第2章 part2



 昼は既に一時を過ぎていた。目抜き通りは大勢の人が行きかい、活気に溢れている。露店で買い物をする人々や、雑談に興じている者もいる。
 ユーニスは、アーネストに引っ付くようにして歩いていたが、どうも先ほどから視線を感じていた。それもそのはず。ユーニスの服装は、この地区では見ることの出来ない、極めて珍しいものなのだ。加えて、この地区では嗅ぐ事の無い変わった香りを漂わせている。これで視線を浴びないほうがどうかしている。
「ねえ、もしかして、僕、目立ってる?」
 ユーニスがジャケットの袖を引っ張るので、アーネストは振り向いた。
「そりゃ目立つに決まってるだろ。そんなカッコしてれば」
「そんなカッコって……これは僕の普段着なのに」
 じろじろ見られるのは嫌だ。だが、人目を避けるために人通りの少ない場所へ行くわけにもいかない。路地裏のような場所へ入ってしまえば、また《捕獲屋》に襲われるのだから。
 目立ちたくないが《捕獲屋》に襲われるのも嫌だとユーニスがなおも唸っていると、アーネストはある店の前で立ち止まった。
「そんなに目立つのが嫌なら、着替えるか?」
 彼が指差したのは、いくぶんか古びた服屋だった。
 三十分後。
「ちょっと大きくない?」
 試着室から出てきたユーニスは、服の袖を引っ張る。
「最初はそんなもんだ。そのうち慣れる」
 アーネストは何でもないかのように言う。
 ユーニスの服装は、暗緑色のジャケットと濃紺の半ズボン、髑髏マークのプリントされた黒いシャツ、同色のスニーカー。前に来ていた服は処分してもらった。ユーニスがそう望んだのだ。首の後ろで縛っていた髪は、解いている。その方が、今の服装に似つかわしい髪型だった。
 店を出た後、目抜き通りの終わりにある小さな店に入る。はいると、変わったスパイスの匂いが鼻を突く。割と大勢の客がいて、食事をしながら雑談をしている。店内は喧しかった。テーブルに出された料理はいずれも炒め物が中心であったが、どれも似たような形のプラスチック容器に入れられているところからすると、定食のようだ。
「なにこれ、ニンニクくさー」
 ユーニスは顔をしかめた。
「しかも、このスパイス何? 胡椒じゃないし――」
「どうだっていいだろ。俺、ここの常連なんだ」
 アーネストはユーニスを引っ張り、カウンターの方へ歩く。途中、客達が何人か、珍しそうにユーニスを見た。が、服装のおかげなのか、それほどじろじろ見られずにすんだ。
 カウンターの向こうに、五十代と思われる外見の、それでいて体つきのがっしりした男がいる。彼が料理人兼店長だ。
「おお、来たな! なんだ、そのガキは。また新しく出てきたのか?」
「え、まあそんなとこ。それより今日の――」
「おお、いつものだな? お前の好きそうな素材がいくつか入ってきたからな、ちとサービスしてやるよ。そっちのガキはどうするんだい」
 ユーニスは何を答えればいいかわからなかったが、アーネストが代わりに返答する。
「俺と同じのでいい。結構味付け薄くしてやってくれよ。食うのは初めてなんだからな」
「あいよ」
 そして一時間後。
「あー、食った食った」
 満足そうに店を出るアーネスト。その後ろで、ユーニスは気分が悪そうにしている。
「何であんなもの食べられるの。激辛――」
「激辛? めちゃくちゃ薄味にしてもらったはずだけどな」
「辛いよ! というか、何なのあの料理。すごく気持ち悪いよ、歯ざわりが。ぬるぬるしててさ」
「キドニーのピリ辛ソース炒め。美味かった?」
「辛かったって、言ったじゃん! それより、あんたの親の顔が見たいよ、あんな下品な食べ方するなんて。一体どんな躾されてきたのさ」
 そこで、アーネストが振り向いた。
「オヤ? オヤって何だ?」
 暫時の沈黙。
 ユーニスは目を丸く開いて、アーネストに言った。
「あんた、もしかして自分の親の顔も知らないの? あんたを産んで育ててくれた人のことじゃないか。何を言ってるのさ」
 アーネストは、しかしながら、呆気に取られた表情のままである。
「え? 人って誰かに産んでもらうものなのか? ニワトリみたいに卵から?」
「人間は卵から生まれるんじゃないんだけど、とにかく、あんたは一体どこで育ってきたの? 小さい頃の家は何処?!」
 ユーニスに言われて、アーネストは頭をかいた。
「家って言われても、俺が育ったのは、あの建物の中なんだよ」
 アーネストは指差した。その方角には、真っ白なドーム状の建物が見える。この地区の中央に位置するあの巨大なドームが一体なんだというのか。
「十歳くらいまで、俺はあの建物の中で育ってきた。俺だけじゃねえ、この地区の奴らは皆あそこで育ってきてる」
 アーネストは、その建物に背を向け、アパートに向かって歩きながら話す。ユーニスは少し後ろから彼の後をついてくる。
「俺らの面倒を見てたのが、何かよく分からんが、全身をグレーの服で覆い隠してた奴だった。顔まで隠してたから、若かったのか歳食った奴なのかは知らない。ベンキョーしたり、遊んだり、飯食ってたり、寝たりしていた時も、俺らの周りにそいつらが何人もいた。変なことすりゃ、容赦なくケツひっぱたかれたぜ」
「で、育てた人がその建物の中にいたわけ?」
「ああ」
「そう。じゃあ、あんたの生みの親の方は?」
「だからそのオヤって何だよ。俺の覚えてる限りじゃあ、あの建物の中で暮らしていたのが、一番古い記憶なんだ。それより昔のことなんて覚えてねえよ」
 ユーニスは何かぶつぶつ言っていたが、やがて問うた。
「その建物の中で、普段は何を食べてたの」
「んー。錠剤とか、粉薬とか、液体の薬とかだな。ごくたまに、甘いカプセルをもらってた。あれ飲むと、何だか頭がぼけっとしてきて、知らない間に寝てたりもしたな。外に出てから、本物の食い物の味を知ったんだ」
 話していたが、アーネストは何かが頭の中で引っかかるのを感じていた。何かを忘れかけていて、それを思い出そうと努める。だがそうすればするほど、彼の頭の奥で留まっているものは、引き出されることを拒絶していた。
 今は触れてはならない。それは、そう言っていた。

 第五地区の者は例外なく、地区中央にそびえる建物の中で育つ。このドーム状の建物の中は、子供用の居住区であり、子供達はここで、十歳になるまで育てられる。勉強部屋、遊び場、浴室などがある。大きな全寮制の学校のようなものだ。
「あそこから出た後は、しばらく周りの大人が面倒見てくれた。そのうち戦い方も覚えた。今じゃ、フツーに暮らしてる」
 帰宅した後、アーネストはドアに鍵をかける。ユーニスは、一つしかない椅子に座る。一応椅子は二つあるが、一つは物置代わりにされている。
「戦い方って、誰と戦うのさ」
「決まってるだろ、《捕獲屋》だ。お前も追われてたろ、変なカッコして武器を持ってる連中。あいつらのことだ。外の区じゃあ、ああいうのを野放しにしてるのか?」
「しているわけないじゃないか。でも何であんな連中がいるの」
「俺達、能力者を狙ってるんだよ。掴まったらどうなるか分からないが、どっか売り飛ばされるなり解剖されるなり、ってな結末になっちまうんだろうよ。だから俺達は捕まらねえように、身を守る方法を覚えるんだ。逃げるやり方でも、殺す方法でもいい、とにかく自分の身を守る方法が、必要なんだ」
「そりゃこの区は――」
 ユーニスは何かボソボソと言ったが、アーネストは聞いていなかった。
「それより、お前一体何処の区から来たんだよ。他のところから来たのは間違いないはずなんだよな。そこってどんなとこなんだ?」
 アーネストは子供のように純粋に目を輝かせて、ユーニスに問うた。初めての外の世界の住人なのだ。彼にとっては好奇心の対象であると同時に、外部を知る有力な手がかりである。
 が、
「言いたくないもん」
 ユーニスは喋ろうとしなかった。
「何でだよー」
「言いたくないからさ。それより、なんであんたはそんなに外のことを知りたがるの」
「決まってるだろ。この地区から出ることが出来ないからだ。俺はいつか、この地区を抜けて外に行くんだ。そんでもって、《都市》の外の世界だって、見てみたいんだ。この世界ってのは、《都市》だけじゃないんだろ」
「そりゃそうだけど――」
 無邪気に笑うアーネストに対し、ユーニスの表情は暗かった。
「……あんたが感動できるほど、世界って、すごいものじゃないんだよね」
 ユーニスは、誰にも聞こえないような声で、小さく呟いた――。


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