最終章 part2



 みぞおちを走る鈍い痛みと共に、ヨランダは目を開けた。まず目に飛び込んできたのは、まばゆい白い光だった。眩しさに目が眩み、また目を閉じる。それが徐々に治ると、自分のいるところを見渡した。医薬品のかすかな臭い、横たえられているところの柔らかな感触、薄い布団をかけられている温かさ、真っ白な部屋。
 起き上がってみると、ここはどこかの一室らしかった。周りはカーテンで遮られている。
 なぜここにいるのかわからず、ベッドの中で彼女が訝っていると、いきなりカーテンがシャッと開いて、誰かが顔を出した。
「おお、目が覚めたのか! よかった」
 見覚えのある顔。だが彼女はすぐに思い出せない。
「ええと……」
「何だよ、忘れちまったのか。バルゾフだよ」
 くすんだ金髪。商人風の服装。ヨランダはやっと思い出した。
「どうして、アタシはこんなところにいるの?」
「どうしてって。驚いたのはこっちだぜ。都市へ行く道を通っていたら、いきなりお前らそろって石橋の真ん中に倒れてたの見つけたからさ。俺、仲間と一緒にお前らを拾い上げてさ、この町の医療センターへ駆け込んだ。あんたは無傷だが、アーネストは重傷だった。複雑骨折とか打撲とか、とにかく全身が傷だらけでな。しかもあと一歩担ぎ込まれるのが遅かったら、助からなかった。でも、手術の甲斐あって、どうにか命はとりとめたんだ」
 ヨランダがベッドから降りようとすると、バルゾフが止めた。
「やめとけって。アーネストは当分面会謝絶だとさ。行っても会えない。それにさ、あんただって、疲れた顔してる」
 疲れているのは本当だったので、彼女は大人しくベッドに戻る。だが部屋を出ようとするバルゾフに聞いた。
「ねえ。石橋の真ん中に倒れてたって言ったわよね」
「ああ」
「他に、誰かいなかった? それか、何か変なこととかなかった?」
 言われて、バルゾフは頭をかいた。
「別に誰もいなかったな。変なことって言えば、俺らが都市へ向かっている時、都市のほうから奇妙な花火みたいなもんが空を飛んだのさ。で、お祭りでもやってんのかと思って店を早く出すべく行ってみれば、お前らが石橋の上で倒れてた」
「花火? そんなのがあったっけ?」
「おう、けどな、あんたは気絶してたから気がつかなかっただけなんだろうよ。それじゃ、俺、急ぎの旅だから、アーネストによろしく言っといてくれ」
 バルゾフはそれだけ言って、部屋を足早に出て行った。

 医療センターは大きめの都市ならばたいてい配置されている、医療設備である。100年戦争が終了した後、たいがいの都市で唯一生きている機能がこの医療センターであり、現在は建物を建て直されて使用されている。図書館や食堂もついているので、娯楽施設やレストランの代わりに利用する者もいる。
 ヨランダは、アーネストが回復するまで医療センターにいたが、その月日は半年にもおよんだ。意識が戻り、話が出来るようになったアーネストは、じっとしていると退屈するだの体が鈍るだのと不平をこぼし続けていた。それゆえ彼がどうにか全ての怪我を治し、退院できると知らされたときの喜び方は半端ではなかった。じっとしていることが苦手な彼にとって、入院生活は苦痛以外のなにものでもなかったようである。
 退院するとき、入院代をそれぞれの財布から払おうとしたのだが、硬貨投入口からは、料金を既に受け取ったという領収書が出てきた。支払人の名前のところには、誰の名前も書かれていない。
「誰かしら?」
「バルゾフじゃねえことは確かだな。あいつ几帳面だから、どんなモンにも自分の名前を書いてた」
 一体誰が料金の金貨二枚を払ったのかわからなかったが、財布をこれ以上軽くしないですむのなら、と、アーネストは領収書だけ受け取って医療センターを出た。ヨランダはその後を追った。
 入院から半年経っていたので、今の季節は晩秋。
「夏は好きだけど、冬は嫌いだな、寒いし」
 アーネストは身震いする。ずたずたに切り刻まれた防弾ベストはもう使い物にならないので、処分してしまった。
 ヨランダは上着を着て、前をあわせた。
「冬は寒くて当たり前よ。それより、あんた大丈夫なわけ? リハビリ以外、動いてないでしょ」
「だからこれから運動すんだよ」
 アーネストはそう言って歩き出した。
 と、その時、ヨランダがあっと声を上げた。
「どした?」
 ヨランダはアーネストに何も言わず、代わりに彼の手を引っ張って早く行こうとせかす。アーネストはその理由がわからなかったが、大人しく彼女に従った。人ごみをどうにか抜けて、目抜き通りから少し離れた商店街へと急ぐ。ヨランダの目指すところは、その先にあるらしく、彼女は走る足を休めない。退院したてとはいえ、アーネストも休まず走った。商店街を抜け、さらに宿場を通り過ぎたところで四つ角を左に曲がる。
 見覚えのある、背中まで伸びた黒髪。
「エミリアさん!」
 ヨランダの口から、その人物の名前が飛び出した。
 前方を歩いているその人物は、振り返った。見覚えのある鉄色の服。ゆったりとしたウェーブのかかった、ふわりとした黒髪。そしてその顔こそ、エミリアそのものであった。
 ただ違うところがある。
 目が見えている。
「あなた方は……?」
「覚えてます? アタシたちのこと……」
 ヨランダの急いだ答えに、彼女はしばし首をかしげたが、やがて喜びの表情を浮かべた。
「ええ。あの方のお知り合いでしたね、覚えてますわ。お久しぶりです!」
 再会を喜んでいるエミリアに、アーネストは息を切らしながら問うた。
「あんたの目、見えなかったはずじゃ……」
「治療したのです。あの方が望まれたのです。私、あの方が強固に反対なさるなら目を治さなくてもよいと思っていたのですが、でも、治してよかったと思います。世界が、こんなに広くて明るくて、美しいなんて……」
 エミリアの目に、涙が浮かんだ。
「今は、あの方と一緒に旅をしているのです。私が『世界を見たい』とわがままを言ったんです。ですが、あの方は快く承知してくださいました。『一緒に来て欲しい』と……」
 エミリアは頬を赤く染める。彼女がしきりに繰り返す『あの方』が《青き狐》を指すことは想像に難くない。だがその本人はどこにいるのだろうか。
「エミリア」
 三人の近くから声がした。そして人ごみの中から現れたその声の主は、後ろからエミリアの肩を叩いた。エミリアが振り向く。彼女の後ろにいた人物を見るなり、二人は危うく大声を上げるところだった。
《青き狐》。
 以前のように、機械の部分が露出した顔ではない。完全に元の顔のままである。また、着ている衣類がすっかり変わっている。濃紺の防護服ではなく、黒を基調とした旅の服装である。トレジャーハンターであった頃の服装と比べると、ずいぶん防御力に欠ける。
《青き狐》は二人を見ると、エミリアに言った。
「先に宿へ戻っていてくれ。私も後から行くから」
 エミリアが素直に行ってしまうと、まずヨランダが口を開いた。
「あんた、一体どうして――」
 彼女が言い切る前に、《青き狐》が返答した。機械が完全に故障して記憶を取り戻せなくなり、用のなくなったヨランダとアーネストを外へ運び出した後、人間の肉体と、機械の人間の体を両方用いて、己の新しい肉体を得た。そして研究所を出た後にエミリアの元に行き、彼女の眼を開かせたのである。
 アーネストは《青き狐》にさんざん痛めつけられたことをまだ根に持っていた。だが彼が何か言う前に、ヨランダが口を開いて遮る。
「用がなくなったアタシを、なぜ殺さなかったの? あんたにとって、アタシは憎悪の対象でしかないはずでしょ」
 問われた《青き狐》は不機嫌な表情になる。
「あの女は最期まで抜け目がなかった。機械が使えなくなった腹いせにお前に止めを刺すつもりだったが、私の脳に埋め込まれたチップが途端に反応した。あの女は、自身とその子孫が私の手で滅ぼされることを想定していたらしい。首飾りと同様、あの女とその子孫に手を出せば、脳の中に埋め込まれたチップが拒絶反応を起こして脳を死滅させる仕組みになっていた。仮に機械が壊れていなくても、私が記憶を抽出するためにお前の遺伝子を使うのは不可能だったというわけだ。そして、このチップはどんなやり方で手術しても取り去ることが出来ず、無理をすれば私の脳を傷つけてしまうほど深く埋め込まれていた」
 冷たい殺意。腕を組んではいるが、その組まれた手はかすかに震えている。まるで怒りを必死でこらえるかのように。本当はこの場でヨランダを手にかけたいのだろう。相手の殺意を浴びて、ヨランダは祖母がなぜ自分に首飾りを渡したのか、やっと謎が解けた。《青き狐》から身を守るための、いわば護身具だったのだ。
「つまりアタシを殺せなかったってこと?」
「そうだ。奴はよほどお前を可愛がっていたんだな」
「そりゃあ、アタシはおばあさんに可愛がられてたもの。……それより、どうしてアーネストには止めを刺さなかったのよ」
「本当ならこの手で止めを刺してやってもよかったが、止めておいた。その理由? 別にないな」
「別にねえだと?」
 アーネストが割って入ってきた。
「てめえの気まぐれで、俺は生かされたってのかよ、ああ!?」
「そう受け取られても、仕方あるまい」
「このっ……!」
 渾身の力を込めた正拳突きが繰り出されるが、そのこぶしは相手の顔に届く直前、片手で止められた。
「残念だな、私の体は半分機械仕掛け。だからお前の突きを止めることなど造作もない。例え止めなかったところで、お前の指の骨が折れるだけの話だ」
 アーネストの手首をしっかりと握り締めながら、《青き狐》は笑う。これは明らかに相手を見下す嘲笑である。だが《青き狐》は機械の体を捨てて、血肉のある生身の体を得ることを心の底から望んでいたはずである。なぜ彼は完全な生身ではなくて、半分だけ機械化した体を選んだのだろうか。
「体のパーツはあいつの形見でもある。あいつにはいろいろ苦労をかけてきたからな、せめてもの償いだ」
 そしてアーネストの手を放してやる。《青き狐》の言うあいつとは、機械生物研究所にいた、あの機械仕掛けの人間にほかならない。
「結局あんた、その体を選んだの? じゃあ今まであんたの手前勝手な屁理屈で殺されてきたトレジャーハンターたちは何のために――」
「私がこれまでに数多くのトレジャーハンターを手にかけてきたことは、否定できない。だが、私は赦しを乞おうとは思わない。赦されるはずもないし、誰が私を赦すんだ?」
 かなり開き直った言い方に、ヨランダもアーネストも呆れるやら驚くやら。
「その言い方からすると、あんたはエミリアさんに話してはいないみたいね、自分が何をしてきたかってことを」
「……エミリアは、敢えて聞かないでくれた。話したくないことがあるならそれでもいいと、言ってくれた……」
 二人は見落としていたが、細められた《青き狐》の目には小さく光るものがあった。
「昔の体は、殺戮のためだけに使われてきた。だが今の体は、エミリアを守るためにある。それが、この半機械化された肉体の存在理由だ」
 差し出される左手を、ヨランダは握る。
 温かい。
 それを確認するために何度も握り返す。だが彼女の手に伝わってくるのは、血の通った人間の手のぬくもりだった。以前に感じた、氷のように冷たくて金属のように固い感触ではない。
 《青き狐》は笑った。
「お前はやはり駆け出しだな」
「な、なんですって!」
「差し出された手を、素直に握る奴がどこにいる。私がお前の利き手を潰す策がない、という保証はないぞ」
 言われてヨランダは、今まで相手の手を握っていた左手をパっと引っ込めた。
「じゃ、じゃあどうして手なんか差し出したのよ。あんただって利き手をやられるかもしれないのに」
「単にお前を試しただけだ。それに、私は両利きだ」
 彼がくるりと背を向けるや否や、
「待て、《狐》! 話はまだ――」
 アーネストがその襟首を強く掴んだ。だが相手はその手をやんわりとふりほどく。
「言っておくが、その通り名はもう通用しない。私にはもう別の名があるのだからな」
 手招きでヨランダを呼び寄せ、その耳に何かをささやいた。そして、二人に背を向けて足早に立ち去っていった。
 彼の姿が人ごみの中に消えるや否や、アーネストは苛立ちの声を上げた。
「名前なんぞどうだっていいんだよ!」
 その大声で、通行人の何人かが彼の方を振り返る。
「俺を半殺しにしといて、何なんだよあの野郎――」
「嫉妬してたのよ、あんたに」
 ヨランダは遠くを見ながら、言った。
「嫉妬だと? 何で俺に――」
「あいつはね、あんたがうらやましかったの。だからあんたを散々痛めつけたのよ、八つ当たりで」
「????」
「アタシに対して開けっぴろげに付き合えるあんたを羨んでいたのよ。あいつはエミリアさんに対して心を開いてはいたわ。だけど開けっぴろげに付き合ってはこなかった。彼女に捨てられるのが怖くて、機械の体だった秘密を隠してたもの。それに、秘密を隠し通せたとしても、感情の高まりで殺戮に走る体じゃあ感情を素直に出すことなんか出来なかったはず、例えそれが喜びであってもね」
「????」
「まだわかんないの? あいつは怯えていたのよ、やっと自分を認めてくれたエミリアさんを、自分の手で殺してしまうかもしれないから……。だからどうしても、嬉しくても別の感情でそれを紛らす必要があった。心の底から素直に喜んだり出来なかったってことよ。でもあんたは結構ストレートにアタシに感情をぶつけてくるじゃない。あいつは、それが羨ましくて仕方なかったのよ」
 ヨランダの頭の中に、以前エミリアとお茶を飲みながら雑談した光景が浮かんだ。《青き狐》はエミリアと話をする事に喜びを感じていたようだった。だが、時々ティーカップやケーキを見て寂しそうな表情を浮かべていた。機械の体ゆえに何も食べることが出来ない。せっかく淹れてもらった紅茶を味わうことが出来ないその失望感で、喜びを紛らわしたのである。
 まだよくわからないといいたそうな表情のアーネスト。ヨランダはこれ以上言うのを止めた。どれだけ詳しく言ったところで、鈍感なアーネストにわからせることなんかできない。そう思ったのである。
「そういえば、《狐》の奴、お前に何て言ったんだ?」
「……次に会うことがあれば、入院代の金貨二枚を返せ、だって。恩までちゃっかり売ってくれちゃって、セコイわね」

 その日の夕方、町を発とうとした二人の先を、一台のリニアバイクが走っていくのが見えた。乗っているのは二人。
 西日に向かって走っていったので、眩しくてよく見えなかったのだが、ヨランダには、リニアバイクに乗っている二人がこの上なく幸福そうに見えた。
「……なんだか、先越されちゃった気分ね。でも、まーいっか。そのうち、こっちだって――」
「おーい、行くぞー」
 ヨランダは、去り行くリニアバイクに向かって、小さく手を振った。そして、
「今行くから待ってよー!」
 夕日を背に、アーネストの待つジープへと、駆けていった。


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ご愛読ありがとうございました。
「Collectors」は、昔書いていたヘタレな長編小説を基に話を一から作り上げたものです。
下書き完成後、サイトを立ち上げる前に、Wordに打ち込んでいたのですが、
推敲を繰り返すうち、最終的に文庫本一冊くらいの文章量となってしまいました。
欠陥だらけの長編小説ですが、楽しんで読んでいただけたならば幸いです。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
連載期間:2005年4月〜2005年8月


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