は、Mother−2の送ってきた表をもとに、薬を作っているところだった。機械では調合できないので、人の手で作らせるようだ。ヴィクトルの専門は薬学ではなく生物学なのだが、今はその薬学の専門であった研究員が病死したため、彼にその仕事が回されたというわけだ。もちろんヴィクトルは薬学をかじっているので、調合が出来ないというわけではない。
「一体何故マザーは薬を作らせるんだ? 自分で生産できるはずなのに、わざわざ……」
 薬棚から薬を取り、量を測ってビーカーに入れる。そしてかき混ぜると、ビーカーの中の液体は白濁した。
「それに、この成分は……」
 その時、モニターの電源が入って、Mother−2のシルエットが映し出された。
「ドウ、ヴィクトル。デキタカシラ?」
「もう少しです」
「ソウ、ジャ、ガンバリナサイ。デキルマデ、待ッテイルワ」
 どうやら相手はずっと見張っているつもりらしい。ヴィクトルは背中にノイズ音を受けながら、黙々と薬の調合を続けた。だが、出来上がってゆく薬の成分が人体にどんな影響を及ぼすのかは、おおよそ見当がついていた。そして、それをあえて作らせているマザーを、彼は不審に思っていた。
(何のためにこんなものを調合させているんだ? そして、一体誰に投与するんだ……)
 しかし、その言葉はついに口にされることはなかった。
「出来ました……」
「アラ、アリガトウ。ソコニ置キナサイ」
 ビーカーに薬を入れたまま、ヴィクトルはそれをモニターの側にある転送装置の上におく。すると、薬はすぐに転送された。
「アリガトウ」
「あの……」
 ヴィクトルは口を開く。
「その薬は一体どうするつもりで――」
「ナニカシラ? コノ薬ヲ作ラセタ私ガ信用デキナイトデモ言ウノ?」
「い、いえ、そういうわけではないのですが――」
「デハ、口出シハシナイデ頂戴」
 モニターの画面から、シルエットが消失した。
 ヴィクトルは、医務室の寝台に腰掛けて、眼鏡を外す。そして眼鏡のレンズを拭きながら、あの時のことを思い出していた。
 四日前、隠されていた部屋にいたスペーサーを見つけ出し、スタンガンを使って気絶させた後、何とか管理塔まで引きずっていった。Mother−2に引き渡すと、Mother−2は彼に言った、「しばらく預かる」と。何のために預かると言ったのか、ヴィクトルには分からなかった。だがマザーがそう言うのなら、と、スペーサーを置いて帰ってきた。それから、ターキアに彼のことを問われたのだが、ヴィクトルは何も知らなかった。置いてきただけなのだから、知るはずもないのだが。
(一体何のために預からせて欲しいんだ? マザーの欲しがっているものの在り処っていうのを吐かせるためか? あんな奴が、マザーのほしがっている物の在り処を知っているとは思えないが……)
 後日、マザーは彼に薬を作れといった。その薬を作るための表まで渡して。何のためにそんなものを作るのかという理由も告げず。
「あの薬の成分を考えれば……人間に投与すべきものじゃないはずなのに……」


 データの中身が、画面いっぱいに表示された。
 ターキアは上から下までざっと画面を見る。無駄な記号が多すぎるため、消去法で不要なものを消していく。
「ざっとこんなものかしら?」
 上から下まで、完全に不要な記号を消去した。その結果、本来あるべきプログラムの姿が画面に映る。
「うそ……!」
 全てを見終わったターキアは、思わず声に出していた。彼女の目の前にあるプログラムは、Mother−2をデリートした後、初代Motherのプログラムを再生させて稼動させるというものだったのだ。
(とんでもない代物じゃないの……。もし本当にこのプログラムが実行されてしまったら……!)
 そして、このプログラムは一日二日で出来るものではない。コンピューター技術が局内で一番優れた彼女でさえ、本気でこのプログラムをいちから作り上げるには数ヶ月以上かかってしまうだろう。
(あの子、そんなにプログラミングは得意じゃなかったと思ったけど……)
 時たまターキアは、「彼」をあの子と呼ぶことがある。年下だからということもあるが、単に、歳の割りに大人ぶっているため、それをからかうつもりでもあった。「彼」が嫌がったので、姿が見えないときにそう呼んでいたのだが……。
 何度か彼女は「彼」にプログラミングを教えたことがある。元々「彼」が興味深々で彼女の作業を眺めていたことが原因であった。彼女は「彼」に組み方を教えたが、1+1=2という簡単なプログラムをきちんと組めるようになるまで結構時間がかかっていた。そのうち「彼」が外部調査に行ってしまったので、「彼」のプログラミング技術がどれほどのものなのか、彼女には見当もつかなかった。
 しかし、この目の前にあるプログラムは、かなりレベルの高い技術者でなければ組み込めない代物である。ターキアは複雑だった。これほどのプログラムを組めるほど「彼」が成長していたという嬉しさと、こんなとんでもないプログラムを組んだ「彼」に対する驚きが、同時に心の中でぶつかり合っていた。
 ターキアは、どうすればいいのかわからず、画面を見つめていた。データをデリートするのは簡単である、キーを押せば済むのだから。だがどういうわけか、彼女は躊躇っていた。
「消しちゃおう、こんなもの……!」
 思い切って、キーボードに手を伸ばした。だが、デリート・キーの上で、彼女の指は止まった。
 両目が、真っ直ぐに画面を見つめる。そして口を固く引き結んだ。
「あの子にこれができるんなら、私にだって……!」
 彼女は決心した。そして椅子に座りなおし、キーボードの上に両手を乗せた。


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