第5章 part1



 青空が再びどんよりとした灰色の雲に覆われ、気温が下がってきた。少し冷たい風が吹き始めて、体が涼しさよりも寒さを感じる。あのポケモンが目を覚まして動き出したのだ。そのために海流は乱れ、天候が悪化した。
『まず、奴が私の話を聞いてくれるかどうか、試してみる。私としては、戦いは避けたいのだ。だが相手が私の話を聞こうとしないならば、戦って、力ずくで言うことを聞かせるのを試みるのみ』
 ルギアは、全員に、簡単な作戦を映像で伝える。頭の中に、戦いのイメージがスライドショーのごとく次々と浮かび上がった。
『バラバラに攻撃しても無意味。お前たちの攻撃に私の攻撃を加え、奴の防壁を破壊して打撃を与えるのだ』
 海が大きな渦を巻いた。
 ポケモンが海中から飛び出した。皆、改めてその巨大さに圧倒される。鱗に覆われた体にはラプラスに似たヒレが四つあり、首はギャラドス並みに長い。頭から尾の先まで含めた体の大きさは、ルギアの倍以上はある。ダイヤモンドですら粉々に噛み砕けそうな鋭い牙が口から見えている。空を飛ぶことはできないようだが、泳ぎは相当速いだろう。海流が乱れ、波が起き始めても、慌てる様子も見せていない。
 ギラリと光る赤い両眼が、皆を睨みつけた。

 グォオオオオオオ!

 耳の鼓膜が破れそうなほどの咆哮。ビリビリと辺りの空気が震えた。木々の細い枝が、風も吹いていないのに大きくゆすられる。咆哮があまりにもすさまじく、思わず耳をふさいだが、それでもまだ耳がジンジンする。
 ルギアがポケモンに伝えた。人間にはわからないポケモンの言葉が、発せられる。しばらく、相手のポケモンは牙を引っ込めていた。話を聞いているのだろうか。ルギアの説得は通じるだろうか。出来ればルギアの説得がうまくいってほしい。相手の力はルギアと互角あるいはそれ以上あるのだ、ルギアの手助けなしに相手を倒せるとは思えない。だが、説得に応じてくれなければ、戦うしかないのだ。
 ポケモンは、長い喉の奥でうなり声を上げている。ルギアはなおも言葉を続ける。だが、ポケモンはいきなり『ハイドロポンプ』を放った。
 説得は失敗だ。
 ルギアも『ハイドロポンプ』を放って、相手の攻撃を防ぐ。が、若干圧されている。
「カメックス、助太刀だ!」
 スペーサーが指示すると、カメックスも甲羅の噴射口から『ハイドロポンプ』を放ってルギアを援護する。二つの水流は相手の攻撃を押し返し、ついには相手の顔に勢いよくぶち当たり、ポケモンの首を大きくのけぞらせた。水を打ち出すのをやめ、ポケモンは鋭い牙をギラつかせた。技を押し返された怒りで、噛み合わされる牙がカチカチと音を立てている。
 ポケモンが、口をグワッと開ける。その奥に赤い光が見える。見たことの無い、赤いエネルギーのかたまり。バチバチと小さな稲妻も起こっている。いったい何の技かと考えるまもなく、ルギアが皆の前に飛び出した。
 ポケモンの口から発射されるその赤いエネルギーのカタマリが、ルギアへ向かって飛んでいく。ルギアは身を震わせ、吼える。周囲から岩がボコリとえぐられ、宙に浮く。そしてその岩たちがエネルギーのカタマリへ向かって飛んだ。『げんしのちから』だ。両者は空中で衝突し、派手に爆発した。『げんしのちから』の岩は粉みじんに砕けたが、不思議なことに空中で散る事はなかった。エネルギーのカタマリは粉みじんの岩を飲み込みながら、力を失って消えた。一瞬、ポケモンがひるんだ。
『行くぞ!』
 ルギアが合図を出した。
 ヘルガーが口を開け、うなり声と共に炎を口内へ溜める。ドダイトスは甲羅の樹木から無数の葉を舞い上がらせる。ゴーリキーは周囲の岩石を持ち上げる。コドラはぶるっと身を震わせて自分の周囲に小さな尖った岩を浮かび上がらせる。ケンタロスはその頑丈なひづめで岩肌を強く踏みつけて、角の間にエネルギーを集める。
 アチャモがぶるっと身を震わせて体温を高める。チルタリスは翼を広げてその身に光を集める。ブラッキーは背伸びして、黒い球体を自分の周囲にいくつも浮かび上がらせる。
 サーナイトが体を輝かせてエネルギーを集める。ドラピオンは長い体をより長く伸ばして発射準備を整える。カメックスは甲羅の噴射口に水のパワーを集める。ニューラはバレリーナのごとくクルリと回ってから自分の周囲に氷のつぶてを浮かび上がらせる。
 ポケモンがひるみから立ち直り、再び口をぐわっとあける。ルギアたちに攻撃をおしかえされて逆上したらしく、身を守ろうとする様子は無い。そのまま攻撃してくるつもりだ。
 ふと、皆の《中》に、一つの強い言葉が伝わってきた。ルギアの言葉ではない。

『ココカラ、サレ!』

 あのポケモンが言葉を発した。
 テレパシーだ。ルギアと同じ、ヒトへの意思伝達手段を持っている。そのポケモンは、再び皆に向かって言葉を投げつけてきた。さっきと同じ言葉を。
『ココカラ、サレ!』
 同時に、ルギアの咆哮が響く。技を出してとどめているポケモンたちは、一斉に、とどめていた技を放った。赤い目をぎらつかせた相手は、迫り来る十二の攻撃を防ごうともせず、牙を鳴らしている。そしてポケモンたちの同時攻撃と、ルギアの放つひとつの技が合体して、ひとつの巨大なエネルギーのカタマリに変わった。そのカタマリが相手を直撃しようとする。
 刹那。
 ポケモンが吼えた。
 分厚い雲を切り裂いて、一筋の閃光が海へと落下した。
『かみなり』だ。雷は、呼び寄せてきたポケモンの体に当たる。
「なにやってんだあいつ!」
 アーネストは思わず声を上げた。
「あいつ、どう見ても水タイプだろ?! 水タイプの自分に電気タイプの攻撃をするなんて自殺行為――」
 言葉は最後まで続かなかった。全身に落雷のエネルギーをまとったポケモンは、その身でエネルギーのカタマリを受けた。激しい爆発音と閃光。目のくらみが収まってからポケモンを見ると、
「うそ……」
「なるほど。その手があったのか……」
 多少の傷は負ったが、ポケモンは元気だ。それもそのはず、防御が間に合わないとわかったポケモンは、『かみなり』を身にまとうことで、ルギアたちの同時攻撃を身に受け、体中に走る電流を利用して攻撃をかなり分散させたのだ。全身に少しずつ小さなダメージを負うことになるのは避けられないが、大打撃をこうむるよりはマシというわけか。
 ポケモンは、体に走る電流をなんとも思っていないかのようだ。勝ち誇った咆哮が辺りを響かせ、もう一度テレパシーを送ってきた。
『ナニヲシヨウトモ、ワレニハ、カテヌ!』
 ルギアは黙っている。自分の描いていた戦いのイメージが完全に覆されたのだろう。三人の手持ちのポケモンたちは、口をあんぐりあけたまま、何も言わない。何の言葉も発する事が出来なくなるほど、ショックが大きかったのだ。
 もう一度、ポケモンがテレパシーを送ってくる。
『オマエタチハ、ワレニハ、カテヌ! コレイジョウノアラソイハ、モハヤ、ムイミ。タチサルガヨイ!』
 ヘルガーが真っ先にショックから立ち直った。うなり声を上げ、牙をむく。アーネストが止めるまもなく、相手に向かって『かえんほうしゃ』を放った。勢いよく噴出した炎はポケモンの体を直撃するが、ポケモンの体中を流れる電流と海水が炎の勢いを弱める。火傷すら負わせることなく、炎は海中へ消えた。
『ムダダ。マダ、リカイデキナイカ?』
 挑発しているようなテレパシーが返ってきた。ヘルガーの怒りに満ちたうなり声に、ほかのポケモンたちも反応する。アーネストの手持ちの中でも、一番強いのはヘルガーなのだ。それを分かっているから、馬鹿にされたときの怒りは……。
『よせ! 挑発に乗るな!』
 ルギアが制した。海中にいるポケモンは、牙を鳴らして笑っている。トレーナーに似たのか挑発に乗ってしまい、ヘルガーは吼えた。大人しくしてくれそうにない。見れば、アーネストも挑発に乗って歯軋りしている。今にも勝手な指示を出してしまいそうだ。
 ルギアはテレパシーで伝えた。そうでもしないと、アーネストを抑えられそうになかった。
『もう一度、総攻撃だ』

 海中の奥深く。
 あのポケモンが身を休めていた場所の、あまり光が届かない奥まったところ。この場所で眠って体力を回復させたあのポケモンはすでに海上へと泳ぎ去っていて、ここには誰もいないはずなのに、小さな影が水の中に現れる。首の長い小さなポケモンのようだ。この近隣のポケモンたちは追い払われて皆いなくなったのに、ここにいる度胸のあるポケモンは一体何者なのか。
「キピー」
 かわいらしい鳴き声。だがその声は、弱弱しかった。そのポケモンはゆっくりと泳ぐ。ヒレが上手く動いていない。傷を負っているようだ。海上では戦いが繰り広げられていることなど、このポケモンは知りもしない。小さなそのポケモンは、この島の底に開いている小さな穴を目指して泳いだ。その小さな穴から光が漏れているのを知ったのだ。そしてその穴から、綺麗な水が流れ込んでくるのも分かった。その水に体を当てると、体の傷が少し癒えるのも感じた。穴に向かって泳げば泳ぐほど、傷の痛みが消えていく。同時に、穴の中から差し込む光も、少しずつ明るく強くなる。やがて、光の元へと、頭を出した。
 光の源は、周りを取り囲む水晶だった。海面から差し込む太陽の光と同じ明るさ。ポケモンは、自分の首が水面へと出るや否や、ここが海の中ではないことに気がつく。池だ。通ってきた穴から少し離れた場所に別の穴があり、池の水はその別の穴からこんこんと湧き出ていたのである。そしてこのポケモンのいる穴から海の中へ漏れていたのだ。
 ポケモンは、しばらく池の中に浸かっていた。この池の水が、体の痛みと傷を癒してくれているのだ。しばらくしてから、ポケモンは、周りを見回した。見たことの無い場所だ。周りは水晶で囲まれており、水晶で作られた洞窟そのもの。周りの水晶が青白い光を放ち、周囲を明るく照らし出している。
「イル、イル!」
 ふと誰かの甲高い声が聞こえ、ポケモンは声の聞こえてきた方向に首を向ける。水晶の壁から突き出た、ひとつの大きな塊の上に、見たことの無いポケモンがとまっている。真っ黒な頭に、派手な色の羽毛。キャモメやペリッパーとは全然違う色だ。
 留守番をしているペラップは、池の中から姿を現したポケモンを見つけ、思わず騒ぐ。しばらくやかましく騒いだ後、そのポケモンがあっけに取られた目でこちらを見つめているのに気がつく。警戒しながら舞い降りて、ポケモンにちょっとずつ近づく。
「キピー」
 そのポケモンが不意に鳴いたので、ペラップはぎょっとして後ろへ下がった。ポケモンは、いきなり後ろへ下がったペラップを見つめたが、なぜ相手が下がったのか分からないらしく、池から首だけ前に出して、ペラップをさらに見つめた。ペラップは見つめられてはいたが、警戒は怠らない。ゆっくりとまた近づいていく。そして互いに目と鼻の先ほどの距離になるまで近づく。
「キピー」
 ポケモンは、首を引っ込めた。池の水を跳ね上げ、水中にもぐる。ペラップはいきなりの行動に驚いて、またやかましく鳴いた。
「ナニカキタ! ナニカキタ!」
 池の上をぐるぐる回りながらやかましく鳴いていると、池の中から『みずでっぽう』が打たれ、ペラップはそれに当たった。が、体が濡れただけであった。池の中にもぐったポケモンは、首だけ出して、標的がまだ飛んでいるのを確認した。そしてまた水にもぐる。
「ナンダコレ! ナンダコレ!」
 ペラップはやかましく鳴きながら、池のふちの水晶にとまる。そして池を覗き込んだ。湧きでてくる水の中に、ポケモンの姿が見える。ペラップを見つめ返している。『みずでっぽう』を打ってくる以外に何もしてこないようだが、敵意があるのか無いのか、それすらわからない。ペラップはしばらく相手を水面越しに見つめた。逆に相手も水中からペラップを見つめた。

 ドォオオオオン!

 突然、爆音とともに水晶の洞窟がグラリと揺れた。ゆすられた衝撃で池に波が生まれ、ドバッと水があふれて床に吸い込まれた。ペラップは仰天して飛び上がった。池の中のポケモンは、突然ゆすられて驚き、自ら飛び出して、あふれた湧き水とともに水晶の敷き詰められた床に落ちた。
「キピィ」
 少し痛かったらしい。ポケモンは起き上がり、きょろきょろした。ヒレのついた体は、陸上の移動に適していないので、よちよちと少しずつしか移動できない。いっぽうペラップは、バサバサと羽を散らして周りを飛び回りながら、騒ぎ立てた。
「コウゲキ、コウゲキ! キケン、キケン!」
 何かの咆哮が響いた。この洞窟の外から聞こえてきた。ポケモンはその方向を聞くなり、ぱっと目を輝かせた。
「キピー! キピー!」
 壁によちよちと移動して、尾で床を叩きながら、壁に向かって嬉しそうな鳴き声を出す。外からは何度か何かがぶつかるような音が聞こえ、そのたびにこの洞窟はわずかに揺れる。地震ではなさそうだ。時々聞こえる咆哮。ポケモンは嬉しそうに鳴くが、ペラップは不安そうに騒いだ。
「キピー!」
「キケン、キケン! ヤラレル、ヤラレル!」

 ドカン! ドゴン!

 激しい爆音と、続いて訪れる激しい振動。洞窟が先ほどよりも大きくゆすぶられ、床へあふれる水の量が一気に増えた。
 ピキ。
 壁の一部に亀裂が入った。次に、より激しい衝撃が訪れ、亀裂が大きくなった。次の衝撃で、床から天井まで届くほどの大きな亀裂になった。
「コワレル、コワレル!」
 ペラップが騒ぐまでも無い。ちょっとつつくだけでも壁がボロボロに壊れて崩れてしまいそうなほど、亀裂は大きく深いのだ。
 ポケモンの咆哮。だがこれには、小さな首長のポケモンは反応しない。逆にペラップはいっそう激しく騒ぎ立てた。
「ヤラレチャウ、カミサマ、ヤラレチャウ!」
 池の水が、湧くのをやめた。同時に、周りの水晶から少しずつ光が失われ始めた。


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