第7章 part2



 バシャーン!

 沖から聞こえた激しい音に、皆、海を振り返った。見ると、沖に巨大な水柱が立っている。水中で何かが爆発した後のような、巨大な水柱だ。
『渦潮が破られた!』
 ルギアのテレパシーを聞かずとも、皆、何が起きたかわかっていた。あのポケモンが渦を破った。

 グオオオオオ!

 怒りに満ちた咆哮が海から聞こえた。すると、ヨランダの腕の中にいるポケモンは、木の実を食べるのを止め、海を見た。そして、嬉しそうにヒレをパタパタと拍手のように叩く。
「キピー」
 木の実で口の周りを汚しながらも、嬉しそうに鳴き声をあげた。
『母親を呼んでいる。奴がここへ来る!』
 言われなくとも分かること。

 グオオオオォォォ!

 咆哮。続いて沖にもう一度、巨大な水柱が立った。晴れていた空が一気に暗くなり、水柱の上空は雷雲がいっきに集まってきた。太陽は黒雲の向こうに隠されていった。強い風が吹き始め、気温が急激に下がる。
「キピー、キピー」
 ヨランダの腕の中のポケモンは、なおも嬉しそうにヒレをパタパタ叩く。
 前方の水柱から、赤い光がキラリと見えた。
『伏せろ!』
 皆の前に飛び出したルギアが『エアロブラスト』を放つ。皆は直後に伏せた。水柱から赤い光が飛んできて、ルギアの起こした『エアロブラスト』と、海上で正面から衝突する。
 風が散った。
 激しい強風が辺りをなぎ払う。伏せている三人の周囲の砂が勢いよく巻き上げられ、小さな竜巻を作りつつ、海の中へと飛び込んでいった。攻撃同士が当たったのは、何メートルも離れている海上。それなのに、砂浜に伏せていても、体が持ち上がりそうなほどの強風。ぼんやり立っていたら、砂同様に飛ばされていただろう。
 海上から、怒りに満ちた咆哮と共に、赤い光がもう一撃。ルギアはひるまず、『エアロブラスト』で迎え撃った。今度の赤い光は先ほどよりも力が強く、『エアロブラスト』が若干圧される。
「キッピ!」
 ヨランダの腕の中にいたポケモンは、風の衝撃で彼女の腕から転がり出てしまった。そのまま砂浜を、風に任せて転がっていき、海の中まで転がって落ちた。
「キー」
 最初は驚いたようだが、嬉しそうな鳴き声をすぐにあげる。そして、赤い光を放つ水柱めがけて泳ぎ始めた。
「あ、あの子が……!」
 ヨランダが気づいたときには遅かった。ポケモンは、波に乗って、沖まで泳ぎ始めている。
 水柱が全て海の上に落ち、ポケモンの姿があらわになった。長い鎌首をもたげ、岩を一噛みで粉みじんに砕きそうなほど頑丈な歯をガチガチ鳴らす。ルギアにだけ目を向けており、泳ぎだしたわが子のことには気づいていないようだ。
『このまま攻撃が続けば、あの子供も巻き添えになる! 奴の標的は私だけ。離れたほうがいいだろう。奴は、聞く耳持たないだろうから、何を言っても疑うだけだろう』
 ルギアは、腕に見える翼を広げ、海へと飛び立つ。大きく弧を描いて砂浜から離れ、西へ向かった。西には海が広がるばかりで、障害物は何も無い。怒りに我を忘れているポケモンにわが子を傷つけさせないために、ルギアはわざわざ、遠くへ飛んだのだ。
『ワガコヲ、カエセ!』
 ポケモンは、怒り狂っている。確かに聞く耳を持たないだろう。例え自分の子供が話しかけたとしても、聞くかどうかすら怪しいものだ。
 赤い光。ポケモンの口から発射された光は、ルギアに向かって飛来する。ルギアは『エアロブラスト』を放たず、空中でさっと身を翻してかわす。光は空の向こうへ消えた。
「キピー、ピー」
 首長の小さなポケモンは、親がルギアを攻撃していることに気づいているようだが、攻撃しているとは思っていないらしい。遊んでいるとしか見ていないのだろう。あれだけの殺意や怒りをその身に受けていないから。
 首長の小さなポケモンは、母親の元まで泳いでいく。時々、赤い光の衝撃が海面まで伝わってきて、波を起こしている。それでも構わず、泳ぎ続ける。
「ピー、ピー」
 親は気づく様子もなく、ルギアに攻撃を続けている。暗雲が少しずつ広がり始め、辺りはかなり暗くなる。ゴロゴロと不穏な音が聞こえてくる。ルギアを雷で攻撃するつもりだ。
「あの子、危ないわ!」
 ヨランダは思わず声を上げた。
「雷に当たっちゃうかもしれない……」
 彼女の言葉が終わらぬうちに、怒りの咆哮がとどろき、続いて雷鳴が聞こえる。ゴオッと派手に風が吹きつけ、立ち上がりかけた皆をあっけなく宙に浮かす。当然、宙にいたペラップはあっけなく飛ばされてしまった。
「あっ」
 ベルトに留めていたモンスターボールがひとつ、風に飛ばされた。それは岩の上に勢いよく吹き飛ばされて、ガチンと派手な音を立てて落ちた。
 壊れたモンスターボールから、ニューラが飛び出した。
「ニュ?」
 ニューラは不思議そうに辺りを見回し、続いて、砂浜に尻餅をつかされる羽目になったスペーサーの元へ急いで走る。幸い柔らかな砂がクッションとなったので、あまり痛くは無い。痛くないか痛くないかと体を触ってくるニューラに、彼は言った。
「ああ、出たのか。ああ、いやいいんだ、ありがとう」
 スペーサーは、風にあおられたショックからあまり立ち直りきれていない様子。ニューラは彼の服をパッパとはたいて砂を払ってやる。そして彼が立ち上がると、ニューラは嬉しそうに彼の体に飛びついた。飛びつかれた勢いで、また彼は砂の上に尻餅をついた。
「あんなに離れてて、こんなすげえ風が起こせるのかよ……」
 押し寄せた寒さと冷や汗で、アーネストは思わず身震いした。ヨランダは自分の砂まみれの服をはたくのも忘れ、呆然とした顔で海を見つめている。あれが、風なのか? あれは、ルギアへの殺意ではないのか? そう思ったとたんに、ヨランダも身震いがした。これほどの憎悪と怒りを感じた事はない。
 辺りを、咆哮が振動させる。遠くにいるのに、鼓膜が破れそうなほどだ。

 グオオオ!

 辺りは、さらに暗くなる。暗雲が押し寄せてきたからだ。ピカッと何度も空が光って、続いて幾つもの稲妻が槍のようにルギアに向かって降り注いできた。ルギアは『じんつうりき』で雷の軌道を次々にそらせる。軌道のそれた稲妻は、ルギアを狙うことなく、宙で互いにぶつかり合って小爆発を起こした。
『ルギア! ワガコヲ、カエセ!』
 テレパシーの余波が、砂浜まで伝わってきて、その強烈さに頭がしびれる。それほどポケモンは激怒している。とても話を聞いてくれる状態ではない。
『ワガコヲ、ドコヘカクシタ!?』
「キピー」
 親の声に応えるかのように、子供が鳴く。だいぶ近くまで泳いできている。が、その鳴き声は、親の咆哮に比べるとはるかに小さく、さらに雷鳴にかき消されてしまった。
「キピー」
 子供は、親の気をなんとか引こうとして鳴いている。が、親はルギアばかり見ていて、子供が近くにいることに全く気がついていない。
『貴様の子供は、そこにいるではないか! 貴様は、もう少しで子供を殺すところだったのだぞ!』
 ルギアが吼える。
『我々は、貴様の子供に傷ひとつつけておらぬ! その目で見て確かめよ!』
 ポケモンの長い首が、大きく揺れ動く。子供のことを言われて動揺したのだろう。
「ピー」
 子供が、鳴いた。その声で初めて、親は子供の存在に気づいた。首を回し、自分の体に引っ付いている子供を見つけた。巨大なルビーの目がさらに大きく見開かれる。大きな顔を、子供の傍に近づける。
「キピー」
 子供は嬉しそうに、母親の顔に、自分の顔をこすりつけた。親の口から、ヒトには理解できない声が漏れる。子供と会話しているのだ。
「キピー」
 子供も会話を楽しんでいるようだった。これで誤解は解けただろう。子供が無事なのだ、親も分かってくれるはず。
 やがて親は首を上げ、ルギアを見た。ポケモンの言葉がその口から漏れる。ルギアは何も言わないまま、空中にとどまっている。互いに何もしない。
 空が晴れてきた。冷たい風は止まり、黒雲は四散してあっというまに消えていく。とてもまぶしい太陽の光が辺りを照らしていく。そして、ぼろぼろにされた水晶の部屋では、あの癒しの水が再び湧いた。
 海流の乱れが徐々に収まってきた。同時に、穏やかな波が砂浜に寄せては返す。少しずつ、この海は元に戻りつつあった。
 ふと、小波が止まる。
『?!』
 ルギアが急に、首を左右に振って周りをきょろきょろ見た。そして、
『海流の流れが、おかしい!』
 おかしい? 空は晴れており、風も心地よいのに……。
「どういうことだ? 海流は乱れてないはずだろ? 天気だって回復してるのに」
「乱れてはいないのに、おかしいって、どういうこと?」
 ヒトにはわからないようだが、ポケモンには分かるらしい。スペーサーに抱きついたままのニューラは、警戒するように周りをきょろきょろ見回している。岩で頭を打ってのびていたペラップも目を覚まし、ギャアギャア喚き始めた。海上の親子も、首を動かしている。
「タイヘン、タイヘン!」
 どう大変なのだろうか。説明してもらわねばわからないと思った。だが、その必要はすぐに無くなった。
 砂浜に寄せていた海水が、急激に、引いていったのだ。どんどん波が引いていく。
「津波だ!」
 スペーサーの、半ば裏返った声を裏付けるかのように、ニューラも青ざめている。海上からルギアが飛んできて、皆に『乗れ』と体を低くする。ぼやぼやしている暇は無い。皆、ルギアの背中に乗り込んだ。ルギアは、皆が乗り込んだのを確認し、すぐにペラップと共に大空へ飛び上がる。
 ルギアがかなり高いところまで飛び上がったところで、遠方からゴゴゴゴと音が聞こえる。首を向けると、はるか沖から大きな津波がこの島に向かって押し寄せている。
「ストームタウンは大丈夫なの? こんな津波が着たら、港どころか町まで届いてしまうわ!」
 ヨランダの声に、ルギアは心配ないと返す。
 ルギアは、吼えた。その咆哮は沖まで響き渡り、はるかかなたに避難した海のポケモンにまで届いたほどだ。近づきつつある巨大な津波に咆哮が届く。すると、津波の勢いが少し弱くなった。一回り津波が小さくなり、押し寄せる速度も下がる。ルギアがもう一度吼えると、さらに津波の勢いが弱まり、波が小さくなる。だが、これ以上は小さく出来ないようだ。
『羽の力も借りれば抑えきれるが、羽の力を治療に使った以上、私一人でできるのはこのくらいだ。これでどのくらいまで島が被害にあうかは分からない』
 弱気な言葉。それでもかなり津波の力を削いでいる。これならば、津波は島で止まり、ストームタウンに海水を浴びせかけることもあるまい。
 津波が押し寄せた。半分ほどの大きさになってはいるが、それでもまだ勢いはあった。

 ドパーン!

 津波は、小島の半分を覆いつくした。


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