第8章 part2
アーネストは大きく肩を上下させて、荒く呼吸していた。
「どうした。攻めの手が鈍ってきたぞ。もうギブアップか」
《青き狐》が冷たく笑う。相手の挑発で頭にすっかり血が上ったアーネストは、先ほどから体の動くままに任せ、相手を攻撃していた。だが、攻撃はかわされるか受け止められるかして、相手にかすり傷一つ負わせることすら出来ない。アーネストの体力は無駄に消耗される一方である。
疲れが出始めて、初めてアーネストは冷静さを取り戻した。
(なるほど。機械の体なら無限のスタミナがある。だけどこっちは生身。長期戦に持ち込まれちゃ、こっちが不利になる。そのうえ奴の体は機械仕掛けときた)
相手が生身ならば、遠慮なく突きや蹴りを叩き込んでノックアウトさせてやれるだろうが、相手は全身が金属で出来ている。うかつに攻撃すればこちらの手足をいためるだけに終わってしまう。何度か経験していたことにより《青き狐》の弱点らしい箇所が首から上の部位であることはおおよそ理解できていたし、相手の左目がつぶれているので左側の視界がほぼ利かないこともわかっていたが、相手はそこに付け入ることを許さない。隙のない身のこなしやアーネストを上回る怪力で、弱点と思われる箇所へアーネストが攻め入れないように防御している。向こうからは一切の攻撃を仕掛けてこない。よほど勝てる自信があるか、彼をいたぶってやるつもりなのか。
(どっちにしろ、俺をここから無傷で出すつもりはなさそうだし、こっちも死ぬ覚悟で攻めなきゃならんな)
アーネストは腹をくくった。機械の体と生身の体では必然的に機械の体が勝つ。だが、戦っているうちに相手が隙を見せるかもしれない。腕の一本は折るかもしれないが、弱点と思われる頭を狙うには、捨て身の覚悟が必要となる。
アーネストが拳術の構えを見せると、《青き狐》は隙を見せた。意図的に隙を見せて攻撃を空振りさせようとする算段か。
面白い。乗ってやる。
アーネストが動いた。空いたわき腹めがけて、空を切り裂くような速度の回し蹴りを繰り出す。脚を折っても構うものか!
《青き狐》が、片手でアーネストの左足をがしっとつかんだ。蹴りの勢いは相手に伝わり、少々身じろぎはしたものの、掴んだ足の勢いは相手の手の中でそがれた。蹴りは体に到達する事無く、ぎりぎりのところで止められた。その上、《青き狐》はアーネストの体を軽々と持ち上げ、まるで人形のように投げ飛ばしてしまった。
宙返りで勢いを殺し、どうにか着地するアーネスト。《青き狐》は彼を攻めようとせず、笑って眺めている。
「なるほど、少しはやるな。だが、長くは持つまい。寿命の近い、私の体のパーツと同じようにな」
「寿命だと……?」
「機械がいつか壊れて作動しなくなるように、幾たびも損傷し続けてきた私の体のパーツも、徐々に寿命が近づいている。必要以上に怪力を出したりすれば余計に寿命を縮めてしまうからな。だから、よほどのことがない限り、力をセーブしてきた」
「……あの扉を俺に開けさせたのは、そういうことだったのか。が、あのコンテナの扉はお前がこじあけたんだな」
「鈍いお前にしては、鋭い回答だな」
「ふざけるな!」
思わず吼えた。が、相手は歯牙にもかけない。
(どうすれば、どうすればいいんだ……!)
アーネストは息を切らしながら、必死で頭を回転させた。元々考えるのは得意ではない。だが今は、力任せに攻めても勝てそうにない。だから考えるしかない。
「そう簡単にダウンされると面白くないな。それとも、死ぬ覚悟でも出来たのか?」
挑発を続ける《青き狐》。だがアーネストは挑発に乗らない。頭を回転させるのに夢中で、相手の話など全く聞いていないのだから。
相手の左側の視界は利かない。そこを狙いさえすれば頭を叩ける。だが相手はそこに付け入ることを許さない。相手は守りを固める体勢を崩さないのだから、何とかして急所へのガードをこじ開ける必要がある。
「悪いが、俺はまだ死ぬ気はねえんだよ、この死にぞこないのポンコツが」
今度はアーネストの方から挑発する。しかし相手は歯牙にもかけない様子。
(……くそ、乗ってこねえ)
挑発してガードを崩させることは失敗に終わりそうである。ならば、自分から攻めて守りを崩させるしかない。
跳びかかってきたアーネストに、初めて《青き狐》が応じた。中途半端に開いた手を引き、突き出す。掌底。食らえばただではすまない。顎に食らえば、相手の手が金属であることを考えると、歯が全て折られてしまうことに間違いない。アーネストは頭で考えず体の回避行動に任せる。頭が相手の手の進路からわずかにそれ、掌底の一撃を免れ――
しぱっ。
右頬がかっと熱を持ち、液体の流れ落ちる感触が頬を伝わった。
アーネストは何が起きたかわからず、目を大きく見開いた。驚愕で、体の動きが止まる。
彼の右頬が深く切れて、そこから血が流れ出ている。
「私の武器が、ナイフだけだと思ったら大間違いだ」
《青き狐》が腕を引く。手首が外側へ向かってカパッと外れている。腕の中は金属の骨が通っているがその骨の中央から、血のついた金属の刃が突き出ていた。
「私の体のあらゆる場所にこういう武器が仕込まれている。攻撃の武器にもなれば、逃走の道具にもなる」
切られたワイヤーがアーネストの頭の中に浮かんだ。そうか、あのワイヤーを切ったのは、体に仕込まれた刃物だったのか。体の中に仕込まれてたから、見えなかったのか。そしておそらく、今までにトレジャーハンターを殺害してきたのも――。
「化け物か、てめえ――」
「黙れ!」
手首の刃物が引っこむ。
動きが見えず、回避行動が遅れた。
あっけなくアーネストは右へ蹴倒された。
重い一撃と次に訪れた左腕の激痛に、蹴倒されたアーネストは顔をゆがめた。蹴られた瞬間に聞こえた、何かの折れる鈍い音。その音が何か分かったとき、激痛が走る。
(折れた!)
鉄パイプを渾身の力で叩きつけられたようなすさまじい痛み。起き上がると、左の二の腕から下の感触が失われ、続いてカッと熱くなった。蹴られて腕が折れたのだ。
容赦なく、《青き狐》が突きを繰り出す。かぱっと外れかけた手首からまた刃物が突き出るのが見えた。アーネストは、今度は大きく跳び下がってかわす。折られた左腕は炎のような熱を帯び、ありえない方向へ曲がっており、すさまじい痛みが絶えず走る。
「はん、そんなに切られるのが怖いか」
「ほざけ!」
アーネストは左腕をだらりとたらしたまま、左足でまた蹴りを繰り出す。《青き狐》はすぐにその蹴りを受け止める。
「何度やっても――」
その言葉は途中で終わった。その掴まれた足を支えにして、アーネストが右足を振り上げ、相手の頭めがけて回し蹴りを叩き込んだのである。左側の視界が利かないのと、回し蹴りがとどくほど互いに近くにいるのだから、蹴りの動作を見るのが遅れるだろうと踏んでの攻撃であった。相手の側頭部を蹴った後で足がじいんと痛んだが、相手にはかなりのダメージを与えることが出来たらしい。掴んでいた足を離し、頭を押さえてよろめいたのである。
(もう一発……!)
アーネストがもう一度蹴りをお見舞いしてやろうと身構えた途端、《青き狐》のよろめきはぴたっと止まった。
「そう簡単に倒れてたまるか」
《青き狐》の目には、冷たい殺意が宿っている。最初に逢ったとき感じた、あの殺意。
アーネストの背筋を、冷や汗が流れる。そして殺意に貫かれた瞬間、彼は直感した。
殺される……!
その怯みが、隙を作った。
一瞬のうちに、防弾ベストで守られたアーネストのみぞおちに重い一撃を叩き込まれた。特殊金属の板を幾重にも重ねて裏打ちされた防弾ベストは、相手の蹴りの威力を少しそぎながらも、アーネストのみぞおちに一撃を入れることを許してしまった。蹴られると同時に体が数メートルも後ろへ飛ばされ、受身も取れずに床に叩きつけられる。何とか起き上がることは出来たが、すさまじい圧迫感で胃の府がでんぐり返ったような感覚を覚える。目の前が一瞬ぐらつき、吐き気が喉もとまでこみ上げた。防弾ベストを着ていなければ、確実に内臓破裂を起こしていたに違いない。
体をくの字に折り曲げて嘔吐するアーネストを見下ろして、《青き狐》は言った。
「やはり無傷で出すわけにはいかんな」
手首がはずれ、そこには冷たい輝きを放つ金属の刃が突き出ていた。
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