第8章 part2



 ドームのコロシアムで戦わされた能力者たちは、研究所とは別の方角にある地下の建物の中に監禁されている。
 能力ごとに、区画が分かれている。最もポピュラーな、変身系の能力者には一番広い区画があてがわれている。
 変身系の能力者は、能力を半ば暴走させられた状態で、獣の姿のまま、一体ずつ檻の中に閉じ込められていた。首につけられた奇妙な枷は、脳まで食い込み、能力を暴走させる薬物を分泌し続けているが、決して完全な暴走を起こさせる事はない。
 檻の中の獣たちは、隣り合った檻に入れられている獣を獲物とみなし、絶えず攻撃しようとする。檻同士の距離は約一メートルずつ離れてはいるものの、それでも飛びかかっては格子に体をぶつける。格子に流れる電流が、ぶつかった拍子に体を流れ、痛みで格子から下がるも、闘争本能の高まった状態では学習能力など失われる。チタンの格子に触れれば痛みが走るということも覚えない。ひたすら獲物を狙って飛びかかり、格子に当たっては電流を体に受ける事の繰り返しだった。血と獣の臭いが、この部屋の中に充満し、常人ならば、獣の爪や牙にかかって殺される前に、ここから一秒でも早く逃げ出したいと思うであろう。
 その区画のドアが開けられて、誰かが入ってくる。
「本当にここに入りたいのか? サンプルたちは眠ってすらいない。いつ爪を立てられるかわからんのに、入りたいのか?」
「うん……ちょっと、ちょっとだけね」
 ユーニスは、父に、頼りない笑みを浮かべて言った。
 この区画の内部は獣と血と、電流で焦がされた皮膚や毛の臭いで溢れている。第五地区の《捕獲屋》の血の臭いに匹敵するほどの悪臭だ。ユーニスは吐き気がしたが、何とかこらえた。この部屋に来たいと父にだだをこねて、何とか連れて来てもらったのだ。今更戻るわけにも行かない。
 ユーニスは、薄暗い中、父を入り口に待たせて、通路を歩く。檻同士は一メートルほどしか離れていないが、檻を運ぶ通路は幅がそれ以上に広く、そう簡単に獣の爪や牙にかかる心配はない。が、獣達のすさまじい迫力に、ユーニスはびくびくし通しだった。
 アーネストは変身系の能力者だ。だからここにいるはずだというユーニスの考えは、当たっていた。
 檻の一つに、見覚えのある狼が入れられているのが見える。伸縮系の能力者と戦った際に、いやと言うほど壁に体をぶつけられたので、片腕を痛めている。しかしそんなこともお構いなしに、獲物となる相手を見つけては、牙をむき、闘争本能の命じるままに檻の格子に体当たりを仕掛けている。当然、電流に阻まれ、痛みで一旦しりぞくが、再度獲物を探して目をぎらぎら光らせ始める。
 狼が、退いた時にユーニスの姿を視界に捉える。ユーニスは、恐る恐る、狼の檻に近づく。狼が自分の方を見ていることはすぐわかった。狼の鼻がヒクヒク動いている。こちらの臭いを確かめているのだろうか。
「ね、ねえアーネスト――」
 ユーニスが声をかける。
 刹那。
 狼が飛びかかり、格子の隙間から腕を伸ばしてユーニスを裂こうとした。ユーニスは突然の事に仰天して腰を抜かし、檻の格子が電流を流す。狼は体を流れる電流に痛みの鳴き声を上げ、慌てて退く。しかしすぐに体勢を整え、喉をぐるぐる鳴らして、ユーニスをにらみつけた。
 その目に、人間だった頃の、あの情熱的な光はない。あるのは、引き裂くための獲物を求める、貪欲な獣の目だった。
 ユーニスは、しばらく腰を抜かしたまま、狼を見つめていた。狼はまたしても飛びかかってきたが、再度格子と電流に阻まれた。ギャンと鳴き声をあげて退いた狼を見て、ユーニスは顔を伏せた。
「……もう、僕のこともわからなくなっちゃったんだね」
 ユーニスは立ち上がり、通路を歩いて部屋を出る。獣達の唸り声や電流を食らって痛みを訴える鳴き声など、彼の耳には入らなかった。
「気が済んだのか、ユーニス」
「うん……」
 ドアが閉められ、この区画はまたしても暗闇に閉ざされる。その中で、獣達の鳴き声やうなり声が絶えず聞こえていた。


 干渉系の能力者はその個体数自体が非常に少ないため、建物の区画の中でも一番小さな場所をあてがわれている。そして、その個室の寝台の上で、スペーサーが眠っていた。その間に、研究所の研究員達が彼の手当をしたり、遺伝子情報を採取したりと、何かと世話を焼いている。能力の暴走を抑えるためと、彼自身が《捕獲屋》に捕えられる際に深手を負ったため、その治療を行うためである。コロシアムでの戦闘後は、この場所に移され、部屋に送られてくるガスで眠らされているのだ。
 希少な能力を持つ個体だから投資額も多いのだが、さっさと研究所に送りたいと、研究者はぼやく。ものめずらしさで彼に多額の金を賭ける者が多い。研究の資金になるのはもちろんいいことだが、研究者としては、能力者の中で最も不安定要素に満ちたこの遺伝子を研究しなおしたいところ。コロシアムで戦わせるより、さっさと研究所に移してしまいたいのだ。
 昨夜のコロシアムでの戦闘後、スペーサーはこの部屋にまた移され、手当をされた。先の戦闘では、音波系の能力者にひどく脳をやられ、戦闘不能ぎりぎりまで追い込まれたのだ。普通の人間ならば脳を破壊されているところだが、能力者はその数倍以上の耐久力を持つ。脳を完全に破壊されずに済んだのだ。それでも一歩間違えば、各脳の働きに異常をきたしかねない状態だった。
 各種手当が終わり、研究員達は小部屋から去った。
 闇に閉ざされたこの小部屋の中で、一人、彼は夢を見ていた。
 白いドームでの生活が始まったときの夢。最初はよく泣いていた。また、能力の制御も下手で、訓練専用の部屋ではいつも彼一人だけが居残りとなっていた。
 食事代わりのカプセルや水薬に混じって、彼には別の薬も与えられた。一錠の黒い錠剤だったが、それを服用すると、しばらく頭の中がとろけたような感覚に襲われた。
 その薬の効き目は、数週間もたたないうちに表れた。彼は少しずつだが、何も感じなくなってきた。悲しい話の絵本を見ても何も感じず、他の子供たちが泣いているのに、彼だけは泣かなかった。楽しい話の絵本を見ても何も感じず、他の子供たちが笑っているのに、彼だけは笑わなかった。
 頭の隅がどこかぼうっとして、起きているのか眠っているのかよく分からなくなった。他の子供たちが何人かで固まって遊んでいるのに、大概彼は一人でグラウンドや部屋の隅にいて、子供たちが遊ぶのをじっと眺めているだけだった。なぜか誰かと親しくなりたいとは考えていなかった。実際、何も考えていなかったというほうが正しいかもしれない。
 子供たちがドームから外へ出される日、彼は他の子供たちが外へ出て行くのを見送った後、灰色ずくめの者たちにまたドームへ連れ戻された。彼には理解できない様々な内容のテストを一週間ほど受けた後、最後にあの黒い錠剤を飲まされ、やっと彼は外に出された。
 外に出た後、触れた相手の肉体をドロドロに溶かす液化系の能力を持つ病院の医師の一人に保護されつつ、彼は医学を学んだ。能力を使って《捕獲屋》を倒す事を覚え、その医師の後を何処へでもついていった。無感動で愛想のない子供だといわれながらも。
 彼が十九歳になったとき、彼を保護し続けてきた医師は、死んだ。原因は、例の奇病。医師が頭痛に悩まされるようになったのに気づき、彼は何とかその医師の頭痛を治療しようと様々な医学書を読み漁った。その医師を何とかして助けたいという、自分でも正体のわからない思いに突き動かされていた。
 だが、彼の奮闘もむなしく、奇病を治すための方法は何一つ見つからなかった。麻酔で痛みを一時的にやわらげる事しかできなかったが、彼がその医師のためにしてやれる精一杯の方法が、それだけだった。頭痛の間隔はどんどん短くなり、痛みは増す一方だった。勉強中の身であった彼にはもう手の施しようがなかった。
 死の寸前、麻酔が切れて激しい頭痛に襲われたその医師は、激痛をこらえ、彼の手を取って、にっこりと笑いながら、ありがとうと囁いた。その時彼は、胸に何か熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
 病院の裏手にある墓地で埋葬が終わった後、大粒の雨に打たれながら、彼は一人、墓前で涙を流した。
 感情を失った彼が、初めて悲しみの感情を表に出した時だった。

 闇に閉ざされた部屋の中、夢を見続けるスペーサーの頬に、一筋の涙が流れていった――。


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