最終章 part1



 ズガーン!

 銃声。
 そこにいた誰もが、驚愕で目を開いた。
《青き狐》の左胸から、細い煙が立ち上っている。彼の胸に穴を開けたのは、チタン装甲をも撃ち抜ける特殊金属の銃弾であった。弾は彼の体を貫通し、ヨランダの閉じ込められている筒に命中していた。彼女の頭上十センチ上を、銃弾は貫いていた。もし彼女が座り込んでおらずに起立していたら、間違いなく撃たれたろう。
 ぎこちない動作で体を後ろに向ける《青き狐》。その視線の先にいる者に対して、驚愕によるものか、か細い声を出す。
「な、なぜ……お前が……」
 機械の人間が、三人から少し離れた所に立っていた。その手に、ヨランダの銃を握っている。銃口からは煙が昇っていた。
「全テノ準備ハ整ッタ。ゴ苦労ダッタ」
 機械的なその生気のない声には、嘲りが込められていた。《青き狐》は驚愕の表情を隠さないまま、背後の筒にもたれかかり、そのままずるずると床に座り込んでしまった。
「身体動作ヲ司ル部品ヲ破壊シタ。オ前ハモウ立テナイ」
 機械の人間は弾をリロードする。
「何の、真似だ……!」
 頭が重すぎるかのように非常にゆっくりと首を上げ、《青き狐》は口を開く。
「なぜ、こんな、ことを……」
 機械の人間のレンズの目に、冷たい光が宿る。
「ソノ肉体ヲモラウノハ、コノ私ダ」
 突然の展開に、ヨランダもアーネストも呆然とした。《青き狐》の表情は驚愕から怒りへ変わる。
「何が起こったの? あいつ、一体どうしたの、何を言っているの」
 筒の中で慌てるヨランダに、《青き狐》は言う。だが淡々と言うその口調には明らかに怒りが込められていた。
「私も、お前たちも、あいつの願いを果たすために使われていただけのこと。奴が言いたいのはそれだ……。肉体を欲していたのは、私だけでは、なかったということだ」
「ソノ通リダ」
 機械の人間は、やかましい足音を立てながら近づいてきた。だがその声は驚くほど静かだった。
「私ハ、研究所トオ前カラ解放サレタカッタ。タダノ機械仕掛ケノ人間デ終ワル事無ク、人間トシテ生キルコトヲ知リタカッタ。ダカラオ前ガ肉体ヲ得タイト言ッタ時、私ハ思イツイタノダ、人間ノ体ヲ再生シ、自分ガソレヲ得ルコトデ、人間トシテ生マレ変ワレルノデハナイカト。作業アシスタントトシテ作ラレタ私ハ、オ前ト同ジク、コノ研究所ニ縛リツケラレ続ケテイタ。ソノ鎖ヲ断チ切リタカッタ。人間ハ自由ダ、ダガプログラムデノミ行動ノ出来ル私ハ、プログラムニ違反スル事柄ヲ選択シテ行使スルコトガホトンド出来ナイ。オ前ハ機械ノ体ヲ持ツ事ヲ呪イナガラモ、外ヲ自由ニ駆ケテイタ。ソレガ、ウラヤマシカッタ」
《青き狐》の数歩手前で立ち止まり、その額に銃口を向けた。
「オ前ヲ殺スコトハ出来ナイガ、脳ノ働キヲ一時的ニ止メルコトクライハデキル。ソシテ目ガ覚メタトキカラ、オ前はハココデ永遠ニ孤独ノママ、生キルノダ。私ノ味ワイ続ケタ孤独感ヲオ前ニモ味ワワセテヤル」
 自分が撃たれる訳でもないのに、ヨランダは身震いした。
「……なるほど、お前の欲するものは、『自由』、か……。だが、撃つ前に、一つ聞かせろ」
《青き狐》はゆっくりと話す。
「お前は肉体を手に入れた後、何をしたい」
 ガシャ、と機械のきしむ音。
「肉体が手に入れば、確かにここから解放されるだろう。だが、お前はその先に、何を望んでいる。人間になったその先に、何がある?」
「ソノ先ナド、ドウデモイイ。肉体ヲ得ラレサエスレバ、人間トシテ生キテイルコトガ実感デキルハズダ!」
 その返答に、《青き狐》は諦めたように笑んだ。
「そうか……」
 やめなさいよ!
 ヨランダはそう言いたかった。だが、言葉は出なかった。
「イイ覚悟ダナ」
 銃の引き金が、ゆっくりと引かれていった。


 引き金が引き切られる直前、がしっとその腕が押さえ込まれた。
 しっかりと立ち上がった《青き狐》の手によって。
 立てるはずもない彼が、なぜ立っているのか。
「お前は忘れていたようだな、この体には、永久に戦えるように自己修復機能が内蔵されていることを。体のパーツがやられても、短時間で応急処置を施し、また戦闘可能にする忌まわしい機能だ。だから研究所の奴らは私をあの棺に閉じ込めたんだ、身体のどの部品も、自分達で破壊することが出来なくなってしまったからな」
 すさまじい腕力で機械の腕を捻じ曲げ、銃口を別の方向に向ける。その直後に銃は発砲された。弾は筒の側の機械に当たり、爆発こそしなかったものの、完全に故障した。筒の壁がスーと下がり、ヨランダは外に出られるようになった。
《青き狐》はそれに構わず、目の前の機械の人間と対峙する。
「お前にはいろいろ苦労をかけてきた。だから人間の体を得た後はお前の望みを何でも叶えてやるつもりだった。お前が望むなら、もう一度人間の肉体を作り出すこともしてやりたかった。私のいないところで、お前は始終口にしていたな、人間の血肉がほしい、と。だが、お前の言葉を聞いてはっきりとわかった。お前は人間の肉体を得ても、自由になどなれない!」
「何ダト……!」
 バキンと音を立てて、機械の人間の左腕が引きちぎられ、床に落ちる。機械の肩や腕から電流が走った。
「お前は『自由』の意味を履き違えている。お前が言うのはただの『身勝手』、『自由』とは全く別物だ!」
《青き狐》自身も電流を受け、体ががくんと倒れかけて中腰の姿勢になる。機械の人間は、身をかすかに震わせた。
「別物ダト……?」
「人間は様々な選択肢を抱えて、生きている。人間はその選択肢の中から、自分の成せる事を選び、なおかつその選択した行動が未来に何らかの影響を与えることに対し、自分自身も何らかの形で責任を持つ。責任という重圧を持ってはじめて、人間は未来を見据えて行動を起こすことが出来る。人間は『自ら』で『由』を作り出していく存在……。お前はそれが理解できていないんだ!」
 機械の人間の体が、斜めにがくんと倒れ掛かる。
「それに、お前は、孤独を知らない……。お前はこの研究所にいる間は、たとえ他に話し相手がいなくとも、私とのつながりがあった。だが、本当の孤独は違う。肉体的な接触は存在していても、誰からも必要とされず、心を許せる相手すら存在しない。そして、人間はその孤独に絶対に耐えることが出来ない……」
「私ハ……私ハ……」
 突然、その機械の頭からバチバチと電流が走りだす。
「私ハ、何ヲ、シタカッタ……ノダ? 血肉ヲ得テ、ソレカラ、何ヲスルカ、ナド、考エツケ……ナイ。ナゼ――」
「お前が望めば肉体を与えようと思っていた。お前が旅に出たいといえば連れて行ってやりたかったし、どこかで暮らしたいといえば住まいを探してやるつもりだった。だがお前は血肉を得ることばかり考え、それ以上考えを進展させなかった。人間は、常に未来を見据える存在だということを、考えていなかったからだ」
 頭の爆発しそうな機械の人間に、《青き狐》は言った。その言葉に、機械の人間は床に倒れそうなほど体をそらした姿勢で、苦しそうに言った。
「ナルホド……プログラムサレタ人工脳デハ、考エガコレ以上、進展、シナイ。ソレドコロカ、拒絶、反応ガ起キテ――」
 頭が小爆発を起こし、煙を吹いた。無表情で見つめる《青き狐》だが、その目には哀しみがあった。
 機械の人間は、震えた声を出した。
「脳ガ、破損……。修復不能……。私ノ――最期、ナノカ……? 脳ガ、人工脳ガ、破損……死ヌ、トハ……コウイウ事ナノダロウカ……」
「死ねない私にはわからない。だが、私の腕では、お前の脳を修理することも出来ない」
 機械の人間は、機械的な声で笑った。
「修理ナド必要ナイ……全テノ生キ物ハ皆死ヌ。教エテクレタノハ、オ前ダロウ。死ヌトイウ事ハ、私モ、オ前ト同ジク、生キテイル事ノ証ニ他ナラナイ、ハズ……」
 床に、仰向けに倒れる。《青き狐》はその側に屈み込んだ。
「耳ヲ貸セ。アノ機械ガ壊レタ今、オ前ノ記憶ハ元ニ、戻ラン……名前ダケ、教エル」
 誰にも聞き取れない声で、何かを伝える。《青き狐》の表情が、優しげな微笑に変わった。
「そうか……ありがとう、そして、すまなかった……」
 謝辞の言葉と同時に、機械の人間の頭は、バンと音を立てて真っ二つにはぜ割れた。その中からは、半分機械で半分生身の、人間の脳が見えていた。
「私も同じく、人間として生きる実感がほしくて、肉体を求めていたのかもしれない。脳だけが人間で、後は全て機械仕掛け。私たちは、似たもの同士だったのかもしれないな」
 割れたレンズの左目に光るものが見えたのは、気のせいだろうか。

 筒から抜け出したヨランダは、《青き狐》が機械の人間と対峙している間に、アーネストの側へ寄った。持っている救急セットで可能な限りの応急処置を施したが、総身が傷だらけのアーネストは、ゆすってみると反応はあるが、出血のために意識が薄れかけている。このままでは死んでしまう。外へ運び出そうにも、彼女の力では体重八十キロもの彼を担いでいけるはずもない。
 バンと破裂音が聞こえ、そちらを向くと、真っ二つに割れた機械の頭から、いくらか機械の部品が混じった人間の脳が床に転がり落ちるのが見えた。その側で、《青き狐》がうなだれている。彼女に背を向けているため、その表情は見えない。
(それよりどうしよう……アーネストを医療センターに連れて行かないと……)
 ここから出るには、アーネストを担いできた彼に頼むしか方法はない。だが――。
 音もなく、《青き狐》が立ち上がり、くるりと振り返る。表情はない。だがヨランダはびくっとした。何かされるのではないかと、身構える。相手は素早く近づいてきて、中腰のヨランダを見下ろした。
「機械が壊れた以上、首飾りに用はない……残るは、お前だけだ」
 みぞおちに重い一撃が走り、ヨランダは意識を失った。


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