第９章 part1
「研究所が閉鎖？ どうしてなの」
ヨランダは筒の壁にぴったりと体をつけた。相手の話に興味をそそられたのと、話がもっとよく聞こえるようにするためである。
機械の人間は筒の側に近寄らず、そこから少し離れた所でしゃべっている。
「アリスンノ誤算ハ、アノ男ガ激シイ衝動性ヲ内包シテイタコトダッタ。感情ヲ外ニ出サズ、中ニ溜メ込ムコトデ感情ヲ抑制スル。溜メ込マレ、抑制サレタ感情ハ限界ヲ超エルト、ツイニ爆発スルコトニナル」
「つまり、堪忍袋の緒が切れるってこと？」
「言イ換エレバ、ソウダナ。コノ研究所デハ、人間ノ体ヲ機械化スルダケデナク、怒リヤ憎シミノ感情ヲ利用シテ、ヨリ戦闘能力ヲ高メル実験案モアッタ。機械化ダケデモ人間ヲ強化スルコトハデキルガ、感情ノ爆発ヲ組ミ合ワセルコトデ闘争心ヲ高メ、ソレニヨッテ戦闘能力ヲ大幅ニ上昇サセルコトガ出来ルノデハナイカ。研究所ノ面々ハソウ踏ンデイタ。ダガ、ソノ実験ニヨッテ、研究所ハ閉鎖ヲ余儀ナクサレタ」
「だから、どうしてなの？」
機械の人間は、続きを聞きたそうなヨランダの顔を見たまま、淡々と言った。
「感情ノ爆発ニヨリ、理性ノ枠ガハズサレタアノ男ハ、ソノ手デ、研究員ノ過半数ヲ殺シタノダ」
レンズの中に、驚愕で硬直したヨランダが映る。
「こ、殺した……？」
「ソウダ。体ヲ改造サレタトキカラ、アノ男ハ研究員ニ対シテ少ナカラズ憎悪ヲ持ッテイタラシイ。特ニオ前ノ祖母ニ対シテハ、深ク彼女ヲ憎悪シテイタ」
「おばあさんを憎んでいることはわかってる。でも、あいつは一体何者なの。研究所の関係者なの？」
「アノ男ハ、オ前ニ何カ送ラナカッタカ？ 以前、誰カニヤルツモリダカラト、研究室ヲ引ッ掻キ回シテ探シ物ヲシテイタノダガ」
言われて、ヨランダはベルトポーチに手を当てる。これは外されていない。彼女はそれを探って、手紙と写真が入れてある封筒を取り出した。
写真を見せる。
「コレハ、確カニ兵器開発部門ノ責任者デアル研究者タチノ顔写真ダ。アリスンハ、コノ男ヲ実験台ニ使ッタ」
機械の人間が指差したのは、アリスンの右隣に写っている中肉中背の男である。セピア色の写真であるため、髪の色などはわからない。だが、《青き狐》とは全く似ても似つかない男である。
「似てないわよ」
「似テイナイノデハナイ。改造ノ際ニ整形サセ、記憶ヲ抜イタノダ」
ヨランダの両目が丸くなる。話された事柄を頭の中でまとめるのにしばらくかかった。
「え、え……あの顔は整形？」
「ソウダ。アノ顔ハ、整形ニヨッテ作リ出サレタ」
「……どうして、同じ研究者を実験台に使ったのよ？ それに、どうして整形なんか――」
「人体ノ機械化トイウ案ノホカニ、感情ヲ使ッテ戦闘能力ヲ上ゲルトイウ案ハ、ホボ同時ニ採用サレテイタ。アノ男ハ普段カラ感情ヲ表ニ出サナカッタカラナ、感情ヲ内部ニ溜メ込ンデイタト皆カラ思ワレテイタ。ソレニ――」
言葉を切る。
「アノ男ハ、アリスンニ好意ヲ寄セテイタ」
しばしの沈黙。
大きすぎる衝撃に負けて何を言っていいのかわからなくなり、ヨランダは混乱した。
「え、え。あいつが、アタシのおばあさんを好きだったの？」
「ソウダ。ソレハ、周知ノ事実ダッタ。ダガ彼女ハ、アノ男ヲナントモ思ッテイナカッタ。ダカラ彼女ハソノ感情、愛ヲ利用シタ。愛ヲ憎シミニ変エルコトデ、ヨリ戦闘能力ヲ高メルコトガ出来ルノデハナイカ。怒リヤ憎シミハ行動ヘノ強イエネルギー源ダカラナ。彼女ノ案ニ沿ッテコノ実験ハ行ワレ、彼女ハ自ラ相手ニ憎マレル役目ヲ引キ受ケタ。憎ムベキ対象ガ近クニイルホド、ソシテソノ対象ニ手ヲ出シニクイホド、憎悪ノ感情ハ蓄積サレテイク。ソウ考エタノダ。顔ヲ変エテ記憶ヲ抜イタノハ、記憶トソノ手ガカリガナケレバ自分ノ帰ル場所モ分カラナクナリ研究所ニ留マラザルヲ得ナイト考エタカラダロウ。両者ノ実験ハ、成功カツ失敗ダッタ。アノ男ノ憎悪ハ計リ知レズ、爆発シタ感情ニ任セテ研究員タチヲ手当タリ次第ニ殺害シタガ、私ハドウヤラ眼中ニ入ッテイナカッタラシイ。壊サレズニスンダカラナ」
「じゃあ、あいつがおばあさんを憎んでいるのは、憎むように仕向けられたからなの？ それを、あいつは知っているわけ？ 自分がおばあさんを憎まされていることを」
「イヤ、シラヌハズダ。私ハ奴ニソノ事ヲ何ニモ教エナカッタ。アノ男ノ元ノ顔スラモナ。孫ノオ前ヲ憎悪スルノハ、オ前ガアマリニモアリスンニヨク似テイルカラダ。ソシテ、アノ男ノ記憶ヲ封ジ込メタ首飾リヲツケテイル」
ヨランダははっと首に手を当てる。首飾りはあった。
「首飾リニ手ヲ触レラレナイコトデ、アノ男ハカナリ苛立ッテイタ。研究員ニハソンナソブリヲ見セナカッタガ、私ニハソノ苛立チヲ隠サナカッタ。壊サレタクナケレバ黙ッテイロト口止メサレテイタセイモアルノダガ、首飾リニ手ヲ触レラレナイ代ワリニ私ヲ使イ、自分自身ガ何者デ何故コノ研究所ニイルノカヲ探ラセヨウトシタ」
「かなりずるい事を考えたのね。自分が自由に動けない代わりにあんたに頼むなんて」
「私ハ壊サレタクナカッタカラナ、奴ノ言ウママニ動イタ。私ガアノ男ニ教エタ事実ハ、奴ノ元ノ体ガ血肉アル人間ノソレダッタトイウ事ダケ。ダガ奴ノ記憶ヲコレ以上取リ戻サセルワケニハ行カナカッタ」
「なぜ？ 戻してあげたらよかったじゃない」
「記憶ヲ取リ戻シタラ最後、アノ男ハ怒リヤ憎シミニ任セテ暴走スル。私ハソウ思ッテイタ。ソシテ私ノ考エハ、コノ少シ後デ、別ノ形デ実現シタワケダ。感情操作ノ実験ノ失敗ニヨリ、今マデニ溜メ込マレテキタ怒リト憎悪ガ突然暴走シ、奴ハ研究員ヲ片ッ端カラ手ニカケタ。アリスンハスグニ自分ノ研究ガ失敗シタコトヲ知ッタ。ダガコウナルコトヲ予測シテ、彼女ハアノ男ヲ眠ラセルタメノ棺ヲ作ラセテイタ。実験材料ダッタ動物タチニ奴ヲ襲ワセ、ソシテ自分自身ガ囮ニナルコトデ奴ヲ棺ニ入レルコトニ成功シタ。部屋ト箱ニ仕掛ケラレタ睡眠装置ガ、スグニ奴ヲ眠ラセ、犠牲ヲソレ以上出サズニスンダ」
「なぜ殺さなかったの？ その方が……」
「デキナカッタ。元々永久的ニ戦ウタメノ兵士ヲ作リ出スタメニ、奴ハ体ヲ改造サレタ。ダカラ普通ノ方法デハ死ナナイ。気絶ハスルガ、死ナナイ。様々ナ方法デアノ男ガ死ナヌヨウニ工夫シタモノダカラ、研究員タチデモ奴ヲ殺スコトハ出来ナカッタノダ。アノ男ヲ止メルニハ、アノ棺ノ中デ、デキレバ永遠ニ眠ラセテオクシカ方法ガナカッタ。奴ヲ目覚メサセナイタメニ、研究所ハ閉鎖サレ、私ハ見張リトシテココニ残サレタ」
「壁の電流は？」
「アレハ奴ノ体内ノ機械ヲ止メテオクタメニ流サレタ。体内ノ機械ノ、精密ナ部品ハ特ニ高圧電流ニ弱イ。棺カラ出テモ、壁ニ触レバタチドコロニ電流ガ流レ込ミ、奴ノ体ノ機械部品ニ衝撃ヲ与エ、身動キヲ取レナクサセルノダ」
そういえば、以前《青き狐》は電気の走るコンソールに突っ伏していた。
「アノ男ハ十二年前ニ目覚メ、数ヶ月モカカッテ小部屋カラ脱出シタ。ソシテ、見張リノタメニ残サレテイタ私ヲ見ツケルナリ、状況ヲ説明シロト迫ッタ。ソシテ私ガ、現在ハアノ戦争カラ八八年経過シタト告ゲルト、ヒドクガッカリシテイタ。憎悪ノ矛先ヲムケル相手ガイナカッタカラナ。ダガ数日後、奴ハ『この体を捨てて、人間の肉体に戻りたい』ト言イ出シタ。アノ男ノ肉体ヲ手術スル前、細カナ生体データヲ取ッテ、研究のノ資料トシテ様々ナ研究所ニ送ッテイタノヲ利用シテ、アノ男ハ自分ノ肉体ヲ再生スルトイウ手段ニ出タ。奴ハ外ニ残サレタ様々ナ研究所カラ、機械生物研究所ノデータト、コノ研究所ノ機械ヲ直スタメノ修理部品ヲ調達シ、私ハデータト修理部品デ機械ヲ直シテイッタ」
《青き狐》がオーパーツを収集し、機械生物研究所のデータを集めていたのは、エミリアの生活費を捻出するためでもあったが、本当は自分の体を元の肉体に戻すためだった。ヨランダには信じられないことである。肉体をどうやって得ると言うのか。
「データ収集ト修理ガ上手クイキ、私ハツイニ奴ノ肉体ヲ作リ出スコトニ成功シタ」
機械の人間は、奥にある巨大な機械を指す。暗いので見えにくいが、箱に似たその機械の中に、何かマネキンに似たものが入れられている。しかしそれには、頭がついていない。
「何なの、あれ」
「アレガ肉体。奴ノ全身ハ機械ダガ、脳ダケハ人間ノママダ。手術ノトキニ、脳ヲアノ肉体ヘ移植スル。ソシテオ前ノツケテイル首飾リカラ奴ノ記憶ヲ取リ出シ、脳ニ注入スレバ、元ノ姿ニ戻ルトイウワケダ」
ヨランダにはよく理解できない。１００年戦争が始まる前は、人間の遺伝子情報を用いて肉体の複製を作り出すクローン技術が存在していた。だが戦後になって、あらゆるものが失われ、そういった高度な技術の担い手も存在しなくなってしまったので、現代の人間たちは遺伝子というものを知らない。だから肉体を作り出すといわれても、ヨランダにはいまいち話がわからないのである。
「肉体ハ完成シテイル。後ハ記憶ノミナノダ」
「その通り」
二人の背後から声がした。ヨランダは振り返る。暗闇の中に立っているその人物は、ゆっくりと光のほうへ歩いてきた。
《青き狐》。そしてその肩に軽々と担がれているのは――、
「アーネスト！」
ヨランダは悲鳴に近い声を上げた。
《青き狐》の肩に担がれたアーネストは、ぐったりと四肢を投げ出して、抵抗する様子を見せない。床の上に落とされたときも、受身を取らなかった。筒から降り注ぐ光によって照らされた全身には、無数の痣や切り傷が見え、防弾ベストは布切れのごとくずたずたに切り刻まれている。散々にいたぶられたことが一目でわかる。
「ひどいわ……」
「ちょっと遊んでやっただけだ。命まではとらずにおいてやった」
《青き狐》は悪びれもなく話す。アーネストが力なくうめいたところからして、まだ生きていることに違いはないが、それでも手当てしなければ助からないだろう。
機械の人間は、部屋から出て行った。
筒の中で、ヨランダは《青き狐》に言った。
「あんた、一体アタシをどうするつもりなの。こんなところに入れて！」
「決まっているだろう。首飾りに封印された私の記憶を取り出すために、お前の遺伝子全て、すなわちお前の命を使う」
命を使う？
ヨランダはその言葉を呑み込むのに、時間を要した。
「な、なんですって？」
「本来ならばあの女の遺伝子が必要だったが、何年もかけて探し当てたあの女はすでに他界し、火葬されて骨一つ残っていなかった。お前の両親も同じく火葬されていた。普通ならばそこで諦める所だが、その少し前にお前と会っていた事を思い出した。そして、独自の調査により、お前があの女の孫であることも確信できた。孫のお前ならば使えるはずだ、あの女の遺伝子を受け継いでいるのだからな」
《青き狐》の、割れたレンズの目には怯えた表情のヨランダが映し出されている。
「二度目の接触でお前が首飾りを持っていると知ったとき、首飾りに触れられない私は、何とかしてお前をこの研究所まで引っ張ってこさせるために、情報収集がてら策を練った。お前たちが安全圏へ逃げるまで遺跡を爆破しなかった本当の理由は、お前の遺伝子を失うことを避けるためでもあり、そして次回の接触で首飾りに注意を引かせ、嫌でも私の口から首飾りの秘密を聞き出させようと仕向けるためでもあった」
ヨランダは呆然とした表情を顔に浮かべている。
「三度目の接触のとき、お前を脅迫するついでに、お前の服に盗聴器をつけた。お前たちがどこにいて何をしようとしているかは、それ以降、私に筒抜けだったわけだ。そしてその盗聴器は、私の訪れた様々な遺跡にもつけてある。邪魔が入った際に、どんなパーツが取られたのか分かるようにするためだ」
「盗聴器……！？」
「何なんだ、その間の抜けた顔は。おかしいと思わなかったのか？ お前たちが私との接触を望んだとき、私が姿を見せていたことを。そして、お前たちの行く先々で手がかりを与え、あるいは潰してきたことを。あまりにもできすぎている、とお前は考えていただろう」
上着の襟を引っ張られたような感触。あれは盗聴器を仕掛けられたときの感触だったのである。上着の襟に手を当てていくと、襟の裏側に何か米粒ほどの大きさの物が指先に当たった。外してみると、それは確かに、小型の盗聴器だった。
最初に《青き狐》に遭遇した時、なぜアーネストがオーパーツを持っていることをこの男が知っているのか不思議だったのだが、今、謎が解けた。盗聴器で、遺跡の中の会話を聞いていたのだ。
「じゃあ、アタシたちが行こうと思っていた宝石店の鑑定人と蔵書館の館長さんは――」
「宝石を他人に調べられたり、お前たちに余計なことを吹き込まれては困るからな。そして、蔵書館の館長は、かつてこの研究所の研究員だった。奴は私を見るなり、血の気を引かせて怯えていたぞ。私がこの研究所から出てくるとは思わなかったらしい。必死で命乞いをしたあの表情は滑稽だったぞ」
機械生物研究所の研究員。ヨランダはやっと納得がいった。館長が見せたあの狼狽ぶりは、彼がかつて研究員であり、《青き狐》のことを知っていたためであった。《青き狐》の顔は――笑っている。後悔も慙愧の念もなく、相手を手にかけた冷たい満足感だけが、その顔に浮かんでいる。
「手がかりをつぶすだけでは、お前たちもいずれは首飾りへの興味をなくす。だから私のほうから手がかりを与えていった。肝心の部分を伝えない事で、もっと詳しく知ろうとするお前たちの好奇心をあおり、私の後を追わせる。そしてお前たちはまんまと私の策にはまったわけだ」
確かにヨランダは相手の挑発にのせられてしまっていた。アーネストをせきたてて《青き狐》を何としても捕まえようと考えた。
「私としてもそれなりの用事があったから、毎回お前たちの前に姿を現せたわけではないが、お前たちは私の思惑通りに、私を追ってきた。だからお前たちをここまで引っ張ってくるのは簡単だったのだ。私が首飾りを奪うのではなく、お前自身に首飾りを持ってこさせたというわけだ」
首飾りを、持ってこさせた。ヨランダは相手の一連の行動の真意を初めて理解した。全ては機械生物研究所へヨランダを連れてくるために仕掛けられた、一つの罠だったのである。
《青き狐》はアーネストを見る。
「本来ならばお前を連れ去るのが最も簡単な方法だった。だが、お前の側にいるこの男が常に障害となっていた。そして、あまり早く連れて行って、全ての準備が整うまでの間にお前に自決でもされては困るからな。首飾りを手に入れるのは最後に回すことにし、お前をその男に預けておいたというわけだ。だからこの研究所に来た以上、この男にはもう用がない。こいつは、この部屋で、大切に守ってきた女の命を救うことが出来ない自分をのろいながら、息絶えることだろうな」
足元で、アーネストが歯軋りした。傷だらけで、出血が続いていたが、話を聞くだけの意識は残されている。
（ちくしょう……俺はただこいつに殺られるためだけに、ここへ来たってのか……！）
全身の打撲と切り傷、複雑骨折という重傷を負い、呼吸することすらままならないほど。彼を生かさず殺さずの状態にしてここへ担ぎ込んできた《青き狐》の本当の意図は、この部屋で二人の息の根を止めるため。それがわかったアーネストは、目の前に敵がいながら体を起こすことすら出来ない自分がひどく憎らしかった。手加減されて生かされたという屈辱感も湧き上がっていた。
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