第6章 part1
「久しぶりだなあ」
「……」
「それにしても、あの酒場でお前の姿を見た時には心底驚いたぞ。で、驚くついでに、久しぶりにお前と話したくなったもんだからな、こうしてお前を連れて来させたってわけだ。ちっとばかし手荒ではあったがな」
真昼間なのに、窓のカーテンが閉じられた部屋は薄暗い。この室内には、きれいに磨き上げられた木製の家具が置かれている。どのシェルターでも見られるような、金属製の冷たいものではない。れっきとした、木製のものだ。《CAGE》では今も使われている。
「そう睨むなって、ハハハ」
その軽い笑いの先には、アスールがいる。木製の椅子に手足を縛りつけられており、宝の山の乱闘に巻き込まれたのか全身に痣ができ、ひどいものは腫れあがっている。ただ、ひどい有様であっても、その両眼には冷たい怒りが宿り、正面を睨みつけている。
アスールの正面に立っているのは、いつかユリシカがアスールを連れて酒場を訪れた時に、カウンターでひとり悩ましげに酒を飲んでいた、《CAGE》の服装をした男であった。
「そりゃお前が怒るのも当たり前だわな。ガラクタの奪い合いに巻き込まれたお前がぶっ倒れたところで、壊れた冷蔵庫の中にお前を詰めさせたんだからな。大勢が争ってんだ、お前ひとりがいなくなったことぐらい、誰も気づきはしない」
男は、《CAGE》の上層部でしか吸えない上等の葉巻に火をつけた。この地上では、安くて質の悪い紙巻き煙草だけが出回っている。葉巻など、この地上ではめったに手に入らない。
「ところで、『アスール』。俺はてっきり、お前が死んだものと思ってたよ。《CAGE》から転落した住人の情報はみんな、ラジオ局を通じて俺の耳に飛んでくるからな。もちろんお前のことも聞いたぜ」
男は深く吸いこみ、薄黒い煙を室内に吹いた。
「だがお前は運が良かったな。住人のひとりに助けられたんだからな。それにしてもホントに運がいいぜ、お前は。普通なら……転落した住人は例外なく、使える臓器は全て抜き取られて、体が干からびるまで血を抜かれた揚句、集落の外に広がる荒野に捨てられちまうんだからなあ」
アスールの顔が青ざめ、震えが全身を走った。
「おや、知らなかったのかよ」
男は、ショックの抜けきらないアスールの後ろにのんびりと歩いた。
「お前と一緒にいたあの女、ユリシカとか言ったかな、お前を助けてくれた恩人のようだが、結局お前を利用しようとたくらんでいただけだ。なぜかって言うとな、この地上には『選定の日』という年に一度のイベントがあってな、その日に《CAGE》から通達が来るんだが、それに選ばれると《CAGE》への移住が許されるんだと。だから、こぞって選んでもらいたがる。ユリシカがお前を助けたのは、《CAGE》に選ばれたかったからなのさ。お前を助ければ《CAGE》に目をかけてもらえる、そう思ったからだろうよ」
アスールは怪訝な顔をした。
「お前が不思議がるのも当然だよな、《CAGE》には、地上からの移住民なんかいやしないんだからなあ」
男はくっくと笑った。
「ところで、アスール。お前はこれからどうしたい?」
再び、相手は怪訝な顔をした。
「今からユリシカの所へ帰してもいいんだが、あの女がお前をずっと生かしておくとは思えんね。次の『選定の日』で選ばれなければ、お前はおそらく臓器と血液を全部抜かれて捨てられるかもしれんからなあ」
「……」
男の言いたい事は、アスールには見当がついている。ユリシカのところへ帰ってもいつかは使えるものを全部失って放り出され、野垂れ死にするだけだ。そうなると……。
「昔のよしみでお前を住まわせてやってもいいぞ。『商売』のおかげで、お前を養う程度の財産は持っているからな。さあ、どうする?」
「……」
私はこの男の元に身を寄せている。今更ユリシカの元へ帰るつもりはないが、この男を信じるつもりもない。今はただ、そこにいるだけだ。辺り一帯の地理を把握し、上手く地図を入手できたら逃げ出そうかとも考えているけれど……。
商売人・マクベス。《CAGE》の昔馴染みだ。いや、「だった」という方が正確だろう。
元々この男は、地上の貧民へ《CAGE》から売れ残りの商品をばらまいて富を得た者。たとえ売れ残りとはいえ、地上の者に《CAGE》の物資を与えることは、身の丈以上の贅沢を教えることとなるため、殺人と並ぶ重大な罪になる。だから《CAGE》から追放されたのだ。一度追放されれば、二度と戻ることはできない、今の私のように。地上へ落とされることは死刑宣告と同じなのだ。
だが今では、下層民との取引でたくわえた富で専用の護衛をやとい、地上では最新型の乗り物を乗りまわし、新鮮な肉や野菜をたっぷり口にできる。下層民の暮らしに慣れてきた私が、贅沢すぎると考えるほどのくらしぶり。
私が《CAGE》にいたころ、マクベスは《CAGE》の隅っこに小さな店を構えるいち商人でしかなかった。いつからなのか、家具だけを扱う小さな店はだんだん綺麗に、大きく、品ぞろえも格段に良くなっていった。家具がそんなに売れていないはずなのにそれだけの金がどこから入ってきたのだろうかと、皆は訝ったものだ。当然、私もその一人だった。機械いじりが趣味だったこともあり、マクベスの隣の工具店へ機械のカタログや部品を買いにしょっちゅう行っていたのだが、そのたびに、だんだん立派になるマクベスの家具店を見て、不思議に思ったものだった。だがどこで資金を手に入れているのか、私にも話してくれなかった。
やがて資金入手のルートがほぼ明らかになった。マクベスはさる裏業者と共に、売れ残りの家具を地上へ密かに流していたのだ。当然マクベスとその業者は逮捕されたが、地上民から金を受け取るルートだけはどうしても判明しなかった。マクベスは《CAGE》から地上へ追放された。そのニュースを知った時、私はなぜか当然のこととしてそのニュースを受け止めていた。悲しみも怒りもしなかった。それだけはよく憶えているのだった。
それが今はどうだろう。マクベスはピンピンして、《CAGE》にいた時よりもはるかに素晴らしい暮らしぶり。いや、地上では素晴らしい暮らしぶりなのだろうが、《CAGE》では慎ましい暮らしぶりと言った方が正しい。私が地上の貧民の暮らしに慣れたから、マクベスの生活が素晴らしいものに感じられるのだろう。
マクベスは、私が喋れない事を知ると、人工声帯を新しく取り付けるための手術を受けてはどうだと提案した。だがマクベスが薦めるとはいえ、地上民の医者は信用できなかった。たとえ《CAGE》の医者だったとしても、私は断っただろう。喋れない方が色々得だと、ユリシカと暮らしていて、気がついたからだ。
「全く、手術代は全部俺が払ってやるってのに」
マクベスは呆れながらも、私に小さな手帳を渡した。《CAGE》の文房具店ならどこでも手に入る、一番安物の手帳だ。だがこの地上では、紙の質が良いなかなかの高級品だった。その手帳を使っての意思疎通の際、使うのがもったいないと感じられたほどに……。
私は、身も心も貧民に近づいていたようだ。
マクベスの元に身を寄せてから三週間目。この、『慎ましい』暮らしにも慣れてきた。ただ、マクベスは私を家の中に軟禁し、外に出そうとはしない。私がユリシカに助けられた《CAGE》の元住人である事を、この界隈の住人は良く知っているために、顔を見られるとまずいから、とマクベスは言うのだった。軟禁状態であっても、さいわい、暇つぶしになりそうな本がたくさんあったので、日中はそれを読んで過ごしていた。
ある雨の日。
「おい、アスール。元の暮らしにも、慣れてきたようだな」
朝食の席で、マクベスは明るく笑いながら言った。シミひとつないテーブルクロスには、料理が並んでいる。油漬けや塩漬け加工していない、みずみずしい野菜を使ったサラダ。《CAGE》の肉屋で売られているものより味は劣るが、まあまあ質のよい茹で肉。栽培地は分からないが、それなりに新鮮な麦の粥。ユリシカの家にいた時は、一度も口にできなかったものばかりだ。《CAGE》を離れて初めてわかる、今まで何気なく口にしてきたもののありがたみ……。
「ところで、お前のかつての相棒であるユリシカが、今はどんな風に暮らしているか、知りたくはないか?」
あ、相棒?!
「うん、どうしたんだあ? 知りたいんじゃないのかあ?」
やめてくれ! あの女のことなんて知りたくもない!
首を横に振った私を見て、マクベスは意地悪く笑った。
「おいおい、短い間とはいえども、なかよく一緒に暮らした仲じゃないか。知りたいとは思わないのかあ? 薄情なやつだな、お前は。はっはっは!」
薄情なのはユリシカだろう。
「まあいい。あのお嬢ちゃんは元気に暮らしてる。別に結婚もしてないし、お前のことをグチグチ言いもしていないしな。まー、お前にとっちゃあ、それだけ分かれば充分だろ? うん、その顔を見る限りでは、そうみたいだな」
マクベスは豪快に笑った。
「そうだ! お前、久しぶりに外へ出たいか? お前を外の連中から守るためとはいえ、家の中にずっといるのは退屈だろう?」
私は怪訝な顔をしていたのだろう。
「おいおいおい、どうしたんだよ、その顔は」
マクベスは、気を悪くしたようだ。
今まで私を外に出そうとしなかった、この男が、なぜ急に……?
その疑問が顔に表れてもおかしくはなかった。
私は手帳をポケットから出して、書いた。
『なぜ私を外に出そうなどと言うんだ。暇のつぶせるものがあれば、私はそれでじゅうぶん日々を過ごせるのに』
「ああ、それか。実はな、お前に現物を見せて、教えておこうと思ってな。地上に追放された俺がどうしてこんなにいい生活を続けていられるのかって事を」
茶目っ気たっぷりに笑った。
「お前も、この地上での生活をしていたんなら、住人たちがいろいろなものを店で売ってその日の銭を稼ぐことくらい、もうわかってるだろ」
私はうなずいた。
「町には、きれいな赤いテントがあったろ? 住人達は、修理できないガラクタをあそこへ売りつけに来るだろ?」
うなずいた。
「あれが、俺の新しい商売なのさ。クズ鉄やガラクタを全部俺が買いとって、地下工場で新しい商品に変え、それを別のまずしい集落へと運んで売りつける……」
『地下工場? そんなものがあったのか?』
「おうともさ。こことは別の場所だがね。以前、地下工場のありかをつきとめようとして、運搬車の後をつけた連中がいたが、一人残らず殺しておいた。地下工場を見られるわけにはいかないんでね」
ふん。こいつも十分薄情じゃないか。
「どうだ、アスール。退屈しのぎに、地下工場を見てみたいと思わないか?」
『秘密の場所なんだろう? 私に教えて大丈夫なのか?』
「いやなに、お前だからこそ教えておいてもいいと思ってるのさ。どうせお前は外に出ないんだからよ、秘密をバラされる心配ない! はっはっは!」
軟禁状態であることを前提にしての話か。しかし、秘密の場所なら、工場の写真を撮ってきて私に見せればいいのに。わざわざ外出させる必要がどこにある?
「で、行くか?」
しばらく考えた末、行くことにした。無一文で放り出されたはずのマクベスがこれほどの金持ちになって贅沢な暮しを送れるようになった、そのからくりを見るために。
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