第4章 part2



「あーあ。久々にくたびれた」
「くう……」
 夕方近くになって、地区が一面オレンジ色に染まる頃、アーネストはようやっと戻ってきた。
 地区の半分を徒歩で見て回ったユーニスは、最初のうちこそ、あちこちを見ては興奮して元気だったものの、時間が経つにつれてくたびれてきて、今となっては疲れ果て、自分で歩くこともままならないほどだった。そのため、
「しょーがねーな、ったく」
 アーネストがユーニスを背負って帰ってきたのである。くたびれたユーニスは、彼の背中で転寝している。アーネストも、ユーニスに引っ張りまわされて疲れてはいたが、へとへとで歩けないというわけではなかった。この疲れた状態で《捕獲屋》と戦えといわれれば、事情は違ってくるが。
 アパートへ帰り着き、鍵を開けて、ドアを開ける。
「!」
 ドアを開けた途端、アーネストの背筋を、冷や汗が滑り落ちた。
 夕暮れを迎えて、部屋の中は夕日の色に染まっている。部屋の中は特に何も変わった様子など無い。だが、アーネストにはわかった。
《捕獲屋》が、入り込んだ。
 そのニオイが残っている。
 ユーニスを肩に担ぎ直して、ふさがっていた手を片方だけ自由にすると、彼は素早く室内を見回した。荒らされた形跡は無い。
 肩に担がれたままのユーニスが目を覚ました。
「うーん……どうしたの?」
 どうしたもこうしたもない。アーネストはユーニスの問いかけを無視し、目に付いたものの所へ素早く歩む。
 用心に用心を重ね、それを拾った。
 夕日に照らされたそれは、一枚のカードだった。大きさはポストカードより一回り小さく、表は赤色、裏は黒色。ただそれだけ。文字も絵も何も無い。シールのように表裏それぞれがはがれる事もない。《捕獲屋》のニオイが染み付いているのを除けば、アーネストの手の中にあるそれは、ただのカードだった。
「何だこりゃ……」
 アーネストがカードを観察していると、カードを見たユーニスが急に青ざめた。
「わ、わ、わ……」
 じたばたしたので、アーネストは危うくユーニスを落とすところだった。
「な、何だよ一体……」
 アーネストはユーニスをおろしてやる。ユーニスはカードを凝視したまま、眼を大きく見開いて、震えた。
「まずい……」
「まずいって、何が?」
 アーネストが問うも、ユーニスは首を振るばかりで、答えない。それどころか、いきなりアーネストにがばっと抱きついた。
「やだよ! やだよ! 戻るのヤだよ!」
 ユーニスの唐突な行動にアーネストは面食らう。
「やだって……何処へ戻るのが嫌なんだよ」
「家に決まってるじゃん!」
 ユーニスは涙声で言った。
「戻りたくなんかないよ! 戻ったら――」
 その先が何を言っているのか、アーネストは聞き取れなかった。だが、家出してきたユーニスが家に戻りたくないということは解った。何の理由があって家出したかは知らないが、それでもユーニスは帰るのを嫌がっている。アーネストに理解できているのはそれだけだ。
 自分の手の中にある、赤と黒のカード。《捕獲屋》が置いていったであろう、このカード。これが何を意味するのか解らない。だがユーニスは何かを知っている。このカードに込められた意味を。そしてこのカードを見たユーニスの反応から考えると、ユーニスにとっては最悪の事態をあらわしているのだろうか。
「おい、お前このカードの事知ってんのか?」
「……」
 アーネストの問いかけに、ユーニスはこっくりと頷いた。だがそのカードが何を意味するかについては言おうとしない。
「知ってるならこの――」
「頼むよアーネスト! 僕をかくまってよ!」
 アーネストに最後まで話させず、ユーニスは言った。
「どこでもいいから、かくまってよ! 守ってよ!」
 ユーニスは涙を目に浮かべている。そして、アーネストを揺さぶった。
「あいつらから僕を守ってよ! お願いだから!」
 あいつらというのが誰の事かわからなかったが、アーネストは、ユーニスが《捕獲屋》のことを言っているのだろうと考えた。初めて遇ったとき、ユーニスは《捕獲屋》に追われていた。《捕獲屋》が彼を能力者と間違えたのか、あるいはほかに理由があってのことなのかはわからないが。
「かくまえったって、お前なあ」
 アーネストは揺さぶられながらも、言った。
「この地区で安全なところって言えば、室内だけって決まってるんだよ。これ以上俺にどうしろって言うんだ」
「どこでもいいから! 誰にも見つからないところにかくまってよ!」
 必死でアーネストに訴えかけるユーニスだが、訴えかけられているアーネストは困り果てた。ユーニスにとって、誰からも見つからない場所にいられればそれで満足なのかもしれない。しかしアーネストにとって、誰にも見つからない場所に行くほど危険なことはないのだ。
 誰にも見つからないところほど、この地区で危険な場所はない。《捕獲屋》は人目につかないところに現れるし、誰にも見つからないような場所で《捕獲屋》と遭遇してしまえば、助太刀してくれる者もいないまま、一人で戦う事になる。だから能力者は人目につかないところへは滅多に近づかないのが普通だ。誰の目にも触れない場所は、この地区ではほんのわずかしかない。《捕獲屋》の最も出没しやすい路地裏がいい例だ。よほど護身術に自信がない限り路地裏や廃屋には近づかないほうがいいというのが、この地区の暗黙の掟だが、他の地区から来たユーニスはそのことを知らない。だから、誰にも見つからない場所こそが一番安全なのだと考えているようだ。
「うーん……」
「お願いだからさ! どこでもいいからさ!」
「どこでもいいって言われてもなあ……」
 アーネストは歯噛みした。
「お前何にもわかってねえだろ。この地区で安全なところって言えば、室内だって、さっきから言ってるだろ。人目につかないところにわざわざ隠れたりなんかしたら、それこそ《捕獲屋》の思うツボじゃねえか」
「じゃあ、それ以外の場所はないの?! 人目についても安全な場所はないの?!」
「俺の知ってるところで、人目についても安全なところってのは――ないわけじゃないんだがなあ」
「安全なところってのは?! どこ?! どこでもいいからさ、早く言ってよ!」
 ユーニスに詰問され、アーネストはつっかえた。思い当たる場所はある。だが、あの場所は、彼の思っているほど安全ではなくなりつつあるのが現状だ。公共施設にすら《捕獲屋》が侵入するこの地区の安全な場所など、ほんのわずかしかない。
 ユーニスが涙を浮かべながら見つめてくる。
 アーネストは根負けした。
「……あそこしかねえんだよなあ」
 その言葉を聞いたユーニスは、期待で目を輝かせる。先ほどまでの涙目が嘘のようだ。
「知ってるの? じゃあすぐ行こうよ! 早く早く!」
「早くったって――」
「何だよ、行けない理由でもあるの?」
「いや、そうじゃないんだが――」
「じゃあためらわずに、早く行こうよ!」
 ユーニスは、先ほどまでの疲れが嘘のように元気いっぱいになり、アーネストの手を引っ張る。もう、ユーニスに何を言っても聞く耳持たないだろうと考えたアーネストは、溜息をついて、大人しくユーニスに従った。


part1へもどる書斎へもどる