第9章 part1



 この《都市》は、世界中に点在する無数の《都市》のひとつである。《都市》同士の交流はあまりなく、貿易も無い。基本的に、食料も衣料品も治療品も、自給自足だ。
 この《都市》の、第五地区のスラム街で、今で言う能力者が発見されたのが今から百年程前のこと。人間には決して持ち得ない能力を持つ彼らは、ごく少数しかいなかった。第五地区で瞬く間に有名になった能力者は、《都市》の管理塔から派遣された研究員達によってことごとく捕えられた。
 数年間の研究の末、遺伝子の突然変異によってこのような能力と、人間離れした身体能力を生まれながらに持っていることが判明した。そのかわり、能力者には生殖能力が欠けており、子孫を残すことの出来ない体だった。そして、幼年期の能力者は情緒も能力制御も非常に不安定であった。
 能力者たちには、《都市》の管理塔からじきじきに保護条例が出された。遺伝子の研究によって彼らが子孫を残せるようにし、第五地区から人間を他の地区へ移住させて能力者だけを住まわせることで能力者の生活基盤を確保させた。能力者の存在は、他の地区にはもうすでに知られていることだったが、管理塔がどの地区の人間も立ち入る事ができないように厳重な警備体制を敷いていたので、どの地区の人間も第五地区へ入ることは出来なかった。第五地区には高い壁が作られ、その壁のてっぺんに対人レーダーを設置する事で外部からの侵入を防いだ。遺伝子の改造や人工授精、情緒を安定させる薬物を幼年期のうちから投与するおかげで、能力者の数は順調に増えた。管理塔に名前と戸籍が登録され、普通の人間と同じような生活を送るようになった。
 だが、能力者の中に、奇妙な症状が現れ始めた。風邪やインフルエンザにかかっているわけでもないのに――もとから人のかかる病全般に対するウィルスに免疫があるため、かかるわけがないのだが――頭痛がするという。管理塔の研究者が入念な調査をした結果、その頭痛は能力を頻繁に使う能力者に表れる症状と判明した。能力の使用には自身の細胞を消費する。ヒトの細胞数や細胞分裂回数は決まっており、能力者の細胞数も細胞分裂回数もヒトと同じであるため、能力を使用するということは、自身の寿命を縮める事につながる。これ以上使うと危険だという警告が、軽度の頭痛と言う形で現れている。頭痛がひどくなり、間隔も短くなるのは、寿命が近づいているという事。頭痛はあくまで身体からの警告であり、一定の期間を過ぎれば治る。だが、一度頭痛の症状が表れた能力者は、例外なく、短命である。頭痛が治っても、十年以上生きられた者は極めて稀だった。それほど、遺伝子の変異で生まれる能力者は、不安定な遺伝子を持っていたのだ。

 能力者を保護して子孫を増やすという条例のもと、この頭痛を含めて様々な遺伝子情報を解析し、あるいは改良して寿命を延ばすために作られた研究所だが、その研究所の所長は、ユーニスの曽祖父であった。第一地区の中でも、奇妙な研究に没頭して財産をおかしな器具や薬物に使っている変人として知られていたユーニスの曽祖父は、この研究所の所長を自ら引き受けた。彼は能力者の遺伝子の研究に没頭し続けたが、その一方で、第一地区でもそこそこ持ち合わせていた財産を施設の維持費として使い続けていた。家は少しずつ落ちぶれていった。
 ユーニスの父の代になったとき、彼は能力者を使って、落ちぶれかけた家を建て直そうと考えた。研究所内部に残っている様々な能力者の遺伝子情報や、頭痛の治療のために第五地区からひそかに運び出された能力者を使って、クローンを何体か作った。遺伝子操作によって能力者を生み出す研究が続けられていたのだ、クローンを作るぐらい、簡単な事だ。そして出来上がったクローンたちを第五地区へ放し、能力者を捕まえてこさせる。ある程度数が揃ったところで、脳内に薬物を分泌して闘争本能を極限まで高める特殊な首枷をつけて戦わせる。能力者という異質な存在が第五地区で生活している事は少しだけ知られているが、実際に目にする事はないため、暇をもてあましている第一地区の住人には新しい刺激となった。ただ一度の戦いだけで、懐には山ほど金が飛び込んできた。この金儲けは成功した。
 もちろんこの新しい娯楽が管理塔に漏れる事のないように、最初は地下の研究所の広い一室にカメラを設置して能力者を戦わせていた。だが、金が唸るほどに貯まってくると、金にものを言わせて第一地区管理人の地位を買い取っただけでなく、自宅の側にドームを新設した。このドームの目的は、あくまで、会員制の娯楽場と管理塔に通知した。ドームの内部では、信頼の置ける住人にだけプラチナ・チケットを発行して実質上の会員制とし、一定期間ごとに能力者同士の殺し合いを行わせ、多額の金を得ていた。
 相変わらず、能力者の遺伝子改良を行う研究は続けられているが、別途の金で、能力者のクローン作成と、試合に出た能力者の手当も行われている。このほかにも、能力者は、第五地区へ送られた後、栄養剤と遺伝子制御の薬以外にもう一つ、ある薬品が脳内に分泌されれば自分の意志による能力制御が出来なくなる甘い味のカプセルを与えられている。
 本来ならば、条例に違反する。能力者を保護する一方で、第一地区での見世物として殺し合わせているのだから。だが、研究所は、研究さえできればいいので、多額の資金援助をしてやりさえすれば大半は黙って従う。そして、ドームの内部で行われる娯楽に、管理塔から来る抜き打ち訪問の役人を招待し、心づけやら何やらいろいろなものを渡す事で、新種の娯楽についての口止めをさせていた。

「今回の収穫は予想以上だな。賭け額も、歴代最悪の個体である680が特に多いな。おまけに、勝っても負けてもどちらでも金はこちらへ転がり込んでくる」
 ユーニスの父は、研究所から渡された書類に目を通し、上質の煙草をパイプでふかしながら、にやりと笑う。書類に書かれているのは、今回コロシアムで戦った能力者たちの勝敗の成績と、各人への賭け額だった。干渉系の能力を持つスペーサーの金額が最も高い。元々、干渉系の能力者を生み出す事自体、研究所内では奇跡レベルの難しさなのだ。その上どの個体も例外なく、他の能力を持つ個体よりも情緒不安定に陥りやすく、能力も暴走しやすい。それを抑える試みとして感情を喪失させる薬を投与し、感情を消す事で能力の暴走を抑えているのだ。本来ならば何も投与しなくとも自分の意志で能力を制御できる能力者であってほしいのだが……。
 他の能力者の中では、アーネストへの賭け額が最も高い。最初は、ポピュラーな変身系ということで低額だったのだが、コロシアムで勝利を重ねるにつれて金額が上がっていったのだ。
「この金額なら、維持費も十分に取れるな。後は管理塔の主要な連中にいつもどおりプラチナ・チケットと少々の心づけを渡しておけば大丈夫だな」
 書類を黒檀のデスクに無造作に放る。
「そういえば、研究所の連中がサンプル680を早く寄越せといってきていたな。フン、まだ研究所には干渉系の遺伝子を冷凍保存してあるくせに。それに、歴代の干渉系の個体の中で、あれは一番出来が悪いはずだ。出来の悪いサンプルを欲してどうする」
 棚から、上等のワインの瓶を取り出し、血のように赤いワインをグラスに注いだ。それから、今度は別の書類を手に取る。この書類は報告書であり、現在別棟にて手当されている能力者の健康状態を調べたものだ。能力者の番号と、健康状態が記されている。
「ふむ。1090の寿命はまだ長い。ふむふむ、あまり能力を使わなかったようだが、どうやら情緒面だけでなく、記憶の消去も不完全だったようだな。何度も研究所での生活を思い出しているとは。対して、680の寿命はかなり縮まっているようだな。相当、能力を使い続けてきたんだな。使わずにいれば、後三十年は長生きできそうなものだが、研究所の連中は早死にを願っている。まったく。それほどあのサンプルの遺伝子が欲しいなら、外に出さずに研究室の中にずっと監禁しておけばいい話だ」
 そこで、思いつく。
「そうだ。研究所の連中も、ある程度サンプル680から遺伝子は採取したはずだ。ならば、もう680に用はあるまい。次の試合で、最後にしてやるか」

 ユーニスは、家庭教師の説明など、全く耳に入らなかった。
 この第一地区に学校はない。それぞれの家が、専用の家庭教師を雇って子供たちに勉強させる。ユーニスの家も同じ。
 ユーニスは、ホワイトボードに書き込まれた様々な公式や図をノートに写すこともせず、家庭教師の長ったらしい眠くなるような話も聞き流していた。彼が聞き流しても家庭教師は気づかない。説明するだけで満足しているのだ。
 溜息をついた。早く勉強時間が終わってくれないかと時計を盗み見るが、午前の部はまだ一時間も残っている。いつもは午前午後ともに二時間だけだが、ユーニスが第五地区へ家出したため、そのぶん勉強が遅れたからと、勉強時間を大幅に延長されてしまったのだ。昼食をとった後、今度は夕方まで勉強しなければならない。
(はあ……)
 第五地区へ家出したころのことを思い出す。あの頃、父から研究所の後を継ぐようにと常々言われていた。研究所が能力者を生み出し、ある程度育てて第五地区へ輸送するための施設だということはわかっていたが、それ以上のことは知らなかった。が、ユーニスは研究所運営に関する様々な勉強にうんざりしていた。日々の勉強はもちろん嫌だが、それ以上に父から課せられる嫌な事は、研究所を運営するのに必要な知識を詰め込むこと。研究所の研究者に合わせた高レベルの遺伝子工学や生物学を初めとして、この歳の子供ではとうてい理解できないような事を頭に詰め込まされていたのだ。そんなわけのわからない勉強より、第一地区の一角にある子供用の娯楽施設・遊園地で遊ぶほうが好きだった。
 そしてユーニスは、第五地区がどんな場所なのか、自分の目で見てみたかった。高い壁に囲まれた場所である事は知っている。その中で、研究所で生み出される能力者が生活しているのも知っている。だが、その地区はどんな場所で、能力者とはどんな生活をしているのか、知りたかった。
 第五地区へ出るには、研究所の裏口から、第五地区のあの白いドームの中へ能力者を輸送する地下トラックに乗っていればよかった。終点まで乗って行って、ドームの中にいる職員に見つかると不味いので、途中で降りて、そのまま歩いていくと、出口につく。
 はずだったのだが、トンネル工事用の出口を登ったため、彼は裏通りに出てしまった。護身術に自信のある者以外はめったに住人は足を踏み入れない危険な場所。そして、突如出現した《捕獲屋》に、襲われる羽目になった。なぜあんなものがいるのかわからず、それでも、彼らに襲われることだけは理解できた。
 必死で逃げているうち、彼は、助けてもらった。
 偶然裏通りを通っていた、アーネストに。
 最初に接触した能力者でもあり、命の恩人でもあるアーネストは、ユーニスに興味を持っていた。そしてユーニスもアーネストを初めとしてこの第五地区全てに興味を持っていた。
 アーネストはドームで暮らす前の記憶は持っていないようだった。親の顔を知らないのも当たり前だ。人工授精で生み出され、研究所で育てられた後、記憶を消されてこの地区へ送られてくるのだから。彼は、外の世界に出たいと願っていた。《都市》だけが世界ではないと知ってはいるようだったが、どうやって出たらいいか方法までは考えてはいないようだった。ユーニスが外の地区から来た存在と言うだけで、アーネストにとっては貴重な情報源であった。あれこれ聞いてくるのも当然。だがユーニスは教える事を拒んだ。ユーニスが《都市》から外へ出たことが無いというのもあるが、もう一つは、能力者に情報を与えると、本当に外の世界へ出てしまうのではないかと警戒したからだ。能力者がこの第五地区の中でのみ生存を許された存在である事は、父から聞かされていた。外へ出て行くことは能力者にとっては死を意味する。そう考えたため、教える事を拒んだのである。
 代わりにアーネストに第五地区の様々な場所へ連れて行ってもらった。全てが薄汚れ、どこか古びている。あらゆるものが清潔で整頓された第一地区とはかけ離れていたが、それでも人間が生活するには十分な施設が揃っていた。路地裏に入れば《捕獲屋》が襲ってきたり、他の能力者同士の争いがあるなどの治安の悪さを除けば、生活するに十分な環境である。そして、能力者たちは、どこから日常雑貨や薬品が送られてくるのかを気にする事もないようだった。
 ユーニスは、能力者がヒトとほとんど変わらないことに気がついた。研究所で育てられた後は第五地区の専用の場所で育てられるのだ、きっとロボットのように皆同じ性格なのだろうと考えていた。だが、アーネストを初めとして、様々な住人と接触するうち、自分の考えが誤りであったと知った。彼らはヒトと同じくらい人間らしかった。体面ばかりを気にかける第一地区の人間とは違っていた。彼らは、ただのサンプルではなかったのだ。ほんの数日間の生活だったが、ユーニスは、彼らが好きになっていた。あの赤と黒のカード、つまり研究所の発行するカード(ユーニスはその意味を知らない)がアパートの部屋の中に置かれているのを発見したときは、ここにいることを知られてしまったと焦って、アーネストに助けを求めたくらいだった。
 だからこそ、第一地区へ、《捕獲屋》に連れ戻されたときのショックは大きかった。麻酔銃で意識を失ったアーネストは別の場所へ移され、ユーニスはそのまま第一地区の裏から連れ戻されたのである。
 一番帰りたくなかった、自分の家へ。

「――というわけでございます。おや、ちょうどお昼時ですな。切りの良いところで、午前の授業はおしまいにいたしましょう」
 家庭教師の声に、ユーニスはハッとする。気づくと、家庭教師はホワイトボードの図や公式を消しているところだった。時計の針は、昼すぎを指している。いつのまにか昼になっていた。
 ユーニスはノートを閉じて、溜息をついて部屋を出た。


part2へ行く書斎へもどる