第7章 part2



 質素だが久々の手料理に舌鼓を打った後、部屋に戻ってきた二人は、部屋に置きっぱなしでガタガタと小刻みに揺れるスーツケースのふたを開けてやる。狭いスーツケースに詰められて荷物扱いされたことですっかり機嫌を損ねた《青き狐》は、床の上に引きずり出されてもなお、不機嫌さをあらわにしていた。
「ちょっと教えてほしいんだけど」
 口に貼られている粘着テープをはがしてやり、ヨランダは口を開いた。アーネストは早々と酒場に戻った。
《青き狐》は、叩きつけるような返答によって、機嫌の悪さをそのまま表明した。
「それが人にものを頼む態度か。この礼儀知らずめが」
「だって、今のあんたは、人に偉そうに出来る立場じゃないでしょ」
 ぐぐ、と《青き狐》が喉の奥でうなる。
 ヨランダはかがみこんで、相手と目線を合わせたつもりであったが、実際は彼女の方がまだ目線が高い。《青き狐》は縛られたまま床に横たわっているのだから、嫌でも目線が低くなる。
「あんた、アタシのことを知ってたの?」
 その問いに、《青き狐》は眉をひそめた。
「つまり、アタシ個人を知っていたかってこと。小さいころに偶然出会ってたとかで」
「いや、会った事はない。だが、あの女の子孫だということは、一目見てわかった。あまりにもよく似ていたからな」
 写真を見たアーネストに指摘されたことを思い出した。彼も、ヨランダと彼女の祖母がそっくりだと言っていた。
「だが、お前が首飾りを持っているかどうかは考えていなかった。あの女なら死ぬまで首飾りを手放さないだろうと思っていたのだが……二度目の接触で、お前が首飾りを持っていると知った」
「だからアタシに交渉を持ちかけたわけね。自分じゃ取れないから。で、失敗したわけね」
 その一瞬、《青き狐》の目に嘲りの光が宿った。
「ちょっと待ってよ。じゃああの遺跡の爆破は何なのよ。アタシたちを殺そうとしてやったわけ? それともゲーム感覚?」
「お前を仕留めれば首飾りも手に入ると思ったのだが、失敗に終わっただけだ。お前たちが安全圏に逃げるまで、爆破をためらった。爆破すれば首飾りも壊れるかもしれないと、そんな考えが頭をよぎった」
「アタシに直接手を下せば早かったと思うけど?」
「……出来るものなら、そうしていた」
「って事は、アタシに直接手を出せなかったってことね?」
「……」
 無言による返答。ヨランダはそれ以上突っ込まなかった。何も言いたくないか、何か隠しているからであろう。
 まだ彼女は質問をいくつも抱えていたのだが、これ以上聞いては自分の頭の中が混乱するだけだろうと思って、ひとまず質問を止めた。
「ちょっと混乱したけど、まあ自分で頭の中を整理するわ。とりあえず、ありがと」
 何か言おうとする相手の口に、またテープを貼り付けた。
 やがてアーネストが酒場から戻ってきて、嫌がる《青き狐》をまたスーツケースに押し込んだ。縛られているのに散々抵抗されたため、アーネストはスーツケースのふたを閉めるまでに十分以上も時間をかけてしまった。
 その夜、部屋のライトが消されたあと、ヨランダはベッドの中で、ひとり目を覚ましていた。アーネストは今までの牽引の旅疲れから、ライトが消えると同時に寝息を立て始めた。だがヨランダはなかなか寝付けなかった。部屋の真ん中にあるスーツケースが気になっていたからである。今はガタガタと揺れる事はない。狭いのを我慢して寝ているのかもしれない。しかしやはり気になる。ヨランダはそう思って、息を潜めた。
 そうしてしばらく経った。暗闇にも目が慣れてきて、スーツケースの位置が、窓から差し込む弱々しい月の光でわかる。
 スーツケースが軽く揺れた。
 こん、と何かが床に落ちる音。続いて、シューとほとんど聞き取れないような音が耳に入ってくる。一体何の音かと、ヨランダは起き上がろうとする。だがそうする前に、耐え難いほどの眠気が襲い掛かってきた。あっというまに彼女のまぶたが降りてくる。
(寝ちゃ駄目、寝ちゃ駄目……)
 自分に必死で言い聞かせても、それもむなしく一分もしないうちに彼女は眠りについた。
 深い眠りについたヨランダとアーネストは、スーツケースの中から聞こえてくる小さなささやき声とごそごそと動く音を耳にすることが出来なかった。
 翌朝、二人はそろって昼前に目を覚ました。
「うそ、寝すぎにもほどがあるわ!」
 起きるなり、ヨランダは仰天した。時計を見ると、午前十一時半を指している。アーネストはベッドの上に座り、眠そうな表情のまま大あくびした。
 痺れるような頭の痛み。
 起きたときから、二人は感じていた。寝すぎかもしれない、あるいは酒の飲みすぎかもしれない。二人はそう片付けた。
 スーツケースはゆれておらず、じっとしている。ふたを開けてやると、かなり機嫌の悪い目をした《青き狐》が二人を見た。いつまで経ってもスーツケースから出してもらえなかったために、ふてくされたらしい。
 ヨランダは彼を見たとき、違和感を覚えた。相変わらず縛られたままスーツケースの中で体を曲げているのだが、その姿勢が昨日と少し違っているような気がした。出してもらおうとして中で暴れていたのだろうか。だが以前、彼は何らかの方法でワイヤーを切り、コンテナから逃げ出そうとした。そうだとすれば、狭くて身動きのほとんど取れないスーツケースの中で、あの方法を使おうとして体を動かしたのであろう。だが結局は失敗したという事か。
 訝るヨランダに、《青き狐》は嘲りの目を向けた。ヨランダはスーツケースのふたを乱暴に閉じて、アーネストに言った。
「とにかく、出発しましょ」

 二人が宿を引き払ってから一時間後、宿の従業員が彼らの泊まった部屋を掃除しにきたが、ベッド下を掃除していたとき、カプセル状のものが転がり出てきたのを見つけた。
「何かしら?」
 それは、超小型の催眠ガス弾だった。

 ヨランダは気づいていなかったが、スーツケースには、隅の方に、誰かが開けたとしか思えないような小さな穴が開いていたのである。

 スーツケースに詰め込まれていた仕返しか、《青き狐》はリニアバイクを一度も止める事無く走らせていた。しかし、連日の牽引で時速二百キロに慣れてきていた二人は、走行中、互いに話をする余裕が出来ていた。
「あいつ、絶対に陰でなにかコソコソやってるわ」
 口を開いたのはヨランダであった。
「昨日の夜、スーツケースが動いてさ、何かが転がり落ちたような音がしたのよ。確認しようかと思ったけど、急にすごく眠くなって、確認する前に寝ちゃった」
「何かが転がり落ちた? ロック用のキーか?」
「いいえ。それならスーツケースを開ける前に床に落ちているのに気づいたはずよ。アタシたちが見落とすくらい小さいものを、あいつは落としたんだわ」
「でもどうやってだよ。あいつは縛られていた上に、スーツケースはちゃんと鍵をかけてあった。鍵のしまったスーツケースからどうやってものを落とせるんだ。隙間なんかねえだろ」
「それがわからないのよ!」
 ヨランダは強引に話を締めくくった。
(あいつがアタシたちに隠していることはまだあるはず。それに機械生物研究所へ案内してくれるったって、その研究所で何をやろうとしているかわかったもんじゃないわ。話が本当か、あるいは全部嘘か、機械生物研究所へつければ、みんなわかるはずだわ)
 二台の乗り物は、北へ北へと進んでいった。進むごとに木々が生い茂り、逆に草が少なくなってくる。時速二百キロで走行していたリニアバイクは速度を落とし、百キロ弱で走る。木々にぶつからないようにするためであろう。減速で、周囲の景色が見えやすくなっていたので、二人は周りを見た。
「色んな木があるわねえ」
 通過が速すぎて目が景色に追いつけないが、それでもたくさんの木々があることだけはわかった。逆に、草がなくなってくるのが非常に不自然だった。
 リニアバイクは徐々に速度を落とし始める。あまり落としすぎると牽引中のキャンピングカーとぶつかってしまうので、減速の間隔をかなり開けている。減速にともない、周囲の景色がはっきりと見えるようになって来た。
「あれ見てよ」
 ヨランダはフロントガラスを指す。いや正確には生い茂る木々の遥か先である。 アーネストはもっとよく見ようと身を乗り出す。まるでジャングルを思わせる木々の中に、ぽつんと建物が立っているのが見える。
「なんだあれ」
 数分後、その建物の名前は判明した。
 リニアバイクを止め、キャンピングカーが止まったのを確認した後、《青き狐》は言った。
「ここが機械生物研究所だ」


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