第1章 part1



 ヒトとポケモンの共存する世界。その世界にはあらゆる場所にポケモンが存在する。空、陸、海中。どこにでもいる。その中には、人間の見たことのないポケモン、つまり伝説で語られるポケモンもいる。そして伝説で語られるポケモンのうち、海中深くに住むとされるポケモンがいる。
そのポケモンは時には空へ羽ばたく事もあり、一度羽ばたくと、一ヶ月以上もの間嵐が起きると伝えられていた。

 うららかな五月の昼下がり。見渡す限り、広々とした草原が広がっている。この小高い丘を南へ下ると、小さな港町がある。
 港町ストームタウンから一キロほど離れた所で、ポケモンバトルが繰り広げられている。
「ヘルガー、『かみくだく』で押し切れ!」
 よく鍛えられた体のヘルガーが、鋭いキバをぎらつかせ、相手のドラピオンに飛びかかる。
「落ち着け! 『ミサイルばり』で牽制!」
 対戦相手の指示で、ドラピオンは少しよろけた体をしっかり立て直し、無数の針を打ち出す。走ってくるヘルガーの走行ルートに次々と針が刺さる。ヘルガーには全く当たらないが、回り道を余儀なくされ、真っ直ぐに突進できない。
「そのまま『クロスポイズン』!」
 少し離れた場所にいるヘルガーに、長い腕を伸ばしたドラピオンの技がヒットした。一撃を受けたと同時に毒に犯され、ヘルガーはよろける。
「負けるなヘルガー! 『かえんほうしゃ』だ!」
 ヘルガーは気合で踏ん張り、口から炎を吹き出した。勢いよく噴射された炎はドラピオンにヒットした。
「今だ! 『ほのおのキバ』!」
 火を帯びた鋭いキバの一撃が、ドラピオンの急所にヒットする。炎の攻撃を連続で受け、ドラピオンはよろけ、倒れてしまった。
 戦闘不能。
「よっしゃ!」
「ああ、残念……」
 対戦相手は、ドラピオンをモンスターボールへ戻した。
「ありがとう、ドラピオン。町に戻るまでゆっくり休んでくれ」
 その一方で、勝者は、相棒のヘルガーと共に勝利を喜んでいた。
「よくやったな、ヘルガー!」
 ヘルガーは毒を喰らっているというのに、元気一杯飛び跳ねている。
「あ、やっと終わったのね」
 その声は、先ほどのバトルを見ていた見物人から発せられたもの。彼女は、バトルに参加する気はないらしく、毛の艶が良いブラッキーを腕の中に抱いていた。
「じゃ、ストームタウンへ戻りましょうか」

 ストームタウンのポケモンセンター。三十分前に船が出港したばかりで、次の出航にはあと二時間待たなくてはならない。先にポケモンセンターへ立ち寄ったトレーナー達は、すでにポケモンの回復を済ませて船に乗ったため、今のセンターは空いていた。
「お待たせしました!」
 回復したポケモンたちをカウンターで受け取る。先ほどのポケモンバトルで受けたポケモンたちの傷は、完全に治っている。
 ポケモンセンターの裏手にある、少し広めの、いこいの広場。そこではポケモンを出して良いので、ポケモンの見せ合いやバトルなど、トレーナー同士の交流が生まれ出る。
 他にトレーナーはいない。今いるのは、この三人だけ。
 一人目はポケモントレーナー。ポケモンを鍛えて育てる、この世界では最もポピュラーな職業だ。所持ポケモンは五体。ヘルガー、ドダイトス、コドラ、ゴーリキー、ケンタロス。
 二人目はポケモンウォッチャー。ポケモンを戦わせるのではなく、ポケモンの生態を観察してスケッチしたり分布調査などを行う、フィールドワーク系の職業だ。所持ポケモンは四体。ニューラ、カメックス、サーナイト、ドラピオン。
 三人目はポケモンコーディネーター。ポケモンを育てる点ではトレーナーと同じだが、ポケモンを強くするのではなく、ポケモンの持つ美しさを見出し、それに磨きをかける職業だ。コーディネーター専用のコンテストバトルでは、ポケモンの純粋な強さではなく、ポケモンの技をいかに美しく華麗に見せるかが競われる。所持ポケモンは三体。ブラッキー、アチャモ、チルタリス。
 綺麗に左耳の赤い羽根部分を鉤爪で手入れしている雌のニューラは、芝生で寝ているコドラをラフスケッチ中のポケモンウォッチャー・スペーサーの隣に座って側にベッタリと引っ付いた。スペーサーは気に留める事無く、鉛筆をスケッチブックに走らせる。
「あら、よく懐いてるのねえ」
 いくつもコンテストリボンを受賞してきた自慢のブラッキーを抱いたまま、ポケモンコーディネーター・ヨランダが冷やかすように言った。スペーサーは彼女を横目で見るが、手はコドラをスケッチし続けている。
「そうか? 甘えているだけにしか見えないが」
 ニューラはベッタリと彼に引っ付いて離れようとしなかった。
 ポケモントレーナー・アーネストは、
「バトルしよーぜ」
 ヨランダに持ちかけるが、彼女は呆れ顔になった。
「血気盛んねえ。さっきもバトルしたのに。でも、まあいいわ。つきあってあげる」
 ヨランダはアチャモを呼び、アーネストはケンタロスを呼んだ。
「バトル開始!」
 アチャモとケンタロスのバトルが行われている間、スペーサーはコドラのスケッチを完成させる。そして、今度は港の方を向いた。彼はポケモンのスケッチ以外にも、風景画を描いているのである。
 はるか遠くの水平線に、雲の塊が見える。遠いところで荒れているかもしれない。ストームタウン周辺の海には雲ひとつない。波も静かだった。ストームタウンの南西には小島があり、その小島は、時々キャモメやペリッパーなど飛行ポケモンが羽根を休める休憩地点として利用されている。少し小高い丘にあるポケモンセンター裏のいこいの広場からこの小島を見ると、不思議なことに、何かのポケモンの形をしているようにも見えてくるのであった。
 彼は色鉛筆を使って海と小島とストームタウンの町並みを描いていた。途中、視界に何か白く光る物が飛び込んだが、彼は何も考えず、その白いものもスケッチブックの中に描き込んだ。描きおわってからその白いものの存在に気づいたが、その白いものの形から、鳥ポケモンの羽毛が海風に舞っていたのだろうと考え、スケッチブックを閉じた。


 ストームタウンの沖を深く潜ると、様々な海のポケモンたちに出会える。さらにその海を深く深く潜っていくと、潮の流れが一筋の帯となって見えてくる。その帯の中を、何かが泳いでいるのが見える。巨大なポケモンのようだ。
 そのポケモンは帯の中を泳いでいたが、やがて姿を消した。同時に、その海流の帯が乱れ始め、やがて消えてしまった。


 夕方を過ぎると、急激に厚い雲が海から押し寄せ、家々に明かりがともる頃には、ポツポツと小雨が降りはじめた。さらに時間が経つと、雨は少しずつ強くなり、傘なしでは外に出ることも出来なくなった。
「あーあ、あんなに晴れてたのに」
 ポケモンセンターの窓から外を見て、ヨランダは独り言。
「明日晴れてくれそうにないわねー」
 腕の中で、ブラッキーが気持ち良さそうに眠りについている。
「きっと船も欠航してしまうわね」
「仕方ないだろう」
 スペーサーは、離れた所で、ドラピオンに肩のツボをついてもらっている。野宿用の荷物のほかに画材も持ち歩いているせいだろう、肩こりが最近ひどいらしい。ツボ治療をしてもらっている隣で、ニューラが彼の体にべったりと引っ付いている。
「ちえー。この雨じゃ、明日は船が出ないな」
 アーネストは窓を眺める。既に大粒の雨は土砂降りにまで変化しており、ビュウビュウと窓の外で風が唸り声を上げている。これが明日の朝まで続くようなら、船は出ないだろう。退屈そうに、ヘルガーはカーペットの上で欠伸した。
「これが、このストームタウンの名物だよ」
 声がしたので、三人は振り向いた。ポケモンセンターのロビーに、いつのまにやら一人の老人が立っている。歳は七十前後、頭は真っ白な頭髪で覆い隠されており、真っ白なひげが老人の顔を半分以上隠している。レインコートの代わりか、黒ずんだローブを着ている。肩の上にペラップを乗せている。
「ストームタウンはその名のとおり、頻繁に嵐が起こる町。これには、昔からある伝説があってな、海の神がはばたくとき、嵐が起きるというもんじゃ」
「海の神?」
 三人は同時に聞き返す。
「そうじゃ。海の神が羽ばたくと、気流や海流が乱れ、海が荒れるのじゃ。ここ数ヶ月間、海の神は頻繁に羽ばたいておるようじゃが――」
「ヨウジャガ」
 ペラップは真似した。
 窓の外で、稲光が空を引き裂いた。やや遅れて、大きな雷鳴。
「おやおや、今回は、ちと海の神も荒れているようじゃな。こんなに大きな雷鳴など、生まれて初めてじゃわい。海の神に、何かあったのかもしれんのお」
 老人はくるりと背を向けた。
「明日、もし嵐がやまなかったら、この町の南西にある小島まで行ってみなされや。ふぉふぉ」
 老人はそのまま、ドアから出て行った。
 三人はしばらく、口が利けない状態だった。一方、ポケモンたちは背筋をこわばらせ、その顔は緊張に満ちていた。
「海の神なんて、本当にいるのか?」
 最初に口を開いたのは、スペーサーだった。
 隣にいるニューラが不安そうに、彼の服に爪を立てた。
 数時間後、老人の言葉を裏付けるかのように、外の嵐はますます酷くなってきた。風が大きな唸り声と叫び声を上げ、風圧と雨で窓がピシピシと唸る。まるで押し破ろうとしているかのようだ。雷鳴も酷くなり、時々ロビーの電気が消えかける。音とわずかな揺れから考えて近くに何度か落ちているようだが、幸い停電には至っていない。
「やだもう。雷鳴りっぱなしじゃないの」
 ヨランダは、別の意味での不安を顔に出す。彼女は雷が苦手なのだ。
 時計は夜の九時を示している。チクタクと秒針がゆっくり動いていくのが見える。
 ポケモンセンターは一時間ほど前に避難所として開放されており、ストームタウンへついたポケモントレーナー達が避難してきていた。いずれも翌朝の船や天気について話し合っており、ロビーはがやがやと騒がしくなっている。やがて館内放送が流れる。このまま大嵐がおさまらない限り船は出せないとのことだ。
「予想はしていたけれども」
 スペーサーはロビーの隅にいて、館内放送を聴いていた。他のトレーナーたちの邪魔にならないよう、隅の一角に荷物を置いて、中の画材やらスケッチブックやら様々なものを整頓中。やはりニューラは彼の側から離れない。スリスリと時々頭をこすり付けている。
「マジで船が出ないってのは勘弁してほしいぜ」
 側の壁にもたれているアーネストはぼやいた。ヘルガーは尻尾をピンと張り詰めている。センターの奥からやっと人ごみをかきわけてきたヨランダは、ほっと一息ついた。ブラッキーは目を覚まし、彼女の前をチョコチョコ歩いている。妙に目がらんらん輝いている。
「寝るところが一杯だから、雑魚寝するか宿屋に行かなくちゃならないそうよ。冗談じゃないわよ、こんな大嵐なのに外に出て行けますか!」
「じゃ、雑魚寝するしかないだろ」
 アーネストはひとつ欠伸した。
「寝られりゃ、俺はどこでもいーから」
「同感だ」
 その答えにヨランダは頬を膨らませた。が、外に出たくない以上、仕方がなかった。

 トレーナーたちは明日の天気と己の事に忙しく、気づいていなかった。
 手持ちのポケモンたちが、何かを待ち受けているかのようにそわそわし、緊張していたのである。


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