第1章 part2



「……ふん、気絶しおったか」
「薬が効きすぎたようだ」
「これ以上続けても無駄なようじゃのう」
「好奇心は猫をも殺すというが、こやつの場合は己自身を殺しておるわい」
「さて、どうするかね」
「明日は廃棄処分の日、そこで捨てればよかろう。地上の薄汚い連中が奴を見つけても構わん。地上へ放り出されたこやつが生きているとは思えんし、どのみち《CAGE》に戻る術など、ないのだからなあ」
「全く、これほどの地位にのしあがっておきながら、己の手でそれを捨てることになるとはのう」
「余計な詮索をしないほうが身のため、それを理解できなかったのだなあ」
「全く愚かな奴じゃて、まだ若いのにのう……」

 次に《CAGE》が町の上空へ来た日は、あいにくの雨だった。それでも、出かける者は宝の山へ出かけてゴミあさりをする。ユリシカもそうするつもりだ。日々の糧を得るために。朝の五時に起き、酢漬けの野菜入りの缶詰を腹に収め、レインコートを着て、籠を持って外へ出た。
「うわ、どしゃぶりじゃん」
 家にいる間は大粒の雨がまばらに降っているだけだったはずなのに、家を出た途端にどしゃぶり。ユリシカはぶつぶつ言いながらも、宝の山へ行った。すでに新しいゴミが落とされた後で、大勢の者が《CAGE》のゴミに群がっている。うずたかく積もれているところはもう先客がいたので、仕方なく、宝の山のはずれの方に何か落ちていないかと思い、ユリシカは宝の山のすその方へと足を運んだ。宝の山の高さは、落ちてくる家具や機械の大きさにもよるが、おおよそ十メートル。山裾はその倍近くある。ゴミが山を作れず転がり落ちてしまうからだ。それ以上転がり落ちないように高い壁が作られているので、人々はたいてい、ゴミ捨て場の入り口に近い方からてっぺんにかけての場所を陣取る事が多い。ユリシカは、それを避けて、入り口から遠い山裾を目指した。そこなら人が少ない。
 時間が早いのと雨も手伝って、人はほんの数名しかいない。落ちているゴミも、基盤などの小さなものばかりである。
「早く来たのに、めぼしいものがないなあ」
 どんどん山裾から離れて壁の方へ向かってみる。たまに、大型の家具や機械が転がり落ちて、その大きさと重さ故に運び出されぬままになっている事があるのだ。近づくと大きなソファが見えてくる。人工皮革の、まだ使えるソファだ。捨てられたばかりだろう。だが重すぎて彼女一人では運び出せそうにない。
 ふとユリシカは異臭に気がついた。油や人工皮革のにおいにまじって、できれば嗅ぎたくないにおいが混じっている事に。
「何、この臭い……」
 鉄のような臭い。だがそれは、鉄ではなくて、
「血液の臭い!?」
 ソファの背もたれは彼女に背を向けている。彼女は背もたれを乗り越え、奥を見た。
「あっ」
 思わず声をあげていた。
 ソファの上からゴミの山の中にずりおちるように、人が仰向けに倒れていた。腕が不自然に曲がり、どこか怪我をしているのか服が血まみれだ。服装から見て、《CAGE》の住人であることは明白だ。血にまみれているが、綺麗なグレーの服とズボン。今までにも、転落した《CAGE》の住人を見た事があるが、この人物ほど上等の服は身につけていなかった。
(いい階級のひとなのかな)
 ユリシカはしばしこの人物を眺めた。骨折したのか腕と足は不自然に曲がり、胸の部分は不自然にへこんでいる。たぶん、《CAGE》から転落した後、ソファの上に落ちたのだろう。ソファが異常にへこんでいるのだ、その点は間違いなさそうだ。服だけ血まみれなのは、雨が体の血を洗い流したせいだろう。
(まあ、死んでるだろうし、服とか全部はぎとってしまおっか。残りは全部医者に売っちゃっおう。臓器も血液も結構いい値段で買い取ってくれるし――)
 そう思ったのもつかの間、
「あっ」
 ユリシカはまた声をあげた。へこんだ胸が、わずかに上下しているのが見えたのだ。
「生きてる……! こいつ生きてる!」
 だが生きていたとしても瀕死、このままでは死亡だ。
「……よし!」
 ユリシカはしばらく考えたうえで行動を起こす。ソファに上半身を預けるようにして倒れているその人物を引っ張り上げる。毎日、重い機械を運び出しているユリシカなのだ、力の抜け切った大人一人を何とか担ぎあげることくらい、一人でも大丈夫。そして、この人物は細身なので、彼女が人の手を借りずとも、何とかなった。
「おいユリシカ、今日はそれを売るつもりかよ」
「うん、まあね。服も結構上等だしさ」
 何とか宝の山から運び出してから、後部座席にその人物を何とか押し込んで、三輪バイクのエンジンをかけた。土砂降りの雨は弱まり、視界は開けていた。ユリシカは三輪バイクを走らせ、町の唯一の病院へ飛び込んだ。
「ちょっと、診察頼みたいんだけど!」
 病院と言ってもそんなに大きなところではない。三階建ての建物で、元々白く塗られた建物は長い間風雨にさらされて灰色に近くなっている。内部も、待合室と診察室があり、掃除は行き届いているものの、建物自体がだいぶ古いため、しみやよごれが目立ってきている。幸い誰も待合室にいなかったので、ユリシカはバイクを病院の正面に留め、大声をあげる。そして、後部座席の人物をまたしても担ぎあげ、息をしているのを確認し、病院に入った。
 入念な診察の結果、《CAGE》から落下したこの瀕死の人物は、落下の衝撃で肋骨を何本か折り、右腕と両足を骨折している。落下したところにソファがあったからこの程度の骨折で助かったのだ。だが体の傷だけは違う。血まみれになっているのは、その人物の服の下にいくつもの切り傷があったからだ。傷は浅く急所も外してあるが、確実に痛みを与えるためにつけられたものである。
「それにしても、何で診せに来たんだえ?」
 病院を切り盛りする院長は、この歳七十だ。だいぶ背中が曲がってきたが、まだまだ診察はしっかりしている。女なのに頭はすっかりはげ上がっている。ユリシカを不思議そうに眺めてくる。
「確かにこいつは生きておるが、このまま心臓なんかの臓器を取り出して、血液を一滴残らず抜き取ってしまえばいいんでないかい? 最近は良質の血液が足りないからのう。こいつは若いし、まだまだ体は丈夫、こちらとしては金貨一枚くらいは出してやってもいいと考えておるんだが」
「き、金貨一枚?!」
 思わずユリシカは目を輝かせた。金貨一枚は銀貨二十枚に相当し、一ヶ月は楽に暮らせる。高級缶詰も食べ放題だ。
「あ、でもさあ。ちょっと、ねえ」
「何をしぶっておるんじゃえ。服も上等のもんじゃし、キズものであるのを除けば、それなりの値がつくと思うがのう」
「それがさあ」
 ユリシカはそわそわしながら、院長に耳打ちした。すると、老婆の顔が驚きに満ちた。
「お前そんな馬鹿な事をするつもりなのかえ? 上手くいくとは思えんわ。一目ぼれしたってんならわからなくもないけどねえ。まさかそんな――」
「いいじゃん。とにかく、できるだけの治療はしてよ。金はちゃんと払うから」
「その金が無駄にならんといいがのう」
 はげ頭の院長は、やれやれと肩をすくめながら、治療用の器具をそろえ始めた。

 病院の、入院用の部屋はたった十部屋しかない。そしてその部屋の一番清潔な部屋にて、その怪我人は固い寝台の上に寝かされていた。怪我人の意識はまだ戻らないが、老婆の手当てのおかげでなんとか命は取り留めた。体の半分以上は包帯に覆われている状態。
 ユリシカが宝の山で拾ってきた《CAGE》の人物は、若い男であった。歳は二十四か二十五くらいで、身長はそれなり、体つきは細身、色白だ。
「綺麗な手だな、こりゃあ」
 思わずユリシカは、怪我人の手を見る。ユリシカの手は女とは思えぬほどゴツゴツして骨ばっており、爪の形も良くない。手入れなどした事がないのだ。だがこの怪我人の手はやや細めで、ユリシカから見れば華奢そのもの。重い工具箱など持たせれば指の骨が重さに耐えきれず骨折してしまいそうなほど……。とはいえ、指の形にはへこみ跡などがあり、日頃から何か握っていたと思われる。ボールペンかなにかだろうか。
「やっぱり《CAGE》の人ってのは、あたいらみたいに毎日汗水たらして働かなくても、食うにも住むにも困らないんだろうなあ。こんなに綺麗な手してるってことは、働いた事なんかないってことだしよ。いいよなあ、やっぱり」
 ため息が出た。地上の住人は、空中を漂う《CAGE》で何不自由なく暮らす事が夢なのだ。空中に漂う《CAGE》には何もかもある。金も、食べ物も、水も、綺麗な服も……。《CAGE》へ行く事が出来れば、一生遊んで暮らせる。どんな贅沢も出来る。
 ユリシカはまたため息をついた。だが、次には、笑んだ。
「選定の日まで、あと半年。ふふふ……」


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