第9章 part1
空中都市《CAGE》が出来たのは、現在から百年ほど昔のこと。そのころ、地上は世界規模の大戦争を終えたばかりで、廃墟ばかりがあった。《CAGE》は、戦争中に、政治的に重要な一部の人間たちをかくまうためにだけ作られ、空中を漂って、戦争によって汚染された地上を避けていた。食料と水の生産のために、《CAGE》には戦争前の最新設備が投入され、小さな牧場や農場が作られた。雨水や空気中の水分を集めて飲用水への処置を施す浄水場や、電力を生み出す大規模な発電装置など、様々な設備が作りあげられた。住居も作られ、《CAGE》に入った人々はそこで避難生活を送った。戦争以前のようなぜいたくな生活は出来ないが、慎ましく暮らしていくことはできた。
時は過ぎていき、戦争は終わった。地上は荒れ果てた。生き残った人々は防災シェルターで暮らし、缶詰食料で飢えを満たし、汚染された水を口にして渇きを癒した。《CAGE》の住人は、これまで通りに、浄水場を経由した水を飲み、農場で収穫された野菜や肉を口にした。そのころの《CAGE》は、ゴミの廃棄のために、ある一定のルートを周っていたのだが、時が経つにつれて、そのゴミをめぐって地上の者たちが集まり始めた。《CAGE》のゴミが戦争でほとんど失われた素材や材料なので、それを求めて、ゴミの落ちる地点に集落や町がつくられるようになった。一方、《CAGE》の中では、戦争を知らぬ世代が生まれ育った。《CAGE》の住人達は当然、地上に降りることなど一度もないので、地上の人々がどんな暮らしをしているかなど、本を見る以外で知ることはできなかった。汚れた服を着て、おんぼろの機器を修理しては売りさばいてその日暮らしをする、あわれな下層民たち。戦争を知らない《CAGE》の世代には選民意識が生まれていき、《CAGE》の住人であることそれ自体がステータスだという考えが浸透し始めた。そして、《CAGE》の落とすゴミを地上民たちに与えることで彼らの生活をある程度改善する手伝いをしてやっているという考えも浸透したが、これは、《CAGE》を支配する管理塔の老人たちが意図的に流した情報である。地上の住人たちに意図的に流した噂を、《CAGE》の若い世代に知られないようにするために。
《CAGE》は、地上の汚染が除去され始めると、エンジン休憩と、地上の様子を探るために、山の中など目立たぬ場所にいったん着陸するようになった。《CAGE》の住人は、地上がまだ汚染されているから、エンジン休憩のために着陸している間の外出は危険だと言う管理塔の通達に従って、着陸している間は建物の中に閉じこもっていた。その間に管理塔のスパイは急いで外へ出て、情報を集めるだけでなく噂も流して戻ってきた。
《CAGE》は各地に噂を流した。年に一度《CAGE》から各地の集落へ通達が出て、それに選ばれれば《CAGE》へ移住する事が出来るという噂。そして、《CAGE》には無限の富があり、移住できれば衣食住に生涯困ること無く安楽に暮らせるという噂。地上の者たちは、《CAGE》から落ちてくるものを修理して生活しているため、この噂は瞬く間に広がって浸透した。だが、管理塔が流した噂について、《CAGE》の住人は何も知らずに暮らしてきた。なぜって、《CAGE》には地上からの移住者など、ひとりもいなかったからである。
朝から雨の降り続く日。
ひとりで考え込んでいても、何も進展しない。
私は、思い切って問うてみることにした。朝食の席で、メモ帳に質問をかき、マクベスに見せる。
『以前にもマクベスが話していた事だが、どうして《CAGE》には地上の移住者がいないんだ?』
質問を読んだマクベスは、笑った。その笑いの裏にあるものが読み取れない。
「はっはっは! お前、今頃あのユリシカとかいう女のことが気になったのか? あれだけ拒絶していたくせに」
それもそうなんだが……。
「スミにおけねえなあ、お前も。羨ましくなってくるぜ。こっちは仕事ばっかりで、女のことにかまけているヒマなんかねえし、そもそも好みの美人なんて、ここらへんにはひとりもいやしないからなあ」
マクベスはひとしきり笑ったあと、紅茶を飲んで喉を潤した。
「この地上民からの移住者が《CAGE》にいない理由、なぜなんだろうなあ?」
『それを聞いているんだ。全部教えてくれないと、スッキリしない。何か私に教えてくれても、必ず中途半端にしか教えないじゃないか!』
「そうかそうか。お前も、もうあそこからは追放された、まあ言わば死刑になった身だもんなあ。知ってもかまわねえか」
カップをおいたマクベスは、私に向き直った。
「さて、アスール。お前も《CAGE》にいた者なら知ってるだろうが、《CAGE》はいつも飛びっぱなしってわけじゃない。時には着陸してエンジンを休めることだってある。そしてそれは今も続いている習慣だ」
うん、それは知っている。その間は外出禁止令が出される。《CAGE》へ侵入してくるかもしれない地上民との接触を避けるために。
「百年以上も稼働していればさすがに高性能な《CAGE》のエンジンもボロくなってくるから、修理や整備に時間がだいぶ必要となる。お前も機械いじりが好きなんだから、わかるよな」
うん。
「で、その修理の間にな、《CAGE》の管理塔は地上のあちこちから、地上民を集めるのさ。その着陸している期間が、このあたりで言うところの、『選定の日』てわけだ。そして、修理している間に、管理塔はあっちこっちに役人を放っては、適当に選んだ地上民を連れて来させている。遠い所から連れてくるときには、特別な乗り物を使うこともあるのさ。そうやって、《CAGE》へ地上民どもを運びこんだ後で、《CAGE》は出発し、一年間の旅を再開すると言うわけだ」
マクベスは紅茶で喉を潤す。
「で、《CAGE》に運びこまれた地上民はどこにいるかというとだ――管理塔の奥さ」
「!?」
「管理塔の奥深くに、《CAGE》へ運びこまれた地上民どもがいる。そこで、集められた奴らはひたすら待っているのさ」
何を?
私の表情を見てか、マクベスはニヤリと笑った。
「――《CAGE》の住人の役に立つその時を、な」
暫時の沈黙。
私は、何と反応したらいいか分からなかった。ユリシカが《CAGE》の管理塔の奥へ連れて行かれた事はこれではっきりしたが、彼女はそこでどうなるのだ? 他の地域から集められた地上民もいるはずだが、地上民たちが《CAGE》の住人に役立つ時を待つとはどういうことなのだ? 労働力として使うと言う事なのか?
では、私が見たものはなんだったんだ? 狭い小部屋にひと塊となって、怯えて震えていた薄汚い地上民らしき連中は何だったのだ? あれが労働力になるのか? そして、あの連中を見た後の、管理塔の年寄りどもが不気味に笑いながら近づいてきた理由は何だ?
「納得してないようだなあ、アスール」
マクベスはまた笑った。
納得していないのは当然ではないか。肝心の場所をぼかすとは。
『肝心な所をそんなふうにぼかされてしまうと、かえって知りたくなるじゃないか』
メモを読み、マクベスは豪快に笑った。
「おお、そうだよなあ、やっぱりそうだよなあ、がっはっは!」
マクベスは先ほどよりも不気味な笑い顔を作る。そして、若干身を乗り出して私の方へともう一度向き直る。
「あの管理塔が直接許可を出さないと《CAGE》では店を開けない事を知ってるよな?」
妙なひそひそ声。
もちろん、《CAGE》で店を出す際には管理塔に届けねばならないことくらい、私も知っている。
「変に思った事はねえか? よおく思いだしてみろ、アスール。管理塔は病院だけじゃなく薬物関連の店を絶対に出させないんだぜ?」
私はしばし考えた。思い出せる限りの商店すべて――そうだ、マクベスの言葉通りだ。《CAGE》の店はすべて個人商店だった。マクベスがかつて営んでいた家具屋もそうだ。だが、例外があった。それは、管理塔の傍に作られた大病院と大きな薬局。あれだけは、管理塔の看板がかかげられていた。あれだけだ、管理塔が営んでいるものは。そして、病院と薬局は、あれだけしかないのだ。
「わかってきただろ、アスール。管理塔が直接運営している病院と薬局。《CAGE》にある病院も薬局も、あれだけしかない。食料品屋とか、服飾店なんかの、ほかの店は複数あるのになあ。それなのに、管理塔は病院と薬局だけは絶対に許可しないんだ」
マクベスは笑っている。
「おお、その顔だと、分かってきたみたいだな、アスール。何だその青い顔は。まあ、そりゃあそうだよなあ。信じられないだろうけどこれが本当なんだから仕方ないか」
稲光。
雷鳴。
「管理塔はな――《CAGE》に集めた下層民たちを、薬や手術の人体実験に使っているのさ」
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