第7章 part1



 ヨランダは、再び荒らされて空になった部屋を見て、溜息をついた。派手に血しぶきが飛び散り、倒れた《捕獲屋》たちは、頭部をミンチのように潰され、首の骨をへし折られ、自身のナイフではらわたを切り裂かれて床の上に転がっていた。これだけ派手な戦闘をするのはアーネストだと決まっている。しかしその本人は、この部屋にはいない。
 空いた窓に、はためくカーテン。
 まさか、スペーサーに続いて、アーネストまで連れ去られてしまうとは――。
「また院長に報告しに行こう」
 気が重いが、ヨランダはそうするしか、考えつけなかった。このショックを和らげられるならば、何でもいいからやってしまいたかった。そして彼女は、やってきた清掃員に部屋の掃除を任せ、院長室へ向かった。
 院長室へ向かっている間、ヨランダはユーニスのことを考えていた。
(あの子、確かに何か知っているわ。何らかの形で《捕獲屋》とのつながりも持っているようだし)
 ユーニスはたまに独り言を呟いていた。ヨランダは話の内容こそ理解は出来なかったものの、ユーニスが何かを知っているであろうことは容易に感じ取る事ができた。ユーニスのつぶやきに合わせて話を誘導し、何でもいいから彼から聞きだそうともした。結局知ることのできた事柄は無いに等しかったが、それでも、ユーニスが《捕獲屋》と何かつながりを持っていることだけはわかった。
 ユーニスと一緒の部屋にいたものの、トイレに行くと出て行ったユーニスを止めずに、彼女は自分の作業を続けていた。やがて乱闘の音が聞こえた。慌てて駆けつけたときにはもう遅かった。アーネストもユーニスも、死んだ《捕獲屋》を残して、消えうせていた。おそらく、《捕獲屋》に、アーネストと一緒に連れて行かれてしまったのだろう。
(あの子は《捕獲屋》の仲間なのかしら……?)
 やがて院長室にたどり着き、彼女はドアをノックした。

 頭が重い。
 軽い吐き気がする。《捕獲屋》の麻酔銃で撃たれた後はこんな具合に、脱力感と気分の悪さをともなう。
 目蓋を開けることすら困難な作業であるような感じ。だが、何とか目を開けた。
 薄暗い。
 体の感覚が戻り始める。続いて、視覚が少しずつ働き始め、聴覚がこの場の音の情報を集める。聞こえてくるのは己のかすかな息遣いと心臓の鼓動の音だけ。
 アーネストは、自分の体が、冷たくて固い場所に横たわっているという事を知覚した。気分の悪さをこらえ、頭を動かした。ぐらっと目の前が傾いたような、頭の中に入れられているおもりがぐらっと片側に寄ってしまったかのような、奇妙な頭痛とめまいを感じた。
 顎を床に乗せたまま、アーネストは目の前に広がる景色を見る。ここは小部屋のようだ。天井はあまり高くはない。その天井全体からは、非常に弱弱しいオレンジの光が注がれて、部屋全体をぼんやり照らしている。夜目の利くアーネストならこの程度の明かりでも十分にものを見ることができる。
 部屋の構造はいたってシンプル。長方形の形と思われる。三方の壁にはそれぞれ低い寝台が取り付けられている。家具はそれだけだ。そして、その寝台の一つに誰かが横たわっているのが見える。さらに、戻りつつある嗅覚が、その寝台の上に寝かされている誰かのニオイを嗅ぎ取った。血と薬品の混じった少し変わったニオイ。だがその血液のニオイは紛れもなく――
 アーネストは立ち上がろうとした。
「!」
 今気づいた。
 彼の手首には、鉄色の枷がつけられていた。足首にも同じものがつけられて、動きを大幅に制限している。枷同士がぴったりとひっつきあっている。そして首には、奇妙な首枷がはめられていた。
「な、なんだこれ……!」
 彼は、ひっつきあった枷を外そうと試みるも、どれだけ力をこめても、枷は外れるどころか、びくともしない。

「無駄……」

 か細い声が、寝台から聞こえた。アーネストは、枷との格闘をやめて、声の聞こえたほう、つまり、寝台の方を見た。
 寝台の上に横たえられているのは、スペーサーだった。着ている白衣の左肩から大量に出血した痕が見られるが、白衣の血はすっかり乾いている。薬の臭いから判断して、傷は手当されているようだ。
 アーネストは、イモムシのようにずりずりと這いずりながら、寝台のほうへ寄る。そして、立てひざの姿勢になって、スペーサーと目線を合わせた。近くに寄って解ったが、スペーサーの手足と首にも、アーネストと同じ枷がはめられていた。
「お前、無事だったのか」
「そうじゃないなら、今の私は何だというのだ……?」
 スペーサーは疲れた顔で、アーネストに言う。出血のためか、顔色が悪く、あまり体を動かさない。しゃべる事も辛そうだ。
「幸い、手当はされている。少し血が足りないだけだ」
「で、この変な輪っかの何が無駄なんだよ」
「……そいつが、能力を封印している。私も何度か試したが、駄目だった」
「能力の封印?」
 言われて、半信半疑のアーネストは変身を試みる。が、彼の姿は全く変化しない。能力者の姿のままだった。
 アーネストはやっと納得した。能力が封印されているため、金属に干渉する《干渉系》の能力を持つスペーサーは、枷を外せなかったのだ。
「はずせない事は分かった。けどよ、この場所は一体何だ?」
 アーネストは、話題を変える。スペーサーは、ぼんやりした表情でアーネストに返答する。
「……わからない。だが――」
「うん?」
「この部屋を、見たことがあるような気がする、ずっと昔に……」

 ずっと昔に、見たことがあるような気がする――

 アーネストは、ひどい頭痛に思わず、枷でつながれた両手で額を押さえる。頭が割れそうなほどだ。目の前が揺らぎ、横になっているはずのスペーサーの姿が、斜めに歪み、またもとの位置に戻っては、再度歪む。

 歪んだ景色と、それに続いて訪れる別の景色。
 立ち並ぶ無数の円筒。それぞれに透明なオレンジ色の液体が満たされ、その中に何かが浮いている。やがてオレンジ色の液体が抜かれ、液体の中で浮いていた何かは、液体が排水溝に流れるに従い、筒の底にゆっくりと下りていく。そして液体が空になると、火がついたように泣き出した。

 歪んだ景色と、それに続いて訪れる別の景色。
 闇の中。
 一筋の光もない部屋。
 そう、ちょうど今彼らがいるのと同じような、寝台しか家具のない殺風景な部屋。そしてその寝台の上に座っている。他の寝台にも誰かが座っていて、その手足には――

「!」
 アーネストの頭痛が引くと同時に、スペーサーは何かを聞きたそうな目をして、彼の顔を見ていた。
「そうだよ……」
 アーネストは汗びっしょりになっていた。
「そうだよ、いたんだよ、『ここ』に……」
 ひどく掠れた声が、アーネストの口から出てくる。
「ちょうどこんな風に部屋の中に閉じ込められて、どこへも出ていけなくて――」
「……」
「暗い部屋の中に、ずっとずっとい続けて――出されたんだよ! あの白い建物の中に!」

「その通り」

 どこからか声が聞こえた。だが部屋の何処を見ても、声の主はいない。天井から声が降ってきているようだ。年の頃は五十を過ぎているかと思われる。声にあまり張りがない。
「二十年ぶりに見る顔だな。戻ってきたのは、サンプル680とサンプル1090か。サンプル544はまだ戻らずにいるようだが、まあいい。一般的な能力しか持たん奴はあまり狙われんように仕込んであるからな」
 独り言のような言葉が続く。
「それにしても、まさかサンプル680があの方と一緒だとはな。どうりで奴らが執拗に狙うはずだ」
 部屋の中でただ声を聞いている二人には、この声が何について喋っているのか、全くと言っていいほど理解できない。サンプルとは一体何のことなのか。声の言う『あの方』とは誰の事なのか。
 声は再び、二人に向けられたようだ。
「思い出しかけているようだな。これからはまた薬の改良が必要だな。それよりも、お前達の顔を見るのは懐かしい。一番出来の悪いサンプル680がこれほどまでに長く生き残ったとはな」
「一体何の話だ!」
 アーネストは部屋の天井に向かって怒鳴る。しかし、返答は無い。声は、話をやめてしまったようだ。
「何だ、あの声は」
「わからない。だが――」
 スペーサーはだるそうな声を出す。
 やや間があった。
「あの声を、聞いた覚えがある」

 白い部屋。
 明るい光が天井から降り注ぎ、部屋中に様々な種類の機械が置かれ、稼働している。
 白衣を着た、二十人ばかりの、研究者風の人間達。いずれも歳は四十を越えていると思しい。
「そろそろ、今日のぶんの『見世物』を開始しなくては。足りないぶんは、もう補充してあるんだろう?」
「もちろん。いつか戻ってくるとは思っていたが、戻ってくるまでにこれほど長くかかるとは思わなかったな。余計な抵抗をし続けたせいだな」
「それよりも、歴代の個体の中で最も出来の悪かった680が戻ってきたのは本当か?」
「もちろん本当だとも。ここから出したときには暴走を何度起こすか解らない不安定な状態だったが、どうやらその後も投与し続けた薬のおかげで暴走を免れていたらしい」
「しかし、個体としての出来は最悪とはいえ、改造には他のサンプルの数倍の時間と費用がかかるんだ。こちらとしてもあまり長く生き延びてもらいたくはない。さっさと還元して、サンプルのDNAを採取し直して研究のやり直しをしなくては。今度こそ、不安定さのないDNAを作り出すんだ」
 部屋に響くブザー音。
「お、そろそろ始まるようだな。準備はいいか?」
 部屋の中の機械が一斉に唸りをあげた。

 首にはめられている枷が急に熱を持った。
「熱っ」
 アーネストは思わず首を押さえる。首枷は熱くなるだけでなく、少しずつ小さな触手のようなものを伸ばして、首の中に入り込んでいく。しかし痛覚など感じない。この触手は少しずつ首を伝って頭部を目指して進んでいった。
「何だこの首輪……!」
 首枷が熱を持ってわずか数秒。触手は痛みを与える事無く頭部に到達し、脳の一部にアドレナリンを分泌させながら、潜り込んだ。
 触手から、薬が滲み出てくる。そしてその薬が脳細胞の隅々にいきわたるまでに時間はかからない。急激な気分の悪さと吐き気が伴い、アーネストは思わず床に倒れこんだ。最初から横たわったままのスペーサーは、気分の悪さと共に、自分の頭の中身が溶けていくような奇妙な感覚を覚えた。
 少しずつ目蓋が閉じられ、視界は再び闇に覆われていった。


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