第3話



 カポエラーは、誰かに体をゆすぶられて、意識を取り戻した。目を開けると、レディアンとプクリンの姿が見える。最初はぼんやりとしていたが、やがて相手の全貌がはっきりと見えるようになった。
「あれ? どうしたの?」
 カポエラーは寝たまま口を開く。全身汗だくのレディアンは、息を切らしながら言った。
「どうしたって、そりゃ、君を追いかけてきたんだよ。あんなスピードで落ちてくんだもん、追いつくのが、大変だったよ」
 プクリンは、逆に汗をかいていないようだ。おそらく、レディアンに崖下まで運んでもらったのだろう。
「こんな崖下まで、落ちてくなんて思わなかったわ。そりゃ底なしだったら困るけど」
「落ちた?」
 カポエラーは起き上がる。そして周りを見回して、ここが、見慣れたポケモン渓谷の森の中ではない事を知った。周囲は高い岩壁で囲まれ、空は、はるか上方に見えるだけ。
 だが、ここは明るかった。
 なぜって、ここは、赤い光を放っていたから。
「ここって、どうしてこんなに赤いの?」
「さあ。その水晶球のせいなんじゃない?」
 プクリンは、カポエラーの側に落ちている水晶球を指差す。その水晶球は、周りと同じく赤い光を放っている。岩がどれも赤い光を放っており、直視するだけで目の奥が痛む。
「何だか目が痛くなってきたよ。それより、早く出よう。ずっといたら、そのうち目が真っ赤っかになっちゃうよ」
 カポエラーは立ち上がった。しかし、プクリンもレディアンも賛同しない。
「そうしたいんだけどさ」
 レディアンは言った。
「崖下へ向かっていく間、どうやら崖にバリアみたいなものが張り巡らされたらしいんだ。何度も挑戦したけど、崖から上には出られないんだよ」
 よく見ると、レディアンの背中の羽が少し曲がっている。ぶつけてしまったのだろう。
「ってことは、つまり、ここから登って出られないってこと?!」
「そういうこと」
 レディアンの簡潔な返答は、かえって真実味を増した。カポエラーは、立っていたが、肩を落として、またへたり込んでしまった。
「しょうがないよ。こうなったら、この崖下から地上へ出る洞窟でも探しましょ」
 プクリンはのんびり言った。危機感が全く無いこのプクリン。
 カポエラーはぶつぶつ言っていたが、また立ち上がった。崖から飛んで出られないならば地上へ通じた通路を見つけるしかないのだから、今はプクリンの言葉通りに、地上への道を探すしかない。
「しょうがない。歩こうよ」


「目が痛いなあ」
 レディアンは目を瞬かせた。歩き始めてから数時間は経ったころだ。足元の赤い光は少し弱くなっていたが、それでも直視すれば痛みが走る。なるべく視線を上へそらしてはいるものの、それでも赤い光が目に飛び込むことだけは避けられなかった。
「ちょっと休まない?」
 レディアンの言葉に、カポエラーもプクリンも素直に従った。足元の岩はひどくゴツゴツしていて、歩くのに数倍の労力が必要だった。時にはカポエラーがプクリンを大岩の上に引っ張りあげたり、プクリンがのしかかりで岩を砕いたりもしたのだから。
 光をあまり放たない、苔すら生えていない場所を見つけ、そこに座る。目を閉じても、まぶたの裏に赤い光が焼きついているので、目を休めている感覚はない。
「疲れたね」
 プクリンが言う。赤い光ばかり見つめているので、視界が早くも赤っぽくなっていた。プクリンは、ひらべったい岩の上に大きく体を伸ばし、まるで、伸ばされたペーストのようになった。
「この崖、どれくらい広いんだろう」
 カポエラーは、はるか上にある空を眺める。糸ほどの細さしか見えないが、それでもあれは、空だった。この崖下の赤い景色を見るよりは、はるかに良かった。
「ポケモン渓谷を真っ二つに割るくらい、広いんじゃないの?」
 プクリンは答えて、ごろごろと転がる。疲れているのか遊びたいのか、よくわからない。
「物識り博士が言っていたけどさ、この崖はずうっと昔からあるみたいだよ」
 レディアンは岩の上で四肢を伸ばしている。羽は閉じている。ずっと飛びっぱなしで疲れたのだ。くわえてプクリンを崖下まで運んできたのだから、他の二人より余計に疲れている。
「で、この崖自体、いつからあるのかわからないみたい。たぶん渓谷が出来たときからあるんじゃないの、それこそ大昔から」
 渓谷の物識り博士ことヨルノズクは、この渓谷のポケモンたちよりも年上だ。時折遊びに来てくれるミュウと突如天空から降ってきたアンノーンを除けば、誰よりも年上なのだ。つまり昔と言うのはヨルノズクが若いころの事をさす。
「物識り博士でも、知らないことはあるんだね」
「そりゃ、自分の生まれる前のことなんかわかんないでしょ」
 プクリンは前髪を揺らし、脚をばたつかせる。
「でもさー、アタシ気づいたのよ。この崖下の赤い光……」
「気づいた?」
「うん。この光、何かを呼んでいるように聞こえるの。『帰ってきてくれ』って。耳をすましてみなよ」
 言われてレディアンもカポエラーも耳をすますが、あいにく何の物音もしない。聞こえるのは、ただの風の音――
「ね、聞こえるでしょ?」
 プクリンの言葉に、
「うん、風が吹いてる!」
 同時に、カポエラーとレディアンは声を上げた。
「この先に何かあるんだ!」
 驚くプクリンをよそに、休んでいた腰を上げ、風の音に向かって駆け出した。
「ちょ、ちょっと待って! 風の音って?」
 プクリンも置いていかれないようにと、短い脚を一生懸命動かして、後を追った。
 風の音が聞こえるという事は、この先に、何か風を吹かせている出口があるという事。崖下の出口があるかもしれないという期待を胸に、カポエラーとレディアンは、風の音に向かっていった。
 赤い光が徐々に、弱まる。続いて、前方から強く風が吹きつけてくるのを感じた。
 何かある!
 風が少しずつ強くなり始める。続いて、少しずつ赤い光が弱くなり、赤い光に変わって、白い光が前方からもれてくるのが見える。細い糸ほどしかなかったその光は少しずつ太くなり、眩しくなり、やがて、目の前に広がった。


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