第5章 part1



 掲示板の貼り紙に、やっと辿り着いたユリシカは、ぜえぜえ息を切らしつつも、朝の光を頼りにしながら、
「結果、結果は……!」
 目を皿のようにして、字を追った。
 掲示板に貼りつけられた大きな張り紙には、次のように書かれていた。

「この地域では、善き行いをする者が数多いため、今年の選定は保留とする。次年度の通達を待つべし」

 がっかりした声や戸惑いの声がまわりから漏れるが、戸惑いの声の方が大きかった。選定の日は、必ず誰かが選ばれており、選定自体が保留になったことなど一度もなかったからだ。
「そんな……保留だなんて……!」
 ユリシカは身を震わせた。
「なんで、何で保留なんだよ!」
 結果のわからない「保留」。選ばれたのか、そうでないのか、全くはっきりしない言葉。
「言えよ! どっちか言えよ! こん畜生! あたいは選ばれたのかよ! そうじゃないのかよ!」
 ユリシカは怒りがこみ上げた。「保留」。こんなに期待はずれな言葉を記した通達を、彼女は思わず殴りつけていた。
「落ち着け! まだ俺らが落選したと決まったわけじゃねえだろう!」
 屈強な禿げ頭の大男がユリシカの腕を強引につかんで止めさせた。
「畜生! 放せ! 止めろったら……」
 ユリシカはさんざん喚きちらした。
 帰宅したのは、太陽が昇るころ。不機嫌そのものの顔で、おんぼろバイクをガレージへ乱暴につっこみ、鍵を開けて中に入る。室内は薄暗く、まだ周りを見るのには不十分な明るさだ。アスールが寝ているかどうかも構わず、彼女は肩をいからせて自室へと入り、乱暴にドアを閉めた。
「畜生、畜生……!」
 ベッドの固い枕を壁へ投げつけ、ぶつかって返ってきたところをひっつかんで引き裂き、中の安っぽい詰め物を床に片っ端から投げ出した。
「保留だと?! ふざけんな! あんなに世話をしてやったのに……!」
 またしても怒りが込み上げてきた。
「なんで選んでくれないんだよお! 《CAGE》の人間を助けて面倒みてやったんだ、選ばれて当たり前だろうが! なんで、なんで《CAGE》はあたいを選んでくれないんだよ……! 保留になんかすんなよ! 選べよ!」
 涙が止まらなかった。多額の金をかけて、瀕死の重傷を負った《CAGE》の人間を助けてやり、衣食住の面倒までみてやったのに、《CAGE》はその「善行」を認めてはくれなかった。ただ、「保留」としただけだった。

 ブウウンという聞きなれた音で目が覚めた。
 ゴワゴワした古毛布の下から腕を伸ばして、時計を取る。眠い目をこすりながら時計を見ると、時刻はまだ四時半だった。だが、さっき聞いた音は、間違いなくユリシカのおんぼろオートバイの音だ。彼女は出かけたのだろうか。確かめたいが、あいにく部屋の外からカギがかかっているので、外に出ることはできない。東に面した窓はあるが枠は溶接されており、自力で開けることはできない。防弾ガラスなので、たたき壊す事も出来ない。そのくせ音は内部反響しやすいので、ユリシカの寝言も良く聞こえてくる。壁に耳をつけて聞いてみるが、何の物音もしない。だが、それだけでは彼女がいないと判断できない。
 彼女が部屋のドアを開けに来るまで、待つしかなかった。また寝ようかと思って寝台に寝転んだが、結局止めて着替えた。時計の時間がのろのろと進んでいく間に東の空は徐々に白んできた。そうして時計が五時五十分となったとき、遠くから聞きなれたおんぼろバイクの音が聞こえてきた。外を見ると、ユリシカがバイクに乗って帰ってきたのが見える。ガレージに、乱暴にバイクをつっこむ音。どうやら機嫌が悪いようだ。入口の鍵が開けられ、派手な足音が屋内に響く。ドアがバンと乱暴に閉じられる音も聞こえてきた。やがてユリシカが何やら喚き散らした。壁に何かがぶつかる音も聞こえる。機嫌の悪さは頂点に達しているようだ。一体何を喚いているのかは、壁に耳をくっつけてもはっきりとは伝わらない。そのうち泣きわめき始めた。
 一体何があったのだろう。日の昇らぬ早朝に私を残して出かけ、帰ってきたら途端に八つ当たりして泣きわめく。
 喚き声をもっとよく聞いてみると、
「なんで選んでくれないんだよお! 《CAGE》の人間を助けて面倒みてやったんだ、選ばれて当たり前だろうが! なんで、なんで《CAGE》はあたいを選んでくれないんだよ……! 保留になんかすんなよ! 選べよ!」
 この女の本心があらわれた。
 損得勘定つきで、私を助けたと言うわけか。《CAGE》から褒美をもらうつもりでいたのだろうが、それが出来なくて、八つ当たりして泣きわめいているのだろう。下層民はやはり金でしか動かないのだな。そういえば、病院であの老婆が私のことを、こう言っていたな、「金のなる木のなりそこない」だと。
 保留と言っていたが、褒美は先延ばしにされたのだろう。だが、私はもはや《CAGE》から抹消された身の上、《CAGE》がユリシカに何かを寄越すとはとうてい思えない。それどころか存在を知られれば、下手をすると消されるかもしれない。あの部屋に入ってしまったのだから。
 日が昇って室内を明るく照らしてもなお、ユリシカは長いこと泣いていた。だが私には、あの下層民への同情心は一片もわきおこらなかった。逆に沸き起こったのは不安だけ。
 私は、これからどうしたらいいだろうか。このままここにいても、命の保証はない。だが逃げるにしても、どこへ逃げたらいい……?

 六時半を過ぎた。三十分以上も泣き続け、やっとユリシカは落ち着きを取り戻した。怒りと興奮は少しずつ収まってきているが、それでも完全には収まりきっていない。
 壁を一発殴りつける。ガンと壁は文句を言った。
「まだだ、まだ来年を待てばいいんだ……!」
 無理やり、自分を納得させるべく、そう言った。
「まだ、保留にされただけなんだ! 落選したと決まったわけじゃないんだ! 来年になったら、ちゃんと選ばれて、《CAGE》へ行けるかもしれないんだ!」
 涙をぬぐった。
(その時まで、アスールは大事に飼っておこう。今度こそ《CAGE》に選んでもらうためにね)
 ひびの入った鏡で自分の顔を見る。涙の流れた後があり、目は真っ赤だ。明らかに、泣きはらしたとわかる。こんな顔をアスールに見せてしまったら、彼はどう思うだろう。不審がるだろうか。心配するだろうか。だがポーカーフェイスのあの男がユリシカを心配したとしても、そんなそぶりは全く見せないに違いない。
(元通りになるまで、待とう……)
 三十分後、ユリシカはアスールの部屋の鍵を開ける。きっと寝ているだろうと思ってドアを開けてみると、彼は起きていた。浮かぬ顔で寝台に腰をおろし、床に目を伏せている。
「オハヨー」
 ユリシカはなるべく自然に声をかけた。が、アスールは彼女を一瞥しただけで、またその目は床に伏せられた。
「どーしたのお。腹減りすぎて機嫌悪いの?」
 が、アスールは反応してくれない。ユリシカは近づいて手を差し伸べてみた。
 近づけられた手を、アスールは乱暴に振りはらった。
「な、何すんのさ!」
 ユリシカは怒鳴ったが、アスールの反応は冷たいままだった。
「し、しょうがないじゃん、あたい、怖い夢見て寝坊しちゃったんだしさ。そんなに怒らなくてもいいのに」
 下手な嘘だった。
「ごめんよ、ほんとに」
 それでやっとアスールは態度を和らげたので、ユリシカはほっとした。
(でもひょっとしたら、さっきまでのを聞かれていたかもしれない……)
 このシェルターの防音性については、彼女はよく知っているのだ。ひょっとしたら、帰ってきてから彼女がわめきちらしたこと全てを、彼は聞いてしまったかもしれない。
(知らないなら知らないで、しらをきっておくしかないね……。もし知っていたら、こいつはもしかすると逃げるかもしれないな。そうならないようになんとか手を打たないと)
 ユリシカは、顔では笑いながらも、心の中では警戒心をこれまで以上に強めているのだった。


「どうだ、下層民どもには通達は出したのか」
「ああ。だが、あの下層民どもの住む集落には、保留の通達を出しておいた」
「様子を探るのにもそれなりの日数が要るからな……」
「来年、『あの日』が来たら、どんな通達を出すか、今から考えるのが楽しみじゃて」
「いや、我らの元へ届く情報次第では、次の年に通達を出す必要はなくなるかもしれんぞ」
「それもそうだなあ」
「ほかの下層民のすむ場所には、通達はもう出し終えたのだな?」
「もちろんだ」
「奴らにとっては希望の『日』、忘れるわけにはいかんだろうが。ふふふふ」
「はっはっは……!」


『選定の日』が過ぎてから、町の住人の態度は一時硬化した。ユリシカは、町を包む空気の固さに気が付いていた。当然だろう、『選定の日』で選んでもらえるとばかり思っていたのに、今年は誰一人として選ばれず「保留」となってしまったのだから。それから二週間ほど経って、町の空気は元通りになった。いつもどおりの生活。酒と賭博と修理とガラクタの奪い合いが、また始まったのだ。
 アスールはこれまでと違い、ユリシカに対して警戒をあらわにしているとしか思えない行動を取るようになった。彼女との距離を置いたり、朝早くに外へ出たがったり、逆に売却や買い物のために外出するのを嫌がったり……。
(やっぱりあの時のを聞いたんだ)
 ユリシカは思った。『選定の日』以前も、多少は警戒心をもっていたであろうアスールだが、このような露骨な行動を取ることは無かった。『選定の日』以来、こんな行動を取るようになったのだ。
(露骨に警戒してきたということは、あたいのところから逃げ出す機会をうかがっているのかもしれない。それとも顔色をうかがってんのかな。やっぱり、拾った時に脚を治すんじゃなくて潰してしまうんだったなあ。今更後悔しても遅いけど)
 修理の腕は良いので、家の中で黙々と修理ばかりさせていればよかったのだ。脚をなくせば、這いずる以外に移動手段を持たないので、たとえ自力で鍵を開けて逃げたとしても、のろのろとしか移動できない。捕まえに行くのはたやすい。だが、脚の骨折を治した今、アスールは走って逃げる事が出来るのだ。目の届くところにアスールを置いているとはいえ、ユリシカは不安だった。
(逃げるそぶりは全く見せていないけど、不安になるんだよなあ、よけいに……)
 警戒しているのは分かる。それは当然だ。だが逃げようとはしない。逃げる機会をうかがっているのだろうが、全く逃げ出そうとしない。逃げようと思えば逃げられるはずなのだ。アスールは鍵を持っていないが、買い物や売却でユリシカと一緒に外へ出た時に、逃げることはできるのだ。だがそうしようとはしない。
(逃げ場がないんだろうな、きっと。でも油断はできないなあ)
 そうして、月に一度の、宝の山に新しいガラクタが落とされる日がきた。ユリシカは悩んだ末に、アスールを連れていくことにした。
「今回は、あなたにもお宝運びを手伝ってもらうよ」
 今まで見ているだけだったアスール。そのほそっこい体から、お宝奪い合いの乱闘に巻き込まれたらひとたまりもないだろうと、ユリシカは今まで参加させてこなかったのだ。が、ちかごろは修理した後の機械を運ぶのを手伝わせてきたので少しは腕力が付いているだろう。
 アスールは不満そうな顔をしたが、ユリシカは構わずアスールをひきずっていった。
 今回、《CAGE》が宝の山にガラクタを落としに来るのは、真昼間だった。
 よく晴れ渡った空の下、わずかな鉄くずだけが落ちている小さな広場を、大勢の住人が囲んでいる。夜や早朝の時と比べ、その住人の数は倍以上であり、屈強な男たちに混じって、女子供もいる。宝の山に落とされるガラクタを取れずとも、宝の山から転げ落ちてくる、部品のカケラを拾うことくらいはできる。さらには奪い合いで怪我人や死人が出る事は珍しくないのだし、非力な者が重いガラクタを持ち運ぶことなどできやしないのだから、女子供は宝の山からだいぶ離れた所にいるのだった。だが、ユリシカのような怪力持ちの女たちは例外である。
 遠くから、ゴゴゴゴという音が聞こえてくる。《CAGE》が雲の間から姿を現し、徐々に近づいてくる。皆は歓声を上げ、早くガラクタを落とさないかと待ち構える。小さな点だった《CAGE》はだんだん大きくなり、それにつられてエンジン音も大きくなる。そして宝の山のほぼ真上でホバリングしている《CAGE》から、派手な音を立てて、ガラクタが雨あられと降り注いだ。
《CAGE》が去り始めると同時に、宝の山に大勢がむらがり、奪い合いが始まった。
「ほら行くよ!」
 ユリシカはアスールの手を引っ張って、宝の山へと突進した。大の男どもをかきわけ、持ち帰るのによさそうなものを選び、誰かがそれを取ろうとすれば殴り合いで決着をつける。そうして、激闘の末に、ユリシカは七つものガラクタを肩に担ぎ、宝の山を悠々とおりた。ふたのとれかけたオーブンレンジ、大型スピーカー、コンセントのちぎれたアイロンなどが彼女の肩の上で上手にバランスを保ちながら運ばれていく。
「大量、大漁!」
 上機嫌におんぼろバイクに積み込んだ。荷物も積み終えたのだから、次は昼ごろに来ようと思い、おんぼろバイクのエンジンをかける。
「あれ?」
 いまごろ、彼女はアスールがいないことに気がついた。どこへ行ったのだろうかと周りを見回す。ワーワーと騒がしい宝の山。大勢の住人がアリのごとく山に群がり、めいめい好きなものを手に入れて運び出す。うずたかく積み上げられたガラクタの山はあっというまに消えて行ってしまう。ユリシカは、アスールの姿を探すが、その姿は全く見当たらない。奪い合いに巻き込まれてしまったのだろうか。
(それとも、手が離れたのを幸い、逃げちまったのかな)
 宝の山から人がほとんどいなくなるまで待っていたが、アスールの姿はどこにもなかった。
 彼は、姿を消してしまったのだ。


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