第6章 part2
壁の壊れた水晶の部屋。
時折、海から何かの衝撃波が襲い掛かり、水晶の部屋を覆う岩壁にぶつかる。そのたびに、水の満たされた池のふちから冷たい水がこぼれて、水晶の上に落ちていく。首長の小さなポケモンは、衝撃波で時々ころんとひっくり返っていたが、そのたびに何とかもがいて起き上がった。
「キピー、キピー」
嬉しそうな鳴き声を出しながら、そのポケモンは砂と岩のかけらの上を這いずって、水晶の部屋の外へと、出て行った。そのままずっと這いずり、ようやっと、海岸まで到着した。辺りの木々はなぎ払われ、砂はことごとく舞い上がって木々にあつい布団をかけている。近くに倒れている木々の砂埃をヒレで払ってみると、そこにあったのは木だ。砂埃の下から出てきた木を試しに一口かじってみるが、まずいといわんばかりの顔をした。
しわくちゃな顔を元に戻した小さなポケモンは、周囲をその長い首を使って見渡す。何かを探しているらしいが、見つからないようだ。しばらく辺りを見回した後、
「キピー!」
大きく息を吸い込んで、そのポケモンは誰かを呼んだ。
グオオオォォ!
海に、怒りに満ちた咆哮が響き渡る。真っ黒な雲の固まりを引き裂いて、無数の落雷がルギアに襲い掛かってくる。だが、ルギアは荒れ狂う風に身を乗せて次々に雷をかわす。華麗に見えるその動きは、少しずつ鈍り始める。疲れてきたのだ。
『彼らは、あの羽の元へたどりつけたのか?』
数秒だけ送られる映像。三人とも、真っ暗な場所にいる。どうやら羽の洞窟までついたようだ。羽を手にするのも時間の問題。そして、ルギアは彼らが一刻も早く戻ってきてくれと願っていた。目の前にいるポケモンは子供のことで完全に我を忘れて攻撃を続けている。疲れ知らずなのか、子供がいなくなった怒りと悲しみがそのポケモンの体力を持続させているのか。いずれにせよ、ルギアは傷も負っている。どんなに長くとも、せいぜいひきつけておける時間はあと十分程度。もう体力が限界に近い。荒れ狂う風が身を救ってくれるが、それも弱まれば――
『ワガコヲ、カエセ!』
怒りのボルテージが最大まで上がったらしいポケモンは、ルギアに全く攻撃を当てる事が出来ないでいる。それもそのはず、攻撃を外せば外すほど怒りが増して、ルギアに狙いを定めにくくさせている。冷静さを失っているのだ。数打てば当たる鉄砲ではあるが、外せば外すほど狙いは定まらなくなっていく。
稲妻は何度も降り注ぐが、ルギアには一度も当たらず、海の中へと突き刺さるばかりである。これを見たポケモンの苛立ちは、完全に怒りに代わってしまった。
グォォォォォオォォォォ!!
ポケモンの咆哮が響く。同時に、雷雲が更にたくさん集まる。空が完全に太陽の光をシャットアウトしてしまい、雷雲の集まった箇所だけ恐ろしく暗くなる。これだけ雲が固まってしまうと、『エアロブラスト』で散らしきることはできない。その雷雲が集まり、巨大なひとつの雷雲に変わる。更に、耳の鼓膜が一撃で破れるほどの轟音とともに、巨大な稲妻が空を引き裂いた。
ルギアの意識が戻ったときには既に遅し。
『しまっ――』
ルギアが考え事を中断した瞬間、稲妻はその白い体を直撃した。稲妻に打たれ、パリパリと電気を体から走らせつつ、ルギアは海の中へと落下していった。
海上に、悲鳴にも似た悲痛な咆哮が響き渡った。
「ギャーッ」
突然、ペラップがショックを受けた鳴き声を上げる。羽の放つ光に照らされたペラップの顔は、目玉を大きく見開いて、くちばしも限界まで開き、悪鬼羅刹も逃げ出しそうなほどの恐ろしい形相だ。
「ど、どうしたのよ」
ヨランダが問うた。ペラップはしばらくぎゃあぎゃあと喚いて飛び回り、やがて天井に頭をぶつけてようやく冷静になれた。しばらく岩だなの上で目を回した後、ペラップはまた騒いだ。
「カミサマ、ヤラレチャッタ!」
やられちゃった。
ルギアの身に起きた事を理解するには、その言葉だけで事足りた。
「早く戻らないと……!」
ヨランダの声は焦りで甲高くなっている。もちろん戻りたいのは山々だ。だが、洞窟の外へ出てもあの垂直のガケを降りなければならない。チルタリスもサーナイトもガケ登りでくたびれきっている今、自分たちで降りるしかないのだが、あいにく彼らは登山用の装備など何もない。ロープすらも持っていない。あの岩棚まで自力で降りることすら出来ないだろう。何も力を持たぬ人間単体の能力の無さ……。
「この洞窟の中にでも抜け道みたいなものがあれば、近道にもなるかもしれないのに……」
スペーサーの言葉に、ペラップが反応した。バサバサと羽をまきちらしながら、彼らの頭上を旋回し、
「コッチ、コッチ!」
洞窟の更に奥へ体を向ける。
「ヌケミチ、ヌケミチ」
「抜け道? ホントかよそれ」
アーネストは疑わしげな顔をするが、ペラップは構わず同じ言葉を繰り返す。
「ヌケミチ、ヌケミチ! サッサトコイ!」
抜け道は本当にあるようだ。三人は、ペラップの後を追うことにした。ルギアがやられたのだから、急いで戻らなければならない。
抜け道は確かにあった。羽の沈んでいた部屋の奥に、暗がりに隠れた道があったのだ。人が二人並んでも楽に歩ける広さだ。そして道自体、誰かが整備したかのように凹凸がなく平らだった。つまずくことなく走る事が出来る。そして、羽の放つ光のおかげで互いの姿をちゃんと確認でき、手探りして進む必要は無い。ペラップは鳥目ではなさそうで、彼らの前を飛んでいる。時々、彼らが走っているのを確認するように、頭上を旋回する。
「ハヤクシロ! コノサキ、デグチ!」
これでも精一杯急いでいるつもりだ。道は緩やかな下り坂になっており、少しずつ下りていくのが分かる。このままずっと道をたどれば、地上へつけるはずだ。
ギャア!
不意にペラップが大声を上げた。
「トマレ!」
急に言われても、坂道ですぐに止まれるはずもない。先頭を走っていたアーネストが十歩ぶんほど小走りになってやっと止まったが、危ういところで後ろから二人に追突されかけた。
「今度は一体どうしたのよ」
ヨランダは、羽をしっかり抱きしめたまま、ペラップに問うた。ペラップは喉の奥でなんともいえぬ不協和音のような嫌な音を立てて、ギャーと鳴いた。
何かが上から落ちてきた。小石だ。続いて、サラサラと砂が落ちてくる。ピシピシと、他の音も。だがこれは彼らの周りから聞こえてくる。そのピシピシという音が周りに響くたびに、辺りから砂の落ちるサラサラという音。
「何だ一体……」
警戒したアーネストは、羽の光を頼りに周りに目をやる。周りは岩壁があるばかり。天井は、鍾乳石がつららのごとく真下へ向けて伸びている。天然の石槍だ。これがもし雨のごとく降り注いできたら――
ビシッ!
突然前方から大きな音が聞こえ、続いて、わずかに洞窟が揺れる。揺れは数秒で収まったがその直後に前方の天井が勢いよくガラガラと崩れ落ちた! 鍾乳石は槍のごとく降り注ぎ、上から重い岩がいくつも落下する。それらは地面に落ちて派手に音を立てて土ぼこりや小さな小石を跳ね上げた。
落下と衝撃は、五秒で収まった。
「ギャー」
最初に沈黙を破ったのはペラップだった。
「ラッカシタ! ラッカシタ!」
いわれずとも、見れば分かること。
「いきなり天井が崩れるなんて――」
ヨランダは身を震わせた。
「さっきペラップに止められずにそのまま走り続けていたら……」
スペーサーは、ヨランダの言いかけた後の言葉を引き取った。
「今頃、死んでいたな」
縁起でもないことをズケズケ言ってのける……。アーネストは思わずスペーサーのこめかみをぶん殴った。
「ギャー、ハヤクシロ!」
ペラップは、つみあがった瓦礫のひとつに止まり、急かす。幸いこの洞窟の天井は高い。瓦礫はそんなに高く積みあがらなかったので、何とかよじ登れば向こう側へいけるだろう。それを示すかのように、ペラップは瓦礫の山を越えて、向こう側へと消えた。
「ギャー、ハヤクシロ、ノロマ!」
ペラップの罵倒にもだんだん慣れてきた。とはいえ、急がねばならないのは事実。アーネストが最初に瓦礫の一部によじ登ってみる。いくつか石が崩れてすぐ足場が不安定になる。だがほかの重い岩や鍾乳石は彼の足場の役目をしっかり果たしてくれた。冷や汗をかきながらも何とかよじ登り、彼はそのまま向こう側へ渡った。
「アタシも行けそうね」
ヨランダは、羽を鞄にしまう。すると、彼女の鞄が弱く発光した。辺りはあっという間に薄暗くなって周りを見ることすら難しくなった。ヨランダは構わず、鞄の光を頼りに、瓦礫をよじ登り始める。彼女のほうが体重が少ない分、石は崩れることなく、無事に彼女を向こう側へ渡らせてくれた。が、彼女が向こう側へ行ってしまうと、一人残されたスペーサーの周りは、ほとんど闇に包まれてしまった。
「こっちは暗いんだ! あの羽で辺りを照らしてくれ!」
スペーサーが呼びかけると、ヨランダは鞄から羽を出す。ペラップに羽を持たせて、向こう側へ行かせる。ペラップが瓦礫の向こう側から、光る羽を脚の爪先でつまんで姿を見せる。すると、辺りは淡い水色の光に照らされた。
「ギャー、サッサトコイ! ノロマ!」
言われるまでもない。光を頼りに、スペーサーは瓦礫をよじ登った。が、時々岩がぐらつき、そのたびに彼は心臓が縮み上がった。この瓦礫が崩れれば、自分はその下敷きになるかもしれないのだ。先に二人ぶんの人間の体重がかかっているから、いつ崩れないとも限らない。だが幸い、彼も無事に向こう側へ渡る事が出来た。
「ハヤクシロ! ノロマドモ!」
ペラップがまたしても騒ぐ。光る羽を持ったまま喚き散らすので、体の動きに合わせて羽の光が洞窟内をあちこち反射した。
「分かってるから!」
アーネストは怒鳴り返した。そして、深呼吸して気を落ち着かせる。
「よっしゃ、行くぞ!」
先の道は坂が続くばかりで、特に何も起こらない。そのまま五分以上も小走りに走る。全力疾走するのはかえって危険だ。先頭を走るアーネストが転倒した時は特に。
「デグチ、デグチ!」
ペラップが鳴く。ペラップが持ったままの羽の光を頼りに前方をより注視すると、確かに前方から明かりが弱くもれているのが見えてくる。ペラップが言うのだから、あれは恐らく出口なのだろう。ならば、あの出口を抜ければ――外だ!
ペラップは嬉しそうに鳴きながら、先に飛んでいってしまう。あっというまに、その姿は小さくなっていく。それに伴い、前方を照らし出していた羽の明かりも小さくなっていく。
「おい、待て……」
アーネストがやっと声を絞り出す。小走りに走ってきたとはいえ、疲れはたまる。息をつきながら喋ると呼吸のペースが乱されてしまい、かえって疲れてしまう。デッドポイントはもう抜けたはずなのだが。
アーネストの呼びかけに、ペラップは応えた。戻ってきたのだ。皆が息を切らして走っているのに、ペラップは全く疲れることなく飛び続けている。主のルギアを慕う気持ちゆえか……。ペラップはギャーと汚い声で鳴いた。さっさと来いと言いたいのだろう。言われなくても走っている。前方に見える小さな豆粒ほどの大きさの光は、彼らが走るにつれて、少しずつ大きくまぶしくなっていく。徐々に、出口に近づいているのだ。そして、とうとう、まぶしい出口をくぐり、駆け抜けた。
「やった! 出口――」
アーネストの喜びの言葉と表情は、外のまぶしい世界に目が慣れると同時に、消えていった。後ろから追いついた二人も同様。最後に出てきたペラップは、大きく目と口を見開いたまま、何も喚かなかった。
目の前に広がっているのは、なぎ倒されて砂を被った木々のある砂浜。そしてその遥か向こうの海上は、綺麗な深海の青ではなく、血のような不気味な赤色に染まっていた。
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