第8章 part1
深夜前。
雨が降っている。
闇から、バケツをひっくりかえしたような大雨が降ってくる。病院の窓ごしに外を見て、ヨランダは溜息をついた。
「色々とツイてないわねえ」
アーネストとスペーサーが《捕獲屋》に捕まってから、二日が経過した。医師が一人減ったとはいえ、病院の日常はあまり変わらない。いつもどおり、医師たちは患者を診て、アルバイトはくるくると忙しく病院を動き回っている。
以前にも院内の医師やアルバイトが《捕獲屋》に捕えられたことがあった。そして彼らは戻っては来なかった。そのこともあり、病院内での混乱はあまり大きくはならなかった。この地区では、能力者が《捕獲屋》に捕えられてしまうのは、ごく当たり前の事だから。
それでもヨランダにとっては気の沈む出来事であった。あの白い建物の中で暮らしていたときから知っている子供の中で、最後まで捕まらずに生き残っていたのが彼らだったからだ。昔からのつきあいが長い分、いなくなった時の喪失感は非常に大きい。
窓に映る、雨の向こうの景色。大きな雨粒が窓をひっきりなしに叩き、夜ということもあり、いつもなら見えるはずの病院の中庭がよく見えない。《捕獲屋》の姿も無い。急激に増えた《捕獲屋》は、二人が連れ去られた後は、ぱったりと途絶えてしまった。まるで、最初から彼らを狙っていたかのように。
(そりゃスペーサーは昔から狙われていたから仕方ないけど……。でもそんなにたくさんの《捕獲屋》は入ってこなかった。急に増えたのは――)
ユーニスが来たときからだ。そして、ユーニスがアーネストと共に姿を消してからは、《捕獲屋》はぱったりと病院に姿を見せなくなった。
稲光。
雷鳴で照らし出された窓に映る、巨大な円筒だらけの部屋。何かの液体で満たされた円筒の中には、正体のわからないものが入れられている。やがて円筒の底から大きな泡がいくつも登ってきて、その正体のわからないものを包み込む。ほんの数秒足らずで、泡はすべて消えたが、円筒の中に入れられていたはずの、正体のわからないものも、消えていた。残されたのは円筒の中に満たされた液体と、ほんのわずかな、何かのかけらだけだった。
朝七時半。
夜間の雷雨が嘘のようだった。
ユーニスは、上質の羽根布団の中で目を開けた。ビロードの幕のついた天蓋つきベッドに身を起こす。夢見は悪かった。この二日間、あのドームで、能力者同士の殺し合いを見させられたのだから。昨日で、四日続いたコロシアムのイベントは終わったとはいえ、ユーニスにとっては地獄のような日だった。
しばらくすると、おはようございます、とメイドが入室して声をかける。メイドはユーニスに朝食を出し、てきぱきとカーテンを開ける。昨夜の暗雲がなくなり、すっきりとした晴天。太陽の光が、塵一つない部屋の中に差し込んでくる。しかし晴れた気持ち良さそうな天気に反して、朝食をとるユーニスの顔は暗かった。メイドは彼の表情に気づかず、彼の着替えをタンスから取り出している。
食後、ユーニスは服を着替えて、メイドに髪を梳いてもらう。彼女が髪を結おうとするのを、ユーニスは止めた。今日はいいから、と一言だけ。メイドは、わかりましたと素直に返事したが、その顔に疑問符を浮かべていた。
メイドがベッドの整理をしている間、ユーニスは部屋の外へ出た。廊下は丈夫な防弾ガラスで出来た窓が一面、光を取り込んでいる。ガラスの向こうに、この第一地区の建物が並んでいるのが見える。そして、そのはるか向こうには、他の地区から非正規の方法で入ろうとする者を遮断する、この《都市》最先端の科学技術を使ったバリアの光が目に入る。
「ユーニス」
声が聞こえた。見ると、いつのまにか、父親が彼の近くまで来ていた。外を見ていたため、気がつかなかったのだ。
「あ、父さん……」
「髪を結っていないのか? あのメイドめ、また確認忘れを――」
「違うよ! 今日は結いたい気分じゃないんだよ、だから、してもらわなかったの!」
ユーニスは慌てて否定する。父親は上質の煙草をつめたパイプをくゆらせていたが、やがて頷いた。
「そうか。そういえばユーニス。お前もそろそろ、あのドームの地下にある研究所のことを、もっと知ってもいい頃だな。以前は少しだけ、研究所の一面しか見せなかったからな。その後にお前が家出したから、てっきりお前があの研究所の事を管理塔まで告げ口しに行くとばかり思っていたぞ」
「……」
「もっとも、例えお前が告げ口をしたとしても、管理塔の主要な連中には色々と手を打ってあるからな。そう簡単には外部に娯楽施設のことがもれることもないがね」
歩き出す父親の後を、ユーニスは少し離れて追った。
「所詮は役所仕事。管理塔の管理部の連中は決まった事しかしないからな。それに、給料は高いが毎日同じ業務では物足りないから、連中は刺激を求めている。だから、連中を招待しているのだよ、あの娯楽施設に。今のお前はまだわからないだろうが、あの研究所を維持するには膨大な金が要る。だから、役所仕事の連中の財布の紐を緩めてやるわけさ」
書斎に着く。見た限り、ただの書斎だが、先日は、あのドームの内部へ行くための通路にもなった。
壁のカーテンの陰に隠れたボタンを押すと、本棚の一つがスーッと動く。エレベーターだ。エレベーターは、機械独自の振動と音を出しながら、滑らかに降りていく。階の表示を見ると、二階、一階、地下一階、地下二階となっている。そして地下二階が終着点だった。
「お前が見たのは、この場所だけだったな。ここは、サンプルの人工授精を行っているところだ。サンプルには生殖能力が無いからな。我々が受精させてやらねばならん」
無数の試験管が立ち並ぶ部屋。ユーニスはこの部屋しか見たことが無い。
次の部屋のドアを開ける。指紋認識システムになっており、ユーニスがドアに手を当てても開いた。
「ここは、人工授精後のサンプルを人工羊水の中で育成しているところだ」
天井からのライトに照らされた広々とした部屋。その中に立ち並ぶのは、薄いオレンジ色の液体に満たされた、ガラスの円筒だった。そしてその円筒一つ一つに、へその緒を思わせる人工の管がついた、成長段階の赤子が入れられている。大きさと形体からして、五ヶ月目と言ったところだろう。
ユーニスは、なぜか胸がむかついてくるのを感じた。父親はそれに構わず、円筒の中の赤子を見る。
「ふむ。順調に成長しているようだな。わずか一体でも不良品があってはならん」
「不良品?」
「そうだ。先天的に能力が使えない個体も中にはいるからな。この成長段階でも絶え間なく遺伝子の状態を調べ、もし、能力が何も使えない不良品だったら――」
手の中のパイプをくるくるともてあそぶ。
「遺伝子レベルで分解するのさ。役立たずに回す栄養など無いからな」
ユーニスの顔は一気に青ざめた。
息子の事など意に介さず、次の部屋のドアを開ける。
「成熟したサンプルたちは、一度羊水の管から出された後、この部屋に移されるんだ。ここで能力ごとに番号を振り、管理しやすくする。今はまだどのサンプルも成長しきっていないから、この部屋には誰もいないがな」
広々とした長方形の台がある。台の隅においてあるのは、能力者の赤子に番号をつけるための器具だろう。注射器の形をしている。
「サンプルは、あの薬に対して特定の反応を示す。反応は能力ごとに違うからな、それに応じて番号を振るんだ」
腕章のような形をした小さな輪が、台の側にあるケースの中で。重なり合っている。あの腕章らしきものに番号をつけ、赤子に装着させるのだろう。
次の部屋へ入ると、そこは、先ほど見てきた部屋と同じく、円筒が並んでいる。が、その中に入っているのは人工羊水ではない。純粋な暗色の培養液だ。そしてその培養液の中でへその緒らしき管を通じて育成されているのは、赤子ではなく、成人の能力者だった。皆、同じ顔、同じ体格をしている。
「あれは第五地区へ放す為のサンプルのクローンだ。娯楽のためにサンプルを数体捕まえさせるだけでなく、より優れた遺伝子を持つサンプルに改良を施してクローンを新しく作り出すための試作品にもなる。もちろん、姿を知られることのないように少々奇抜な格好をさせているがね。受精卵から育てる必要がないから、コストも半分で済む」
「サンプルを捕まえるって……それって《捕獲屋》のこと?」
「ん? 《捕獲屋》だと? 第五地区のサンプルたちは、このクローンのことをそう呼んでいるのかね。まあ、目的としては似ているがね。地区にいるサンプルたちを、コロシアム用と遺伝子改良用の用途で捕まえてくるのだから」
笑いながら、父は言っている。ユーニスは自分の背筋に冷たいものが流れたような感覚を覚えた。
「捕まえるためにあんな危ないものを持たせてるの!?」
「危ないだと? ナイフや麻酔銃の装備でも不充分なぐらいだ。一部のサンプルの遺伝子には、変えることのできない特殊なモノがある。闘争本能を高める効果があるそのモノを持つサンプルを相手にするには、あれだけの装備では不充分。確実に捕えるための対策としては、もっとクローンの数を増やすか、さらなる重装備にするかだが、コストを抑えるためにクローンでまかなっている。量産型でいくら弱いクローンでも、大勢でかかれば何とかなるというもの」
そして、パイプをくゆらせながら歩き出す父の背中を、ユーニスは恐怖の眼差しで見つめた。
地下研究所の、最後の場所。それは、別棟。
「この棟では、生まれたサンプルをここで約四年ほど育てる。もちろん、子供のうちは情緒がやや不安定で、能力の暴走も起こしやすいからな、専用の枷で能力を封じている」
無機質の廊下は果てしなく長く、天井から降り注ぐライトの光を冷たく反射する。廊下には番号のついた重そうなドアがついている。
「時期がきたら、第五地区へ輸送する。もちろん、この場所で育った記憶は皆、薬で消してしまうのさ」
「どうして?」
「昔の事を思い出されると困る。あの地区から出て、この場所の正体を突き止めようとするかもしれないからな。あのサンプルたちは、あの狭い第五地区でのみ生かされる限定された存在だ。外に必要以上に知れ渡ったら、我々の立場も危うくなる。他の地区の連中が押し寄せて、この地区丸ごとを見世物小屋に変えてしまうだろうからな。そうなるよりは我々が第五地区でサンプルを保護してやり、外の世界を知らせずにしてやったほうが親切と言うものだ」
「そうなのかな……?」
ユーニスは自分の呟きに、自分で答えを出す事ができなかった。
研究所から戻った後、ユーニスは、自室に戻り、窓から外を見た。あんなに綺麗に晴れていたはずの空は、また、曇り始めている。遠方のバリアの光の向こうに、山が見える。暗雲が垂れ込めている。時々、暗雲がピカピカ光る。きっと山の方は雷がなっているだろう。
ふと、無邪気に笑って話す、アーネストの顔が浮かんできた。
『俺はいつか、この地区を抜けて外に行くんだ。そんでもって、《都市》の外の世界だって、見てみたいんだ。この世界ってのは、《都市》だけじゃないんだろ』
「外の世界ってさ、あんたが思ってるほど、すごいものじゃないんだよね……」
ユーニスは、肩を震わせて、カーテンを握り締めた。
「それに、あれはれっきとした条例違反じゃないか……」
窓を、ポツポツと雨が叩き始めた。
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