第8章 part2



 ストームタウン周辺の海流には、戦いの爪痕が残っている。赤い光が小さく、流れ行く海水の中に混じっている。その海水の中に赤い光が溶け込むと、一方向に流れる海水はいきなり別の方向へと流れ出していく。
 海の中にいるポケモンたちは、めいめい泳ぎだしていく。その後で、親は、木の実を探す子供を呼び、親子一緒に沖へ向かっていった。
「一体何をしに行ったの」
 ヨランダが問うた。ブラッキーが海水に前足を突っ込むが、押し寄せる弱い波にしぶきをかけられ、慌てて下がった。
『皆に沖へ行かせたのだ。海流の中にある、戦いの爪痕を探させるために』
「爪痕?」
『我々が戦っていたとき、あのポケモンがたびたび赤い光で攻撃してきたのを、お前たちも見ているはず』
「ええ」
『海流の中に赤い光の残骸がある。それらを見つけ出し、海流に溶け込む前に片っ端から回収するのだ。赤い光が海流に溶け込むことで、海流の流れが乱されてしまうのだからな。海流の中に既に溶け込んでしまっているものは、あの親子が回収する』
「回収って、海流に溶けたものを、どうやって?」
『さあ、私にはわからない。溶けた光の回収は、あの親子にしか出来ないというので頼んだのだが』
「……もうちょっとしっかりしてちょうだい」
 ヨランダは足元のブラッキーを抱き上げて撫でながら、ルギアに呆れ顔を向けた。ルギアは彼女から視線をそらさない。
『海流を戻すには、あの赤い光の力を集めなければならないのだが、それは私には出来ないことなのだ。回収には彼らの力が不可欠だという。それに、今はニャースの手でも借りたい状況なのだ。四の五の言っていられない』
 それからスペーサーに首を向ける。
『お前のカメックスにも力を貸してもらいたいのだが?』
 彼は快くカメックスをモンスターボールから出した。
「ルギアの手伝いをしてやって欲しい」
 ルギアから仕事を伝えられると、カメックスはすぐさま海中に飛び込んだ。
 ルギアも海に飛び込もうとすると、
「ちょい待ち!」
 アーネストが尻尾を引っ張って引き止めた。迷惑そうにルギアは振り返る。
『どうした、一体』
「俺らはどうなるわけ? ここで留守番かよ!」
『お前たちの出番は、いざというときのためのもの。それに、お前たちは疲れているだろうから、休んでいてもらいたいのだ』
「俺は元気余ってるのに――」
「カミサマ。コイツラ、ツレテク?」
 アーネストの言葉をさえぎった声。ペラップが戻ってきて、ルギアに問うた。ルギアは瞬きしてから、浜に立つ三人に目をはしらせ、首を横に振った。
『彼らには留守番をしていてもらう。彼らの出番は、いざというときのためなのだ』
「ギャー」
 ペラップは納得できないと言いたそうな鳴き方をしたが、反論はしなかった。大人しく、オレンの折れた木の上にとまった。ルギアはそれ以上何も言わず、アーネストに尻尾を放してもらい、海にザブンと飛び込んだ。
「行っちまいやがった。なんで置き去りにされなくちゃならねんだよ」
 アーネストは不満を隠さずにぶつぶつ言った。彼の周りの、手持ちのポケモンたちも不満そうだ。だが何体かは水に弱いポケモンなので、海に入れないのを悔しがっているようでもある。一方でヨランダは、海水の引いていった水晶の部屋に入り、こんこんと湧いている癒しの水を見つけてポケモンたちに飲ませる。冷たくて気持ちのいい水だ。一口飲んだだけで、体中の疲れが全て癒されていく。
「かっかしてもどうにもならないわよ。今は、アタシたちは足手まといなんだから。ルギアの言う、『いざというとき』のために、休んでおいたら?」
「でもよー」
「怒っているだけだと無駄に消耗するだけよ。休めるのは今しかないんだし、休んだらどう?」
「……」
 しぶしぶアーネストは彼女の言うことを聞いた。彼自身も分かっていたことだ。今は、海の中で赤い光の力を回収している水ポケモンの役に立てない。一生懸命に彼らのところまで泳いでいったところで何も出来やしないのだ。
「じっとしてるのが一番いいとわかってても、俺には一番嫌なことなんだよな」
 アーネストは、乾いた岩の上にどっかと腰を下ろした。
「タイクツ、キラーイ」
 ペラップが、彼の気持ちを代弁するかのように、元気のない声で鳴いた。
 沖に見える入道雲が、何度かどす黒くなってはすぐに元通りの真っ白な色に変わっていった。

 海の中に散っていった水ポケモンたち。空を飛んでいる飛行ポケモンたちは、海水を見ては赤い光を見つけ次第すぐに海中へ飛び込んでくちばしにくわえる。さらに深い場所は海中にいる水ポケモンたちの担当。赤い光はどんな小さなものでも見落とされず、『あわ』や『バブルこうせん』で包まれて回収されていく。あの赤い光は、水に触れてしばらく経つとワカメのようにぐにゃぐにゃした奇妙な固体に変わってしまうというとても奇妙な性質を持っているので、回収が楽なのだ。しかもその固体は水溶性であり、溶けてしまうと海水を見ただけでは分からない。溶けてしまったらあの親子の出番だ。彼らが海水を口から吸い込むと、体内に取り込まれた赤い光の力だけが抜き出される。そしてエラから出されるのは、力を失ったただの海水。内臓が濾過装置の役目を果たしているのである。さらにその回収量は、他のポケモンたちの回収している量のおよそ二倍。これならば回収が終わるのも早いかもしれない。
 赤い光の流れ込んだ海流は、ストームタウンやルギアの小島周辺以外の方向にも流れていた。ポケモンたちは一生懸命光を探し回り、見つけ次第回収していく。
(あの光はどのくらい遠くまで流れていったのだろう?)
 ルギアも『じんつうりき』で光を回収しつつ、考える。海流の流れはそんなに早くない。だが、戦いが長引いたために、海中に散った赤い光の力はストームタウンより遠くに流れてしまったかもしれない。拡散して広範囲に流れていったかもしれない。
(急がねば。全てを回収して海流の流れを正さなくては!)
 全身に突き刺さってくるような、赤い力による痛みを感じつつ、ルギアは急いで海の中を泳いでいった。

 沖の入道雲は、急速にどす黒くなった。それどころか、周りの雲を吸収しているかのように大きくなってきて、気がつけば入道雲以外の雲がどの方位にも見当たらない。風も吹いていない。太陽が少し西へ傾き、腕時計は昼の二時を指した。波が浜辺に寄せては返す以外、動きは何もない。
 浜にいる留守番チーム。手持ちのポケモンたちは癒しの水を飲んでからずっと、海を見つめている。いずれも緊張した面持ち。彼らの視線の先には、あの入道雲がある。
「グルル……」
 ヘルガーがうなり声を上げ、尻尾をピンと立てている。今にも入道雲にとびかかっていきそうだ。
「する事がないからいらだっているわけじゃないみたいねえ」
 ヨランダは、腕の中にいるブラッキーを見る。ブラッキーは全身を固くして、入道雲を見つめている。他の手持ちのポケモンたちもだ。自慢の歌声を披露しないで、彼女のチルタリスはペラップと同じ木の上にとまって、ペラップと一緒に入道雲を睨みつけている。
「やっぱり海に起きていることを感じ取っているのねえ。鈍感なのは、人間だけってことかしら。はっきりと目で見えないと実感できないし」
 人間から見ると、沖に巨大な入道雲が見えているだけだ。太陽がじりじり照り付け、夏に差し掛かっているときに感じる蒸し暑さが、神経を苛立たせる。
 木陰に座って、スケッチブックにルギアのラフスケッチを描いていたスペーサーは、ふと、顔を上げた。彼を囲むようにして座っている彼の手持ちのポケモンたちは、彼と同じ方向をさっきからずっと、緊張した表情で見つめている。
 視線の先にある、どす黒くて巨大な入道雲。
「一雨来そうだな」
 五分後、その言葉は現実となった。
 急激に入道雲が太陽を覆い隠したかと思うと、いきなり、叩きつけるような大雨が降り注いできたのだ。あっという間に土砂降りとなった。皆、めいめいのポケモンをモンスターボールへ戻して水晶の間に慌てて避難した。大粒の雨は激しく降り注ぎ、そのせいで前方が白く見えてきそうなほど。
 ピカッと空が光って、ガラガラと激しい雷の音。雷の苦手なヨランダは思わず身をすくめた。
「やだもう!」
 雷は短時間で収まったが、雨は勢いを弱めぬまま降り続けている。
「これは異常気象ってやつか? それともただの通り雨かあ?」
 アーネストは、壊れた岩壁から外を見る。雨が止む気配はない。空はどす黒い雲が覆い隠していて青空など何処にもない。
「雨の正体はわからんな」
 スペーサーはスケッチブックを防水ファイルに押し込み、それを荷物につっこんだ。
「……止むまで待つしかあるまい。下手に雨に当たって、こっちの体に影響がでるのは避けたい」
 雨雲はこの小島の上空にのみとどまり、激しい雨を降らせ続けた。

 ルギアは、海面に雨が叩きつけていることを知った。普通ならば、ただの大雨ですませるところだが、海面に首を出してみて、その雨がただの雨でない事を知った。
(異常気象が表れてきたな。海にだけ降り注いでいればいいのだが――)
 ルギアは再びもぐり、海の中を泳ぐ。少しずつではあるが、赤い光の回収は進んでいる。このぶんならば人間の手伝いは不要だろう。そもそも人間の力はあてにしていない。
(とにかく、急がねば)
 ルギアは海流に身を任せていく。ルギアの進んできた海の中は、海水が正常な方向に流れ始めていた。
 ルギアの去った少し後から、ポケモンの親子が泳いできた。大量の海水を口から吸い込み、水に溶け込んでいる赤い光の力を吸収して、海水のみを体外へ排出し続けている。口をあけている限り水を吸い込めるので、口を開けっ放しにすれば勝手に海水のほうから口に入ってくれる。
「ピー」
 子供が、おなかがすいたと鳴いた。親は我慢しなさいと言って、再び海水から赤い光の力を抜き出す作業を再開した。
『!』
 親子は海面にその長い首を伸ばし、海上に顔を出して周りの景気を見る。先ほどまで叩きつけていた雨が止んでいる。雨雲が去ったのだ。しかし、今度は小島の上空にのみ雨雲が終結しつつあるのを見た。終結したどす黒い雨雲は、小島にだけ激しい雨を降り注がせている。だがそのどす黒い雨雲は徐々に赤く染まり始める。まだ昼だ、夕方には程遠い時間帯なのだ。
『アノ、ハゲシイアメハ……ルギアニ、シラセネバ!』
 親子はすぐに、ずっと先へ進んでいるであろうルギアを、呼んだ。海中に響くその呼び声を聞きつけてルギアが戻ってくるまで、二分もかからなかった。一体何があったのかと、ルギアは問うた。
『コジマニフリソソグ、ハゲシイアメ。アレハ、タダノアメデハナイ!』
『ただの雨ではない?』
 そこへ、スペーサーのカメックスが泳ぎ着いてきた。何か深刻な話をしていると受け止めたカメックスは、少しはなれたところから、話を聞く。
『アノアメハ、ワガチカラヲキュウシュウシタモノ。イソイデ、ソラヲトブモノタチヲムカワセネバナラナイ。サモナクバ、アノコジマハ、アメニヨッテケズリトラレ、ハンニチモタタナイウチニ……シズム』
『沈む?!』
 ルギアの驚きをよそに、話を聞いたカメックスは回れ右して、大急ぎで小島に向かって泳ぎ始めた。
『あの雨はただの異常気象ではなかったか。私の見方が甘かったな』
 ルギアはすぐに海上へ飛び出した。咆哮をあげると、近くにいるポケモンたちが寄ってきた。
『飛べるものは皆、あの雲の中の赤い光を探し出すのだ! 急げ! 雨に打たれる小島が沈む!』
 鳥ポケモンたちは一斉に島に向かって飛んでいく。ルギアも後を追って飛ぶ。光の回収は親子に任せることにした。どす黒いだけの雲が、いまや夕立の雲のように真っ赤に染まっているのが見えた。ただの雨ではない。小島の地面をえぐって岩壁を削り取れるほどの威力を持った、ポケモンの力を吸収した雨なのだ。
『急がねば! 人間たちがこの雨の異常さに気づいてくれているといいが』
 ルギアは、真っ赤な雲の中へ飛び込んだ。


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