第4章 part2



 脚の骨折がやっと完治した。
 慣れと言うのは恐ろしいものだとつくづく思う。
 この下層民の生活にあまり抵抗感をいだかなくなってきた。単純な味しかしない、たいして美味くもない食い物も吐かずに食べきれるようになったのがその証拠だ。
 普段やることといえば、日がな一日、ガラクタの修理や鑑定をすることくらいか。後は修理済みのガラクタを専門店へ売りに行ったり、食料品店へ缶詰の調達に行く、という程度。
 この集落に住む下層民たちは、ユリシカが私の事を話したせいか、外へ出かけるたびに遠くからじろじろ見ては何やらひそひそと囁き合うのだった。身動きとれないくらい囲まれるかと思ったが、それは杞憂に過ぎなかった。とはいえ、遠くから注目されるだけでなく噂の的になり続けるのは、けして気持ちのいい事ではない。きわめて不快な事は、私を見る下層民たちの何割かが、にやけた笑いを顔に浮かべている事だ。ユリシカもそんなにやけた笑いを浮かべる事がある。下心のすけて見える笑いだ、何か私に期待しているところがあるような気がする。
 何かに利用されるかもしれない。だが、今の私には、行くあてなど無い……。

 そろそろ、修理と売却と鑑定ばっかりの、単調な生活にも飽きが来た。図書館でも行きたいところだが、ユリシカに連れて行ってもらった範囲内では、酒場と賭場以外に、娯楽施設は見つからなかった。その日を過ごすので精いっぱいで、他の娯楽が発達していないのだろう。ひょっとしたら娼館もあるかもしれないが、たとえ勧められたとしても行くつもりはない!
 ……。
「たまには息抜きしたいからさ、飲みに行こうよ」
 ユリシカが酒場へ行こうと誘ってきたのは、私のためなのか、当人のためなのか。まさかとは思うが、二十歳にも満たない少女が飲酒するのか?!
 その疑問はしばらくしてから解答をもらえた。ユリシカが私を連れていったところは、なんと、いつも通り過ぎていく酒場。ユリシカはおんぼろバイクをうだつのあがらぬ男に預けてから、酒場の扉を開ける。途端にきつい安物のアルコールのにおいが鼻を突き、気分が悪くなった。室内は煙草の煙が充満し、まるで店内にうすい霧がかかっているかのようだ。窓は開いているし、天井には大きなプロペラ型の旧式換気扇が回っているが、ろくに機能していない。あちこちから怒鳴り声や笑い声が響いてくる。外からでも聞きとれるやかましい声が、店内にいると何倍も増幅されて聞こえてくる。
 店の客はユリシカと年の変わらぬ少年少女から、腰の曲がった老人まで、さまざまだ。老人はとにかく二十歳にも満たない男女が飲酒などするとは。飲酒可能な年齢について法で規制されていないのだろうか。いや、そもそも法など、あって無いようなものだろう。
 ユリシカは私の手を引っ張りながら、忙しく働く、すりきれた服を着ている女給たちの間を器用にすり抜けて、カウンターまで歩いた。禿げあがり、着古された服と前掛けをつけた、背の曲がった男に、酒を注文する。なぜか私のぶんまでも。
 ユリシカから渡されたそれは、酒と言っていいのか分からない液体だった。ユリシカは「烈火酒」と呼んでいたが、どこが烈火なのだろう。においを嗅いでみた所、工場で出てくるような出来そこないの安物アルコールのにおいが頭をガンとぶんなぐった。駄目だ、私は飲酒はするが、この「劣化」酒は飲めない……。
 ユリシカは、そのアルコールをぐいっと飲んだ。普段から飲んでいるらしく、顔色一つ変わる事がない。
「あれ、どうしたのさ。飲むのは初めて?」
 確かに飲むのは初めてだ、こんなひどい酒もどき……。飲みたくないので、ユリシカの方へグラスをおしやった。ユリシカは嬉しそうに礼を言って受け取った。
 彼女が二杯めを堪能している間、私は、店内を見回してみた。煙草の煙による薄い霧は、外から入ってきた乾いた風で更に薄くなっているので、先ほどより店の中が見渡しやすくなった。
 酒場それ自体は金属で出来ており、かつて巨大なシェルターだったと思われる。そこにいろいろと設備を持ち込んで、不要な壁を取り払って、酒場として機能させているのだろう。カウンターや、テーブル、椅子などは、元々このシェルターの中にあったものを使っているのだろう。カウンターには大きなブリキの箱を用いているが、いくつも並べたうえで溶接し、動かせないようにして、その上に大きなブリキの板を一枚敷いている。カウンターの奥は、料理をする台所へ続く扉の傍に、瓶が乱雑に所狭しと並べられている棚がある。見た事のない銘柄の酒ばかりだが、下層民がろくなものを口にしているはずがないのだから、銘柄などなくて当たり前だろう。
 店内は、長方形に切られたブリキのテーブルが十くらいと、その半分の面積の正方形に切られた同じくブリキのテーブルが十くらい置いてある。椅子の数は数えられない、いや、数えようがない。それというのも、客たちが動かしてしまい、元の場所へ戻さないでそのまま帰ってしまうからだ。酒場の反対側は賭場になっていて、酒場の客がとばっちりをくわないように頑丈な仕切りがついているのだが、イカサマを罵るとんでもない罵声だけは防ぎようがないのだった。
 客は、老若男女を問わない。酔いつぶれて眠っていたり、飲み比べをしたり、やかましく歌をがなったり……。まあ《CAGE》の裏通りの酒場でも見る光景ではあるが……。
 カウンターにも、ユリシカ以外に客がいる。酔っぱらって眠っている壮年の男。瓶から直接ラッパ飲みしている、ユリシカと同い年くらいのそばかすだらけの少年。そして、妙に浮いた客がいる。油で汚れた作業服を着た客たちとは違い、この客だけはとても身ぎれいにしている。いや、私の目がこの下層民の生活に慣れ切ってしまって、《CAGE》の一般的な服装がとても美しいものに見えてしまっているだけのようだ。
 その客は、年季の入ったワイシャツを着て、濃紺のネクタイをしめ、黒色のチョッキとズボンを身につけ、なめし皮の靴をはいている。黒髪は綺麗に油で撫でつけ、ひげもきちんと剃っている。服装自体は《CAGE》の安物服屋ならば大抵見かけることのできるものだ。だが、汚れた下層民に混じってこの服装を見ることになるとは。まさか、この客は《CAGE》の者なのだろうか。グラスをこねくりまわすその客の横顔を、そっと見てみた。
「!!!!」
 思わず、ユリシカの腕をつかんだ。ユリシカがろれつの回らぬ状態で何か言ったが、私はそんな事など聞いていなかった。
「もう帰るのお? もうちょっと飲ませろよ、もう」
 酔っぱらいはこれだから!
 それでもやっとユリシカは重い腰を上げ、酒代を払って安酒の瓶をひとつ受け取り、やや千鳥足で外へ出た。飲酒運転はヒヤヒヤさせられたが、無事にシェルターへ到着した。
 シェルターの鍵が開けられるや否や、私は中に飛び込み、自室に転げこみ、ドアを乱暴に閉めた。窓の鍵がきちんと閉まっているか確かめ、家具のほとんどない室内をあちこち確かめる。何も潜んでいない。やっと安堵して、私は、固い寝台に落ち着いた。
(まさか、あの男が……!)
 酒場の、壁際のカウンター席でひとり座っていた《CAGE》の服装をした男。
 下層民に新品の商品を密かに流して一部の集落を富ませたために、二年前に、《CAGE》から追放された商人。とうの昔に地上でくたばったかと思われていたのに。まるで、幽霊でも見た気分だ。あんなに慌てて逃げ出したのは、一体なぜだったのか、自分の行動が急に分からなくなってしまった。
(恐れるに足らない相手なのに……)
 自分の額を叩いた。落ち着いてくると、あの慌てぶりが馬鹿馬鹿しく思えてきた。いや実際そうだった。既に追放された奴を見ただけで恐怖するとは……。
 酒臭いユリシカは食事の時に、昼間の行動について指摘した。聞かれることはもう予測済みだったが答えたくはなかった。おなじ《CAGE》の人間を見た、などと……。
「言えないくらい、くっだらない理由?」
 失礼な奴だ。いつも肌身離さないで持ち歩くメモ帳に、適当な言い訳を書いた。
『あの店の中の空気は、どうしても耐えられなかった!』
「それが理由なの!」
『悪いのか?』
「いや、あなたはあそこに初めて入ったから、そう思うのも無理ないよ。でもねえ」
 何か言いかけたユリシカは口を閉じた。
「ま、まあいいや。あそこに不慣れだったあなたのことを考えなかったのは、あたいが悪かったよ。ごめん」
 それ以上何も聞こうとしなかったので、私は安堵したが、一方で不安が頭をもたげてきた。聞こうとしないのは、それ以上詮索しても私が口を割らないからだとわかっているからで、本当はユリシカ自身は気が付いているだろう、私が店の客を見て帰りたがった事を……。
 食後、ユリシカの後でシャワーを浴びる。安物のボディソープには慣れたが、シャンプーは一度も使った事がない。薬局に行けば陳列棚におさまっているのが見えるのだが、ユリシカが買うのは、一番値段の安いボディソープの特売品のみ。体の清潔さは最低限でいい、ということだろう。年頃の娘なのに身なりにも気を使わない。おしゃれにかまけている余裕などないからだろう。
 それにしても、この間、部屋の前で立ち聞きしたユリシカの言葉……「選定の日」とは何だろうか。何を選ぶ日なんだろうか。そして、ユリシカが時折見せるあの嫌な笑いは……。


「何、奴が生きていたと言うのか?!」
「下層民どもが奴を助けたんだな」
「生きていたとは信じがたいな」
「奴は下層民どもに、何か《CAGE》について話でもしただろうか? 空を見上げてばかりの下層民どもにとっては、この《CAGE》はあこがれの的だろうしな。下層民どもは、話を聞きたがるだろうな、こぞって。例のものについて、奴は何か言っていたか?」
「それはわからん」
「奴を今度こそ消すかね?」
「いや、まだ様子見だ。奴の身辺を徹底的に調査するのが先だ」
「うむ、そうだな……」
「そうだ、そろそろ『あの日』じゃないか?」
「おお、そうだったな」
「下層民どもが待ち焦がれるであろう、『あの日』だな、ふふふふふ」
「さて、準備に取り掛かるぞ」


 酒場へ行った時の慌てぶりとはうってかわって、アスールはまた落ち着きを取り戻していた。ユリシカは、一体全体何故あんなに慌てていたのだろうかと思ったのだが、アスールは何も伝えてくれないので、何も言いたくないのだと思った。
(そういえば、あの時、アスールはどこを見てたんだっけ)
 酒場でアスールが顔色を変えた時、どこかの一点を凝視していた。ユリシカは酔っていたために、それをてっきり自分の顔を見たからだと思いこんだ。だがよくよく思い出してみると、視線は彼女の顔より更に奥へと向けられていた。
(確かその方向にあったのは――)
 壁際のカウンター席と、身なりのよい見知らぬ客。
(まさかあの客を見てたのか?)
 あの、身なりのよい見知らぬ客。ほかの町から流れてきた、落ちぶれた農園主かと、ユリシカは思っていた。だが、アスールのあの表情を見る限り、あれは、間違いなくアスールの知っている人物。
(もしかすると《CAGE》の人物!?)
 ユリシカはアスールに、《CAGE》の生活について尋ねた事が何度もあった。だがアスールは何も答えず、首を横に振るだけだった。なぜ話したくないのか聞いても、相手は何も答えてくれなかった。
(アスールが本当にあの男を知ってるんだったら、やっぱりあの男は《CAGE》から来てるやつなんだな、きっと)
 ユリシカは考え込みながらも、カレンダーを見る。そろそろ、月に一度の、宝の山が出来る日が近づいてくる。そしてもうひとつ。
「ふふ、『選定の日』、ふふ……」
 ひょっとしたら自分だけじゃなく町の住人全部も対象になるかもしれないが、そんなことは構うものか。そうなったら皆ユリシカに感謝するだろうから。
(でも、もし駄目だったら……)
 町の住人たちを説き伏せたものの、『選定の日』で誰一人として対象にならなかったら……。怒りの矛先を向けられる。あるいは、また次がある、と諦めていつも通りになる。どちらだろう。おそらく前者であろう。もしそうなったら……ユリシカは身震いした。下手をすると町を追いだされてしまうかもしれない。アスールはどうなってしまうのか。《CAGE》から落ちた人間だということはもう知れ渡っているのだから、これまでそうしてきたとおり、臓器と血液を全て抜かれて残りは荒野に捨てられることになるかもしれない。
「でも、でも……待つしかないんだよ!」
 目的の日まで、あと三日。
 ユリシカは、期待と不安をないまぜにして、待った。
 そして当日、町の広場の掲示板に大きな張り紙が貼られた。町の者たちは朝も早くからこの掲示板の前にたむろする。ユリシカもまた同じ。朝、日が昇る前に起きたのと、大慌てで家を出たのでアスールを起こすのをすっかり忘れていた。だが今の彼女にはアスールの寝起きなどどうでもいいことであった。
「早く、早く!」
 日が昇る前なのに、広場には大勢の住人がいた。彼女は、ざわめく住人どもを押しのけて前へと進んでいき、罵声も気にせず、とにかく前進する。
(結果、結果は……!)
 やっと掲示板の真ん前まで移動したユリシカは、白んでくる東の空からの光を頼りに、貼られている貼り紙の字を読んだ……!


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