第2章 part1
トレジャーハンターの間では、《青き狐》の噂は非常に有名である。むしろ知らぬ者はまだ駆け出しなのだとすぐわかる。
本名はまったく知られていない。誰がつけたかは知られていないが、《青き狐》という通り名だけが有名である。凄腕のトレジャーハンターである事は間違いないが、他のトレジャーハンターを利用して遺跡の血路を開かせたり不意をうって殺したりと、やり口が非常に悪辣な事から、トレジャーハンターというより盗賊あるいは殺し屋のような不吉な噂ばかりが立っている。また、噂に反して《青き狐》の顔がほとんど知られていないのは、かかわりを持った者たちのほとんどが、《青き狐》の手にかけられているからである。運よく生き延びた者も、そのトレジャーハンターの噂を広めるか広めないうちに命を落とすことが多い。そうなると《青き狐》に口封じされたのだという噂が流れ、それがやがて、噂に尾ひれがつき、『トレジャーハンター殺し』のトレジャーハンターとして、その人物の通り名を広めるに至っているのである。
アーネストも例に漏れず《青き狐》の噂を知っていた。そして今、目の前に立っているこの男の正体が、噂の張本人だということを知った。
「あ、《青き狐》だと……? お前が……」
神経麻痺の毒が徐々に右半身を侵食する。体を支える右腕から力が抜けてくるのがわかる。
「そうだ」
男は冷ややかな声でアーネストの問いかけに応じた。余裕しゃくしゃくの態度は、相手がパラライザーによる麻痺で動けないことも理由のひとつであろう。パラライザーをホルスターにしまい、腕組みをしてアーネストを見下した。
ヨランダは半ばあっけにとられた表情で、見つめた。この男から発せられている強烈なまでの殺意を感じなかったわけではないが、昨夜のトレジャーハンターたちの噂にあった、そしてアーネストが言うのを渋った《青き狐》というトレジャーハンターが目の前にいるという現実を、なかなか実感できなかったからである。
(これが《青き狐》……。どこからどう見ても普通の人じゃないの。それで何故恐れられているわけ?)
彼女のほうに、その冷たいまなざしが向けられたとき、このトレジャーハンターの表情が変化した。驚いたように目が大きくなった後、訝しげに目が細められ、何かを言おうとして、口が少し開く。ヨランダは相手に見つめられている理由がわからず、ただ相手を見つめ返した。《青き狐》は口を閉じ、より一層冷ややかなまなざしを向ける。
「ふーん。なるほど」
何か納得したような、それでいて嘲りのこもった声である。
先ほどから、アーネストは必死で立とうとしていたのだが、神経毒が右半身にも回り、とうとう草地に突っ伏してしまった。体を支える右腕から力が抜けたのである。それとほぼ同時に、ヨランダの左半身にも毒が回り、彼女は仰向けに倒れてしまった。
「さて、回収させてもらうか。先日は邪魔が入って、パーツを回収できなかったからな」
隙のない身のこなしで、《青き狐》はアーネストの傍らまで近づき、彼のベルトポーチを探って、回路型オーパーツを取り出した。
なぜ、アーネストがオーパーツを持っている事を知っているのだろうか。
「まさか、あの死体は……」
毒で身動きの取れないアーネストは、ひどく歯軋りした。しかし《青き狐》は冷ややかな笑みを浮かべ、
「邪魔だったからな」
悪びれもなく、言った。
オーパーツを自分のベルトポーチにしまう。
「お前たちのおかげで、わざわざ取りに戻る手間が省けた」
「何、ですって……!」
ヨランダは、仰向けのまま、何とか声を絞り出す。全身がしびれ、話すこともままならないのである。
「あんたの、やってることは、ただの横取りじゃないの……! ひとを、殺して奪うなんて! あんたそれでも、トレジャーハンターなの!」
立ち上がった《青き狐》の左手に、鞘から抜かれたセラミックナイフが握られていた。よく手入れされたセラミック製のナイフは、太陽の光を反射し、氷のように冷たい輝きを放つ。
「私と、お前たちを一緒にするな」
次の瞬間、ヨランダの首筋からわずか数ミリの場所に、セラミックナイフが突き刺さっていた。
投げる動作がまったく見えなかった。アーネストは横目で見ながら、わずかに背筋を震わせた。
《青き狐》はナイフを抜いたが、ヨランダはその間、ナイフを投げられたショックで目を大きく見開いたまま、震えていた。あと少し彼女の首が傾いていたら――。
「今回は生かしておいてやる。ありがたく思うんだな」
ナイフを鞘に収め、《青き狐》はのんびりと遺跡のほうへ歩く。遺跡の陰にその姿が消えてすぐ、ブウンと空気を振動させる音が聞こえ、ヒューンと風を切る音を立てて乗り物が走り去るのが見えた。
青いリニアバイクだった。
その夜。野宿することになり、メタルボールをキャンピングカーに変えた。
パラライザーによる麻痺は、一時間ほどで治った。
「あいつ、ほんとに頭にくるわ! せっかくのオーパーツを横取りなんて!」
ヨランダはテーブルに握りこぶしをたたきつけた。
「これじゃアタシたちがあいつにオーパーツを渡すために探索したみたいじゃないの!」
怒り心頭のヨランダに対し、アーネストは冷静に椅子に座っている。
「ああ、そうだな」
落ち着き払ったアーネストに、ヨランダは言った。
「あんたねえ! 冷めた口調で言わないでよ。悔しくないの、あいつにせっかくのオーパーツを取られて!」
「あの《青き狐》に出遭って生き延びただけでも、ありがてえよ」
「あーら。いつになく弱気ね。いつものあんたなら本気で怒るくせに」
今度はアーネストがテーブルに握りこぶしを勢いよくたたきつける番であった。
「あのなあ! お前はわかってたのかよ、あいつがものすごい殺気を発してたのを! 一歩間違ったら、俺たちはそろって殺されてたんだぞ!」
「そりゃ、殺気は感じたわよ。ブリザードなみにすごいのを。でもさ、それだけじゃないのよ――」
そこでアーネストがさえぎった。
「それだけじゃねえ。……あいつは、強すぎる」
その声は、震えているようだった。
「情けねえ話だが、俺はあいつの実力がどれほどのものか、一目見ただけでわかっちまったんだ。そして俺は、それに怯えちまった……」
赤い瞳は、うつろに壁を見つめている。いつもならば情熱的な光を宿すその目に、今は何の熱意も見られなかった。
「それに、何だかおかしいんだ。あいつからは、人間らしさってのが感じられなかった。雰囲気が人間離れしてて、まるであいつが殺意の塊みたいにも感じられた……」
ヨランダはここまできて、《青き狐》がなぜ恐れられるのかを理解できた。戦闘経験も豊富で、達人級の格闘術の腕前を持つアーネストがこれほどまでに怯えるのだ。ましてや駆け出しに等しいヨランダなど、勝ち目の有無以前である。
トレジャーハンターの間で恐れられ、忌まれる《青き狐》。二人はその男の実力の片鱗を見せ付けられたのである。
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