第8章 part1



 ゴロゴロ。まだまだ、遠くで雷が鳴っている。
 朝の三時に、ユリシカは目覚めていた。それというのも、《CAGE》へ行けるという興奮が、睡眠を短くしてしまったせいだ。だが彼女は二度寝せずにさっさと起き出し、早く迎えが来ないだろうかとそわそわしていた。
「まだかなあ」
 窓を眺める。雷が遠くでピカピカと光るが、音は聞こえてこない。かなり遠くで稲光が空を裂いているのだ。
 彼女には、稲光など見えていない。《CAGE》に行ったらどこに住むのだろう、どんな服を着られるのだろう、何を食べるのだろう。そればかり考えている。
(ああ、早く迎えが来ないかな)
 雨が降ってきた。ザアザアと土砂降りの雨が窓をひっきりなしに叩く。周りの音が聞こえなくなるほどのやかましさの中、ユリシカは確かに聞き取った。
 ドアをノックする音を。
「来た!」
 ユリシカは荷物を引っ掴んで、玄関へと飛び出した。だが、ドアを開ける寸前に気が付く。もし、外にいるのが迎えではなくてユリシカを妬んで殺そうとする連中だったら? そう考えるのも当然だが、もし彼女を殺したいのなら、寝込みを襲えばいいだけの話だ。わざわざノックする必要はない。
(やっぱり、お迎えかな)
 結局彼女はドアを静かに開けた。雨があまり降りこまないように。
「はーい……」
 稲光が空を裂く。続いて、耳をつんざく雷鳴。
 ユリシカは、振り込む雨に打たれながらも、前を凝視していた。
 開かれたドアの向こうに立っていたのは、屈強な体つきの、黒ずくめの服の男たちだった。
 男のひとりが彼女に何かを押し当てる。すると、全身に何かビリッとしたものが走り、それきり、ユリシカの意識は失われてしまった。

 全身を走る痛みと、わずかな揺れで、ユリシカは意識を取り戻した。目をわずかに開けるも、何も見えない。
 しばらく、ぼんやりした頭で考える。ばらばらになった記憶を整理するのには、時間を要した。
(そうだ、玄関をノックする音が聞こえて、ドアを開けて、そしたら変な人がいっぱいいて、それでどうしたんだろう)
 まとめられた記憶は、これでせいいっぱい。
(あの黒服、見たこと無い……。あいつら、一体誰? 《CAGE》からのお迎えなの?)
 記憶がある程度まとまったところで体を動かしてみる。未だに周りは暗くて分からないが、体がすぐ四方にぶつかるので、どこか狭い所に入れられていることは容易に分かった。ガタゴトと小さく揺れるので、何かに乗せられているのであろうか。唸りを上げるエンジンのような音がかすかに聞こえてくる。
「なに、一体……」
 声が異様に響く。やや息苦しいが、呼吸用の穴がどこかにあるのだろうか。周りを探るが、光源が何もないので、いつまで経っても何も見えないままだ。
「なんで、こんなとこにいるんだ? 《CAGE》へ行くんじゃないの……? それともこれが、《CAGE》への移動手段なの?」
 恐怖がこみあげてきた。ほんとにこれで、《CAGE》へと到着できるのだろうか。もしかしたら、自分は《CAGE》の人々ではない別の連中によってどこかに運ばれているのではないのか、と。
「ねえ! 開けてよ! こっから出してよ!」
 ユリシカは叫んだ。痛みも構わず暴れた。彼女を閉じ込めているそれはガタゴトと派手に揺れる。だが開くことはなかった。そのままどこかへと彼女を運んでいく……。
 暴れ疲れてどのくらい時間が経過したのであろうか。涙を流していたユリシカはいつのまにか眠りについていた。
 ガタンと派手に揺れたので、彼女は目を覚ました。
「あ、あたい、眠ってたんだ……」
 揺れはいつの間にか止まっていた。
 彼女を閉じ込めている何かが、急にガタンと乱暴に縦向きにされた後、ガラガラと音を立ててどこかへ運ばれていく。一体どこへ連れて行かれるのだろうか。
 ゴゴゴゴ、とエンジンの音が聞こえてくる。だが、そのうち、自分の体がフワリと浮いたような奇妙な感覚に襲われた。その感覚はすぐ無くなったが、足元は若干不安定だった。左右に揺れているような奇妙な感覚が次に訪れたのだ。
(一体、何が起こってるの?)
 わからない。
 どのくらいその不思議な感覚が続いたのだろう。またユリシカは意識を失っていたらしかった。目を開けると、まだまだ、左右にわずかにゆれる奇妙な感覚が……。そして、彼女は横倒しになっていた。腕がしびれている。
 ゴトン!
 派手に揺れ、どこかにぶつかった。次に、グォーンと鈍い音が聞こえ、ユリシカは自分がまた移動を始めた事を知った。機械の音が聞こえる。一体どこにいるのだろうか。早く外に出たい。
 ガコン。
 止まった。
(どこかに着いたみたい)
 そして、ガタガタとこの場所が揺れ、続いて、光が少しずつ入ってきた。
 ガタン!
 ユリシカは目がくらんだ。明かりが彼女の目に飛び込んできたから。思わず目を閉じる。
「依頼通り、今度は女だな」
「しかしこれが本当に女なのか?」
「だが間違いないぞ、局はちゃんと若いのを選んでいる」
 ひとの声。だがユリシカは目がくらんでいてなかなか開けられない。彼女の腕が乱暴につかまれ、彼女は無理やり起こされる。
「あいた」
 わずかにもらした声。だが、相手はお構いなしに、彼女の腕を後ろに回してガチャリと何かを装着させ、目に布のような肌触りの何かをつけさせる。首に何かが巻かれ、ぎゅっとしめつけた。
「さっさと歩け! ドブネズミ」
 首に巻かれた何かがひっぱられ、ユリシカはよろめいた。だが、謎の旅を終えたばかりのユリシカは飢えと渇きと疲労で体力が戻っておらず、引っ張られるままによろよろと少しずつ歩くのが精一杯であった。自分の身に何が起こっているのか、それを確かめようとする余裕はなかった。
 彼女は引っ張られていき、ついに、ある場所でつきとばされた。固い床にぶつかる。だが起き上がる体力は残っていない。目を覆っている布が外され、腕を拘束する何かが外されるが、ガチャリと今度は別の音が響く。彼女はそのまま置き去りにされる。足音が複数、去っていく。
 しばし、沈黙。
 ようやっと、ユリシカは目を開けた。薄暗いが、目の焦点がなかなか合わない。それでも、じっくり時間をかけて、少しずつ世界のゆがみが正されていくのが分かる。やっと世界が正常になると、彼女は自分が床の上に横たわったままだと知る。ゆっくりと体を起こして、座り込む。そして改めて周りを見回した。
「なにこれ……!」
 最初に気付いたのは、彼女の首につけられているもの。それは、金属の鎖の伸びた輪であった。鎖は壁の一部にとりつけられている。
 彼女が今いる場所は、自分の家よりはるかに狭かった。寝台が一つと、タオルのかけられた水道と、ふたの閉じられた便器が一つあるきりだ。他には何もない。背後を振りかえると、鉄格子が目に飛びこむ。鉄格子の向こうには、長い通路が伸びているだけで、後は無機質な明かりで照らされているだけ。その廊下も金属で出来ているようだった。
「何、ここは……」
 ユリシカは自分の今置かれている現状が、信じられなかった。
「ここって、一体どこ? 《CAGE》じゃないの、ここは……?!」
 彼女は、弾かれたように飛び上がり、鉄格子に跳びつこうとした。だが寸前で、壁に取り付けられた鎖が阻む。ビンと限界まで引っ張られた鎖が彼女をそれ以上先へ進ませなかった。首がしまり、ユリシカはグエッと喉の奥から絞り出すような声をあげていた。
 床の上へ倒れた彼女に、どこからか、声がかかる。
「新顔かい?」
 細い、老人のような声。ユリシカは、また弾かれたように飛び起きた。
「誰、誰かいるの?!」
「こっちだ」
 彼女の右側の壁、寝台のあたりがコンコンと鈍い音を立てる。
「ねえ、ここは何処さ、あんたは誰なのさ、あたいは一体――」
「まあ落ち着きなさい」
 声は、細々としていた。あまり元気がない。
「まず、最初に言っておく。ここはな、《CAGE》だ」
「えっ……!?」
 ユリシカの体が、硬直する。声は淡々と、次の話をする。
「わしは、地上の住人だった者だ。だがあの日、《CAGE》に選ばれて、ここに連れて来られたんだ」
 少し間が開いた。
「あんたも、《CAGE》に選ばれてここへ連れて来られた身だろう? 違うかい」
「うん、あたいも『選定の日』で選ばれたんだ。でもなんでこんなところにいるんだよ? 《CAGE》ならさ、金ぴかの御屋敷とか、そんなところに住めるんじゃないの?!」
 からからと、乾いた笑い声。
「そうやって、《CAGE》の連中は、わしら地上民を騙して、甘い夢を見させてきたのだよ。自分たちが安楽な生活を送るためにな」
「どういうこと……?」
「この《CAGE》の住人の生活は、わしら地上民の犠牲があって成り立つらしいのだよ、わしもあまり詳しい事は知らないがね……」
 だんだん声が聞き取りづらくなってきたので、ユリシカは壁に耳を当てる。
「ねえ、どうしてこんなところに閉じ込められなくちゃいけないの? あたいはこれからどうなるの?」
「……それは、神のみぞ知る、といったところかな」
 深いため息が、静かに答えた。
「幸い食事は三度出るし、水道は出るから水も飲めるし、体を洗える。一応、わしらは生かされているのだ」
 同時に、ブブーとブザー音が響いた。
「ほれ、食事の時間じゃ。床からどきなさい」
 床に近い位置の壁が開いて箱が飛び出し、そこから不思議なにおいのする平たい器が姿を見せる。
 缶詰の食料しか知らないユリシカは、平たい器をしばし眺める。
「何これ。熱い水?」
「食い物だよ、匙を使って食べなさい」
 ユリシカはおそるおそる、スプーンでその液体を救って口に入れる。熱い。しかし、不思議な味がする。酸っぱいような苦いような、不思議な味だ……。
「本物の肉を使ったものらしいぞ」
「本物の肉って、こんな変わった味してるんだ」
 それでもユリシカはそれを平らげた。箱の中に器を戻すと、箱は壁の中へと引っ込んで、壁は再び閉じられた。
「そうだ、あんたの名前をまだ聞いていなかったな、お隣さん」
 隣の声が問うて来た。だが、ユリシカは答えなかった。
「ふああ」
 緊張状態が満腹に寄ってとかれ、彼女は寝台に横になって眠りに落ちていたのだから……。


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