第3章 part1



 入り口をくぐると、まばゆい光が広がった。皆、目がくらんで思わず目を閉じる。やがて目の眩みが治ると、もう一度目を開けて、周りを見回した。
「すげえ……」
 最初に口を開いたのはアーネストだった。
 この場所は、洞窟とはとても思えないほどすばらしく美しかった。壁は全て水晶で作られており、まだ点いたままの懐中電灯の光を反射して、キラキラと七色に輝いている。天井も同じく水晶で作られているが、壁と違うのは、この水晶の奥で何かが光を放っている点だ。懐中電灯の光を反射するだけでなく、天井から降り注いでくる青い光も反射して、部屋を明るくしているのだ。
「きれいねえ……」
 ヨランダはうっとりと天井の光を見つめた。
「洞窟の中にこれほど見事な水晶細工があるとは……」
 スペーサーも茫然としていた。
 老人はコツコツと杖で地面をたたく。この地面も水晶で作られているが、輝きは壁や天井ほどではなかった。
「ほれ、見とれるのもいいが、お前さんたちの手を貸してもらえんかの?」
 老人は、杖で、部屋の奥を指した。
 指し示された方向には何もなかった。しかし、老人が杖を一振りすると、その示された場所が急にゆがみ、揺らめいた。これもまやかしだったのだ。ゆがみが消えると、その場所には天井まで届くほど巨大な祠があった。これは、水晶ではできていない。岩だ。
 岩の祠の中に、何かある。ちょうど皿状に削られたくぼみの中に何かがあるのだ。赤く光る石のようだ。
「あの赤い石が見えるじゃろ?」
 老人が問うと、三人はうなずいた。
「あれは、この近隣の海の状態を表すものじゃ。同時に、海の神も表しておる。平穏無事な状態なら、青く光っておるもんじゃが、あれは赤い。海の神に確かに何かがあったのじゃ」
 海の神に何か起こった。それは何度か聞かされたように思う。
 急に、あたりがグラグラとゆれだした。同時に、赤い石がまばゆい光を放つ。老人は体をぐらつかせず、しっかりと立っている。ペラップは落ち着きをなくして、老人の肩から離れ、宙を飛び回った。

 グオオオオン!

 揺れが収まると同時に聞こえる、何かの咆哮。この部屋の中から聞こえてくる。
「な、何だこの声……?」
 アーネストは周りをきょろきょろ見渡す。しかし、声の主の姿はない。やがて咆哮も収まり、シンと静かになった。老人はひげを引っ張りながら、赤く光る石を見る。
「あとで説明するわい。まず、海の神を見るがよい」
「海の神? いったいどこに」
「あの祠を見るがよい」
「あの祠?」
 同時に聞き返す三人。赤く光る石が急に青くなる。が、すぐに赤くなる。それに伴い、軽く部屋が揺れているような……いや、これはただの振動。乱暴に歩けば床が衝撃で揺れるのと同じ。だが、いったい何がこの揺れを起こしているのだろう。
 石の載ったくぼみから、急に水があふれ始めた。いったいどこから水が湧いてきたのか。水は床の水晶の中に落ちていき、その水晶は水を全て吸い込んでいく。水を吸い込んだ床の水晶は明るく光ったが、それは赤い光だった。
 祠がいきなりギギギと音を立てて、二つに割れた。いや、自動ドアのごとく開いたといったほうが正しいかもしれないが。二つに分かれた祠の下は、小さな池になっていた。その池の中に、岩で作られたポケモンの像が立っている。
 老人は言った。
「海の神、ルギアの姿じゃ!」
 突然、石像が光った。ピキピキと亀裂が入り、ガラガラとその石像は崩れていく。そして崩れ落ちた石像の立っていた場所には、光に包まれた一体のポケモンがいた。青白い光が、ゆっくりとポケモンの周りから消えて、そのポケモンは、閉じていた目を開き、ヒトの手にも見える大きな翼を開いた。
 全身は美しい白色、目の周りと背には紺色のヒレらしき突起があり、体の大きさからして、ヒトを数名乗せて飛ぶくらいはできるだろうと思われるほど。
「これが、海の神……」
 三人の目の前に現れたポケモンは、海の神ルギアだった。

『よく来てくれた』
 突如、三人の頭の中に声が響いた。
「何だ、これは」
 スペーサーは思わずこめかみに手を当てた。キンと頭が痛んだのだ。ほかの二人も同様。
『お前たちの心の中に、私の言葉を送り込んでいるのだ。お前たち人間が、テレパシーとよぶ現象。我々、人語をあやつる一部のポケモンにはたやすいこと』
 頭の中で聞こえた声は、ルギアが発していたようだ。
 ルギアは老人に言った。
『ご苦労だった。戻るがよい』
 すると、老人の姿が光に包まれた。ペラップは驚いて、飛び上がった。老人は光に包まれたまま消え、光の玉となった。その光の玉はルギアの元へ漂い、ルギアの中に吸い込まれていった。
「オワカレ、オワカレ!」
 ペラップは騒ぎ立てた後、祠の岩の上にとまった。
『あの老人は、私の精神の一部を分離させて生み出したもの。人間をここまで連れてくるには、同じ人間の姿を用いるほうが都合がよかったのだ。ただし、このペラップは本物だ。何世代にもわたって私に仕えてきた一族なのだ』
 ルギアは、再び三人を見る。三人はルギアに何も言う事ができない。呆然としているのだ。しかし、最初に硬直を解いたのは、ヨランダだった。
「どうして、アタシたちをここまで連れてきたのよ」
『お前たちに、この近隣の海を救う手助けをしてもらいたいからだ』
 暫時の沈黙。
「海を救う?」
 スペーサーが口を開く番だった。
「わ、私たちが、海を救う手助けをする……いや、どうも事情がのみこめないんだが」
『それは――』
 グォォォ!
 何かの咆哮。先ほどよりも小さい。
『……あれが、近隣の海を荒らしている原因なのだ。あれを鎮めるには、私一人の力では足りぬ。だからお前たちに手伝いをしてもらいたいのだ』
「海の神なんだろ。自力で出来ないのかよ」
 ストレートなアーネストの言葉にも、ルギアは冷静に返答する。
『お前たちは、神というと万能の存在であると考える。だが、私はこの世界に暮らしているポケモンの一種に過ぎぬ』
「何でも出来るわけじゃねーんだ。がっかり」
『我々を神と名づけたのは、お前たち人間なのだぞ』
「それよりも、教えてほしいの」
 なぜだか片手にスケッチブックを持っているスペーサーを脇に押しやり、ヨランダは言った。
「一から説明してちょうだい。なぜ、アタシたちをここへ連れてきたのか。急いでるのは分かったけどね、何も説明されないのに、いきなり『海を救う手伝いをして』と言われてもねえ」
 ヨランダの言葉に、ルギアは首をうなずかせる。
『そうだな。簡単に説明させてもらおう。だが、言葉では時間がかかる……』
 ルギアが小さく声を上げた。
 頭の中を何かの光景が通り抜けた。まるでスライドショーのように。
 海流が、何者かによってその流れを絶たれた。何者かは真っ黒なシルエットしか見えなかったが、ルギアよりも大きな体をしているようだった。ルギアは海流を元通りにしようと、この祠から飛び出して駆けつけた。だが何者かはルギアを海流の辺りから追い払った。圧倒的に強い力が、ルギアを海からはじき出した。ルギアは海に飛び込もうとするが、何者かはルギアを海に寄せ付けなかった。やがて辺りの天候は悪化し始め、海を泳ぐポケモンたちはどこかへ去ってしまった。
 説明は終わった。三人は、ルギアの視点から、その光景を見ていた。
「なんだったんだ、あれは……」
 アーネストは、目を丸くしていた。
「でっかい何かが海に――」
 その『でっかい何か』は、よく分からなかった。シルエットしか見えなかった。
『私にも、その正体は分からぬ。だが、私一人の力では、海流を戻すことは出来ない。お前たちの、助力が必要なのだ』
「あなたでも敵わなかった相手に、アタシたちが勝てるわけがないじゃない」
 ヨランダの声は少し震えたが、ルギアは首を横に振った。
『いや、勝つ事が目的ではない。海流を戻し、この地域の悪天候を鎮めるのが目的なのだ。それには、お前の絵が、役に立つはずだ』
 急に話を向けられたスペーサーは、きょとんとした。
「私の絵が?」
『そのスケッチブックの中に、白い羽を描き込んだ絵があるはずだ。お前たちがストームタウンに着いたその日に、その絵は描かれた』
 パラパラとスケッチブックをめくって探す。ストームタウンについた昨日、ポケモンセンターのいこいの広場で描いた風景画。
「確かに。白い羽を描いた覚えがある……。だがこの絵がいったい何の役に立つというんだ」
『それは、後々説明しよう。今は、時間が無い。一刻も早く行動を起こさねばならないのだ』
 ルギアは、ゆっくりと、水晶の床に下りてきた。近くで見ると、やはりルギアは大きい。
『私と共に、荒れた海を元に戻し、人々とポケモンを救ってもらいたい』
 静かに伝えたルギアは、その立派な長い首をたれた。

 ストームタウン周辺の天候は、弱まったり荒れたりを繰り返していた。人々は避難所に集まり、街中には人っ子一人いなくなった。
 かつて海流が流れていた海中に、何かが陣取っている。黒い塊のようだが、これが、ルギアを追い払って海流を消した張本人ではないだろうか。
 黒いシルエットのそれは、じっとしていたが、やがてその体をゆっくりと動かす。その動作は生物そのものであり、機械仕掛けのものではなかった。ギャラドスのように長い首が、ゆっくりと上昇していき、頭を出した。
 何かが来る。それは、そう感じていた。


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