最終章 part2



 第一地区のドーム破壊事件と、管理塔内の汚職摘発はほぼ同時に起こった。第一地区の管理人は、下っ端の役人だけでなく、上層部の主要な者たちにまでプラチナ・チケットを配布していた。摘発後の管理塔関係者の刑罰は給料三年分とボーナスの完全返上という形に終わった。しかし、給料とボーナス返上以外の罰は課されず、逮捕された役員達ががクビになるということもなかった。また、チケットを配布されていた第一地区の住人達は摘発されなかった。この件に関しては、他の役人達と違って、管理塔上層部の者たちが第一地区出身者で構成されているためではないかと密かに囁かれている。
 第五地区の能力者を保護するという条例に違反していたという第一地区管理人は、研究所の所長の地位を下ろされることになったが、第一地区管理人としての地位はそのまま残された。スペーサーの暴走によってほぼ壊滅した、屋敷の隣のドームは解体されたが、不思議な事に、ドームのグラウンドにいたはずのアーネストとスペーサーの姿はなかった。あったのは、彼らの血痕だけ。瓦礫の下からは、死体も何も出てこなかった。
 研究所は管理塔の監視下に置かれる事になった。能力者を生み出す装置や設備はそのままに、《捕獲屋》となるべく作られたクローンたちは皆消去された。研究所別棟の地下にある建物に監禁されていた能力者たちは解放されて、この建物に囚われていた記憶を消去された後、第五地区へ戻された。能力者に外の地区の情報を決して与えてはならないという条項に基づいて。管理塔はあくまで極秘に一連の作業を行ったため、全ての地区に情報が漏れる事はなかった。

 明るい日差しが、病院の寮を照らす。すっかり《捕獲屋》の現れなくなった病院の裏口を開けてヨランダは外へ出る。どこへ行っても《捕獲屋》が現れなくなったため、少し不思議に思っていた。昼でも路地裏を通れば《捕獲屋》が必ず現れていたはずなのに、全く出会わない。まるで煙のように消えてしまったようだった。
 ゴミ出しを終えてから、また戻ろうとする。
「あら?」
 背後から聞こえてきたらしい音に、振り返る。
 しばらく、声が出なかった。
 傷だらけのアーネストが、同じく傷だらけのスペーサーを抱きかかえて、立っていた。
「よお」
 アーネストは、どこか憔悴した声で、ヨランダに言った。そして、彼女の側に歩み寄る。歩くたびに、ポタポタと血が落ちる。どこか出血しているようだ。
「あんた、生きてたの……?」
 ヨランダの出せた声は、それだけだった。何を言っていいかわからなかった。
「俺が幽霊に見えるのかよ!」
 アーネストはむっとした表情になる。ヨランダは、首を振った。胸の奥が熱かった。どこかで死んでしまったかもしれないと、ずっと気を落としていた。だが、二人とも、ちゃんと帰ってきてくれた。思わず緩んだ涙腺。彼女は涙が止まらなかった。
 彼女は、アーネストの抱きかかえている、血や土ぼこりで汚れた白衣を着ているスペーサーに、声をかけた。
「ねえ、スペーサー?」


 午前九時。開いたばかりの病院に、一人の客が訪れた。受付にいたヨランダは、その客の姿を見るなり、目を丸くした。
「よー、運んできた」
 ちょうど、アーネストが、両手に薬や包帯の入った大きな箱を抱えて、ドアを足で蹴って開けて入ってきた。
 先に入っていた客は、アーネストを見るなり、飛びついた。
「アーネスト!」
 箱を持ったままのアーネストは、相手に飛びつかれた拍子にバランスを崩し、持っていた箱を落とす羽目になった。
「ユーニス!?」
 そう、アーネストに飛びついたのは、ユーニスだった。上質の紺の上着やズボン、革靴といった、この地区では相変わらず目立つ服装だ。
 会えて嬉しかったのか、ユーニスは一気にまくし立てた。
「ねえ、元気してた? あれから監視の目が厳しくて、ここ来るのだって一苦労だったよ。あのドームの中には死体も何もなかったって聞いて、死んじゃったのか生きてたのかわかんなかったけど、会えてよかった〜」
 それからユーニスは、周りを見る。
「あれ? あのお医者は?」

 病院の裏手にある墓地。たくさんの墓石が並ぶ中、つい最近できた新しい墓標がある。寝かせた真っ黒な長方形の石に、名前と、死因と、死亡日時を刻んである。死因は出血多量と例の奇病。死亡日時は五日前。
 墓前に、名もなき小さな花が供えられている。
「ここへ戻ってきたときには、もう、息してなかった」
 墓標を見つめながら、アーネストは静かに言った。
 ユーニスは、胸が痛かった。ドームで行われる最後の試合を何とかして中断させたかった。これ以上、アーネストとスペーサーに殺し合いをしてほしくなかったから。そのために薬を盗み出して投与し、スペーサーの感情を暴走させる事で試合を中断させた。だが、暴走した上に能力を制御できなかったスペーサーの細胞はどんどん消耗されていった。能力を使えば細胞が消耗され、消耗されれば寿命が縮む。彼の寿命は近いと父から聞いていた。ドームを破壊するほどの暴走を起こした事で、残り少ない寿命をさらに縮めてしまった。これは、ユーニスの望んでいた事ではなかった。二人とも助けたかったから、やったことだった。だが、助かったのは一人だけ。
(僕が殺したようなものじゃないか……)
 ユーニスは、真新しい黒の墓標を見つめた。目の奥が熱くなり、目の前が、ぼやけた。
「けどよ……」
 アーネストは息を吐いた。
「あいつ、笑ってたんだ。あんなにひどい怪我してたってのに。あんな幸せそうな顔、初めて見た……」
 ヨランダも、スペーサーの死に顔は見ている。アーネストの腕に抱えられた彼の顔は、不思議と、安らいでいた。恐怖も苦しみもなく――。
「あいつが笑ったとこなんて、憶えてる限りじゃ一度も見たことねえな。なにせいつも眠そうな顔してばっかりの、無表情な奴だったから」
 目蓋の裏に焼きついている、あの表情。幸せな夢を見て安眠しているのかと思えるほどに安らかだった。
 崩れ行くドームから逃げる前、アーネストの耳に残った言葉があった。そして、その声を聞いたのは、それが最期だった。
 風が吹いてきて、そっと墓地を通り過ぎていく。
 三人とも、ふと、墓標から顔を上げて、風の通り道を見つめた。
「気のせい、かな?」
 ユーニスは、片手で、涙で濡れた顔を拭う。ヨランダは、風になびく髪を手櫛で整えることもせず、風の吹いていった場所に目を釘付けにしている。アーネストも彼女と同じ場所を見つめている。
 もう一度、風が吹いてくる。今度は、皆、自分の耳に言葉が聞こえてきたのを感じた。

 ありがとう。

 風は静かに墓地を通り過ぎていった。
「気のせいじゃ、なかった……」
 ユーニスは小さく言った。ヨランダは、頬を伝わる涙をそっと拭い、風の通っていった場所をじっと見つめる。
 風の中に、アーネストは懐かしいニオイを嗅ぎ取っていた。今はもう感じ取る事のできないはずの、ニオイ。
(あいつのニオイだ……)
 そして、崩れるドームから脱出する前にスペーサーが口にしたあの言葉を、彼は、この風の中で耳にしたのだった。

 あまり長い事いられないから、と、ユーニスはまたどこかへ走っていった。路地裏に別の地区への出入り口があるのはアーネストも知っているが、そこをたどっても《都市》の外には出られないことはわかっていた。第一地区から第五地区へ続く一本道なのだ。
 ヨランダも病院へ戻っていった。アーネストはまだ墓地にいたが、やがて、墓に向かって小さく言った。
「ありがとう」
 すると、なぜか、肩の荷がスッと下りたような気がした。
 やがて、アーネストも病院へ戻っていった。いつになく、ふっきれたような憂い無き表情で。
 誰もいなくなった墓地に、もう一度、風が吹いてくる。墓地を通り過ぎていったその風もまた、病院へと向かっていった。


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ご愛読ありがとうございました!
今作はアクションに重点を置いての執筆となりました。
日常の動作や敵との戦闘をいかに表すかには重点を置けましたが、
代わりに登場人物の心理描写や背景説明が少なくなってしまい、
終盤で一気に詰め込んでしまったため、話の流れが少し飛んだようにも感じます。
つたない作品でしたが、楽しんでいただけたならば幸いです。
最後までおつきあいくださり、ありがとうございました!
連載期間:2007年1月〜2007年7月

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