第6章 part1



 水晶の部屋。
 美しく輝く水晶たちは次々に光を失い、湧き出ていた癒しの水も、湧かなくなってただの池になった。
「ヤラレチャウ! ヤラレチャウ!」
 ペラップがやかましく鳴いている。首長の小さなポケモンは、不思議そうに周りを見回し、次に池を見つめた。体の傷は治っている。だが最後にあふれた池の水は、先ほどよりも気持ちのいい冷たさではなくなっている。ただ、冷たいだけ。ただの水。周りは暗くなっている。
「キピ?」
 突如、ドンという激しい音がした。壁のひとつに、またしても大きなひび割れが入った。壁には既に様々な大きさの亀裂が入っている。これ以上傷つけられれば壊れてしまうだろう。ペラップはそのひびを見て、さらにやかましく鳴いた。
「キャー、キャー、コレハマズイ!」
 ポケモンはペラップに床の水を跳ね上げて黙らせ、ひび割れを見た。一体なぜひびが入ったのだろうと首をかしげていると、
 ドォン!
 激しい振動が部屋を襲った。同時に、ひびの入った壁が破壊された。岩や土や、吹き飛ばされた枝葉が水晶の上に散らばる。もうもうと土煙があがる。吹き飛ばされてこの水晶の部屋に舞い込んだ土煙だ。そして、その土煙の向こうから聞こえてくる、様々な音。水の音、風の音、爆発音。
 ポケモンはひび割れた壁のまん前にいたため、勢いよく吹き飛ばされていた。幸い、体は背中の甲羅が守ってくれたが、吹き飛ばされて、仰向けにひっくり返っていた。しばらくもがいた末、やっと体を元の向きに戻す事が出来た。ポケモンは、ペラップが水晶の床で目を回しているのをほっておき、よちよちと前進した。壁の穴から外をのぞく。遠くにいくつもの赤い光の筋が見え、時々水柱が海から上がるのも見える。時折聞こえるポケモンの咆哮。
「キピ、キピー!」
 その咆哮に、首長のこのポケモンは嬉しそうにヒレを叩いた。拍手しているかのようだ。だが別の咆哮が混じると、ヒレを叩くのを止めて首をかしげる。あれは一体誰なのだろうと、言いたそうな顔で。
 やがてペラップの意識が戻り、ペラップは壁の穴から外へ飛び出した。
「マズイ、マズイ! オシエナクチャ!」
 ペラップが飛び出した後、水晶の部屋はしんと静まり返ってしまった。

 ルギアが頭の中に送ってきたイメージを元に、三人は東へ向かって駆け出した。林は、ポケモンがつけたであろう獣道を通ればすぐ見えてくる。細い木々が立ち並び、その木々の向こうには裸のガケが見える。
 林の中へ入った直後、空が何度も光って、雷がゴロゴロ鳴り、続いて無数の光の槍が雲の中から海へ降り注いだ。あのポケモンの『かみなり』だ。ルギアを攻撃しているのだ。
「ホントに大丈夫なの?」
 ヨランダは雷が苦手。思わず耳を塞いで目を閉じる。
「大丈夫かと心配するより、一歩でも前に進むほうが雷の怖さを忘れられるぞ……うん?」
 アーネストのモンスターボールがひとつ揺れて、中から勝手に、ヘルガーが飛び出した。
「どうしたんだよ、ヘルガー。モンスターボールに戻って――」
 しかしヘルガーは言うことを聞かずに前に飛び出す。アーネストは慌てて後を追った。
「おい、待て!」
 しばらく走る。林の中を、ヘルガーは全く速度を緩めず走る。真っ直ぐに木々の間を抜けて走る。一体どうしてヘルガーが勝手にモンスターボールから飛び出したのかわからないまま、三人は後を追った。やがて、木々の隙間からまぶしい光が漏れてきた。太陽の光かと思ったが、それは間違いだった。ガラガラという激しい音で、雷だと分かる。近くに轟音を立てて雷が落ち、振動があたりに伝わる。ヘルガーはやっと止まったが、雷の光に向かって激しく吼えた。雷の光はすぐ収まったのに、まだ吼える。
 吼えた理由はすぐ分かった。
 キャーキャーとやかましい声が聞こえたのだ。ヘルガーは、現れたペラップに向かって、吼えていたのだ。
「あのペラップは確か……」
 ルギアの元にいた、あのペラップに間違いない。頭を打ったのか、音符の形の頭にこぶができている。
 ペラップはヘルガーに吼えられ、少々ひるんだが、アーネストがモンスターボールにヘルガーを戻すと、やっと落ち着いて近くの木の枝に止まった。
「コッチ、コッチ! カミサマ、シンジャウマエニ!」
 落ち着いているのか、落ち着いていないのか。ペラップはやかましく騒ぎ立てた後、ついてこいと言いたそうに飛び上がり、先へ行く。三人もそれに続く。ルギアが危ないという事は、もうわかりきっている。
 林を抜けた。
「げえ」
 アーネストの口から漏れた。続いて他の二人からも同じ言葉が漏れた。
 目の前にそびえる、ガケ。厚い雲が上部を包み、どのくらい高いガケなのか分からなくさせている。しばし三人は、途方にくれてしまった。こんなガケを一体どうやってのぼれと……。それ以前にこれは本当にガケなのか? 山の間違いではないのか?
「こんな垂直のガケをのぼれっていうの?」
 ヨランダは、目を回したようで、足をふらつかせた。
「ノボレ、ノボレ! ハヤクシロ!」
 ペラップがやかましく鳴きながら、バサバサと羽根を羽ばたかせている。
「のぼれったって、飛べるお前とは違うんだよ!」
 アーネストはペラップに怒鳴った。スペーサーは垂直のガケを触りながら、はてさてどうやってのぼったものかと考えている。ガケは垂直、とっかかりになる出っ張りもへこみもない。乱暴に叩くと、もろもろと崩れて更に細かな砂がこぼれ落ちる。砂でできているのかと思えるほど、もろい岩だ。ちゃんとした登山用の装備があっても、のぼれるかどうか……。
「サッサトノボレ、ノボレ!」
 ペラップはやかましく鳴いた。アーネストはそのやかましい鳴き声に苛立ちを募らせた。
「あーもー、うっせーな! 急かすくらいなら、お前が行って来い!」
「ヤーダヨー!」
 ペラップは上昇して、あっというまに姿を雲の中へ消した。
「ヤダとか言いながら行きやがった、あの鳥」
 アーネストは忌々しそうにガケを睨みつけた。ヨランダは、生身でのぼってみようとするが、そのたびに滑り落ちていた。
「んもう、全然のぼれないじゃないの、こんなガケ! 誰かが上からロープを垂らして引っ張りあげてくれないことには、とてものぼれやしない」
「おう、その手があったな」
 スペーサーが突然ポンと手を叩いた。

「なるほど、引っ張りあげるってこういう事か」
 アーネストは、思わず口に出していた。彼はロープも何も身につけず、チルタリスの足の爪に肩をつかまれていた。チルタリスは一生懸命羽ばたいて、上昇中。ふと下を見ると、数分前まで足をつけていた地面が、もう見えない。深い霧が、辺りを包み込んでいる。上昇するにしたがって、霧が深くなっている。見えるのは目の前の岩壁だけ。実際、地面は見えないほうが良かった。地面が見えたら、さすがのアーネストも現在の高度に肝を冷やして眩暈を起こしただろうから。チルタリスは一生懸命羽ばたいていたが、やがて首を上に向かって伸ばし、嬉しそうなハミングの鳴き声を出した。そして、アーネストをどさりと乱暴に下ろした。吊るされた状態で体が若干しびれているアーネストは、上手に立てず、よろけた。最初は一体何事かと思ったが、自分が地面に手をついていることを知った。
「頂上なのか?」
 それともただの休憩地点なのか。霧が深くて分からない。周りを見回しても、霧が深いので何も分からない。手をついている場所がむき出しの地面であることは分かるのだが。チルタリスは嬉しそうなハミングの声を上げつつ、ガケ下へ急降下していった。アーネストは取り残されてしまった。
「置き去りかよ」
 数分後にヨランダがチルタリスに運ばれてきて、さらに数分後にスペーサーが運ばれてきた。ヨランダはチルタリスに礼を言って、疲れて飛べなくなったチルタリスをモンスターボールへ戻した。
「ところで、ここどこだよ」
 アーネストの言葉は他の二人も口にしたかったらしく、口を開きかけていた。
「さあ……」
 返答はそれだけ。
 が、この場所が何処なのかは、おおよその見当がついた。上から、やかましいペラップの鳴き声が聞こえたのだ。羽ばたきの音が聞こえ、やがてペラップが霧の中から姿を現した。上から降りてきたのだ。
「オマエラ、ナニシテル! サッサトノボレ! ノボレ!」
「ここ、てっぺんじゃねーのかよ?」
「ココ、ガケ。テッペン、マダマダ。サッサトノボレ!」
 文句を言いたいらしいペラップに、ヨランダは言った。
「ここは頂上ではなさそうね。……ねーえ。あんた、この辺りを覆い隠してる霧を払うことってできないかしら? こんなに霧が深いとアタシたち何も見えないのよ。あんたと違って」
 ヨランダの言葉に、ペラップは飛びながら首をかしげたようだ。
「キリ、キリ!」
 ペラップはやがて、霧の中へと姿を消した。何しに行ったのだろうか。

 ゴオッ。

 いきなり強い風が吹き付けてきた。突風に驚いて、立っていた三人はバランスを崩したが、危ういところで風向きが変わって、岩壁に押し付けられた。風はビュウビュウ吹き荒れ、やがて止んだ。
 何が起こったのかと、風が完全に止んでから、三人ともおそるおそる目を開けて後ろを振り返る。
「あっ」
 辺りの霧が、すっかり晴れていた。遠くがよく見える。厚い灰色の雲、海、幾筋も空を引き裂く稲妻の光。そして、この岩の出っ張りの下に広がる林――木々が豆粒サイズに見える。
「げええ、こんなに高いとこにいたのかよ」
 思わずアーネストは呟きをもらした。下を見ると、それだけで目の前がグラついてくる。
「見るんじゃない! 落ちるぞ!」
 半ば自分に言い聞かせるように、スペーサーが怒鳴った。目線を空へそらした彼も足が少しふらついている。
「キリ、キリ、キエタキエタ!」
 上からやかましい鳴き声が聞こえてきた。ペラップが降りてきたのだ。
「キリ、ハラッタ。ホメロ」
「あらペラップ、霧を払ってくれたの? ほんとにありがとうね〜」
 何をしたかは知らないが、ペラップは辺りの霧を払ってくれたようだ。ヨランダはペラップの頭を撫でた。ペラップは嬉しそうに彼女の周りを飛び回った。
「デハ、ノボレ。サッサトノボレ」
 突然空がまぶしく光って、続いて大きな稲妻が空を引き裂いた。海の中へ向かって、空から生まれた稲妻は次々に降り注いでいく。耳を劈く轟音が幾度も大気を震わせる。ヨランダは耳を塞いで目を閉じてしまった。
「やだもう、雷きらい……!」
 落雷は十秒ほどで終わった。後は、時折ゴロゴロと遠くで音が聞こえるくらい。
「カミサマ、シンジャウ! イソゲ、イソゲ!」
 ペラップはやかましく騒いだ。それもそうだと、ヨランダはチルタリスをモンスターボールから出そうとするが、チルタリスが疲れきって飛ぶのも難しい状態だということを思い出し、思いとどまった。
「……あと何メートル、ガケは続くんだ?」
 スペーサーがペラップに聞いた。ペラップは首をかしげ、ギャアと鳴いた。人間のものさしの単位がよく分からないらしい。聞き方を変えてみる。
「てっぺんは、まだ遠いのか?」
「ギャー、チカイチカイ。アトチョット」
 ペラップから見て近いと言っているだけで、三人から見ればまだまだ遠いかもしれない。
「距離なんて聞いて、どうしたいのよ。ここは手じゃのぼれないガケよ? アタシのチルタリスは疲れきってるし……」
「それは、分かっている。だが、一か八かだ、運んでもらおうと思っている」
 スペーサーは自分のモンスターモンスターボールをひとつ、取り出した。

「ひえー、あっというまについたぜ」
 アーネストは、目の前にある荒れた道を見つめ、続いて周りの景色を見渡した。遠くに広がる海と、どんより曇った空。雨雲ではなく雷雲だろう。
ここは、ガケのてっぺんだった。
 サーナイトは、『テレポート』を試みたのだ。
「本当に近くてよかった」
 スペーサーはほっとした。サーナイトは、三人と自分自身を一緒にテレポートさせたため、かなりの体力を消耗している。地面にへたりこんだサーナイトに礼を言って、彼はポケモンをモンスターボールへ戻した。
 ガケのてっぺんと、彼らが五秒前まで立っていたガケのでっぱりまでの距離は、五メートルほどだった。これくらいならば、サーナイトは三人の人間というお荷物を持っていても、何とか移動できるのだ。もしそれ以上の距離だったら、彼らは空中に放り出され、その後、万有引力の法則に従って落下していたろう。近かったのが幸いだ。
「休んでる暇なんかねえや! 早く行こうぜ」
 アーネストは荷物を背負いなおした。荒れた道の先にある、ドーム状の岩。彼らの目でも見えるほど近くだ。そして岩穴の中にある、白い羽をルギアの元へ持ち帰るのだ。
 歩いても良かったが、ペラップが急げと急かすので、自然と走り出していた。一分も走る必要は無い。岩穴はすぐに近づいた。岩穴に入ると、人が何人か入れる程度の広さしかない。しかしそれは通路のようだった。先へ進むと、水晶の部屋と同じくらいの広さがある大きな部屋に出合う。その床には穴が開いており、ゴボゴボと音を立てて、水が湧いている音が聞こえてくる。暗くてよく見えないが、目を凝らすと少しずつ闇に目が慣れてくる。なぜ懐中電灯をつけないかというと、スイッチを入れても点灯しないからなのだ。電池が切れたわけでもないのに……。
 水の底に、白いものが沈んでいる。ぼんやりと光っているのが見える。闇の中に湧き出る水の中に沈んでいるその白いものは、羽だった。
「これだ!」
 三人の口から同時に言葉が飛び出した。取り出そうと、アーネストが水の中に手を入れてみる。ひんやりしているが、重くもある。不思議な水だ。羽を掴んでみるが、彼の手の中で、スルリと抜けて水の中を漂った。水の流れに羽が乗って流され、上手くつかめない。手を動かせばその分水に流れが発生し、羽は逃げてしまう。
「ハヤクシロ!」
 ペラップはやかましく喚いた。
「うるせーな! 文句つけるならお前が行け!」
 アーネストは水から腕を引き抜き、すぐ傍を飛んでいるペラップの脚を引っつかみ、水の中に勢いよく押し込んだ。ゴボゴボと泡が水面にいくつも浮かび上がり、ペラップはもがいた。やっとアーネストが水の中から引っ張り出してやったとき、ペラップの羽根はぐっしょりとぬれ、音符形の頭は水を吸って膨れている。このペラップの羽根は水を防げないのだろうか。
「乱暴ねえ。あら」
 ヨランダは、ぎゃあぎゃあ喚くペラップの羽から、ひとつの白いものを摘み上げた。それは、水の中で光を放っていたあの白い羽だったのだ!


part2へ行く書斎へもどる