第8章 part2



 私は、可能な限り息を殺して、マクベスの声を聞いた。
「こちら、マクベス。管理塔司令室をお願いします」
 か、管理塔?!
「司令室、こちらマクベス。物資の輸送は一時間後に行います。この地域から出すのは、活きのいい女一名です。きっと満足いただける事でしょう」
 マクベスは、管理塔とつながっていた?! 奴は管理塔から直接追放令を受けたのに。一体どういう事なんだ?
「それでは、報告を……一年ほど経った現在も、私の元で大人しくしております。はい、仰るとおりです。ええ……それ以上踏み込んでくる事はありません。それに、あれは物資それ自体との接触を拒絶していますので、何も問題はありません。では」
 ガチャン。おそらく無線をきった音だろう。
「さーて、報告も済んだ事だし、そろそろ輸送の準備をするか。と、その前に――」
 マクベスがリビングを出ようとしている。私は若干膝が笑っていたが、奴に見つかるまいと、精一杯急いで、なおかつ静かにその場を離れた。私の姿を見られたかどうかは、わからない。とにかく、私は急いでおり、振り返る余裕はなかったのだから。
 部屋に入り、ドアを静かに閉める。そして、眠っているふりをするためにベッドにもぐりこむ。マクベスがここまでくるかもしれないからだ。
 案の定、私がベッドにもぐりこんでから数分ほど後で、マクベスはそっとドアを開けた。
「よし、寝ているな。こいつは何も知らずに、ここで大人しく飼われてくれている方がありがたいんだよな、こちらにとっても、《CAGE》にとってもな……」
 小さくつぶやいて、ドアを閉めた。
 布団の中で私は安堵のため息を漏らしていた。バクバクと激しく脈打つ心臓が、肋骨を破って飛びだしかねない状態だった。
 稲光が室内を照らし、耳をつんざく雷鳴が辺りにとどろいた。それからしばらくして、豪雨の中、誰かが外を歩く音が聞こえてきた。おそらくマクベスだろう。だが、私は起き上がる気にはなれなかった。もし、窓から私の寝顔を覗かれたら――
 足音は、いったん止まる。おそらく窓から室内を覗きこんでいるのだろう。だが私は目を開けてそれを確認することなどできない
 たのむ、早く去ってくれ!
 さいわい、足音はそのまま去った……。同時に私の緊張の糸も切れ、いつのまにか眠りに落ちていった……。

 時計の針が七時を指すころ、私は目覚めた。いつもは六時過ぎに起きるのに……。昨夜の出来事がまだ尾を引いていたようだ。外はまだ雨が降り続けており、時々雷も鳴っている。寝汗がひどかったので、シャワーをあびた。それから身支度を整えつつ、軽くため息をついた。昨夜の無線……マクベスは《CAGE》の管理塔とつながりを持っている。奴が生きているのもそのためなのだろう。どんな顔をしてあいつに会えばいいんだろう。盗み聞きがバレたらマクベスは私を追いだすだろうか。それとも――
 不安を抱えつつ食堂へ向かった。マクベスはちゃんと自分の席についていて、食事をとっている。だがその目にくまがある。
「よー、アスール。今日は遅かったな!」
 席に着いた私に、マクベスは話しかけてきた。遅くなったのは誰のせいだと思っているのだろう。いや、こいつは、私の異変に気付きはしないだろうか。身支度の際、目にくまがあることに気付いたのだが、これは隠しようがない。
「よー、何だかよく眠れなかったみてえだなあ。眠そうな顔してるぜ?」
 気づいていない? とりあえず、あらかじめ考えておいたウソをメモ帳に書いた。
『ゆうべの雷のせいで、すぐには寝付けなかった』
「雷だあ? はっはっは! お前いい歳して雷にビビってんのかよ、傑作だ!」
 マクベスは大声で笑った。人の気も知らないで。もし私が、不意に目覚めなくてそのまま朝まで眠っていたならば、どんなによかったろう。
「まあ、寝付けなかったんなら、昼寝でもしな。それはそうとな、アスール。俺は今日一日忙しいんで、夜中まで戻らないぜ。使用人たちはちゃんと残しておくから、お前はちゃんといい子にしてお留守番してな」
 ふざけての子供扱いか……。
 朝食をとってすぐ、マクベスは外出した。私は自室に引き取り、本を読みつつも、もしできれば寝不足のぶんを補おうと長椅子に腰を下ろした。雨の降る外を見る。窓の外を、レインコートを着たマクベスが通って行くのが見えた。乗り物の音が聞こえ、遠ざかった。マクベスはどうやら出かけたようだ。
 マクベスの言葉が本当ならば、奴は今日ずっといないことになる。誰にも邪魔されずに自分の考えをまとめるチャンスだ。本を読んだり寝ているふりをして考え事をしよう。
 稲光。
 雷鳴。
 窓を激しく叩く豪雨。
 私は目を閉じ、長椅子に深くもたれかかった。今は、雷など気にしている場合ではない。マクベスと《CAGE》の管理塔との関係について、考えなくてはならないのだ。マクベスがなぜ私をここにかくまって住まわせているのかも、わかるかもしれない。そして、場合によっては、私はここを出なければならないかもしれない。
 とにかく、深夜の出来事を思い返してみよう。
 ……。
 私が考え事をしている間も、時計は静かに時を刻み続ける。昨夜の出来事を可能な限り思い出す。無線でマクベスが何を話していたかは、一語一句正確に思い出す事はできなかったが、おおよその内容ならば把握できている。
 物資の輸送。
 活きのいい女。
 物資が、活きのいい女?
 マクベスが無線で話していた相手は間違いなく《CAGE》だ。話の内容から、物資として活きのいい女を輸送するということになるが、生身の人間を送るとはどういう意味なのだろう。そもそも、空中に絶えず浮かんでいる《CAGE》へ、どうやって輸送するのだろうか。
 次。
 一年経った現在も大人しくしている。
 踏み込んでくることはない。
 物資それ自体との接触を拒絶する。
 これは私の事を言っているのだろう。マクベスの元に転がりこんでから、およそ一年くらい経っているのだから。踏み込んでくることはない、何に踏み込むのだろうか。物資それ自体との接触を拒絶する。話の流れから、物資が活きのいい女を指すらしいことはもう推理済みだが、一体全体何のことだろうか。活きのいい女との接触を拒絶する? あの町の売春宿の女のことか? だがそんな話を振られたことなど、覚えている限りでは、一度もないのだが……。
 ふと、私の頭の中で、パチンと何かがはじけた。

 ユリシカ!

 長椅子から飛び起きていた。いきなり飛び起きたので、背中が痛み、手に持っていた本を落としてしまった。
「どうかなさいましたか」
 飛び起きた時の物音を聞きつけたか、ノックがあり、使用人の一人がドアを開けて中を覗きこんできた。私はあわてて本を拾い上げると、何でもないことをジェスチャーで示した。
「さようでございますか。失礼いたしました」
 ドアは静かに閉められた。
 心臓がドキドキしている。
 私が物音を立ててからノックが来るまでの、使用人の行動が早すぎる気がした。まさか、私を部屋の外から見張っているのか?
 マクベスの留守中に私が何か妙な真似をしないか、見張っているのか?!
 長椅子に座りなおす。
 考え事をうっかり自分から中断してしまったので、どこまで考えていたか、忘れてしまった。ええと、何について考えていたのだったか……。
 稲光が、辺りを真っ白に染め上げた。
 見間違いか?
 雨の中、稲光に照らされて、空を横切っていったように見えたのだ。
 図鑑や博物館でしか見たことのない、航空機らしい形をしたものが……。

 昼食をとった後、また私は部屋にこもった。雨はまだ降り続いており、今日一日、止みそうにないだろう。
 本はとらずに長椅子にそのまま体を預けた。このまま昼寝するようにみせかけてしまおうと思い、私はまた、午前の考え事の続きにとりかかった。目を閉じて、頭の中にバラバラと浮かんでいるものを少しずつ手繰り寄せる。
 マクベスは、管理塔と無線で連絡を取り合っている。どういうつながりがあるのかはわからないが、とにかく奴は、地上から《CAGE》へ物資を輸送できる手段を持っている。あの時、見間違いかと思ったが、もしかするとあの航空機が、奴の持つ輸送手段なのではないだろうか。
 物資は活きのいい女と言っていた。そして、私はその物資と接触することを頑なに拒んでいるとも言っていた。
 自分の蛙とびをした脳みそが、その物資がユリシカであることを告げた。
 マクベスにその話題を出される度、聞きたくないと拒絶していた……。
 ユリシカは、いわゆる『選定の日』で、《CAGE》への移住が決定した。
 もし、私の考えに間違いがないのならば、マクベスはユリシカを《CAGE》へと、航空機を使って輸送したのだ。
 だが、わからないことがある。
 私は《CAGE》で生まれ育った人間。落とされてユリシカに拾われるまで、《CAGE》に下層民が移住してきたことなど、一度も耳にした事がないし、実際に目にした事もない……。それなのにこの地上では、《CAGE》に選ばれれば移住が許されるという話が、下層民の間で実際に信じられている。
 この食い違いは一体何なんだ?
《CAGE》は、下層民をどこへ運んでいるんだ?
 ユリシカは、どこへ運ばれたんだ……?


part1へもどる書斎へもどる