第1話



 ポケモン町の隅にある小さなダンススクール。
「ここが、ダンススクール……?」
 街灯の弱弱しい光に照らされたキルリアは、目をまん丸にした。目の前に建つ小さな建物はおんぼろで、かかっている看板が外れそうなくらい金具も緩くなり、窓もだいぶ汚れて、内部から漏れる明かりがなんとか判別できるか否か。ダンススクールというよりはおんぼろプレハブと言った方が正しいのではなかろうか。
 落ちかけた木製の、看板には、『ダンス』と書かれているが、その先が雨で滲んで読めない。
「ほんとうにここがあのダンススクールで、いいのよね?」
 思わず自分の手元の地図を見直した。コンビニでコピーしてもらった地図には、確かに書いてあるのだ。『ダンス・コジョンド』と。
 悪いけれど、歩いてくる途中で見たほかのダンススクールの方がはるかに立派だった。たとえば『チーム・ザ・トリオ』は、ヤナッキー、ヒヤッキー、バオッキーの三匹が講師を務めるダンススクールで、軽快なステップや派手な動きで、町でも特に有名なところだ。当然会員は若手ばかり。また『レディス・フラワーダンス』はドレディアが講師を務めるダンススクールで、ダンスというより舞に近いものだ。その、ゆっくりだが優雅な動きが多くの者を魅了しており、『チーム・ザ・トリオ』の次に会員が多い。
 それらと比べると、この『ダンス・コジョンド』の貧相なこと……。漫画の表現にありがちな、それこそ今にも潰れそうな建物ではないか。
(うーん、でもなあ)
 キルリアは地図と目の前のおんぼろ建物を交互に見比べながら、なやんだ。
(アタシ、ダンサーの才能は無いって言われてるけど、ダンスはしたいのよね)
 このキルリア、昔から踊る事が好きで、何か曲を聴いている時はついつい体が動いてしまうのであった。それが高じてダンサーになりたいと思い、あっちこっちのダンススクールへの入会試験を受けるも、皆そろって不合格。皆口をそろえて言うのだ、「ダンサーとしての才能がない」と。それでも全くめげずに、キルリアは町のダンススクールを片っ端から探し、自分の小遣いでも参加できるところをやっと探し当てた。参加費はわずか百ポケ! 自分の小遣いでも何とかなるので、さっそくキルリアはコンビニの地図を頼りに、町はずれまで歩いてきたのであった。
 そしてやっと辿り着いたのが、『ダンス・コジョンド』である。もう、これで最後。ほかは皆、入会試験を受けるも不合格になったところばかりだ。ここの入会に失敗したら、今度は町の外まで行かねばならない。
「見た目は悪いわね。でも、入ってみなくちゃ分かんないわよね」
 キルリアは地図をたたんでポシェットにしまい、ドアをノックした。少し錆の浮いた金属のドアがコンコンと音を立てた。しばらく待つ。
「……だぁれぇ」
 中から無気力な声が聞こえてきた。キルリアはドキドキしたが、深呼吸して、答えた。
「あ、あの……ダンススクールの、入会に、来たんですけど……」
「ダンススクールなら、ほかにもいっぱいあるでしょー」
「で、でも、全部入会試験が駄目だったんです……! アタシ、ダンスは好きなんだけど、才能ないって言われちゃってて……。でも踊りたいんです」
 しばらく返事がなかった。
「開けて入ってきてちょうだいぃ」
 言われたので、キルリアは恐る恐るドアの取っ手をつかんで回す。
「お、おじゃまします……」
 ドアを開けると、まず薄暗さが飛び込んできた。その薄暗さの中に浮かび上がるろうそくの明かり。
(で、電気がないの?!)
 そしてその小さなろうそくの傍に寝そべっている、コジョンド……。
「よーこそ、『ダンス・コジョンド』へ……」
 コジョンドはやる気の無い顔で言った。
「き、き、キルリアです。よろしくお願いします」
 キルリアが自己紹介したところで、

 ぐぐぅううううううう!

 室内に大きな音が響き渡った。腹の音だ。空腹の音だ!
 いや、キルリアのではない。
「あのー」
 声をかけたキルリアに、コジョンドは力なく言った。
「お願い、何か食べ物買ってきて……」
 そうして十分後。
「うまうま!」
 キルリアが買ってきたコンビニ弁当やサンドイッチやスナック菓子を、ペットボトルのお茶でぐいぐい飲み下しながらも、コジョンドは美味い美味いと声を上げ続けながらむさぼり食った。キルリアは、埃だらけの机の上に載せたコンビニの品物が次々に空になっていくのを、あっけにとられた目で見つめていた。
 スナック菓子の最後の一口がコジョンドの胃袋に収まって、初めてコジョンドは満足した様子であった。
「いやー、美味しかったよ、ありがとうね」
「いえ……」
「もう何日も食べてなかったのよ、お金無くってさあ。ここらへんに出来た新しいダンススクールに生徒を取られてしまってねえ、入会者なんていなくなっちゃったのよね。電気代を払うのも難しくって、ろうそく生活してるの。幸い水道は出るんだけどね」
「そうですか……」
 そこでコジョンドはげっぷをした。
「あら、失礼。で、貴方はうちのダンススクールに入会したい方なんだっけ?」
「はい」
「ごはんのお礼に、特別に試験なしで入会を認めてあげるわね」
「えっ」
 キルリアの目が光り輝いた。
「いいんですか?!」
「もちろんよ、でも、会費の百ポケは払ってちょうだいね。わたしの生活費だから。で、図々しいお願いなんだけど、レッスンの日には何か食べ物持ってきてちょうだい。いま、ポケを全然持っていないのよね」
「わ、わかりました……」
 キルリアは財布を開けて、百ポケ硬貨を取りだした。
「あ、それと――」
 申し訳なさそうに、コジョンドは言った。
「最初のレッスンの前に、まずここを掃除してくれないかしら? 掃除用具ならあそこのロッカーに入れてあるはずだから」
 キルリアはずっこけた。
(アタシ、こんなダンススクールでやっていけるのかしら)
 はたきで壁をはたいて埃を落とし、ほうきで埃やゴミを集め、雑巾を濡らして拭き掃除をしている間、キルリアの心の中に一抹の不安がよぎったのだった。


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