第4章 part2



 水晶の間から上空へ飛びあがる。空は晴れ、太陽が照り付けている。気温が上がり、六月特有のじめじめした蒸し暑さが感じ取れる。ルギアはしばらく潮風を体に受けた。海流の乱れはない。あのポケモンはまだ眠りについているようだ。だが、空を飛ぶキャモメやペリッパーたちの鳴き声はなく、海中から顔を出すテッポウオやホエルコの群れも無い。さびしい海と風だ。
 降下して、ルギアは地上に降り立つ。やかましく言い合いをしていた三人は、ルギアの着地に気づいて、話を止めた。
「体はもういいの?」
 ヨランダが声をかけた。ルギアは、大丈夫と答えた。
「あのポケモンの対策を話し合ったんだけどな」
 アーネストが次に口を開いた。
「全然いい案出てこないんだよな」
 話し合いといえば、聞こえは良い。はたから聞くとただの言い争い。彼らなりに一生懸命考えていたつもりだろうが……。彼らの手持ちのポケモンたちまで何かしていたのか、人間たちの傍らでにらみ合い。トレーナーたちの意見が割れてしまったせいか、一触即発に近い状態だったようだ。
『話し合ってくれたのはありがたい。しかし――』
 ルギアはテレパシーをいったん中断した。
『私は、あのポケモンがなぜここから動こうとしないのか、わかったように思うのだ』
 人間とポケモンが一斉にルギアを見た。
 あのポケモンが海の中にいる理由が、わかった?
「それは確信を持って『わかった』と言えることなのか?」
 しばしの沈黙を破ったのはスペーサーだった。
「あのポケモンに関して、あまりにも情報が少なすぎる。まあそれが議論を泥沼にする原因でもあるんだが、そんな状態で、あのポケモンが一体何を目的としてこの場所へ現れ尚且つ出て行こうとしないのか、『本当に』わかったのか?」
『確信は持てぬ。だが、水たちが語りかけてきたのだ』
 皆の頭の中に映像が流れる。それは、ルギアが眠っている間に見た夢のそれだ。
『水たちは、全てを記憶している。私にその夢を見せた理由は分からない。だが、あのポケモンは、己が産み落とした卵のために、ここに来ているのだと思う』
「卵、ねえ。あのポケモンは母親だったのね」
 ヨランダは息を吐いた。腕の中のブラッキーは体を硬直させている。あのポケモンの威圧感に負けたらしい。
「で、結局どうしたいんだよ、あのポケモンは」
 アーネストは首を振った。
「卵があるってことは分かった。けど、あの様子じゃ卵なんか抱えてるようには見えなかった」
「ここに流れ着いた卵を守りたいんじゃないの? 卵はどこかに隠してあるのよ」
 ヨランダが口を開いた。
「火山の巣から卵が海流で流されてここへ来たのかもしれない。で、あのポケモンは卵を追ってここにたどり着いたのよ。アタシたちから攻撃されても退こうとしないのは、卵を守りたいからよ。子供が無事に孵るまでここにいたいのよ」
「守るよりは、巣に持って帰るほうが早いと思うぜ?」
「卵は守らないとダメ。孵化するまでは自分で身を守れないんだもの。孵化が近いからあのポケモンは動かないんじゃない?」
「卵説が正しいと仮定するなら、既に孵化している可能性もある。そうなると色々な意味で危ないな」
 スペーサーは言った。ルギアは彼に首を向けた。
『孵化しているのが、なぜ危険なのだ?』
「孵化したばかりだと、ほとんど戦えない。その時の親ポケモンは、卵の時期以上に危険なんだ。この海で孵ったばかりの、卵という鎧を持たない赤子を守るためになら、あの母親は命を投げ出す覚悟でこちらを攻撃してくるだろう。……ガルーラの母親が、子供を守るためにサイドンの群れへ突進して追い払ったのを、見た事があるからな。それだけ、子供を持つ母親は、子供を守りたい気持ちが強いものだ」
 彼の膝に乗りっぱなしのニューラがゴロゴロと喉を鳴らして彼の胸に頭をこすりつけた。
「だが、卵や子供のためにここにいるというのはあくまで推測。本当に子供や卵が存在するのかは、実際に確かめなければ分からない。もしかすると、子供も卵もないのかもしれない。もし卵説が間違っているのなら、対策を最初から考え直さなくてはならないしな」
 スペーサーはルギアを見た。ルギアは彼の言わんとすることを察した。
『私が、見てこよう。誰か、補助役をつけてくれ』
 そして、ルギアは海の中へ飛び込んだ。

 ポケモンは目を覚ました。
 ルギアが来る。この海の中へもぐってきた。恐らく攻撃しに来たのだ。人間たちの姿は無い。こちらのほうが力では勝っている。向かってくるのはルギアだけ。恐れる事はないのだ。
 ポケモンは首を上げた。ルギアが少し遠くから、こちらへ向かって泳いでくる。潜水艦を上回る速度で。ポケモンは、その場から動かず、首を伸ばしてルギアを攻撃する構えを見せる。
 ルギアは一直線に突っ込んだ。ポケモンは、正面から突っ込んでくるルギアを迎え撃つ。開かれた口から、ハイドロポンプを発射した。周囲の海水を巻き込んでしまうほどの威力。だがルギアは海水の流れにあわせて体をひねり、ハイドロポンプの進路から外れる。ハイドロポンプはルギアの脇を通り過ぎ、はるかかなたで勢いを失って、ただの水になった。ルギアが身をひねる際、何かがルギアの陰から飛び出したのを、ポケモンは見ていなかった。ルギアだけを見ていたのだ。
『やはり強い』
 ルギアは一人ごちた。しかし、ルギアは応戦せず、ポケモンの周りを泳ぎ回る。ポケモンは何度もハイドロポンプを放ったが、ルギアはそのたびにかわした。
 グォオオオオ!
 いらだった鳴き声が、ポケモンの口から発せられた。ルギアに傷ひとつつけられないことに苛立ちを感じているのは明らか。
 五分ほど経過する。
 ルギアは、ポケモンの後ろに、目当てのものが姿を現したことを確認した。
『撤退するぞ!』
 ポケモンは、ルギアの言葉で初めて、自分の後ろにいたものに気がついた。それは、ポケモンが首を向けるよりも早くポケモンの首の傍を泳ぎ去り、海面へ向かって泳いでいくルギアと合流する。
 カメックスだった。
 ポケモンが攻撃するよりも早く、ルギアとカメックスは海面へ泳ぎ去っていった。ポケモンは追っていこうとはせず、首を戻した。
 今は、ここを動くわけにはいかない。どうしても。
 海流は少々乱れたが、やがて元通りに静かに流れ始めた。

 海面に姿を現したルギアとカメックス。
「よくやったカメックス」
 スペーサーは、カメックスに言った。カメックスは嬉しそうに笑った。
「それで、どうだったんだ?」
 アーネストがルギアに問うた。ルギアは海水に浸かったまま返答した。
『あのポケモンの背後には、傷ついた赤子がいたのだ』
 赤子がいた。
「赤ちゃん……傷ついてたってことは、あのポケモンは、自分の赤ちゃんを守っていたのね」
 ヨランダはため息をついた。
「だから近づく者を攻撃したんだわ。赤ちゃんがどうやってここまで来たかは知らないけど」
「散歩してて親とはぐれたとか、そんなんだろ。それより」
 アーネストは、再びルギアに問うた。
「どうやったら、あのポケモンを追い出せるんだよ。子供連れで、しかも怪我してるんじゃ簡単には出て行かないぜ」
『力で押し切るのは無理かもしれん。あのポケモンは、私と同等あるいはそれ以上の力を持っている。お前たちのポケモン全てと私の力を合わせても勝つのは厳しいだろう。もちろん、奴の力を多少削り取るくらいはできるかもしれないが』
「じゃあそうしようぜ。子供のことで頭いっぱいで、どうせこっちの言うことなんか全然聞きゃしないんだからよ。ガンガン攻めてやって、体力を削って大人しくさせれば、少しは話を聞くかもしれないけどな」
「それかヤケになって、せめて子供だけでも助かってくれと自爆技をつかってくるとか」
「水さすなよ、お前は!」
「あーら。こういう手段に出る可能性もあるわよ。あんたもトレーナーなら、それくらい考えたらどうなのよ? ポケモンリーグ優勝候補だったんでしょー?」
「バトルと考え事は別だっ」
 アーネストの言葉に賛同するように、ヘルガーがうなった。
『だが、お前の意見には賛成できるところがある』
 ルギアはアーネストに言った。
『追い詰められたあのポケモンのとりかねない行動は二つ。話を聞く気になるか、子供を守りたい一身で捨て身の攻撃に出るか……。いずれにせよ、今のままでは話を聞こうともしないのだから、試す価値はあるだろう。相手の体力を可能な限り削り取るのだ』
 海流が、乱れた。
 晴れた空が少しずつ曇り始めた。穏やかな風が、急に強く吹き始める。空に集まる雲は、どんよりとした灰色をしていた。
『奴が来た』
 ルギアが言うまでもない。
 ポケモンたちは、皆、海を見て臨戦態勢をとった。これから来る相手が、『強い』と知っている。だから全力で戦うのだ。

 陸から、たくさんのポケモンの気配を感じる。おそらくあの人間の持っているポケモンたちを全て呼び出したのだろう。ルギアと、人間の手持ちのポケモンたちが力を合わせて、総力戦を挑んでくるつもりかもしれない。
 体力は回復した。いつでも戦う事が出来る。一度彼らを叩きのめして、しばらくこの海に近づけないようにしなければならない。何度も何度も来られては――
 キピー。
 痛みを訴える、わが子の声。
 あの日、嵐の訪れによって、海を散歩していた子供は海面に顔を出した拍子に強風と大波に吹き流されてしまった。波に流されたのに気がついて、慌てて追いかけた。だが、波の勢いは強く、海流に乗って、子供はどんどん流されていった。やっと子供を見つけたとき、どこかにぶつかったのか傷を負っていた。そして、子供を見つけたその海は、ルギアの領海。かなり遠くまで流されてしまった。怪我をした子供をつれて帰るには遠すぎるし、その間に子供の体力が尽きてしまうだろう。ほかのポケモンが支配する海の中、休めそうな場所は何処にもない。
 だから、ルギアを海から追い出した。ルギアの眠る海底は、子供を休ませるのにうってつけの場所であったからだ。追われたルギアは何度か攻撃も仕掛けたが、そのたびに追い返した。今度は人間を連れてきた。だが、人間たちの持っているポケモンは弱いもの。攻撃を仕掛けてきたが、全部合わせてもルギアの力よりずっと弱い。チルタリスの『ほろびのうた』で体力を失ったものの、それを除けば、相手にもならなかった。
 子供の傷が治るまで、ここから動くわけにはいかない。傷が治るまでまだしばらくかかってしまう。その間、何度もルギアは来るだろう。自分の住処を取り戻すために。だがこちらも、子供に長旅をさせることはできない。傷が癒えたらすぐにこの場所を去るつもりでいる。だから、子供の傷が癒えるまではここにとどまらなくてはならないのだ。
 先ほどのルギアに着いてきたカメックスは、あの人間のうち誰かの手持ちだろう。一緒に偵察に来ていたのだろうか。だが今は、そんなことはどうでもいい。今度こそ、ルギアをこの辺りから追い払わなくては。子供の傷が治って元の住まいに帰るまでは――

 グォオオオオオオ!

 ポケモンは吼えた。そして、海面に向かって、勢いよく泳ぎ始めた。


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