第7章 part2



《都市》の中でも、最も金持ちの者たちだけが集まって構成される、第一地区。第五地区に対する警備対策に匹敵するほど、その警備は厳重だ。しかし壁を高くしているわけではなく、専用のガードマンを他の地区から雇ったり、《都市》の管理課に袖の下を送って特別に最新型の警備システムを開発させたりと、その実様々な方法で第五地区とは違う警備体制の下で、住人は生活している。
 金持ちばかり集まったこの第一地区の中で、特に警備体制が厳重であり尚且つ最も豪華な屋敷がある。この第一地区管理人の屋敷だ。第五地区を除き、ほか全ての九つの地区には、それぞれ地区の管理人が存在している。
 屋敷の側には大きなドームがあり、第五地区中央にある白いドーム状の建物と見た目が似ている。
 さて、この第一地区の管理人の屋敷。確かに今でこそこの地区一番の金持ちであるが、数十年ほど前までは、この地区一番貧しいと言われてきた。もちろん、貧乏と言ってもこの第一地区の基準から見れば貧乏なのだが、他の地区から見れば一生遊んで暮らせるほどの十分な金持ちである。
 その昔は貧乏な管理人だったのだが、ある時から急激に金が懐に入りだし、今では第一地区の管理人の地位を手に入れて、この地区の中央に屋敷を構えてドームを新設した。どこから金が入ってきたのかは不明であるが、ドームの用途はスポーツ会場だとも賭博場だとも言われている。しかしながら、実際にドームの内部に入った者はいない。管理人と、管理人の近親者、ごく一部の者のみが立ち入りを許されている。
 管理人は、年の頃四十。贅沢を極めた上等のスーツを着て、手にはダイヤモンドの飾りのついた指輪をいくつもはめている。綺麗に撫で付けられた黒い髪は丁寧に梳られている。片眼鏡をつけ、やや肥満気味であるもののそれでも十分にスーツを着こなせる、そこそこの背丈。
「父さん」
 子供の声。
 ユーニスが、いる。
 アーネストと初めて出逢った時の、あの服装だ。白いワイシャツに半ズボン、少し動きづらそうな上質の皮で作られた靴。ほどいた黒髪はまた結われている。
「どうして、僕を連れ戻したの」
「決まっているだろう、息子よ。お前をあのままあの檻の中に入れておくわけにはいかんのだ。あの檻の中には、無数のサンプルとクローンを投入してある。奴らの潰しあいにお前が巻き込まれでもしたら、私の胸は悲しみで張り裂けてしまうぞ」
「……巻き込まれたよ、何度も。でもそのたびにアーネストに助けてもらって――」
「ああ、お前が一緒にいたあのサンプルか。報告によれば、情緒面での制御は少し失敗しているが、それなりに上手く適性生活は送れていたようだな。あれだけ長く生き残れたとは驚きだ。とにかくお前が無事でよかった。いつお前があの地区の者に解剖されるかとずっと冷や冷やしていたぞ。もう家出なんかするんじゃない」
 ユーニスの言葉を遮り、管理人は口ひげを撫で付ける。そして、黒檀のデスクの上に置かれた純金の腕時計をとった。
「おや、もう時間だな。ユーニス。お前もそろそろあのドームの中で何が起きているかを詳しく知りたい頃だろう、あの檻の中でしばらく生活していたのだからな、さあ、行くぞ」
 有無を言わさず、管理人はユーニスを連れて行く。ビロードの絨毯の敷かれた廊下を通り、エレベーターに乗る。エレベーターが下りた先には、すわり心地の良さそうな高級なソファが置いてあるだけの小さな部屋があった。その部屋がスーッと動く。どうやら床にレールが敷かれているようだ。通路を滑っていき、着いた先は、大きな窓がある、貴賓席。美酒珍肴が並ぶ小さな棚とテーブルがある。窓から見えるのは、大きなグラウンド。ドームの中であることは間違いない。天井がある。そして、円形の壁一面に、貴賓席がある。その数は軽く百を越えるだろう。
 ユーニスは、窓からの景色を目を丸くして眺めていた。年代ものの高級なワインをグラスに注ぎながら、管理人は言った。
「すごいだろう? この地区に作られた唯一の巨大な娯楽施設だ。この施設には、ごくごく一部の者しか立ち入る事は出来ないようになっている。いわば会員制というやつだ。ほら、娯楽の続きが始まるぞ」
 薄暗いグラウンドに、天井から光が降り注いできた。薄暗いグラウンドが明るく照らされる。同時に、各貴賓席に人の姿がちらほら見えてくる。
 貴賓席のブザーが鳴る。ユーニスはぎょっとして、父を見る。しかしワインを飲みながら相手は笑ったまま。
「始まるぞ」
 ゴング音。
 この円形のグラウンドは、床がエレベーターのように上がってくる仕組みになっている。一度グラウンドが降りて、光の届かない闇の中へ潜る。数秒後、再びグラウンドが姿を見せた。だがこのグラウンドには、小さな檻が備え付けられていた。そして、その檻の中に入れられているのは――
「あっ」
 ユーニスは思わず声を上げ、窓に顔を押し付けた。
 二つある檻の一つに、アーネストが入れられている。手足の枷は外されているが、首枷はそのまま。そしてその首枷から伸びる触手は彼の体内にもぐりこみ、彼を内部から操作している。
 遠くて見えづらいが、ユーニスは確かに、アーネストの横顔を見ることが出来た。
 死んだ表情。
 明らかにアーネストは自分の意志でここに立っているのではない。
 二人の能力者は檻から出される。それと同時に、首枷が赤く光を放つ。
「始まるぞ」
 父の声。ユーニスは目を大きく見開きながら、目の前で何が起こっているのかを凝視した。
 首輪が赤くなると同時に、二人の能力者の姿が変わる。体つきが一回り大きくなり、着ている服が体の膨張に耐え切れず、破れる。獣の体毛が生え、二足歩行のまま、獣の姿に変わってゆく。
 獣の咆哮が響く。
 グラウンドに立っているのは、二足歩行の狼とハイエナだった。互いに喉を唸らせ、牙をむき、敵意をむき出しにしている。
「能力を一部だけ暴走させると、あんな風になるんだ。わかっただろう? これで準備は整った」
 青ざめたユーニスの背後で、明るい笑い声。
 狼とハイエナが、まるで戒めを解かれた猛犬のごとく、互いの獲物に飛びかかった。ハイエナは片腕を失っているが、《捕獲屋》との戦いで失ったのだろう、それでもハンディを気にも留める事無く突っ込む。
 狼が迎え撃つ。狼は遠慮なく、片腕の痕を容赦なく尖った爪で抉る。同時に強靭な脚が相手の腹を蹴った。倒れるハイエナだがすぐに飛び起き、狼に突進する。左肩に噛み付かれたが、狼は怯まず爪で相手の背中を裂き、ハイエナが悲鳴を上げて後ずさったところで、押し倒し、喉笛を食いちぎって息の根を止めた。
 ゴングが鳴り、戦いが終わった事を表す。狼はまだ殺したりないといった様子で、周りを見回していたが、首枷から発せられた電流により、意識を失った。
 狼は檻に戻され、死亡したハイエナは死体袋につめられて運び出されていった。
 グラウンドが降りていく。貴賓席からは、それぞれ、嬉しそうな顔やがっかりした顔が見受けられる。
「本日最後の試合が始まるぞ」
 父の言葉を、ユーニスは聞いていなかった。瞬きもせず、グラウンドのあった場所を見つめ続けている。
 目をそらせなかった。
 ゴングが鳴る。少し経って、グラウンドが再び上がってくる。
 今度も檻の中に能力者が入れられている。片方は、腕がやたらと伸びた、伸縮系の能力者、そしてもう片方の檻にはスペーサーが入れられている。
 管理人は、片眼鏡を動かす。
「あれか。歴代の個体の中でも、最も出来が悪いといわれていたサンプルは。干渉系の能力は改造が難しいから、制御の仕方次第では、感情も能力も暴走する極めて危険な奴だ」
 出血で血が足りないのか、スペーサーはふらふらしながら、立っている。首枷が赤く光ると、彼は檻にもたれかかったが、それでも、片手につけられた金属の腕輪から見て、戦う気は満々のようだ。
 伸縮系の能力者が腕をものすごい勢いで伸ばす。スペーサーは腕輪に触れ、巨大な盾を作り出す。腕が盾の周囲を取り囲むが、盾が急に棘だらけになり、攻撃を弾くと同時に腕を突き刺す。防御と同時に攻撃を行っているのだ。金属の棘は勢いよく伸びて、無数の槍に姿を変える。伸びた腕はすぐに引っ込むが、槍の飛来速度の方がはるかに速かった。引っ込み続ける腕を突き刺し続け、最後には、能力者の全身を、余すところなく槍が貫いた。
 ゴングが鳴り、試合終了を表した。
 立っていられなくなったのか、スペーサーは檻の中にへたり込んでしまった。そのまま檻は閉まり、金属の槍は元の腕輪に戻る。対戦相手は死体袋につめられた。
 グラウンドが降りていった。
「これで今日の娯楽は終了だ。ユーニス、楽しかったかい。……おお! あの出来の悪いサンプルへの《投資》が始まったぞ! さすがに珍しい能力を持つ、めったにお目にかかれない個体だな」
 笑う父の話も耳に入らない。ユーニスは、身震いが止まらなかった。
 昔、父はこのドームを《娯楽施設》と言った。このドームの中でどんな娯楽が行われているのか、ユーニスは知らなかった。娯楽というからには何か楽しい事が行われているのだろう、そう思っていた。
 だが今、娯楽の正体を知った。
 能力者同士の殺し合いだ。
(こんな事が、この中で行われてたの……?)
 血塗れのグラウンドを凝視したまま、ユーニスは身を震わせ続けていた。


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