第8章 part1
機械生物研究所と称されたその建物は、外観はどうにか建物として判別できるものであった。多くの蔓や蔦、葉や枝で覆われ、建物の壁の、はがれかけのしっくいがやっと見えるか否かである。植物が覆い隠しているとはいえ、外から見れば四角く隠されているので、建物があるとすぐにわかる。
「ぼろっちいなー。ちょいと震度の大きい地震がきたら、すぐ崩れそうだぜ」
アーネストは見たままの感想を言った。
《青き狐》はアーネストの襟首を引っ張り、ずるずると引きずった。
「入るぞ」
その怪力に舌を巻きながらも、ヨランダは後を追った。
遺跡の内部は、見た目どおり狭かった。かび臭く、くもの巣が壁や天井についている。天井や壁から差し込む太陽の光が唯一の照明であった。
「もともとこの研究所は、義手や義足の研究を行うところだった」
アーネストの襟首から手を放し、《青き狐》は口を開いた。その声は辺りに響き、奥まで反響した。
「だが、お前たちの言う100年戦争の開始と同時に、その研究内容は大きく変えられることになった。今まで人間の手足だったそれらは、研究内容の変化と同時に、人間の武器に変わった。なぜなら、生身の人間ほどもろいものはないからだ。多少の傷でも下手すれば致命傷、失血死などにつながりかねない」
バキリ、と、何かを折ったような音がした。アーネストが何かを踏んだのだ。彼が足を上げてみると、そこには、錆びだらけとなった、金属製の人間の右腕があった。アーネストはそれを見て、嫌悪のうめき声を上げた。
《青き狐》の話は淡々と続く。
「だから研究所の開発部門の研究員たちは考えた。自分たちの技術を使って兵士たちに強靭な武器と鎧を与えようと。それが、人間の機械化だ」
彼の傷口から見える機械部品。金属の筋肉、鋼鉄の骨。
「人間を機械化することにより、無限のスタミナ、金属を簡単に引き裂ける腕力、銃弾を防ぎきれる鉄壁の防御力など、常人では決して得られない身体能力が備わることになる。人間の戦闘能力を限界以上まで引き上げるために行われたこの研究内容は、研究所でもごく一部の人間にしか知らされることはなかった」
しばらく歩くと、地下へ続くらしい階段がある。そこへ歩きながら、口を開く。
「義手や義足を作ってきた研究内容を応用しただけなのだから、部分的に肉体を機械化するのは至極簡単なことだった。だが、欲を張った研究員は、部分的な改造ではなく体全てを機械化することに終始した。その理論のために様々な実験が繰り返され、ついに生身の人間で実行されるときがやってきた」
その実験台が、彼だった。
「研究は成功し、同時に失敗した。常人にはありえぬ能力を与えることに成功したかわりに、その能力によって研究所の閉鎖を招いたのだからな」
階段を下りた先には、壁を無理やりぶち破ったと思しい小部屋がある。その小部屋の周囲には鉄条網が張り巡らされているが、壁をこじ開けたときに、同時に引きちぎられたようである。そして小部屋の中にあるのは、棺である。ふたが床に落ち、蝶番が外れている。
「何の部屋なの?」
震えた声でヨランダが問うた。
《青き狐》が素早く二人の後ろへ回り込み、強くその背中を押した。かなり強い力で押され、ヨランダもアーネストもそろって部屋の真ん中にまで押し出された。
《青き狐》は部屋の壁にもたれる。その顔には、冷たい笑いが浮かんでいる。
「その棺をよく見てみろ」
棺のふたと、棺のふちに、ハンダが塗られていた。だが無理やりちぎったかのように、ハンダは剥がれかけている。棺のふたには、南京錠がいくつもかけられているが、いずれも壊れていた。
「その棺には厳重に鍵をかけられただけでなく、ハンダも流し込まれていた。なおかつこの部屋の壁には電流の流れる鉄条網が張り巡らされていた。今は節電で流さないが、常人が触れれば一瞬のうちに感電死するほどの電圧だった。……これがどういう意味か、わかるか?」
二人は同時に首を振った。
氷のような視線が、二人を射抜く。
「この部屋に、永遠に私を監禁しておくため。目覚めて脱出しようとしても棺の中でもがき続けるか、例え棺から出ても壁の鉄条網の高圧電流によって感電死させるためだ」
ひび割れたレンズの目に、怯えた表情の二人が映る。
「機械化された私は並みの方法では死なない。首をはねられても、五体を引き裂かれても死ぬことはない。だから研究者たちは私をここへ監禁した。部屋の中に入れられた私は強制的に眠らされ、その間に研究所は閉鎖されて、研究者たちは散り散りになった。眠っている間に時は経ち、いつしか、100年戦争は終わりを告げていた。そして、十二年ほど前、私は目覚め、自力で脱出したというわけだ」
言うなり彼は、部屋の外に出て、壁をバンと閉めた。
「おいっ!」
アーネストが壁に駆け寄るも、押そうが引こうがその壁は開かない。
二人は気づかなかったが、部屋の天井には小さな穴がいくつも開いていた。そしてそこから、無味無臭のガスが漏れ始めていた。
「開けろ、出しやがれ《狐》!」
アーネストが乱暴に壁を蹴っている間に、ガスは徐々に降下していった。
ヨランダは頭痛とともに目を覚ました。どこか狭くて冷たいところに寝かされているのがわかる。体を伸ばそうとすると、十分に体が伸びきらないところで、つま先がつかえた。それでもどうにか体を起こしてみると、彼女は、透明な筒状の物の中に入れられていることがわかった。筒のてっぺんから明かりが降り注ぎ、周囲の様子が見える。どこかの部屋らしい。
なぜ自分がこんなところにいるのかわからず、とりあえず頭の中で今までの出来事を整理してみた。
まず、《青き狐》の案内で機械生物研究所についた。中を歩きながら《青き狐》が研究所の説明をした。そのうち《青き狐》がかつて監禁されていたという小部屋に入ったが逆に自分たちが閉じ込められ、そして急激に眠くなって……。
「そうだ、アーネストは?」
見回しても、ここには彼女一人しかいない。筒から降り注ぐ光を頼りに周囲を見回すが、見えるのは用途不明の機械だらけで、いつも側にいてくれるアーネストの姿はどこにも見えなかった。
ふと、耳をすませた。
何か音がする。足音らしい。だがこれが人間の足音かと思えるほど、その音はやかましかった。まるで鉄の靴でも履いているかのようである。足音の主がだいぶ近づいてきたことはすぐにわかった。足音が大きくなると同時に、光で視界のきく範囲にその人物が近づいてきたからである。ガチャン、ガチャンとやかましい足音が近づき、やがて光の中にその人物が姿を現した。
「ひっ……!」
悲鳴ともつかない声を上げ、ヨランダは後ずさりした。筒の壁に体がぶつかっても、まだ後ずさろうとする。
目の前に現れたのは、機械でできた人間だった。
「ソウカ、オマエガ……」
非常に機械じみた声。カーナビのように生気のない声である。相手が話すことを知ったヨランダはぎょっとして、相手を撃とうとして懐に手を入れる。だが、上着の下にあるはずの拳銃の感触がなかった。気づけば、いつも上着の下に留めているホルスターの感触もない。
(ホルスターごと抜き取られてる!)
武器を奪われていたのである。
焦るヨランダに、機械の人間は言った。
「ソウ、怯エナクトモヨイダロウ。私ハ、オマエニ危害ヲ加エタリシナイ」
警戒を解かないヨランダに、再び話しかける。
「私ハ、オマエヲタダ見張ッテイルダケ。他ニハ何モシヤシナイ」
「信用できるもんですか!」
「信用シロト、言ウホウガ無理ダナ。アノ女ト同ジク……」
その言葉に、ヨランダは反応した。
「あの女?」
「ソウダ。オマエノ、祖母デアリ、カツテ研究員デアッタ、アノ女。アノ女モ警戒心ガ強カッタ。オマエハ、ソノ資質ヲ見事ニウケツイデイルヨウダ」
「おばあさんのこと、知ってるの?」
ヨランダは警戒するのを忘れ、好奇心に負けて、身を乗り出した。機械の人間は彼女の眼をじっと見た。
「ソウダ。私ハ、ソノコロ、ツクラレタ。研究員ノアシスタントトシテナ。オ前ノ祖母ノコトモモチロン知ッテイル。スコシ、話シテヤロウカ?」
ヨランダはうなずいた。相手への警戒心はすぐに薄れてしまい、今は亡き祖母の昔話を聞くことに心を奪われていた。
「一体なんだ、ここは」
先ほど目を覚ましたアーネストは、頭がはっきりしてくると、周りを見回した。広々とした部屋の中にいて、部屋は天井のライトから降り注ぐ光で明るく照らされている。ここには、動物のぬいぐるみらしいものがたくさん散らばっていた。だがやけにリアルで、本物の動物かと疑いたくなる。
手近に落ちている、兎らしいモノを取る。見た目に反して、ずっしりと重い。ふさふさした毛皮をなでてみるが、その毛皮の下はやけにごつごつしていた。
「ん?」
アーネストは兎の口を指先でこじ開ける。普通ならば草の葉を噛み切るための門歯がまず見えるはずだが、この兎の口の中には、鋭く尖った牙が何本も見えた。
「兎に牙なんかあったか?」
あるはずがなかろう。
兎を様々な角度から眺めてみる。一見は普通の兎だが、よく見ると、毛皮が一部切れた箇所がある。固い綿でも詰まっているのかと思い、そこをレーザーナイフで注意深く広げ、中を覗き見た。
「ひっ……!」
アーネストの手の中から、兎が、床の上に落ちた。兎は、ガシャンと音を立てて粉々に砕けたが、破れた毛皮の下からは、無数の機械部品が飛び散った。
「き、機械仕掛けの兎……」
彼はぞっとした。冷や汗が体を伝い、流れ落ちた。
「兎ごときで何を怯える」
背後から声がした。反射的に振り向くと、部屋の壁に、いつのまに現れたのか、《青き狐》がもたれかかっている。
「この部屋の動物たちは、人間の機械化理論を実証するための実験台となった。ここにうち捨てられたのは、研究内容が外部へ流出するのを防ぐため。そして――」
ひびわれたレンズの目に、かすかに身震いするアーネストが映し出された。
「人間として最初の実験台である私の戦闘能力を測定するためだ」
ショックから立ち直れないアーネストは、返答しようにも返答のしようがない。何を言えばいいのかわからない。だがどうにか口を開いて次の言葉だけを言うことができた。
「ヨランダはどこにいるんだ」
「自分より、あの女が心配か。案ずるな、手を出してはいない、今のところは」
「今のところ、だと?」
怒りが恐怖心に打ち勝った。それを知ったか《青き狐》はアーネストを嘲笑う。
「そんなに気になるのか。お前が会いたいというならば、会わせてやらないこともないが――」
「どこにいるんだ!」
「この部屋を出ることが出来たら、教えてやる」
《青き狐》は悠々と部屋の中へ歩んだ。
「ただし、お前ごときの実力では、無傷で出られないだろうがな」
挑発されて怒髪天をつかれたアーネストは、相手に跳びかかった。
機械の人間は、ヨランダに話をした。
「コノ研究所ニ所属シテイタ、八人ノ研究者タチ。ソノ中ニ、オマエノ祖母・アリスンハイタ」
ヨランダはうなずいていた。確かにそれは彼女の祖母の名前だった。
「彼女ハ、研究所ノ中デモ、最モ実績ヲモッテイタ。後ニヨバレル100年戦争ノ時ニ、兵器開発部門ノ担当ヲ任サレタソノ理由ハ、優レタ研究内容トソノ実績ニヨルモノダッタ。兵器開発部門ヲ取リ仕切ルコトニナッタ彼女ハ、兵器開発ニオイテ、案ヲ様々ナ形デ考エ出シ、最終的ニ、義足ヤ義手ノ技術ヲ応用シテ、人間ソノモノヲ強化スルトイウ結論ニタッシタ。義手ヤ義足ハ部分的ナ強化シカデキナイガ、戦争デハ無尽蔵ノ体力ヲ持ツ兵士ガ求メラレテイタ。ダカラ研究者タチハ、人間ノ全身ヲ機械化スル事ニヨッテ、軍部カラノ要求ニ応エタ。機械ノ体ニハ弱点ガナイ。老イルコトモナイ。ドンナ傷ヲ負ッテモ致命傷ニハナラナイ」
それは《青き狐》から聞いている。
「それはあいつから聞いて知ってる。でも、まだ信じられないわ……。話があまりにも昔のことだから。……あいつが最初の人体実験だったって本当?」
「ソウダ。奴ハ最初ノ人体実験ダッタ。ダガソコニタドリ着クマデニ、開発部門ノ研究者タチハ動物デ実験ヲ行ッタ。義手ヤ義足ハ人間ノ部分的ナ強化シカ行エナカッタタメ、全身ノ内臓ヤ血液ヲ抜イテ機械ト置キ換エルトイウ理論ヲ完成サセルタメニ、様々ナ案ヲ抽出シ、試ス必要ガアッタ。数年以上モカカッテ、ソノ理論ヲ完成サセ、最後ニ人間ノ体ヲ使ッテ実験ガ行ワレタ」
ヨランダは《青き狐》の言葉を思い出した。
(血も涙もなくて、悪かったな)
機械化された彼には、確かに血液も涙もなかった。機械の部品だけが、彼の臓器、彼の神経、彼の血肉だった。
機械の人間の言葉は続く。
「人体実験ハ確カニ成功シタ。ダガソノ人体実験ニヨッテ、コノ研究所ハ閉鎖ヲ余儀ナクサレルコトニナッタ」
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