最終章 part1



 金属の槍の一撃が、狼の首につけられた首枷を破壊する。バキンと音を立てて割れた首枷は、地面に落ちて四散した。
 能力を暴走させる薬物の供給が途絶え、地面に叩きつけられた衝撃で目を回した狼の姿が変化する。体が一回り小さくなり、人間の姿に戻った。
 しばらく目を回したままだったが、アーネストは意識を取り戻した。
「あれ……?」
 起き上がる。見覚えのない場所に横たわっていた事に気づき、周囲を見渡す。見たことのないグラウンド。子供の頃、あのドームの中にいたときに作られていた遊戯用のグラウンドとは違う。砂埃の中に血のにおいが混じっている。そして、壁や天井には無数の穴が開いて、空が見えるほどだ。
「ここは?」
 同時に、目の前に金属の槍が飛来する。
「わっ……」
 防衛本能と反射神経のなせる業。慌てて左へ体を倒し、槍の一撃を回避する。そこで初めて彼は現状に気がついた。きているはずの服がひどく破れており、彼は上半身がほぼ裸の状態。ズボンはかろうじて原形をとどめている。体には様々な傷が走っている。何かの拍子にひねったのか、左腕を曲げると痛む。
「何があったんだ? 俺は一体何を――」
 自問自答の暇もない。次々に襲ってくる槍の攻撃。アーネストはすぐに立ち上がり、次々に地面や壁に突き刺さる槍を、右へ左へと回避する。
 巨大な槍が天井を勢いよく貫き、ドームの天井の一部が落下する。天井から壁に大きな亀裂が走り始める。天井の一部が落下したのに伴って、亀裂の走った部分からも、次々に天井や壁の一部が崩れて落ちていく。
 槍は、でたらめに天井や壁を狙い始める。地面に向かっては来なくなった。
 アーネストは、次々に飛来する槍がどこから来るのか、その場所を探す。
「!」
 グラウンドの一点。そこには、球形の金属の塊がある。槍はそこから次々と生まれ出ては、様々な場所を突き刺しているのだ。槍は突き刺し終わった後、そのまま伸びるか、あるいはまた元の金属の塊の内部に吸い込まれて新たな槍に姿を変える。
 こんなことが出来るのは、彼の知っている能力者の中では、一人しかいない。
「あいつ、一体何故――」
 だが、考えている暇はない。またしても槍が飛来する。アーネストは左へ体を倒して回避するとすぐ体勢を立て直した。

「なぜだ! なぜ作動しない……!」
 ユーニスの手を引いたまま、管理人は、壁に取り付けられたリモコンの非常用ボタンを押している。それは、勝負がついてもまだ戦おうとする能力者を首枷から流れる電流で気絶させるためのリモコン。首枷が作動しなかった場合は、手動で作動させるのだ。
 だが、リモコンのボタンを何度押しても、スペーサーの首につけられた枷は作動しない。
「能力の暴走で、機能が破壊されたかっ……」
 焦る父の後ろで、ユーニスもまた別の焦りを感じていた。
 確かに、スペーサーの感情を解放させる事で能力を暴走させ、このイベントを中断するという目的を達成する事はできた。が、スペーサーは幼年期から薬によって感情を抑制され続けてきたため、自分で感情をコントロールすることができない。スペーサーは、内部からほとばしる様々な感情を抑えられず、なおかつ首枷から投与され続ける薬のおかげで、ユーニスの考えていた以上に能力を暴走させ続けている。あまりにも被害が大きすぎる。これではドームが完全に破壊されてしまう。早く避難しなければ、こちらも巻き添えを食ってしまう。
(やりすぎちゃったかな……もっと抑えてくれるかと思ってたけど)
「もう駄目か。ユーニス、早く来るんだ!」
 父はユーニスの手を引っ張って、エレベーターを作動させ、乗り込んだ。
 エレベーターのドアが閉まり、作動する。通路を移動すると同時に、衝撃が走る。このエレベーターが何かにぶつかったわけではない。暴走した能力によって生み出された金属の槍が貴賓席を破壊し、その衝撃が通路に伝わったのだ。
「一体どうなってるんだ? 薬で感情を抑え込ませていたはずなんだが……まあいい、どのみちこの試合で最期にするつもりだったし――」
「え?」
 ユーニスは父の言葉に反応する。
「父さん、それってどういうこと? 『この試合で最期にする』って……」

 無数の槍の攻撃と、槍の飛来によって起きる風圧に、アーネストはたたらを踏んだ。これで何度目だろうか。なかなか、球体に近づけない。
「一緒なのか、『あの時』と――」
 目の前に迫る槍の一撃を跳んでかわし、次に襲ってくる槍を踏み台にして三本以上もの細い槍を同時に飛び越えた。
 着地と同時に、アーネストの頭の中に、一つの光景がよぎる。
 崩れた病院の一角。傷を負った病院の医者やアルバイトたち。そして、急所からぎりぎり外された自分の体の無数の傷跡。能力沈静後の興奮状態が冷めてくると同時に、立っている自分が深手を負っている事と、自分の能力暴走を止めた張本人が、片手に血のついた鉄筋の欠片を握り締めたまま、胸と腹を獣の爪で引き裂かれて血の海に横たわっている事に気がつく。
 何が起きたのか、理解するまでに時間はかからなかった。
 暴走したアーネストは、深手を負わされながらも、その獣の爪で、暴走を止めようとした本人を、引き裂いてしまったのだ。
 そして、能力者につけられた傷は、《捕獲屋》につけられた傷と違って、決して傷跡が消えない。自分の体に残る傷跡を見るたび、アーネストは胸が締め付けられたような痛みを覚える。自分も相手に深手を負わされたとはいえ、それは相手が暴走を止めようとしてやむなく行った事。爪で引き裂かれた相手の体にも、まだ傷跡は残っているはずだ。痛々しい、何かで裂かれたような大きな傷跡が……。
(くそっ、今度はあいつが暴走してるのか?)
 アーネストは、何とか球体に近づこうと槍の隙間をぬう。球体へ近づくほど槍の勢いも太さも増してくる。いつ自分が串刺しにされるかわかったものではない。だが、アーネストは、行かなければならないと感じていた。暴走を止めるため、そしてなにより、
「こんなときじゃねえと、『あの時』の借りは返せないからな」
 アーネストは地を蹴った。

 次々と槍の飛び出す金属の球体。その球体の内部で、スペーサーは体を震わせながら頭を抱えていた。
 内部から湧き上がるもの。口では説明できない。熱く、冷たく、苦しいモノ。体が熱くなり、続いて冷たくなる。大きく見開かれた目からは涙がぼろぼろこぼれていく。自分の身に何が起きているのか、そして体内から次々に湧き上がるモノが何なのか、彼は分からなかった。体が熱くなったり、冷たくなったり、息苦しくなったりすると、球体から外部へ飛び出す槍が一段と太く、勢いを増した。
 能力が暴走している事はわかる。だが、抑えることが出来ない。電流を流す機能の壊れてしまった首枷から体内に注入され続ける薬物と、幼年期から投与され続けてきた薬物によって、彼は自分で能力を抑えることが出来なくなっているのだ。そしてもう一つ、彼の内部から次々と湧き上がる得体の知れないモノを抑える方法がわからない。
 どうしたらいいのかわからない。なぜこんな事になったのかわからない。
 すさまじい頭痛に何度も襲われ始める。頭を内部からハンマーで殴られているような痛み。頭が割れそうなほどだ。暴走が続き、それがひどくなるたびに頭痛も激しくなる。右腕の腕輪は大きく広がって膜のごとく彼を包み込み、その膜の内部でも、外部と同じく無数の小さな槍が生み出されてはまた膜の内部へもぐりこんでいった。
 頭がぐらぐらする。座り込んでいるはずのスペーサーの体はよろめいた。同時に、外部へ突き出される巨大な槍の攻撃がピタリと止まる。
 金属の膜の一部が縮み、彼の姿は表にさらけ出された。

「えっ……」
 ユーニスは、絶句した。
「仕方なかろう。お前があのサンプルにどれだけ情が移っているか知らんが、あのサンプルの寿命は、もうすぐなんだ」
 父は何でもないかのように、さらりと言ってのけた。
「サンプル680は、能力の使用頻度が非常に高かった。お前も知っているだろう、能力を使うには、自分の細胞を大量に消費する必要がある。細胞を消費するという事は、自分の寿命を縮める事。そして干渉系のサンプルは遺伝子が非常に不安定だったから、薬物を色々投与して暴走を抑え込ませてきた。だが、何があったか知らんが、あのサンプルは暴走している。あれだけ能力を暴走させれば、寿命が大幅に縮まるのは当然だ。あれほどの暴走さえしなければ、あと数年は生きていられたかもしれんがな」
 ユーニスは青ざめた。イベントをとめられるかもしれないと考えて、スペーサーの感情を暴走させた。が、彼の暴走はそのまま止まらず、ドームを破壊し続けている。槍によってドームの壁が貫かれる衝撃が、エレベーターの通路を通してまだ伝わってくる。ドームに大損害を与えるほどの能力を使い続けるということは、スペーサーの体細胞がおそろしく大量に消費され続けているという事。そして、彼の細胞が全て使い尽くされたその時は――。
「だから、この試合が終わった後、サンプルが生きていようが死んでいようが、研究所へ回して遺伝子レベルで分解し、保存させるつもりだったのだ」
 エレベーターが止まり、ドアが開いた。
「!」
 二人がエレベーターのドアの向こうに見たものは、無数の管理塔の警官達だった。

 アーネストは、槍の攻撃がピタリと止まると同時に、たたらを踏んだ足をまた前に伸ばす。なぜ止まったのかを気にする時間はない。またすぐに槍の攻撃が始まるかもしれないからだ。
 金属の球体の一部が急に縮み、その中から、球体の内部にいる者の姿が現れる。アーネストは球体が閉ざされる前にと一気に駆ける。槍の妨害がないため、立ち止まる事はない。
 もう一歩で相手に届くと言うところで、また金属の球体から勢いよく小さな槍が突き出された。とっさに体を倒した事で急所への一撃は避けられたものの、かわしきれず、左肩にかすり傷を負う。しかし傷を気にしている場合ではない。アーネストは、自分の背丈の倍近い大きさの巨大な金属の球体に出来た隙間に飛び込んだ。
 体を震わせ、涙を流しながら頭を抱え込んでいるスペーサー。腕につけられた鉄の腕輪は大きく膨れ上がり、溶けた飴のごとく伸びている。内部でまた小さな槍が生まれては、金属の膜の中にもぐりこんでいく。
 何か小さな声でぶつぶつ言っている。だがアーネストはそのまま、小さな槍で体を刺されないように、小走りで相手に駆け寄る。相手は、彼が来た事に気づいていない。アーネストは、スペーサーの肩をがしっと掴んだ。
「おい――」
 急にスペーサーの体が大きく震えたかと思うと、球体の内部から勢いよく槍が伸びる。針ほどの大きさの槍が同時に、二人の背中を刺す。小さな槍とはいえ、針で刺される程度の痛みはある。アーネストに肩をつかまれた驚きと、槍に背を刺された痛みで、スペーサーはやっとアーネストの顔を見た。涙で濡れたその顔には、アーネストが今まで見たこともない表情があった。恐怖、困惑、焦燥をあわせたような、なんとも形容しがたい表情だ。
 相手が何か言っているようだが、声が小さすぎて聞こえない。アーネストは、スペーサーの首につけられている首枷に目をやる。赤く光るその首枷からは、小さな触手が伸びて彼の体内に深く潜り込んで薬を供給し続けている。自分の首にはその枷はついていない。槍の一撃で壊されたからだ。アーネストはスペーサーの首枷に無理やり手をかけ、引っ張って外そうと試みる。が、彼の首を締め付けこそすれ、外れる気配はない。能力者が自分で外す事を防ぐために特製の鍵をかけてある。それ故、単に引っ張っただけでは外せないのだ。彼がひどく苦しがると、金属の球体から槍がいきなり突き出される。アーネストの背を危うく貫くというところで、アーネストは首枷から手を放さざるを得なかった。槍はまた金属の壁の中にもぐりこんだ。
「くそ、駄目か」
 アーネストは舌打ちする。同時に、フォークほどの大きさの槍が生まれ、彼の右肩を深く突き刺す。スペーサーの目が丸くなる。暴走した能力が、アーネストを傷つけてしまった。
 相手の口から漏れる言葉が、聞こえてきた。

 タスケテ……。
 トメラレナイ……。
 アタマガ、イタイ……。

 腕につけられた金属の腕輪から、ナイフほども大きさのある新しい槍が勢いよく伸びて、今度はスペーサーの下腹を深く突き刺す。槍で突かれた衝撃で仰向けに倒れる彼を、アーネストは慌てて抱きかかえる。
 震えている。痛みで震えているのではない。
 怯えている。自分の能力が自分とアーネストを傷つけたことに怯えているのではない。
 内部から湧き上がり続けるモノを止められない。内部から湧き上がり続けるモノに怯えている。どうやって抑えたらいいのかわからない。なぜ涙が止まらないのかわからない。激しい頭痛と、槍で深く刺された下腹の痛みと出血が、急速に彼を疲弊させ消耗させていく。
 何故スペーサーが泣いているのか、アーネストはわからない。が、彼が能力を抑えられず、暴走を続けさせたままにしていることだけは理解できた。どうやって止めさせればいいか分からない。だが止めなければならない。腕輪からまた槍が伸びてくる。
「いい加減に止めろよ!」
 アーネストは、スペーサーを強く抱きしめた。彼がまだ守られていた頃、彼を保護していた男がよくやっていた。こうすれば、大丈夫だからと。そしてアーネストは、スペーサーを傷つけたくなかった。一度、スペーサーは彼の手によって深手を負わされたのだから。
 腕輪から伸びる小さな槍が何度か体に刺さる。だが、アーネストは手を放さない。
 涙交じりの声が聞こえる。放さないと怪我をする。そう言っているようだった。が、
「大丈夫、大丈夫だから……落ち着けばいいんだよ、落ち着けば」
 子供に言い聞かせるように、アーネストは静かに言った。
 腕輪から勢いよく槍が何本も伸び、体を貫くと同時に、スペーサーの首につけられた枷を割る。バキンと音を立てて首枷が落ちた。薬物の供給が途絶える。少しずつ、槍が小さくなり、収まり始めた。彼らの周りを覆う球体が少しずつ小さくなり、手首につけられた金属の腕輪の中へ収束されていく。
 内部から湧き上がり続けたモノが、ゆっくりと体の中へ収まっていく。熱さが収まり、少しずつ、少しずつ、体温が元に戻り始める。それと同時に、あれほど痛かった頭痛がゆっくりと引いていく。薬の供給が途絶えた事で、能力の暴走が収まった。そして、別の薬物によって暴走した彼の感情は、不思議な安らぎによって、ゆっくりと収まった。
 涙が止まる。
「止まってく……」
 小さな呟き。
「へっ、やっと収まったか……」
 満身創痍のアーネストは、それでも、笑っていた。
「言ったろ、大丈夫だって」


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