第7章 part1



 逃げようと抵抗していた前回とうって変わって、《青き狐》は大人しかった。逃げようとも抵抗しようともしないので、二人は気味悪く感じた。
「やっと謎が解けたぜ」
 車の壁にもたれかかり、アーネストはため息をついた。
「機械の体なら、怪力も出せるし、固いしな。こっちの手が痛くなるわけだ。それでも信じられねえな、機械仕掛けの人間なんてよ」
 手すり用の支柱に縛り付けられた《青き狐》はうなだれたままで、何も言わなかった。
 ヨランダは首飾りをいじりながら、《青き狐》を見る。左半身の傷口から覗く機械。火傷のあとがまったく見られない皮膚。本来は目の役割を果たしていたのであろうが、今は割れてしまった左目のレンズ。見れば見るほど、自分の目を疑いたくなってくる。今見ている光景は本物なのだろうか。だが、ここに彼女が存在しているのと同じように、目の前の光景は本物でありかつ存在している。それでもまだ信じられなかった。機械で出来た人間がいるということを。
 機械でできた人間など、存在しないはずである。では彼は人間ではないのだろうか。しかし、外見は普通の人間である。
「でも、納得できるわ」
 ヨランダは口に出していた。
「機械の体なら年をとらない。だから顔が変わることもない。だとしたら、おばあさんのことを知っていても不思議じゃないわ」
 ぴくっと、《青き狐》の体が動く。ヨランダは彼の側にかがみこんで、問うた。
「ねえ、そうなんでしょ。あんた、100年戦争のころのおばあさんを知っているんでしょ?」
「……知っている」
 機械的な返答。だがその次に付け足された言葉には、憎しみがこめられていた。
「できれば知り合わずにいたかったくらいだ。さもなければ、こんな事には――」
「知り合わずにいたかった? どういう意味」
 ヨランダの問いに、《青き狐》はぴしゃりと返答を叩きつけた。
「そのままの意味だ! 研究員だったあの女が――」
 次の返答を聞いた二人の間に、驚愕の稲妻が走った。
「お前の祖母が、私の記憶を奪い、私の体をこんなふうに改造したのだからな!」
 次の言葉が出るまで、かなりの時間を要した。最初に口を開いたのはヨランダだったが、そこから漏れる声はか細く、弱弱しかった。
「おばあさんが……改造って……一体どういうこと……」
 話があまりにも飛躍しすぎたため、ついていけなかった。そして、あまりにも二人の理解の範囲を超えていた。アーネストはぽかんとしたままで、言葉が何一つ紡ぎ出せなくなっている。
「どういうこともない。私を見れば一目瞭然だろう。あの女は100年戦争で使われる兵器開発部門に所属していた。戦闘に使われる新型兵器の様々な案を経たその結果、人間の機械化という結論に達した。生身の人間ではすぐに死んでしまう。だが機械化すれば、どんな致命傷に等しい傷を負っても死ぬことはない。体内の機械が動き続ける限り、戦い続けることが可能になる。そこに目をつけた後は、実際の人間を使って理論を試すだけだ。そしてその――」
 淡々と話し続ける《青き狐》。ヨランダをにらみつけるその目にはすさまじい殺意が渦巻いていた。
「最初の実験台が、私だった」
 割れたレンズの中に、怯えた表情のヨランダが映される。
「あの女は私の記憶を全て抜き取った。記憶を全て喪失させることで、操りやすくするためだったらしいが、それは見事失敗に終わった。私は記憶こそ喪失したが、自我は喪失しなかった。研究員の命令に従っているふりをしながら、自分の過去の手がかりとなるものを少しずつ探していった。そうして探すうち、私の記憶がデータ化されたマイクロチップが、あの女のつけている首飾りに埋め込まれていることを知った。そう、お前のつけている、その首飾りにだ」
 ヨランダは反射的に、首飾りに手を当てた。ブリザードのごとく吹き付ける殺意を感じ取ったアーネストは、反射的に銃のグリップを握った。
「あれを奪いさえすれば私の記憶が戻るはずだった。だが抜け目ないことに、あの女は、私が首飾りに手を出せないよう、身体改造の際に私の脳に拒否プログラムチップを埋め込んだ。首飾りに手を出そうとすれば身体が拒否反応を起こして、完全に機能停止する。首飾りを手に入れようとすれば、私には死が待っている。だから私は首飾りを奪えなかった」
 殺意が弱まる代わりに、激しい憎悪が目に宿る。
 ヨランダはおおよそ理解できた。《青き狐》が首飾りを奪わなかったのは、自分から手を出せなかったせいなのである。
「だからアタシの手から首飾りを渡してもらおうとしたわけ」
《青き狐》はぷいと顔を背けた。
 アーネストが口を開いた。
「何だかよくわかんねえが、どうするんだ、ヨランダ」
「どうするって?」
「首飾りがどうのこうのって、言ってるだろコイツ。首飾り、渡すのか?」
「渡すって……こんな突拍子もない話なんか聞かされても、困るわ。頭の中で整理がつかなくて混乱してるんだから。嘘か本当かどうかすらわからないし」
 ヨランダは首飾りを握り締める。それから、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着け、考える。100年戦争時代の話なぞされても、後世に生きている彼女には信じがたいことばかりであるし、語り手が《青き狐》とあっては、うかつに信用できない。証拠となるものがないだけに、なおさら信用する気になどなれない。しかし彼女の祖母のことを知っていたり、現に彼は首飾りを奪おうとはせず交渉して入手しようとしていた。首飾りに触れられない。そのことは本当であろう。とはいえ……。
「首飾りは……渡すつもりはないわ。あんたの話は、やっぱり信用できない」
《青き狐》は、ひび割れたレンズの目で、彼女をにらんだ。
「信用しろと誰が言った。お前たちの時代とかけ離れた事柄の話をしたところで、信じてもらえるとは、最初から思っていない。だが、私はこれっぽっちも嘘をついてはいない」
「嘘をついていない証拠は?」
「手紙とともに入れた写真。あれは機械生物研究所に所属していた兵器開発部門の担当者たちの写真だ。あれしか、残された証拠はない。お前の祖母は、写真の真ん中に写っているだろう? お前と同じ首飾りをつけて」
 確かにその通り。
「でもそれだけじゃ証拠不足よ。他には」
「それしか、私には思いつけない」
 きりのなさそうな問答に、アーネストは苛立った。
「あのなあ! きりのねえ話なんかすんじゃねえ! 首飾りを渡すのか渡さないのか、どっちなんだよ」
「渡さないわ」
 ヨランダの返答は一秒以内にかえった。
「本当のことを話したのかもしれないけど、全部うそだらけかもしれないから。だって本当のことかどうかを確かめる方法なんて、あと一つしかないじゃないの」
 それから彼女は《青き狐》を見る。
「あんた、機械生物研究所の場所を知ってるって、手紙に書いてたわよね」
「ああ」
「それは本当のことなのよね?」
「そうだ」
 ヨランダはかがみこみ、目線を合わせる。
「じゃあ……そこへ案内してちょうだい」
 アーネストは仰天し、《青き狐》は眉をひそめた。
「どういう風の吹き回しだ?」
「おいヨランダ、お前一体何を――」
「アタシはね」
 ヨランダは立ち上がると、強く言った。
「こいつの話なんか信用してない。機械生物研究所が本当にあった所かどうかもはっきりわかっていないし、あの写真が本当に機械生物研究所の研究員であったかどうかもよくわからない。だからアタシは行って、自分の目で確かめてみたいのよ。機械生物研究所が本当にあるのか、おばあさんがそこでなにをしていたのか、そこはどんな施設だったのかを」
 ほんの一瞬だけ、《青き狐》の顔に、勝ち誇ったような冷たい笑みが浮かんだ様だった。
「……ああ、いいだろう。お望みどおり、連れて行ってやる」

 機械生物研究所は、現在地から一週間ほどかかる場所にあるという。いつもリニアバイクで移動している《青き狐》は、最高速度でまる一日休まず乗りっぱなしのため、一週間で行き来できる。しかしアーネストの乗り物は中古品で速度が七十キロまでしか出せない上、時折エンジンを休ませる必要もあって、リニアバイクの数倍以上の時間がかかる。それゆえ、《青き狐》が一週間かかるといえばリニアバイクのフルスピード走行で一週間であり、ジープではその三倍ちかい日数が必要となる。
「三週間も走っていられるか。牽引すれば早いだろう」
 行く先に町があったというので、食糧補給のためにもそこへ立ち寄る。それまではリニアバイクで車を牽引して走ることになった。
「あいつに任せて大丈夫なのか?」
 言われたとおりにシートベルトをしっかりと締め、アーネストはヨランダに言った。
「ここまで来たんだから、もう乗ってやるしかないわよ。それに、あいつの狙いは首飾りだし、アタシが首飾りを握っている限り、こっちに手は出さないと思う」
 助手席のヨランダは楽観的に答えを返した。
 リニアバイクのエンジンが始動すると、バイクの車体が地面から数センチほど浮き上がる。それと同時に、車体が薄水色の膜で覆われる。おそらく、すさまじい風圧を操縦者が受けないようにするための保護膜であろう。最高速度が二百キロというとんでもない数値なのだから、走行中に体に受ける風の力はすさまじいものになる。
 音も立てず、リニアバイクが動き出す。チェーンで牽引されているキャンピングカーも徐々に動き出す。それからバイクは徐々に加速していった。
 五分後、車に乗っている二人は、速度に圧倒された。時速百キロを超えてからぐっと速度が上がり、シートに押し付けられたと思いきや、それでもまだ加速するのである。やっと体がスピードに慣れてきたころには、フロントガラスにうつる景色が高速で通り過ぎていくのが見えた。あまりの速さに、目が追いつけない。
「すげえ……」
 アーネストは景色を見ながら呆然とした。アクセルやブレーキを踏むなと《青き狐》から言い渡されていたが、その理由がやっとわかった。速度計の針は二百キロをさしている。実際にこの速度を出そうとしたら、中古のエンジンが火を噴いているだろう。牽引されているからこそ、こんな無茶な速度を出せるのである。
 とはいえ、一定以上の負荷に肉体が耐えられないのは事実で、夕方前になってリニアバイクが減速を始めるころには、席にシートベルトで縛り付けられたままの二人は車酔いを起こしていた。二百キロという猛スピードに体が耐えられなかったのである。だがそれだけにとどまらず、夜間もリニアバイクを走行させられたため、眠れない二人はそろって疲れきってしまい、東雲の光が空を照らすと同時にバイクが止まったとき、安堵のため息をついたほどであった。
 そんな牽引の旅が続き、四日目になってようやく休憩地点の小さな町へついたと知ったときには、二人はそろって歓声を上げた。やっと地獄の牽引から解放される。その喜びであった。
 早速宿に部屋を取って、体をほぐす二人。
「あー、疲れた……ろくに寝てないし」
 布団の固いベッドの上で、ヨランダは深呼吸した。アーネストはすでに寝転がってリラックスしている。
 部屋の真ん中には、大きなスーツケースが置いてある。これは元々ヨランダの持ち物で、主に衣類を入れるためのものであった。
 はてさて、二人はそのスーツケースに何を入れているのだろうか。スーツケースが必要なほど衣類を持ってはいないはずである。
「くそー、こんな無茶な旅だとは思わなかったぜ。いちんち走り通しなんてよ」
 アーネストが愚痴ったとき、スーツケースがガタガタと勝手にゆれ、バタンと床に倒れた。
「出してあげたら? 人に見られる心配ないもの」
「めんどくせーなー」
 面倒くさそうにアーネストは起き上がると、スーツケースのロックを解除し、ふたを開けた。
 スーツケースの中に入れられていたのは、《青き狐》であった。ワイヤーで手足を縛られ、口には粘着テープが貼られている。
 ひび割れたレンズの目が、アーネストをにらみつけた。負けじとアーネストも相手をにらみ返す。
「しょうがねえだろ。こうしか連れて行く方法ねえんだからよ」
 町に入る前、《青き狐》をどうするか、キャンピングカーの中で話し合った。本当ならば、食糧の調達だけをする予定だったのだが、高速牽引の連続で体調を崩した二人は一日でいいから車から降りたかった。もちろん《青き狐》がそれを承知しないことは目に見えていたので、有無を言わせぬために無理やりつれてきたわけである。しかし普通に連れて行けば、人と機械の交じり合ったその姿から人々に気味悪がられる。だからヨランダの持ち物であったスーツケースに入れて運ぶことにした。スーツケースに入ってくれと頼んでも、絶対に承知してもらえないことも目に見えていたので、リニアバイクのメンテナンスをしていた彼が振り向く前に、殴って気絶させたというわけ。全身が機械とはいえ、頭や首を狙う攻撃には弱いらしい。
 口に粘着テープを貼られていなければ罵詈雑言を浴びせていたであろう《青き狐》は、相手を罵る代わりに体をゆすって、「ほどけ」と示す。
「だめ」
 ヨランダは即座に返答した。
「道案内以外に、あんたは信用できないもの。ほどいたら逃げるかもしれないし」
 図星だったのか、否定するためなのか、《青き狐》は喉の奥でうめいた。
 アーネストはスーツケースのふたをバンと乱暴に閉めて、ロックする。
「メシ食いに行こう」
 ガタガタと小刻みに揺れるスーツケースを後にして、二人は部屋を出た。


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