第9章 part2



 エレベーターで降りているとき、ヴィクトルは手にかすかな痛みを感じた。手のひらを見ると、何かが刺さったような痕がある。棘か金属の破片でも刺さったのかと思い、エレベーターを降りた後、医務室へ行く。ルーペを使って、手に刺さっている何かを見る。
「棘でもないし、金属片でもないな」
 ピンセットでつまみ出す。そして、顕微鏡にかけた。
「ん?」
 ヴィクトルは、眼鏡をかけたままであることも忘れ、顕微鏡のレンズにぐっと顔を押し付けていた。眼鏡のつるとレンズが顔に当たるので、やっと自分が眼鏡をかけていることを思い出した。
「これは……」
 ヴィクトルは、レンズの向こうに見えたものを見て、訝る。
 製造停止となった超小型チップの、外郭だった。チップに衝撃を与えても大丈夫であるように緩衝材として外郭を作ってあるのだ。
「なぜこんなものが?」
 ちょうど腕時計がアラームを鳴らす。
「お、もうこんな時間か。温室の草花に水をやりに行かないと」
 ヴィクトルはとりあえず立ち上がり、急いで医務室を出て行った。
 研究所の並ぶ棟の隅に、研究科の所有する温室がある。かつては生物学関連の研究者が共同で使っていたものだが、今はヴィクトルだけが使っている。温室の中には、草花が植えられている。しかし、青々とした葉をつけているのではなく、かろうじて育っているという印象を与える、まるでもやしのような頼りない葉をつけひょろひょろとした茎を持っていた。花はつぼみのまま、咲かない。そしていずれ枯れてしまう。どの植物も同じ。
「どうしたら図鑑のように花が開くんだ? ずっとつぼみのままじゃないか……」
 如雨露で草花に水をやりながら、ヴィクトルは草花の様子を調べる。遺伝子を全く改良することなく草花を育てているのだが、どうしても花は咲かず、草はひょろひょろと頼りなく茎を伸ばすだけだった。  咲かないつぼみと、ひょろひょろの茎を見ていると、Mother−2の見せたあの記憶の映像が頭に浮かんだ。スペーサーの世界では、草花は青々と茂り、美しい花を咲かせ、木々は生い茂っている。だが、この世界の草花は、どう育てても花を咲かせない。しばらくつぼみをつけたあと、皆、枯れてしまう。図鑑にあるとおり、水と肥料をやっているのに。
「あの世界に行けば……なぜ草花があれだけ見事に育つのか分かるかもしれない」

 ターキアはわき目もふらず、ひたすらモニターに向かっていた。その両手は休むことなくキーボードを叩き続け、モニターに映るプログラムは彼女の手によって少しずつその内容が変えられていく。何故こんな事をしているのか、考えてなどいない。ひたすら彼女はキーボードを叩いていた。
(あのファイルの内容が本当なら、このプログラムをこうすれば、マザーは……)
 プログラムは、徐々に、完成していく。
 本来のあるべき姿を大きく変えて……。

 管理塔の小部屋。
 天井から無数に伸びている配線のゆりかごの中に、スペーサーが横たわっている。だが、妙に顔色が悪く、呼吸が少し荒い。
 その首筋に、配線が一本絡みついている。その配線の先に、小さな針がついているのが見える。
 モニターに、Mother−2のシルエットが映し出されている。
「機械ノ充電ハ、ソロソロ終ワル……。ソウシタラ、貴方ト私ハ、トモニ行クノヨ」
 笑うようなノイズが、部屋中にこだまする。そして、彼の首筋に刺さっている針が、ゆっくりとぬけた。

「できた!」
 ターキアは、額の汗をぬぐった。
 目の前のモニターには、常人には理解不可能なプログラム言語が無数に並んでいる。だが理解できる者にとって、このプログラムされた内容はとんでもないものであった。
 ターキアは、自分が何をしているのか、わかっていた。そして、このプログラムを実行すれば何が起こるのかも、わかっていた。それでも彼女は、このプログラムを削除しなかった。機械の充電が済む前に、このプログラムを何としてでも完成させ、使うつもりだった。
「これさえ、これさえ使えば……!」
 データがダウンロードされていく間、彼女は額に大粒の汗を浮かばせて、じっとモニターを見守っていた。
 やがて、ピーンという鋭い音が聞こえて、データのダウンロードが完了したことを示すメッセージが表示された。
 彼女がコンピューターからそのデータを入れたチップを取り出そうとしたとき、背後から薬の匂いが漂ってきた。
「なに……?」
 振り向こうとしたが、その前に背後から二本の腕が伸びてきた。彼女を背後から抱きすくめたその腕の一本が、その手に持っている異臭のする布を彼女の顔に押し当てた。痺れるような薬の匂いを吸った彼女は、抵抗する間もなく、意識を失った。
 眼が覚めたのは、それからどのくらい経ったのか。軽い頭痛と共に目を開けた彼女は、意識がはっきりした後、部屋の中で起きた異変に気づいた。
 コンピューターは電源を切られ、なおかつ、その内部に入れておいたチップが、なくなっていたのである。

 温室から戻った後、ヴィクトルは自分の研究室で、こっそり持ち帰った資料を読んでいた。一部皺がよっているが、構わなかった。
 ファイルから抜き取ってきたのは、Mother−2のプログラム段階から、初代Motherの暴走に至るまでの記録の部分である。この部分だけ抜き取ってきたのは、世界統率機関の技術者達がどのような方法でMother−2の人格プログラムを改善しようとしていたのかを調べるためだった。Motherの後釜としてプログラムされたことは分かっている。問題は、なぜMother−2の人格プログラムが修正されずじまいだったのかという事である。後々消去されることになっていたMother−2。だが実際はMotner暴走後、この町を支配している。研究の記録から見ても、当時の技術者達がMother−2を欠陥だらけの人格プログラムだとみなしていたことは容易に想像できる。しかしなぜか修正を行わなかった。
 地下書庫のあらゆる蔵書をめくったが、管理塔に置いてきた資料の中からひそかに持ち出してきたこの資料以外、Motner−2の開発および設計に関して該当するものは見つからない。
 ヴィクトルは人造ビタミンの錠剤を苦い水で飲み下したあと、資料をまたにらみつけた。もう何度も読んでしまったので、一字一句を暗記してしまっているほどだ。
「なぜなんだ。なぜ性格の修正が行われなかったんだ。欠陥品ならすぐにでも消去して新しく作り直せるはずなんだが……」
 あの、Mother−2の性格。中央局に配属されてMother−2に何度か接触した経験から導かれる、彼の言葉でMother−2の性格を表すならば、『支配欲と慈愛を併せもつ偽善者』というところ。しかしMother−2を頭ごなしに否定することは、これまで生活必需品等を生産し支給したMother−2の恩恵をも否定することになる。ヴィクトルは複雑だった。Mother−2の性格に一部問題があることは知っている。しかし中央局へ配属させあらゆる研究資料を与えてくれたのはMother−2である。その一方で気まぐれで残酷、気に入らないことがあると徹底的に痛めつける暴君のような性格も存在している。ヴィクトルは一度、Mother−2に仕置きの名目で瀕死になるまで電撃を浴びせられた研究者を手当てしたことがある。神経がずたずたになったその研究者は数ヵ月後に病死するまで自力で起き上がれなくなっていた。
「あらゆるMotherのデータを移植したコピーのはずなのに、なぜこれだけ性格が違うんだ?」
 それだけではない。もう一つ気がかりなことがあった。
「免疫活動を一時停止させる薬と、遠隔操作可能なプログラムを組み込んだチップ……。一体何の目的で、マザーは僕らにあんなものを……?」
 ヴィクトルが一人ごちた時、背後からかすかに薬の匂いが漂ってきた。椅子に座っていたヴィクトルは反射的に立ちあがろうとしたが、それより早く、彼の背後から腕が伸び、薬の匂いのする湿った布を顔に押し当てた。
(く、クロロホルム……!)
 背後からの締め付けから自由になろうとするも、布を押し付けられた際の吸気で薬を吸ってしまったため、彼の意識は急速に失われていった。
 どれくらいの時間が経ったのか。体をゆすぶられて、ヴィクトルは意識を取り戻した。軽い頭痛と共に、周りに目をやる。誰かが側にいて、彼を揺さぶっていた。
「ヴィクトル、しっかりして!」
 声でターキアだと分かる。しかし眼鏡が外れているのか、彼女の顔はぼんやりしたものにしか見えなかった。机の上を探って眼鏡を見つけ、かけると、彼女の顔が鮮明に見えるようになった。
「ターキア……僕は一体――」
「貴方も、やられたの?」
 聞いてみると、どうやらターキアもヴィクトルと同じ目にあったようだ。何かを盗られたかと聞かれ、ヴィクトルは慌てて机の上の資料を探す。しかし、机の上に置いたままだったはずの資料は、なくなっていた。
「一体、誰がやったんだ……?」

 管理塔の小部屋。
 配線のゆりかごの中で横たわるスペーサーは、一段と具合が悪そうだった。熱があるのか、ひどく汗をかいており、呼吸が荒い。
 モニターにノイズが走る。だがそれは一瞬だけだった。すぐにMother−2のシルエットが表れる。
「今ノハ、一体ナニカシラ? 調子ガ悪イノカシラネ。シカタナイ。ターキアニ、点検シテモライマショウ。ツイデニ、機械ノ調整モネ」
 この部屋の隅にある転送の機械は、充電が終わったことを示すランプが、ピカピカと点滅していた。

 ターキアは、Mother−2から、至急の点検と、充電の済んだ機械の調整を命じられた。道具一式を持って管理塔の部屋へ入る。
 モニターにはMother−2が映し出されている。充電の終わった機械の側には、資料が積まれている。
「ソノ資料ヲ使ッテ、機械ヲ設定シナサイ。彼ガ寂シガラナイヨウニ、彼ガコノ世界ヘ来タ日時ヲ正確ニ設定スルノヨ?」
「はい……」
 ターキアは、Mother−2に見張られながら、資料を片手に、機械の設定を行う。スペーサーを中央局へ連れてきた警備ロボット180の記録時刻を元に、日付と時刻を設定する。結果として、スペーサーがこの世界に飛ばされた日の時刻より数分ほど遅れてしまったが、だいたいは設定できた。だがこの機械、あと一度しか使えないことは目に見えていた。部品のいくつかが急激な充電の負荷に耐えられず、故障を起こしかねない状態だったからだ。
「終わりました」
「ソウ、アリガトウ。ジャア、次ハ、点検ヲ頼ムワヨ。ドウモ調子ガ悪クテネ。アアソレト、」
「はい」
「彼ハ、明日、帰ルノ。私モ彼ト共ニ行クワ。ソノ時ハ、ヴィクトルト一緒ニ、見送リニ来テチョウダイネ」
 Mother−2がモニターから消えた後、ターキアはいつもどおり点検を開始する。だが彼女は蓋を開けただけで、ざっと見た後すぐに閉じてしまった。異常と言える異常は、見つからなかったのだ。
「何で点検なんかさせたのかしら。別に部品が古くなったとかそういうのじゃないし」
 いいながら、部屋の中を注意深く見渡す。スペーサーの姿はなかった。自室から盗まれたチップの行方も気がかりだったが、この部屋のどこかにいるであろうスペーサーの居場所も気がかりだった。
「明日、帰っちゃうのか……」
 修理道具一式をまとめ、ターキアは立ち上がった。道具を胸に抱きしめて、彼女は部屋を出て行った。
 Mother−2が再起動する一分ほど前、何者かが小部屋に入り、マザーコンピューターに、超小型チップを挿入する。それは、ターキアが自分で作成しなおしたプログラムをいれたものだった。同時にモニターがぱっと点灯し、ノイズが一瞬だけ映る。だがそれは何度も繰り返して映っていた。まるで、誰かに合図を送っているかのように。


 朝の六時過ぎ。
 ターキアは研究室のデスクから体を起こした。
「いけない、寝ちゃったのね……」
 夢を見ていた。彼女の元から離れて闇の中へと歩き続けるスペーサーを、彼女は追っていた。どれだけ呼んでも振り向いてくれず、どれだけ走っても追いつけない。彼の姿はそのまま闇の中へ飲み込まれていき、彼女は闇の中にひとりだけ取り残されてしまう。やがて彼女は走りつかれて倒れてしまう。そして闇は彼女自身をも包み込み――
「嫌な夢……」
 ターキアは椅子から立ち上がる。腕時計を見る。
「もう朝なの……?」
 昨夜のMother−2の言葉を思い出した。今日は、スペーサーが元の世界に戻る日なのだ。だがターキアは笑って彼を見送る気にはなれなかった。どうしても、そんな気分にはなれない。
「あのプログラムさえあれば……。でも誰が持っていったの?」
 その時、研究室のモニターが光った。
「アラ、ココニイタノネ。チョウドヨカッタ。コレカラ、彼ヲ転送スルトコロヨ。キナサイ」
 モニターに、やけにたくさんのノイズを走らせながら、Mother−2のシルエットが映された。

 ヴィクトルは寝台の上に寝転がったまま、天井を見つめていた。
(あの世界に帰るのか)
 ターキアから、スペーサーが帰ってしまうことは聞かされていた。ターキアは話している間、沈んだ顔をしていた。しかしヴィクトルは何とも思わなかった。目障りなものがいなくなってしまえばそれでいいのだから。
(あの世界には花が咲き乱れ、木々は青々とした葉をつけている。一体どうしたらあんな風になるんだ。この世界の土は痩せているし、どんな植物を育てても枯れてしまう。あの世界で数点サンプルを採取して、持ち帰って調べてみたい。マザーに頼めば、一緒に連れて行ってもらえるかな)
 いつの日かこの世界を、図鑑で見たような緑溢れる世界に戻すことが、彼の夢であった。遺伝子を改良することなく作物をたわわに実らせたい。生まれたときからビタミン剤や麦ガラの多い粥を口にして育ってきたヴィクトルには、遺伝子を改造することなく自然に育ってきた作物や野菜の味というものがわからない。遺伝子改造を行った結果として、作物の収穫量は増えたが、以前よりも味が落ちるという事になってしまった。ますます本来の味から遠のいている。子供の頃に食べていた粥の味と比べても分かる。
(あの世界じゃあ、きっと作物がたわわに実ってるのが、当たり前なんだろうな。やっぱり連れて行ってもらおう)
 寝台から起き上がったとき、部屋の隅のモニターが点いた。
「アラ、ヴィクトル。チョウドヨカッタワ。イラッシャイ」

 管理塔へ行くエレベーターの前で、ターキアとヴィクトルは鉢合わせした。二人はエレベーターに乗ったが、上がっていく間中、何も喋らなかった。それぞれ、考えていたからだった。
 暗い通路を歩き、先の部屋のドアの前に着く。ドアの向こうからは静かな機械の唸りが響いてくる。
「あけるよ」
 ヴィクトルが言う。ターキアは小さくうなずいた。
 ヴィクトルはドアを押し開ける。いつも以上に眩しい光が、二人の目をくらます。それが治ったあと、二人は光の中へと進んでいった。


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