第8章 part1



 ストームタウン。
 警報が解除されたものの、沖の小島を突然津波が襲った。その余波は港まで押し寄せ、出され始めたばかりの小さなボートがことごとく転覆するほどの勢いであった。
 ストームタウンのニュースに、「突然の津波発生!」が加わり、放送局は一斉に報道を開始した。町の老人たちは一斉に呟いた。
「海の神に何かあったのだろうか」

 ザザーン……。
 津波がゆっくりと、音を立てて引いていった。
 津波が引いた後の小島は、半分無残だった。木々は海水でぐっしょり濡れ、老木は水圧に負けて押しつぶされている。綺麗な砂浜は、引いていった津波にことごとく砂をさらわれ、シェルダーの巣穴の入り口がむき出しになっている。浜には木の葉や石、海草が散乱している。島の半分が津波に覆われてしまった一方で、残った半分はしぶきを浴びただけで助かった。海に、ポケモンの親子がいる。どうやら無事のようだ。
 小島の浜に、青白い光を放つ羽が流れ着いた。だが、その羽はまるで水に溶けるかのように消え去ってしまった。
「何故津波が起きたんだ? 天候も風も回復しているのに」
 スペーサーは、島を眺めて、信じられないといいたそうな顔で首を振った。実際に信じられないのだ。ニューラは彼の服にしがみついている。鉤爪で服が破れてしまいそうなほど。
『先ほども言ったように、海流の流れがおかしくなっているのだ。ストームタウンに影響が出たときのように失われているわけでも、渦潮だらけになったわけでもない。流れてはいるが、その流れ方がおかしいのだ。お前たちは、右回りに時を刻む時計の針が突然左回りに時を刻み始めたら、おかしいと思うだろう?』
「思う」
『それと同じなのだ。海流は確かに流れてはいるが、その流れる方向がおかしいのだ』
 ルギアは、ゆっくりと砂浜に降り立ち、皆を下ろす。それからルギアは一度海に飛び込んだ。海の様子を確かめに行くのだろう。スペーサーは、ニューラを入れていたモンスターボールを探したが、あいにく見つからなかった。津波にさらわれてしまったのだろう。あの状況では拾う暇などなかったのだから仕方ない。
 ニャーとどこか甘ったるい鳴き声を出しながら、ニューラが彼のズボンを引っ張る。彼はニューラの頭を撫でてやり、ため息をついた。自分のポケモンはモンスターボールに入れておくのが基本だが、モンスターボールを失くした場合やポケモン自らがモンスターボールに入るのを嫌がる時は、無理に入れなくても良かったはず。……ニューラは彼を気遣うつもりか、近くに落ちていた、塩水に浸かったオレンの実をもってきた。
「ありがとう……」
 彼は木の実を受け取り、力なく礼を言った。彼の顔がはれないのを見て、ニューラはしょげた。
「ギャー、フラレテヤガル。バカオンナ!」
 ペラップが飛んできて、ニューラの頭をつついた。ニューラは怒ってペラップの背中に飛び移り、『みだれひっかき』を繰り出してペラップをめちゃくちゃに引っかいた。ペラップはギャーと騒ぎ立て、激しく羽ばたいてニューラを振り落とそうとした。
 スペーサーは、背後で起こっているニューラとペラップの大喧嘩には目もくれず、海に目をやった。アーネストとヨランダは、すでに海を見ている。
「別に何もおかしくねえよなあ」
 アーネストは海を見つめている。穏やかな海。沖にポケモンの親子が見える。空は晴れ渡り、風も少し吹いている。太陽もさんさんと輝いている。別に何もおかしなところはなさそうだ。
「人間には分からないのかもね」
 ヨランダは、モンスターボールに入っているポケモンたちを皆出してみる。ポケモンたちは、最初、周囲を見回した。きれいな砂浜の変わり様に驚いたが、数秒ほどで海を見つめた。皆、張り詰めた表情になっている。いつのまにかニューラとペラップは喧嘩をやめて、海を見つめている。ヨランダは、ポケモンたちを見た。アーネストも倣って全てのポケモンを出してみるが、彼のポケモンたちも皆そろって海を見た。
「皆のあの反応を見る限り、やっぱり変なところあるみたいね。人間は鈍感すぎるって事かしら」
 どうも、そのようだった。
 寄せては引いていく波は、静かだった。だが、人間には気づかぬ変化が、海の中に起こっていたのである。

 海にもぐったルギアは、流れ行く海流に身を任せてみた。何事もなかったかのように流れる海水。だがその流れは、ルギアの知っている流れではなかった。時には東へ、時には西へ、様々な方向へ流れていく。一つの方向にだけ流れていくのが正しいのに……。
『先ほどの戦闘で、海流の流れに乱れが生じたか……』
 海中や海の上ですさまじい戦闘を繰り広げたのだ、あのポケモンの力が海の中に残っているのが分かる。体が少しピリピリするのだ。
『海流の流れを乱してしまうほど、奴の力は強かったということか』
 海流の流れを完全に乱してしまえるほど……。
『どう修復したものやら。ここまで乱れてしまったのは初めてだ。あの羽は、私を回復させた時点で力尽きて消滅した……。そうなると私一人でどこまで対処できるだろうか。いや、海のポケモンたちを呼び戻して手伝ってもらうしかない。それが駄目ならば、人間たちの力も借りねばなるまいな』
 海の神と人間たちから呼ばれてはいるが、ルギアもこの地球に住まう生命のひとつにすぎず、神と呼ばれるほどの万能の力は持ち合わせていない。世界中に存在する普通のポケモンより少し力の強いポケモンに過ぎないのだ。ルギアは海の中で吼えた。声は海水を貫き、遠くまで声を運ぶ。やがて、近くの海域全てに、ルギアの声は届いた。海を荒らしていた脅威は去った、だが戦いによって乱れた海流を直す手助けをしてほしい。
 声を送った。ポケモンたちが戻ってくれば幸い。戻ってこなければ、頼りないが人間たちの力も借りねばならない。
 ルギアは海上へ飛び出す。派手な登場に、波しぶきが派手に上がった。そして、飛んで浜辺に戻ってくる。待ちわびていた者たちは、すぐルギアに質問しようとしたが、ルギアはそれをさえぎる。聞かれそうな事を先に話してしまうつもりだ。
『確かにこの近隣の海には異変が起きている。海流に乱れが生じ、本来流れねばならぬ方向に海水が流れなくなってしまった。その原因は、私とあのポケモンとの戦闘。海流の流れをバラバラに乱してしまえるほどのエネルギーが海の中に散ってしまい、海流がそれらを取り込んで流れ出してしまったのだ。このまま乱れた流れ方をし続ければ、さきほどの津波だけではなく、天候の異常も続けざまに起きる。それこそ、つもり積もればストームタウンを完全に破壊してしまえるほどの規模で』
 ルギアの指した方向を見ると、水平線の上に、普通の白い雲に混じって黒っぽい雲が広がりを見せている。ポケモンの使う技で起こされたものではなく、本当の自然現象によって作られた雲である。
「あれは雷雲か?」
 スペーサーの言葉に、ルギアはうなずいた。
『本当ならば、雷雲が現れる事はこの時期には珍しくもないのだ。だが、あの雷雲は、さきほどからあの場所にとどまっている。他の雲は移動しているのに』
 言われて見ればそのとおり。白い雲は、沖を流れる風に乗ってゆっくりと移動している。だが、黒い雷雲だけは、移動しない。
「……異常気象を解決するのに、何が必要なんだ?」
 早くも事態を察したスペーサーの問いに、ルギアは答えた。
『この近隣に住んでいた水ポケモンたちの力と、先ほど戦ったあのポケモンの力、そして場合によってはお前たちの力も必要になるだろう』
「俺たちの?」
 アーネストは目を丸くした。
「俺たちにできることがあるなら、何でもやるけどよ。事態はそれほど深刻ってことか?」
 ルギアはうなずいた。
 沖から、ポケモンの親子が泳いできた。子供のほうはすぐに砂浜に上がって、先ほどまでの綺麗な浜をまん丸な目で見渡し、続いて、近くに落ちていたオレンの実をかじり始める。
 親のポケモンが口から何事かを発する。ルギアも応じるが、それはポケモンの言葉であり、人間にはただのうなり声にしか聞こえなかった。その間、人間たちは会話を見守るしかなかったが、ポケモンたちは真摯に耳を傾けていた。彼らには言葉が分かるからだ。
 やがて、会話の終わったルギアは皆に伝えた。
『……この海流の乱れによって起きる現象と、その海流の乱れを修復するには力を借りなければならないと伝えた。相手からは、自分に原因があるのだから喜んで力を貸す、とのことだ』
 当然である。ルギアを襲わずにちゃんと事情を説明していれば、周囲のポケモンたちをおびえさせずにすんだ上に子供の怪我も治せて、派手な戦闘の後でこれほどの爪痕を残すこともなかったのだから。
「力を貸してくれる相手が出来たのはいいことよね。でも、どうやってこの海流を修復するの。スクリューを使って無理に水流を戻すとか?」
 ヨランダの問いに、ルギアは首を海に回しながら答えた。
『機械は使わぬ。それ以前に、人間の使う機械ごときでこのあたり一体の海流の流れを変えることはできない。そして、本来ならこの時の為に蓄えていた力を注ぎこんでおいた羽は、私の回復のために力を使い果たして消滅したので、別の手段をとらねばならん』
「だから、どうするのよ」
『少し後で説明する。せっかちだな、お前は』
 ルギアは、手にも見える大きな翼を広げた。
「少し後?」
 アーネストはきょとんとした。
「海流を戻す作業は今すぐやらねーと、あっちのストームタウンが危ないんじゃねえのか?」
『もちろん、危険だとも。だが、我々だけでは力不足なのだ。海流の修復には、この近隣に住んでいた海のポケモンたちの力を借りねばならん。彼らの到着まで、しばし待ってもらいたい。人間のことわざにもあるだろう、急ぐと失敗するという意味の……何だったか……』
「急いては事を仕損じる、だっけか?」
『そのとおり』
 ルギアは、一度広げた翼を閉じた。
『彼らの到着までしばらくかかるだろうから、少し休んではどうだ? お前たちも疲れたろう。あの癒しの水も湧いているから、一口飲むといい。塩辛いかもしれないが』
 翼の指した方向には、大量の海水を浴びてポタポタとしずくをたらす、洞穴の入り口があった。中も海水が入り込んだようで、綺麗な水晶はびしょびしょに濡れている。疲れを完全に癒したあの水は湧いているかもしれないが、塩辛いのは――
「いや、座ってるだけでいいや」
 アーネストは、オレンの木にもたれかかった。木が揺れると、海水のしずくが雨のように落ちてきた。
 ふと、皆の頭の中にテレパシーが響く。
『キタゾ』
 海の中にいる親ポケモンの発したものだった。そのテレパシーにつられるように、皆、沖を見た。
 沖を見ると、小さな波がいくつも起きているように見える。そしてその小さな波はこの浜めがけて向かってくる。
「キャーイ!」
 ペラップがやかましく叫んだ。嬉しさで。
『皆、戻ってきてくれた!』
 嬉しそうなルギアのテレパシー。ルギアがこのポケモンと戦っている間、他のポケモンたちが皆他の場所へいなくなっていたので、戻ってきてくれて嬉しいのだ。
 沖からやってくるたくさんの水ポケモンたち。空を飛んでくるのはキャモメとペリッパーの群れだ。中には、オオツバメやピジョットなども混じっている。ストームタウン近くや小島付近に住んでいるのだろう。ポケモンたちは五分も立たないうちに浜近くに集まってきたが、あのポケモンの傍には近づいていない。海を荒らした直接の原因が傍にいるのだから、仕方ない。皆が揃ったところで、ルギアは海に向かって、皆に語りかける。そのポケモンの言葉は人間には理解できないので、何を言っているのかは想像するしかない。ルギアがその大きな翼のような腕を、親ポケモンと人間たちに向けつつも、何かを伝えている。やってきたポケモンたちに紹介しているのだろう。港の近くに住んでいるポケモンが多いせいか、人間の事はよく知っているらしく、あまり興味をもたれなかった。一方で海を荒らした親ポケモンに対しては良くない感情を抱いている。ポケモンたちの中からはまだ警戒する鳴き声が聞こえてきたが、やがて止んだ。
 静かになると、ルギアは浜に向き直り、三人を見た。そしてテレパシーで先ほどの会話の内容を伝える。海を荒らす脅威は去ったこと、海のポケモンたちの協力をとりつけることができたこと、頼りないかもしれないがいざという時は人間にも協力してもらうことになっていることを伝えた。
「頼りねえってのが引っかかるけど、まあしょうがないか」
 アーネストは頭をかいた。
「オマエタチ、タヨリナイ! ギャース!」
 ペラップが彼の頭上で騒ぐと、それを聞きつけたヘルガーがうなり声を上げ、脅すように吼えた。ペラップはギャーと鳴き、後方の折れたオレンの木の上へ飛び上がっていった。
 ルギアは、開いた翼を一度閉じる。そして、静かに言った。
『これから、皆の力を用いて海流を修復する』


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