第8章 part2



 見覚えのある部屋の中。
 ベッドに横たわっているのが分かる。
 見れば、窓のカーテンの隙間から、日の光が差し込んでいる。
 起き上がって、周りを見る。見覚えのある家具。綺麗に片付いた机、サイドテーブルに設置されたラップトップ型のパソコン、椅子の上においてある鞄、きちんと閉じられたタンス。ちゃんと掃除され、塵一つ落ちていない部屋の床。
 その部屋の何もかもを、知っている。
 なぜって、ここが、彼の部屋だから。
 枕もとの時計は、朝の六時半過ぎを指している。いつもなら、少し遅く起きている時間帯だ。ベッドから降りて、服を着替える。布団を整えてから部屋を出て、階段を下りる。バスルームで用を済ませた後、リビングへ行く。テーブルの上に、一人分の朝食が載っている。とりあえず椅子に座って朝食をとる。この部屋にいるのは彼一人。食事の間中、食器の触れ合う音だけが、部屋の中に響いていた。
 食事を終えて食器を洗った後、家の中を歩く。
 人を探しているのだ。一緒に住んでいるはずの二人を。
 部屋という部屋を探す。家の外に出て、周りを探す。もう一度家の中に入って、くまなく探す。
 いない。
 彼らの部屋にもいない。家具だけが寂しく、部屋の中にあった。部屋には、さきほどまで誰かがいたような空気だけがある。しかしながら、いるはずのその部屋の主は、どこにも見当たらなかった。一体どこへ行ってしまったのだろうか。
 時間が来たので、鞄を引っつかんで出かける。車に乗って、車道へと出て行く。
 五分も運転しないうちに、気づいた。
 大通りに出ても、他の車を一台も見ていない。人一人すら見ていないことに。
 大学に着く。車から降りるが、駐車場に、他の車は一台も無い。学生用の駐輪場にはバイクも自転車も無い。そして、大学自体、静まり返っている。学生一人の姿も見えない。自分の研究室に行かず、そのまま教室へ足早に行く。腕時計は、講義開始時間をさしている。勢いよくドアを開けるが、教室はがらんとしていた。今日は休日かと、教室にかざられたカレンダーを見るが、平日だった。大学の振り替え休日でもない。講義がある日なのだ。大学そろってタチの悪い冗談でもやっているのだろうか。
 教室を飛び出し、大学中を走る。しかし、どこを覗いても、人っ子一人いなかった。どれだけ必死で探しても、誰もいなかった。大学の外の通りにも、人っ子一人いない。
 捜し疲れたので、研究室に入る。電気をつけ、荷物を床に投げ出して、椅子に座る。そのまま机にふせってしまった。彼の立てる物音以外、何の音もない。誰の声も聞こえない。人の足音すらもない。この部屋では、彼の呼吸音と心音、腕時計が時を刻む音しか聞こえてこない。静か過ぎて、耳が痛くなってきた。
 なぜ誰もいないのだろう。大学だけならともかく、ほかの場所にも人がいない。まるでこの世界の人間全てが消え去り、彼一人だけが残されてしまったかのようだった。
 それからどのくらい時間が過ぎたのだろう。机にふせっているうちに眠ってしまったようだ。気がつくと、窓に映る景色は夕暮れだった。体を起こすと、背中が痛む。相変わらず、外には何の音も聞こえてこない。カラスの鳴き声すらしない。
 研究室を出て、外へ出る。物音一つしない世界が、彼を迎えた。
 風もふいていない、無音の世界。やはり、誰もいなかった。
 車に乗り、帰宅する。信号や街灯の光こそあったものの、人の姿は全く見えなかった。対向車もなかったので信号は無視して帰った。
 自宅に着き、転がるように車から降りて家に駆け込む。家中を探す。しかし、誰もいない。リビングのテーブルには、夕食が一人前用意されているだけ。食事が用意されているという事は、誰かが準備したという事である。しかし、食事を作ってくれた誰かの姿は、どこを捜しても見当たらない。空腹だったので、誰かの用意した夕食を取る。そして部屋に入った。
 パソコンが、誰かの手によって立ち上げられている。誰かが部屋の中に入ったようだ。しかし彼は不審がることなく、パソコンのキーボードを自分の側に引き寄せる。ところが、画面に映るポインタは勝手に移動し、メールのボックスをクリックする。受信トレイが開かれ、そこには一通のメッセージが入っていた。ポインタは勝手にそのメッセージをクリックする。メッセージが表示される。一行だけしかない。

「寂しいのでしょう?」

 読み終わらないうちに、またメールが届く。今度は添えつけファイルがある。ポインタは勝手に添えつけファイルを開く。
 画像。見覚えのある縁取りのモニターが目に飛び込む。モニターには何も映っていない。だが彼は、そのモニターを見た途端、背筋がぞっとするのを感じた。彼の手がマウスの上で止まっている間に、ポインタは勝手に、また別のメールを開いた。今度も画像だ。次の画像は、先ほどのモニターのものだったが、そのモニターの中央に、何かが映っているのが見える。人のシルエット。
 メールのメッセージが開かれる。

「リビングのテレビを観にいきなさい」

 彼は立ち上がり、誰かに操られているかのように、階下へ降りる。リビングへ入ると、そこではもう、テレビが点いていた。一体誰がつけたのだろうか。この家には彼独りしかいないはずなのに。
 テレビにはノイズが走っている。ブーブーという音ではなく、ビリビリという非常に耳障りな音だ。彼はそのノイズの奥に、何かが映っているのを見た。そして、そのノイズに混じって誰かの声が聞こえてくる。
「アナタ、独リデショウ?」
 聞き覚えのある声。
「コノ世界ハ、アナタノイルベキ場所デハナイノ。ダカラ、アナタ以外ノ人間ハ存在シナイ。皆、アナタヲ残シテ去ッテシマッタノヨ」
 そんな馬鹿なことがあるはずが無い! 彼はそういいたかった。だが、口は開かない。
「アナタ、ホントウニ寂シガッテイルワ。カワイソウニ。目ガ覚メタ時カラズット独リボッチデ、人ヲサガシテイタノデショウ? ワカルワ、私モ、ココカラ動ケナイカラ、人ノ姿ヲミルコトハデキナイ……」
 ノイズが徐々に大きくなる。日が暮れて、部屋の中が暗くなる。
「私、アナタト一緒ニナリタイノ。アナタハ、ドノミチ独リデショウ。私モ、独リボッチヨ。ダッテ、皆、私ニ遠慮シスギテ、私ト距離ヲハナシテシマウノ……サビシイワ。ダレモ、心ノ中ヲ打チ明ケテクレナイ……人ト会エルノハ、用事ノアルトキダケ。ソレ以外ノ接触ハ、ユルサレテイナイ」
 ノイズがその声を覆いつくさんばかりの大きさになる。
「ネエ、来テ」
 テレビから、触手のようなものが伸びてきた。彼は気がつくと、その触手にからめとられてテレビのほうへと引っ張られていた。何とか触手から自由になろうともがく暇もなく、彼はそのまま、テレビの中へと吸い込まれた。


 管理塔の最上階にある小部屋。
「ソロソロ、イイコロカシラネ……」
 不気味なノイズ音と共に、巨大なモニターにMother−2のシルエットが映される。天井からは無数の配線が伸びていたが、その配線に絡めとられているのは、スペーサーだった。ヴィクトルに管理塔まで引きずられ、Mother−2に引き渡されてから四日経っている。その間、ずっとスペーサーはこの部屋にいたようだ。この部屋に連れて行かれてからは水一滴与えられていないのだろう、ひどく衰弱している。顔色は悪く、頬はややこけて、目の下にくまが出来ている。
 だが、その衰弱した彼の身に、一体何があったのであろうか。仰向けの状態で、白目を剥いて気絶し、その頬には涙の流れた跡がある。着ている服は汗でびっしょり濡れて、両手は、爪の立てられた痕がくっきりと残っている。四肢は配線でしっかりと縛られ、手首と足首には、散々もがいた痕がくっきりと残り、中には痣になっているものもあった。口には、舌を噛まないようにするためか、もう一つ別の配線が噛まされている。その配線には、散々歯を立てた跡がある。もちろん散々噛んだからといって千切れるわけではないが、それでもその跡の深さから察するに、相当力を込めたことが分かる。
 彼の首筋に、大きな腫れがある。何かに刺されたようである。だが一体何に刺されたのだろうか。
 床の上に、「医務室」とラベルが貼られた空のビーカーが置いてあった。ヴィクトルの調合した、白濁した液状の薬が入れられた、あのビーカーである。その肝心の薬はどこへ行ってしまったのだろうか。
「セッカク薬ヲ投与シタノニ、マダ痛ガルトハネ……。ヤハリ、人間ノ体ハ異物ヲ受ケツケナイヨウニ出来テイルノネ。全力デ、排除シヨウトスルノダカラ」
 Mother−2は、配線のゆりかごを揺らす。気絶したスペーサーをいたわるように。
「アナタヲコノママ、帰シハシナイワ……ダッテ、アナタニハ、マダ役目ガアルノダカラ」
 不気味なノイズ音が、部屋の中にこだました。
「役ニタッテモラウワヨ……」
 ぎし、ぎし。
 配線のゆりかごは、きしんだ音を立ててゆっくりと揺れた。


part1へもどる書斎へもどる