第4章 part1



 アスールの存在が町の者に知られてから一ヶ月経った。
 アスールの骨折は完治した。とはいえその細っこい体では、宝の山でのガラクタの奪い合いには耐えられないので、もっぱら運ぶのはユリシカであった。持ち帰ったガラクタはユリシカの家で修理した後、専用の店に行って買いとってもらう。アスールはその生活に慣れてきた。胃袋も順応しつつあるようで、吐いてばかりだった缶詰食料を何とか食べきる事が出来るようになっていた。
 最初は町の住人たちから好奇の目にさらされていたが、一ヶ月も経って慣れたのであろう、人々はアスールの存在を当たり前と思うようになってきたようで、じろじろ見られる事はなくなりつつある。ただ、ユリシカが心配した通り、人の口に戸は立てられないもので、アスールが《CAGE》から転落した後ユリシカに拾われた人間であることは、町中に知られてしまっている。とはいえ、この話はこのあたり一帯の住人だけしか知られておらず、何故か、他の町にはこの話が全く流れていっていないのであった。これだけは、ユリシカは心底から安堵している。遠方からその話を聞きつけて、誰かがアスールをひと目見ようとするかもしれないのだ。見て、噂が広まってしまうと、色々な意味で静かに暮らしていくことはできなくなるだろう……。だからこそ、この町だけの話で終わっている事を、ユリシカは本当に感謝しているのだった。
 ユリシカは、アスールを目の届くところにだけ置いており、夜に寝るときは彼の部屋に外からカギをかけている、「用心のため」と言って。……アスールの脚の怪我が治った以上、たとえおんぼろバイクを運転できなくとも自力で逃亡するかもしれないからだ。今のところはそんなそぶりは見せていないのだが、それでも不安だ。自分の都合で助けたとはいえ、
(拾った後で、両足を切断してもらえばよかったかな。そしたら、アスールの意識が戻った時に、もう脚は使い物にならないからって、テキトーな嘘をついてごまかせたかもしれないのに)
 一度はそう思うのだった。
 アスールの存在を秘密にしておこうと最初は思ったが、隠せば隠すほど、ひとは興味を持ちたがるものだ。だからこそアスールを色々な場所に連れて行っている。あえてひと目にさらけ出しておけば、人々は最初こそ興味を持つが、慣れてくるにつれて興味を失うものだ。また、ほかの地域から見知らぬものが勝手に集落内にやってきて廃屋に住み着く事は珍しくないので、新しい住人が増えたという程度の認識にいつかはとってかわるだろう、ユリシカはそう思っていた。
 アスールの機械の修理の腕前は、ユリシカよりも上であった。おかげで、ユリシカが彼のために支払ってきた入院費が、あっというまに返済されていく。ユリシカはそれを内心喜んだだけでなく、もっともっと稼ぎたいと思っていた。アスールは、道具と材料さえ揃っていれば大抵のガラクタを修理出来てしまうのだ、これを利用しない手はない。そこで、宝の山から持ち帰るガラクタの数を増やしては、自分で修理できないものは全部アスールに押し付け、鑑定させているのだった。「まだまだ、あたいへの借金は返済し切れてないんだよ」と嘘を言って。

 ある日、ユリシカはひさしぶりに酒場へ行きたくなった。修理ばかりしていては、息が詰まってしまう、たまには息抜きもしなくては。アスールを連れていこうか迷ったが、結局連れていくことにした。目の届くところに、置いておきたいから。
「たまには息抜きしたいからさ、飲みに行こうよ」
 きょとんとするアスールを引っ張って、ユリシカは家を出た。
 目当ての場所は、町の真ん中にある。買い取り専門店へ行く途中でいつも通る、大きな建物。ここは酒場と賭場を兼ねており、毎日ラジオの音がやかましく鳴り響き、怒鳴り声や物が飛び交う音がしょっちゅう聞こえてくる。酔っぱらいの絡みと、賭博のイカサマで喧嘩をおっぱじめる時の大声は、酒場が開店している限り、必ず耳にするものである。
 店に到着したのはちょうど昼ごろ。ユリシカは駐輪場の管理人に銀貨五枚をはらってバイクを預けてから、アスールの手を引っ張って、酒場のドアをあけた。
 昼間だと言うのに、酒場はにぎわっている。安酒のきついにおいが辺りに立ち込め、煙草の煙で店内はまるで霧がかかっているかのようだ。換気扇はちゃんと回っているのだが、性能が悪いようで、ろくに機能しておらず、煙草の煙を外へ完全に追い出す事が出来ていない。そのため、日中は窓を開けて換気と明かりとりをしている。
 酒場の客は、ユリシカと年のかわらぬ少年少女から、ぼろをまとったよぼよぼの老人まで様々。酒を飲みながら話をし、酔い潰れて眠り、気に入らぬ相手に怒鳴り付け、離れた所ではカード賭博の真っ最中。
「さー、一杯飲むかあ!」
 ユリシカは、アスールの手を引っ張って、ずんずん奥へ進む。バーカウンターの向こうには、背中の曲がった禿げ頭のおやじと、十人もの女給たちがいる。女給たちは酒や肴を忙しく運び、空の食器をさげ、空いたテーブルを綺麗にする。忙しく動き回る彼女らの間を器用にすり抜けて、ユリシカはカウンターへ歩み寄った。
「よお、おっちゃん。久しぶり」
「おお、ユリシカ久しぶりじゃねえか。んん、そいつは?」
「あ、彼の事聞いてると思ったけど」
「ああ、そいつか、ああ、わかったわかった」
 酒場のおやじは納得した顔をした。よれよれだが何とか清潔と呼べるレベルの前掛けで手を拭いてから、
「じゃ、いつものでいいか?」
「うん、烈火酒。彼のぶんもおねがいね」
 綺麗に磨かれた、ありふれた酒用のグラスに、薄茶色の透明な液体が注がれた。
「最近忙しくて全然来られなかったからさー、こいつで精力を回復しなくちゃな!」
 言いながら、ユリシカはグラスの中の液体を口に含む。安物のアルコールが頭をガンと刺激した。
「くうー、効く!」
 アスールは、グラスの中の液体をうさんくさそうに眺め、軽くにおいを嗅いでみて、ぱっと顔をグラスから離して顔をしかめた。
「あれ、どうしたのさ。飲むのは初めて?」
 二杯目を口にするユリシカは、アスールが酒をちっとも口にしないのを見て、首をかしげた。
「こいつは結構パンチがきく酒でさ、あたいはいつも飲んでるんだよね」
 それでも彼は飲まず、グラスをユリシカの方へ押しやった。飲むつもりは、ない。顔を見なくともその動作でわかる。
「あ、くれるの。あんがとう」
 ユリシカはそう言って酒を受け取った。《CAGE》の住人は酒を飲むだろうけれど、こんな安酒を飲むことはないのだろう。
(いつかは《CAGE》の酒をあびるほど飲んでやろう。きっとこんな安酒よりもはるかに上等で、美味しいものに決まってるよ!)
 受けとった酒を飲もうとした時、ユリシカは、壁際のカウンター席に座っている男に気がついた。この辺りでは見ない服装だ。目の前には空のグラスがいくつも置いてある。男自身は、手の中でグラスをこねくりまわしているだけで、いっこうに酒を口にする様子がない。
「誰、あれは」
 ユリシカがそっと問うた。酒場のおやじは、
「ほかの町から流れてきたんだろ。最近よく来るんだよ」
 知らないようだった。余所から町へ勝手に住み着く者がいても全くおかしくない。落ちぶれた農園主や牧場主などはその典型例だ。暴徒に襲撃されて財産も土地も失い、体一つで放り出されてしまい、結果として他に住める場所を探す。うまく見つけられればいい方だが、できなければ野垂れ死にするだけだ。
(なかなかいい服着てるなあ)
 顔は丁寧にひげをそってあり、日焼けがあまり見られない。少し汚れているが、見た事のない黒い服の上下と皮靴。瀕死のアスールが着ていたグレーの服ほどではないが、なかなか品質のよいものだ。大きな都市のしゃれた店ならばこういった服を見かけることはできる。購入しようとすれば、靴一足だけで金貨を十枚以上要求されてしまう。全てをそろえようとすれば、金貨百枚にものぼるであろう。
 酒を飲みほした時、ユリシカは、アスールの目線に気がついた。彼はユリシカの頭の向こうを見て、固まっている。酔いの回ってきたユリシカは、アスールの目線をろくに追わず、自分を見ているのだと勘違いしてしまった。
「何見てんのさ。あたいは全然美人じゃないよお」
 アスールはユリシカの腕を引っ張り、「早く帰ろう」と言いたそうにそわそわして外を見る。
「もう帰るのお? もうちょっと飲ませろよ、もう」
 しかしアスールが執拗に引っ張るので、とうとうユリシカは折れた。
「しょうがない。そんなにおうち帰りたいなら、帰ってやるよ。じゃ、おっちゃん、瓶くれよ。家で飲み直すから」
「おう、わかった」
 酒代の銀貨を渡した代わりに安酒が入った瓶を一本受け取ったユリシカは、アスールに引っ張られるまま、酒場を出ていった。その直後、賭博場から、イカサマがバレた老人が周りの客にタコ殴りにされる、至極哀れな声が響いてきたのだった。
 ユリシカは酔っぱらい運転であったが、さいわいどこにもぶつからず、誰も轢かず、無事に自宅までたどり着いた。
「あー、着いたよー」
 ユリシカはおんぼろバイクをガレージへと収め、酒の入った瓶を持って、シェルターの鍵を開けた。待ってましたとばかりに、アスールは自分でドアを開けて飛びこみ、部屋にとびこむと乱暴にドアを閉めたのだった。
「なに焦ってんのさあ。そんなにあそこにいるのが嫌だったわけえ? せっかくの気晴らしが台無しじゃんか、まったく」
 酔いが回った状態のユリシカは、ふくれっつら。
「まあいいや、とにかく飲み直そうか」
 アスールが自宅に飛び込んでいった理由は分からないが、今のユリシカは久しぶりの安酒を飲み直して酔いを取り戻す事の方がずっと重要であった。彼女は入り口に施錠をした後、リビングで、ひとり酒盛りをした。
「やっぱりこのキツイのがいいんだよなあ〜。あいつも飲めばいいのにい。ういっく」
 一瓶空けてしまうと、ユリシカは完全に酔っぱらってしまい、そのままテーブルに突っ伏していびきをかいた。再び目覚めたのは夕方を過ぎたころ。
「あー、よく寝た」
 体を起こす。まだ体に残っている安物のアルコールが頭をくらくらさせる。
「体がいたいや。……夕飯も兼ねて、水飲んで酒を飛ばすかあ」
 アスールの部屋をノックすると、あっさりとドアを開けた。あれだけ焦って部屋に飛び込んだ、昼間のあの様子とは打って変わって、今は、落ち着いている。
「ところでさ」
 缶に入っている塩漬け野菜を食べながら、ユリシカは問うてみた。
「昼間、なんであんなに慌てて酒場から出ようとしたのさ?」
 が、アスールは答えようとしなかった。ユリシカとの対話のために何時でも手元に置いているメモ帳とペンに手を伸ばそうとしなかったのだ。言いたくない。あるいは言うのを躊躇っている。
「言えないくらい、くっだらない理由?」
 さすがに相手は苛立ったようで、乱暴にペンを取りあげ、走り書きし、メモを見せる。
『あの店の中の空気は、どうしても耐えられなかった!』
「それが理由なの!」
『悪いのか?』
「いや、あなたはあそこに初めて入ったから、そう思うのも無理ないよ。でもねえ」
 あたいの楽しみを奪うようなことするなよ、ひとりで帰ればいいだろ。そう言いかけたユリシカは口を閉じた。
「ま、まあいいや。あそこに不慣れだったあなたのことを考えなかったのは、あたいが悪かったよ。ごめん」
 アスールはそれ以上何も書かず、メモ帳をテーブルに置きなおした。この話題は終わりにするつもりなのだろう。ユリシカとしても、余計なことを口走ってアスールに不信感を抱かせたくはなかったので、話題を終わらせたのはありがたかった。
 食後、ユリシカはシャワーを浴びた。
(あの店はいつ行っても酒と煙草と血のにおいがするけど、《CAGE》だったらどんな店なんだろう。人々はきっと綺麗な細工物のコップで上等の酒を飲んでるに違いないね。お店だって、目も眩むほど豪華絢爛な飾りがいっぱいあって、ものすごく清潔なはず)
 体を拭いた後、いつもの寝間着に着替えて寝台に身を投げ出す。わずかにギシギシと寝台は文句を言った。
(早く来ないかな、『選定の日』が……)
 そのことを考えるだけで、ユリシカの顔はにやけていく。
(あと一ヶ月で、『選定の日』だ、うふふ……)
 にやけた顔のまま、ユリシカは眠りに落ちていった。


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