第4章 part1



 分厚い灰色の雲が去っていくと、太陽の光が差し込み始める。太陽の光は海を照らす。海は光を反射して、キラキラと輝き始めた。
 さらに雲が去っていくと、青空のカケラが見えてくる。強くて冷たい風がやんだ。ストームタウンの警報は解除され、避難所からぞくぞくと人が町へ戻っていく。ただし、警報は町の中だけしか解除されておらず、外に通じるゲートは開かれていないまま。
 近隣のポケモンたちは、まだ戻っては来ない。キャモメやペリッパーの鳴き声も聞こえない。
『海流が安定し始めたようだな。奴は眠りに入ったようだ』
 ルギアは、波を見つめた。波は穏やかになっている。激しく上下に波打っていたのが嘘のような穏やかさ。
「で、これからどうすんだよ」
 アーネストはルギアを見上げた。ルギアは首を横に向け、アーネストの顔を見る。
「このままあいつの体力が回復するのを待つのかよ」
『いや。待つだけではない。こちらも体勢を整えねば。私の見たところ、あと数時間は、あのポケモンは動きを取れないだろうからな』
「しかし体勢を整えるといっても――」
 スペーサーは、サーナイトをモンスターボールへ戻した。
「ポケモン三体の強力な同時攻撃を防ぎきってしまった奴を相手にすることになるんだが、私たちだけでは力不足だ。もっと応援を呼んだほうが良くないか? 近くのポケモンを呼び戻したり、ストームタウンから住人たちを――」
『いや、それは無理だ』
 ルギアは首を振った。
『あの町には、お前たちと肩を並べられるほどの腕前のトレーナーは一人もいないのだ。この近隣の水ポケモンたちは遠くへ避難してしまった。しばらくは戻ってこない。そして、警報が解除されたとはいえ、今日一日、外部の者は、ストームタウンには入れない。外部の者を嵐に巻き込むわけには行かないのだろう』
「私たちだけで、やれと?」
『そうだ』
 ルギアはあっさりと返答した。スペーサーはため息をついた。
「そうか……」
「やらなくちゃならないのは分かったけど、まずはちょっと休ませてちょうだいよ。いろんな事が一度に起こりすぎて、何がなにやら、分からなくなってきたわ! 整理する時間もちょうだい!」
 ヨランダは頬を膨らませる。ルギアはあっさりとOKした。
『わかった。では、もう一度、水晶の間へ戻って一休みするとしよう。私も少し疲れてしまった』
 ルギアは三人をもう一度背中に乗せ、飛び上がって、水晶で作られた部屋へと戻った。ルギアが部屋の床に降り立つと、天井は再び音を立てて閉ざされた。室内は青白い水晶の光で照らされる。
 石のくぼみからこんこんと湧きでては床の水晶に吸い込まれる水を指して、
『あの水には癒しの力がある。遠慮なく飲むがいい』
 ルギアの言葉通り、湧き水を一口飲むと、体中の疲れが消え去った。ポケモンたちをモンスターボールから出して水を飲ませてやると、皆、いっせいに元気を取り戻した。
「よかったわ、チルタリス。元気になって」
 ヨランダは、健康に戻ったチルタリスの美しい羽毛をなでた。チルタリスはうれしそうに、彼女の首筋にくちばしをこすりつけた。
「すっげーな。ポケモンセンターで回復してもらった時より元気いっぱいだぜ」
 アーネストは、元気いっぱい飛び跳ねるヘルガーを見て、驚いた。他のポケモンたちも同じく、嬉しそうに鳴き声を上げ、歩き回っている。
「この水の成分はどうなっているんだろう。これほどまでに活力を与えられるとは――」
 湧き出る水を眺めながら、スペーサーは首をかしげた。そんな事より自分を見ろといわんばかりに、ニューラがしきりに彼の上着を引っ張っていた。手入れした耳の赤い羽根を見てほしいらしい。あいにく、見てはもらえなかった。
『人間の口に合うかは知らぬが、この木の実で腹ごしらえをしてはどうか』
 次にルギアが示したのは、水晶の壁。いつのまにか穴が開いており、外が見える。風にあおられて実が落ちているのもあるが、外に見える木は間違いなくオレンの木だった。
「やった! 食い物!」
 アーネストの言葉にはじかれたように飛び上がった彼のポケモンたちは、彼と一緒にオレンの木へ向かって突撃した。
『ほう、あの人間はそんなに空腹に耐えられなかったのか? 人間の口に合わぬと思っていたが』
「いや、これは人間でも食べられるんだ。さすがにポケモンフードは人間の口には合わないが……まあ彼なら、空腹になればポケモンフードでも喜んで口にするだろうなあ」
 コドラの体当たりで落ちてきたオレンの実を上手く頭上で受け止め、スペーサーはルギアに言った。ドラピオンがその長い両腕を伸ばして、枝になっているオレンの実をもぎ取っては、サーナイトとカメックス、ニューラに渡す。高いところへ飛んだチルタリスは、嘴でオレンの実を採っては自分のふわふわした羽毛の中に入れ、持ち帰ってきた。熟したオレンの実は汁気たっぷりで、美味かった。いくつでも食べられそう――いや、実際にたくさん食べたのだった。ルギアも水を浴び、オレンの実を口にして、疲れを癒した。疲れが取れて満腹になると、満たされた気持ちになれた。ルギアは、少し眠ると伝え、池へ潜った。

 ストームタウンの海の底。一度消滅したものの、復活した海流は、元通りに流れている。しかし、近隣に住むポケモンたちは戻ってこない。まだ、危険が去ったわけではないのだから。
 水底で眠る巨大なそのポケモンは、夢を見ていた。この近隣の海の夢だ。
 海がささやいてきたのだ。
 はるか太古。生まれたばかりの海の中に、生まれたばかりのルギアがいる。ルギアが泳ぐと、海流が生まれた。海流は、最初は近隣の海にいくつもの渦潮を作り出した。だが渦潮はやがて収まり、海には波が訪れた。潮の流れが始まった。潮の流れは陸にも空にも影響を与えた。風が生まれ、雲が生まれ、雨や嵐が作られていった。永い時間が経過して、ポケモンと人間が姿を現した。海の中に、陸に、空に。海流がさまざまな場所からさまざまな場所へポケモンや人間を運んだ。海流が存在し続けることによって、天候は安定していた。ストームタウンに住む人間たちは、ルギアをいつしか海の神としてあがめ、祠を建てた。ルギアは、人間たちによって作られた水晶の祠を休憩所とし、時々精神を分離させてストームタウンに紛れ込ませ、陸の人間たちを観察した。そうして月日は流れていった。ルギアが時折外へ飛び出して小さい嵐を起こしていくほかは、何事も起きず平和だった。自分が、このストームタウンに来るまでは。
 眠っていたポケモンは、ふと、目を覚ました。自分の周りに海流がある。海流はあるが、海に住むポケモンの気配などない。皆、逃げてしまったのだ。しばらくは戻ってこないだろう。ポケモンは思った。彼らには気の毒だが、こちらにも事情はある。しばらく、ここにいなければならない理由があるのだ。その時が来るまで、ここを動くわけにはいかない。ルギアは何とかこのストームタウンから追い出そうとしているようだが、幸い、力はこちらのほうが上。数名の人間たちを味方につけたところで、恐れることなどない。あのチルタリスの『ほろびのうた』は、歌うたびに己の生命力も削る諸刃の剣。何度も歌わせることなど出来ない。必ず他の手を使ってくるだろう。
 ポケモンは、開いた目を再び閉じた。
 もうしばらく、眠らねばならない。『ほろびのうた』は一気にこちらの体力を根こそぎ奪い去ってしまったのだから。
 その時が来るまで、ここを離れるわけにはいかない。ルギアと人間たちがどんなにしつこく攻めてこようとも。たとえ、わが身が滅びようとも。

 一段落。
 太陽が照りつけ、辺りは暖かくなった。六月の暑さが少しずつ戻ってきているのだ。さいわい海に面した場所のため、潮風が周りの気温を心地よい温度に変えてくれる。
「さて、腹も膨れたことだし、疲れも取れたし」
 アーネストは、草地に横になったケンタロスにもたれかかった。ケンタロスは尻尾を動かし、うとうとしている。木の傍にドダイトスが陣取ってゴーリキーに甲羅の樹木をいじらせている。樹木についた枯葉をとってもらっているのだ。ドダイトスの傍にコドラが伏せて既にいびきをかいていた。
「昼寝しよう、なんて言わないでよね!」
 ヨランダは、ブラッキーの毛づくろいをしながら、アーネストに言った。
「言わねえよ! なあ」
 アーネストは言い返し、傍のヘルガーの頭をポンと叩く。ヘルガーは彼に同意するように、ヨランダを睨んでグルルとうなった。ヨランダの腕の中にいるブラッキーが耳をピンと立てた。威嚇しているようにも見える。
「そうかしら? その眠そうな顔でよく言えたものねえ」
 オレンの木の枝にチルタリスがとまり、きれいな声でさえずっている。アチャモがそれを真似しているが、うまくいかないようで、ピイピイと甲高い鳴き声ばかり出していた。
 アーネストがヨランダに何か言い返そうとするより早く、
「つまらん争いは止めろ。子供じゃあるまいし」
 スペーサーが口を挟む。なぜか、彼はドラピオンの背中に無理やり座らされている。彼の膝の上にはニューラが嬉しそうに座っており、彼の体にべったりとひっついている。彼の隣にはサーナイトが座っている。その後ろで、カメックスが手足を引っ込めて昼寝していた。
「ずいぶんモテモテねえ〜」
 ヨランダの言葉に、スペーサーは冷ややかに答えた。
「皆、自分から私についてきたからな」
 不思議なことに彼は「こういう」ポケモンたちに好かれやすいのだ。
「そんな事より」
 スペーサーは咳払いして、話題を変えようとする。が、アーネストがさえぎる。
「言いたい事はわかってるって。あのでっかい謎のポケモンへの対抗策だろ?」
「その通り。で、何か考えでもあるのか? 聞かせてくれ」
「なにも」
 ドラピオンの背から、スペーサーはずりおちた。
「何も考えてないのか……期待した私が馬鹿だった」
「わかってることじゃないの、アーネストに考え事をさせる事は時間の浪費以外のなにものでもないって」
 ヨランダが突っ込むと、アーネストはカチンと来た。
「何だと! じゃあお前の案を出してみろよ!」
「案らしい案は無いけど、案らしい気休めなら考えてみたわよ」
 ヨランダは言って、手櫛で髪を整える。
「総力戦よ。アタシたちの手持ちのポケモン全員と、ルギアの力を合わせるの」
「何だよ、それ。特撮ヒーローの切り札じゃあるめーし」
「じゃ、あんたがアタシのよりいい案出しなさいよ。アタシの考えをけなしたんだら、何も考えてない、なんて答えは許さないわよ」
「ちゃんと、さっき考えたっての」
 アーネストは歯噛みした。

 水晶の間。
 池の中で眠ったルギアは、夢を見ていた。
 海とこの島が出来てからこの場所に湧き出ている水が、ささやきかけていた。
 ルギアが海流を作り出し、各地に潮の流れをもたらした後のことだった。このストームタウンから遥か東にある、海。その海では海底火山が生まれていて、決まった周期で小さく噴火していた。その噴火により、この海は水温が高く、温かかった。火山に近づくと危ないと本能的に知っているポケモンたちは、水の中の火山の周囲にはあまり近寄らず、離れたところで巣作りをした。
 あるとき、その火山の中から何かがうまれ出た。首が長く、鋭い牙を持ち、四つのヒレが体に生えている。びっしりとした小さな鱗で隙間無く覆われた藍色の体。ルビーのように真っ赤な両眼は炎のようにまばゆく光を放っている。その生き物は明らかにポケモンの一種であった。その巨大なポケモンは、この火山に誰も近づいてこないせいで、自分の周りにもポケモンがいることを知らなかった。長いこと一人で火山の中ですごしたそのポケモンは卵をひとつ産み落とした。熱であたためられたそれは、十年単位の時間をかけて孵化の準備を整えていった。
 夢が覚めた。ルギアの耳には、この池の水を通して、海流の音が伝わってきていた。海底に陣取って動かないあのポケモンの様子を知らせてくれる。先ほどの夢はあのポケモンの過去をうつしたものだったのかもしれない。
 池から長い首を上げて外を見ると、水晶のカタマリの上にペラップがのって、池を覗き込んでいた。ペラップは二言三言甲高い鳴き声を上げて、主の身を案じている事を表し、続いて今の状況を伝える。開いた水晶の壁の外で、ルギアが連れてきた人間たちが何やら話をしていると言う。が、ペラップが尾羽を激しく振りながら伝えたところによると、どうやら(ペラップが聞いてみても)マトモな意見は出ていないのだとか。
 ルギアは池から出た。どのくらい眠っていたかは分からないが、体は完全に癒えた。外にいる人間たちはペラップの話の内容から考えると、元気すぎるぐらいにやかましく話をしているのだろう。
 翼を広げ、ルギアは飛び上がった。


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