第2章 part1



 嵐に次いで降り出した雪。
 その異常気象はストームタウンの周辺でのみ発生していた。他の地域は全く問題なく、晴れて穏やかな天気である。
「一体どうなってるんだ?」
 液晶テレビに映された、天気情報を見て、アーネストは完全に面食らっている。
「ふぉふぉふぉ」
 聞こえてきた声に、皆、振り向いた。
 肩にペラップを載せた、老人が立っている。いつの間に入ってきたのだろうか。そして、その体はどこもぬれていない。先ほど飛び込んだスペーサーは雪まみれだったというのに。
「海の神が暴れておるな。海の神の御身に何が起きたかはしらぬが――」
「シラヌガ」
 ペラップは真似した。
「このままだとこのストームタウンは雪にうずもれてしまうのお。これはまずい、これはいかん事じゃわい」
 のんびりとひげを指先でひねっていたが、やがて老人は、ポカンとした顔の三人を見て、言った。
「昨日も言ったと思うが、行ってみたかね。あの小島に」
 老人の言葉で、皆、同時に首を振った。老人はため息をついた。
「仕方ないのお。これがストームタウンの危機を回避できるかもしれぬというのに」
「シレヌトイウノニ」
 老人はつかつかと三人のほうへ歩み寄り、
「どうじゃ、わしが案内してやるから、あの小島へ来てくれんか。今はもう、頼めるのがお前さんたちしかおらんのじゃから」
 今度は、首を縦に振っていた。
「そうかそうか、来てくれるか、親切な若者たちじゃのお」
 実際は、否と返答することも出来なかったのだが……。
 老人のペースに完全にはまりこんだようだった。

 ポケモンセンターを出ると、暖房の暖かな風から、冷たい雪風に変わったため、一気に体が冷えたように感じた。実際冷えたのだが。
「あの小島へ行くには、まず港へ向かわねばならん。ま、当然じゃがな」
 老人は、先頭を歩いている。風のうなりはほとんど止んでいるが、雪はまだ止まない。粗末なローブだけしか着ていないはずなのに、老人は寒がる様子も見せない。防寒着を着ながらもその隙間から忍び込む寒さに震えている三人とは大違いだ。
 町の住人が商店街で群れを成している。危機に備えての食糧の買い込みをしているのだろうか。家電製品の店に並べられたテレビでは、ストームタウンで起こっている異常気象についての緊急特集が放送されている。道路では、避難勧告を最大音量でスピーカーから流すパトカーが何台も、他の車を押しのけるようにして、走り抜けていく。
「うう、冷える」
「若いもんがだらしないのお」
 商店街を通り抜けると、家がポツポツと道なりに並ぶだけになる。さらに進むと家もなくなり、倉庫が目立つ。その倉庫の群れの先に、港はあった。さらに、港の先には小島のシルエット。厚い雲が小島を覆っている。
 波は再び荒くなり始めた。ボートは出ない。小島は目と鼻の先にあるというのに。
「どうするんだよ、あの小島まで泳ぐってのか? こんなときに寒中水泳なんて嫌だぞ」
 アーネストはこれ見よがしに体を震わせた。しかし、
「泳がなくてもいい。頼むぞ、カメックス!」
 スペーサーはモンスターボールから海中へ、カメックスを呼び出す。カメックスは海中からすぐ浮き上がってきた。
「あの小島まで乗せてくれ」
 カメックスの甲羅に乗って、小島へと渡ることになった。一度に四人も甲羅には乗れないので、先にヨランダと老人を乗せて小島へ渡らせる。
「早く戻ってこいよ〜」
 アーネストは、泳ぎだしたカメックスを見送る。
「カメックスに任せるしかないだろう。波も少し荒いから、すぐに戻れるとは限らない」
 スペーサーは手に息を吐きかけて、手を温めた。彼とて、早くカメックスが戻ってきて欲しいと思っているのだ。
 先にカメックスの甲羅に乗ったヨランダと老人は、甲羅の上でバランスを崩さないように座っていた。カメックスは、荒くなってきた波をものともせず、なおかつ甲羅の上の二人が滑り落ちたりしないように気をつけて泳いでくれている。なるべく上下左右にゆすらないようにしているのだ。
 老人の肩の上にいるペラップは自分で飛んでいる。
「ホントに寒いわねえ」
 ヨランダは身を震わせる。防寒着の上から、寒さが忍び込んでくるのだ。老人はちっとも寒そうに見えない。
「なんじゃ、若いもんがだらしないのお」
「若いのは認めるけど、寒いものは寒いわよ」
 しばらく泳いで進んでいると、ふと、カメックスが止まった。
 あたりに、濃い霧が立ち込め始めた。
「どうしたのよ」
 ヨランダが身をかがめてカメックスを見る。カメックスは落ち着きを失っているようで、しきりと水の中に頭を突っ込んだり、出したり、左右をきょろきょろと見回している。
「一体どうしたの――」
 彼女の言葉は最後まで出なかった。
 カメックスが吼えて、甲羅にある大きなロケット砲から『ハイドロポンプ』を打ち出したのだから。打ち出された鉄砲水はとんでもない速度で前方の何かに命中した。
 何かが吼える声が、前方の、深い霧に閉ざされたところから聞こえてきた。カメックスの咆哮のこだまではない、もっと大きく、もっと深い声だ。
「ナニカキタ、ナニカキタ!」
 ペラップも落ち着きをなくし、その場でグルグル円を描いて飛び回っている。
「何がいるの?」
 ヨランダは不安になった。老人は、カメックスが打ち出した『ハイドロポンプ』の命中した先を、じっと見つめた。
「来たようじゃな」
「え?」
「掴まってなさい」
 老人は、ヨランダがカメックスの甲羅にしっかりと掴まったのを確認し、言った。
「カメックス、フルスピードで泳いでくれんか、あの小島まで一気に」
 言われるまでもないといわんばかりに、カメックスは泳ぎだす。酔いや滑り落ちなど気にしていられないようで、先ほどの泳ぎよりも遥かに速い。
 到着したのはわずか十秒後。冷風に当てられたヨランダは本当に凍えていた。とんでもない速度で泳いだカメックスは、疲れをものともせず、二人を小島へ上陸させた直後、港へ向かってすぐに泳ぎだした。
「うううう、ホントに寒い……!」
「まあ、あの速度で泳げば、強い風に当てられて凍えるのは当たり前じゃのう」
 老人は涼しい顔。ペラップがやっと追いついて、老人の肩に乗った。
「冷えたろう、まあ、その穴にでも入ってなさい。あったまる」
 老人が杖で示したのは、目の前にそびえる巨大な岩山。その岩山のふもとに、大きな横穴が開いている。いわゆる洞窟だ。
 風が防げるのなら、と、ヨランダはその横穴に入ってみる。
「あら」
 彼女は、洞窟の中が、まるでサウナのように暖まっているのを感じた。体があっという間に温かくなる。防寒着などなくても、半袖の服で過ごせそうなほど。
 ヨランダが洞窟の中で暖まっている間、老人は冷たい風を一身に受けつつ、荒れる海を見ていた。雪は一時的に止んだ。しかし一時間も経たないうちに降り始めるだろう。風の強さが増している。
「どうじゃのう」
 一方、やっと港に来てくれたカメックスに感謝して、アーネストとスペーサーはさっそく甲羅の上に乗る。海水で濡れた甲羅は冷たくて滑りやすかったが、今は服が濡れることなどどうでもよかった。
「カメックス、行ってくれ……うう、寒い」
 強くなった風で凍えないようにと、ヘルガーに炎で温めてもらっていたところだったのだが、さすがに炎ポケモンを海には出せない。アーネストは寒いのをこらえてモンスターボールへ戻した。
 カメックスは、スペーサーに言われて、港を出る。雪が止んでいるが、風は強さを増している。さらに、カメックスは急いでいた。もうちょっとゆっくり泳いでくれとスペーサーは何度も言ったが、カメックスは聞き入れない。
 何かに遭遇するのを恐れているようだ。
「落ち着きがねえな」
「何かあるのかもしれないな」
 前方は深い霧がたちこめ、島がどこにあるかすらほとんど分からない。しかし、
「キタ、キタ!」
 ペラップの独特の声が聞こえた。
「ナニカキタ! ナニカキタ!」
 何か来た。
 カメックスが泳ぎをやめるのと、何かの咆哮が波を揺さぶるのとはほぼ同時だった。波が咆哮によって一気に荒くなり、甲羅にしっかりしがみついていなければ振り落とされそうなほどだ。高くなり、低くなり、海は荒れてくる。空もだんだん雲が厚くなり、雨がポツポツ降り始める。
「何だ一体?!」
 アーネストは、危うくカメックスの甲羅から振り落とされそうになった。押し寄せる波が、カメックスを勢いよく持ち上げたため、バランスを崩したのだ。腹ばいになって甲羅のふちにしがみつき、やっと助かった。
「キタ、キタ!」
 ペラップが叫んでいる。
「カメックス、行ってくれ! 全速力!」
 老人と同じ指示を、スペーサーは出した。カメックスは彼の言葉通り、全速力で島まで泳いだ。風がいっそう強くなり、体温の低下も早まってしまうが、甲羅に乗っている二人がしもやけにもならずに小島の浜までたどり着けたのは運がよかった。
「おお、やっと来たのお」
 老人は二人を出迎える。スペーサーは降りるや否や、カメックスをモンスターボールへ戻した。
「ううう、寒い……!」
「若いもんが、ほんとにだらしないのお」
老人が二人を洞窟へ案内し、二人は、冷え切った体を洞窟の熱で温めた。
「それにしても、何でここはこんなに暖かいんだ」
 熱くなってきたので、アーネストは防寒着を脱いだ。
「ここは火山帯ではないはずなんだが」
 スペーサーも首をかしげている。ヨランダはどうだっていいという顔であった。
「いいじゃないの、暖かいんだし。凍えるよりずっとマシよ」
 体が十分温まった頃を見計らってか、老人が、かわいたローブを風になびかせ洞窟の中へ入ってきた。洞窟の外は風がうなっている。またしても雪が降り出したと見え、ペラップの頭には雪が少しついていた。しかし洞窟の中に入ると、雪は溶けた。
「ユキ、ユキ!」
 ペラップは騒いだ。
「さて、体は温まったかのう?」
 老人は問うた。三人はうなずいた。ペラップと対照的に、どこも濡れていない老人はひげを指先でひねり、言った。
「さて、今から海の神をまつった場所へ行くとするかの」

 この暖かな洞窟の奥は薄暗かったが、ヒカリゴケがたくさん生えており、全く何も見えないというわけではなかった。
「海の神を祭った場所?」
「そうじゃ」
 歩きながら、老人は言った。
「ストームタウンは昔から嵐の多い町。それは昨日も言ったはずじゃな。この町に嵐が多いのは、この付近を流れる海流が、海の神の通り道となっているからじゃ。海の神は、時々、この海流を通って地上に姿を見せるんじゃ」
 老人の声は、洞窟の中にこだました。
「いつもなら、一日二日だけの荒れた天気ですむのじゃが、今回は、ちと違っておる。いや、異常事態が起こっていると言ってもいい。雪が降ることなど、一度もなかったのだから」
 外の冷たい風は洞窟の奥までは入ってこなかった。
「はるか昔から、この小島は、ストームタウンで異常事態が発生したときに訪れる場所なのじゃ。ストームタウンの天候に何か異常があったとき、海の神に何か起きたのだという証拠。この近くの天候すらもつかさどっているからのお」
 時々、ペラップは老人の肩の上で羽づくろいをしている。
「夏なのに雪が降る。これが何よりの証拠じゃて。ほれ、そろそろ見えてくるころじゃ」
 老人が杖で奥を指す。ヒカリゴケがより密集しており、奥が見えやすくなっている。ヒカリゴケの薄くて白い光に照らされているのは、小さな岩棚だ。
「あの岩棚に何があるの?」
 ヨランダは問うた。老人はひげを指先でくるくると巻きながら言った。
「海の神を祭った祭壇への、入り口じゃて」


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