第9章 part1



 小島の、水晶の間。
「雨、全然止まないわねえ」
 ヨランダは、外を眺める。ザーザーと激しく降り続ける雨は、一向に止む気配などない。それどころかその勢いをさらに増しているようでもあった。時計の針は既に三時を回っている。一時間も経っているのに雨は全く弱まらない。雨雲は未だに小島の辺りを陣取り続けている。風など吹いていないのだろう。
「待ってる側は退屈きわまりないぜ」
 アーネストは欠伸した。スペーサーは、特に不平も言わずに、荷物の中から取り出した本を読みふけっている。とはいえ時どき顔を上げて外を見ているところからして、あまり本には集中していないようでもある。彼も、早く雨が止んでくれないかと思っているのだろう。
 待機を余儀なくされているポケモンたちは、静かに待つどころか、焦りを募らせているようであった。うろうろして、外を睨みつけている。
「そんなに外に出たいのかよ」
 アーネストが言うと、ヘルガーをはじめとする彼の手持ちのポケモンたちは一斉に、「違う!」といわんばかりに首を振った。
「違うって? じゃあ何でそんなに落ち着いてないんだよ」
「ギャー、ニンゲンハ、オオバカモノ。ナゼ、キガツカンノヨ? コノアメハ、タダノアメジャナイノニ。マッタクモッテ、リカイデキン」
 ある意味では、ペラップの言葉がこの場のポケモンたちの気持ちを代弁していた。
「何だとお前っ……」
 アーネストがペラップに掴みかかろうとしたとき、
『お前たち、大丈夫か?』
 テレパシーが頭の中に響いた。ルギアの送ってきたテレパシーであるが、焦っている。慌てて駆けつけてきたかのように。
「大丈夫もなにも、何も起こってやしねえよ」
 アーネストの独り言が、ただちに否定された。呟きであっても声は相手に届くらしい。
『いや、お前たちのいる小島に降り注ぐ雨には、あの赤い光の力が宿っているのだ。雨は猛烈な勢いで降り注ぎ、島を削りつつある。このままでは半日も経たないうちに島は水没してしまうぞ!』
 その場にいた皆は、仰天した。
「す、水没だって?」
『今から私は、他のポケモンたちにも手伝ってもらって、雲の中の赤い光を回収する。雨の勢いを少し弱めてからこの雲を吹き飛ばさねばならない。水晶の間に水が入ってきているか?』
「いや、浸水はしていないが、この雨量だ、時間の問題だろうな」
『そうか。私も可能な限り急いで光の力を回収する。雨の勢いが弱まり次第すぐに雲を吹き飛ばす』
「それより先に浸水したらどうするのよ?」
『それを防ぐためにこうしてここに来たのだ。それに、その水晶の間の入り口から洞窟の通路へ戻れば、少しは水からの攻撃はしのげるはずだ』
 ルギアのテレパシー内容は本当に焦っている。皆が何か言うよりも早く、
『とにかく、その水晶の間が雨によって浸水したら洞窟の通路側へ進むんだ、私も急いで回収作業に取り掛かる!』
 有無を言わさず、テレパシーは終わってしまった。
 雨の勢いは全く弱まらず、降り続けている。
「大丈夫なのかしら?」
 浜に出来ている大きな水溜りが小さな川となり、緩やかな傾斜を下って海に流れていく。それをかろうじて見ながら、ヨランダは呟いた。
「ギャー、カミサマ、シンジロ!」
 ペラップはぎゃあぎゃあ喚きたてて、彼らの頭上を円を描いて飛び回った。励ましているのか焦っているのか、一体どちらなのやら。
「とにかく、浸水に備えて荷物の整理だけはしておこうか。いつでも避難できるようにしないと」
 スペーサーは、荷物をちゃっちゃとまとめてしまった。他の二人もそれに倣う。雨はなかなか弱くならないのだ、いつ浸水してもおかしくはない。ポケモンたちもモンスターボールへ戻した。狭い通路に入る際、大勢で入ると身動きが取れないからだ。彼らの力はいざというときに……。
 五分経過。雨の勢いは少しだけ弱くなった。
「ギャー、カミサマ、チャントハタライテル」
 ペラップは騒ぎながらも、水晶の間の入り口に向かって飛んでいく。避難の用意だろうか。外に出られない以上、ルギアの働いている様子を見ることも出来ないのだから、仕方がないが。
「オマエラ、アワテルナ。カミサマ、ハタライテル!」
 十分経過。雨の勢いはさらに弱くなってきた。
 ルギアはちゃんと働いている。これならば雨もじきに止むかもしれない。しかし、出来れば浸水する前に……。
「ニャーッ!」
「キターッ!」
 不意にニューラが、続いてペラップが甲高い鳴き声を上げたので、全員が飛び上がった。
「一体何なんだ? おとなしく――」
 スペーサーの言葉は途切れた。
 この水晶の間の通路側から、ショロショロと水の音が聞こえてきたのだ。
「水の音? なぜ?」
 懐中電灯のスイッチを入れると明かりが点いた。明かりで辺りを照らしてみると、確かに通路側から水が少しずつ入り込んでいるのが見える。それが細い細い川を作って、この水晶の間へ流れ込もうとしている。ヒカリゴケが通路の天井に密集しているのでそれの明かりも頼りに見ると、天上からではなく横壁の中から水が入り込んでいるのも見えた。この部屋に来る前、なぜ横壁に亀裂が入っているのか分からなかったし、今もその原因は分からないが、とにかく大変な事がおきつつあることだけは分かった。横壁の亀裂から、雨水が入り込んでいる!
「ここはもう既に浸水が始まっている……!」
 スペーサーの言葉を聞き取った二人は、先ほどよりも高く飛び上がった。
「何だって?!」
 通路の奥からビシビシと激しい音が聞こえ始めた。なぜか雨がいきなり強く降ったのだ。無慈悲に降り注ぐ雨は、風雨にさらされて脆くなりかけた岩壁を削り、さらにもろくなった亀裂の中へ入り込んできた。

 ゴォオオ!

 突如、激しい突風が外から水晶の間へ吹き込んできた。立っていた皆は強風にあおられて、体がフワリと木の葉のごとく浮き上がった。さらに、勢いの弱まらぬ強風は無慈悲にも三人をもてあそび、外に通じる穴から外部へ放り出してしまったのであった。

 ルギアは不気味な赤い雲の中を、円を描いてぐるぐる飛び回る。赤い光の力を、見つけ次第『じんつうりき』で回収していく。回収される量が増えるにつれ、雨雲は少しずつ小さくなっていく。雨の勢いも少しだけ弱まった。だが、気を抜くとすぐ雲は大きくなっていく。海水に溶け込んでしまっている赤い光の力が、海水の蒸発と共に空へのぼり、この雲の中に集結しているのだ。完全に赤い光の力を回収したとしても、また雲が現れるだろう。厄介極まりないとルギアは思いつつも作業を続ける。他の鳥ポケモンたちも頑張って赤い光の力を集めている。不思議なことに、海水に溶け込んだはずの赤い光の力は、雲の中では固体に戻っていた。そのため、回収は楽だった。
 休むことなく飛び回り続けた結果、雲は半分の大きさにまで小さくなっており、いた。ルギアは、鳥ポケモンたちに雲の外へ出るよう指示した。そして全てのポケモンたちが雲の外へ出たことを確認し、自分自身も外へ飛び出した。
『エアロブラスト』を放つ。ブワッと激しい強風が襲い掛かり、薄い赤色の雲はあっという間に四散してしまった。雨は雲と共に一気に吹き飛ばされた。
 ポケモンたちの、嬉しそうな声。ルギアはすぐに小島へ向かって降りた。人間たちはまだいるだろうか。まああの雨なのだから何処へも行ってはいないと思うが、せいぜい水晶の間の入り口側にある通路までだろう。そう思いつつ、長い首を穴の中に入れてみる。
『!』
 いない。内部はもぬけのカラ。通路側は水が滴り落ちて、水晶の間へ水が流れている。外の雨が中に浸水したのだろうか。水晶の間に入り、さらに長い首を通路側へと突っ込んでみる。だが、通路側にも誰もいない。完全にもぬけのカラであった。人間たちの姿は何処にも見当たらない。一体どこへ行ってしまったのだろう。先ほどまでの大雨を考えると、外に出たとは考えられないが――
『一体どこへ?』
 ルギアが首をかしげていると、

 パシャン、ザブン。

 背後から聞こえた水音。ルギアが振り向くと、海にカメックスがいた。背中の甲羅に、たくさんの荷物を載せている。吹き飛ばされて水に叩きつけられたショックで気絶した三人。さらにニューラとペラップが載って、気絶した三人の息を吹き返そうと頑張っている。カメックスは浜まで泳ぎ着くと、のろのろと這い上がる。重いのだろう。四足で浜を歩くとその揺れで甲羅からアーネストがずり落ちた。落ちた衝撃でか、彼は咳き込んで海水を吐き出し、目を覚ました。
『無事だったのか!』
 ルギアのテレパシーに反応し、アーネストはやっとルギアを見た。まだ咳き込みながらも、体だけはルギアの方をむく。
「無事って、一体、何だって……」
 話すこともままならない。咳がやっと止まるまで、しばしの時間を要した。一方、ニューラとペラップの必死の頑張りによって、ヨランダとスペーサーがやっと息を吹き返した。起き上がったスペーサーを見て、ニューラは嬉しさのあまり彼に抱きついた。あまりきつく彼を抱きしめたものだから、せっかく溺死から救われた彼は危うく窒息死する所だった。
『お前たち、一体何があったのだ? なぜ海の中に?』
 ルギアは、意識の戻った皆から話を聞く。亀裂の入っていた洞窟の通路側から雨水が侵入してきたこと、突如どこからか突風が吹いてきて外に飛ばされたらしいこと。皆が覚えているのはそれだけ。あとは海水に叩きつけられたショックで何も記憶に無い。洞窟の通路に入った亀裂はおそらくあのポケモンとの戦闘によるものだろう。水晶の間に突如吹いてきた突風は『エアロブラスト』の余波だとすぐわかったが、ルギアは黙っていることにした。何だかんだとルギアを責め立てるだろうから。
『まあとにかく、雨雲はふきとばしたし、皆も無事で何より』
 何か言われないうちにと、ルギアは締めくくった。が、ニューラは恨めしそうにルギアを見て喉をゴロゴロうならせ、ペラップはしょげた顔をしていた。どうやらポケモンたちには、先ほどの突風の正体はバレてしまっているようであった。彼らが何も言わなければいいが。ルギアは心底思った。
『私は引き続き、赤い光の回収に向かう。お前たちは――』
「また留守番かよ!」
 アーネストは顔も言葉も不満たらたら。待たされるのは彼の性に合わぬ事。ずっと水晶の間で待たされ続けてきたのだ、これ以上待たされるのはごめんだ。嫌でもついていってやる。口に出してはいないが、明らかに彼はそう言いたそうだ。
 ルギアは、首を振った。
『いや、お前たちにもついてきてもらう』
 そう言って、翼を広げた。
『乗るがいい』

 ルギアの背中に乗って小島を上空から眺めると、ルギアのテレパシーどおり、島が削れているのが分かる。残された木々の枝が雨で落とされ、羽を取りに行ったあの垂直の岩壁はかなり削り取られて形が変わってしまっている。地面のほうに、削り取られた岩や土砂がたまっているのが見える。実際、あと十分以上雨が降っていたら、もっと大規模な土砂崩れが起こったかもしれない。砂浜はひどくでこぼこしていて歩きづらい形になっている。水晶の間を覆う岩壁も形が変わっている。あのままとどまり続ければ、いずれは水没よりも先に水晶の間が雨によって破壊されたかもしれない。
 別の方向にはストームタウンが見える。港には何の被害も無いようだ。小島を襲った津波と赤い雲の大雨は、ストームタウンまでは届いていない。
 ルギアは、沖へ沖へと向かって飛んでいく。飛んでいく方向に、あの巨大なポケモンの長い首が見えた。たまたま顔を海上に出しただけらしく、あちこちを見回して、海中に首を引っ込めていく。
 ルギアが咆哮をあたりに響かせると、その長い首は再び海上に姿を現し、続いてルギアの方へ頭を向けた。
 互いに、会話をする。が、ポケモンの言葉なので何を言っているのかは人間には分からない。だが、空中のルギアが高度を下げて水面スレスレまでのところで空中にとどまり、海中の巨大なポケモンが首だけでなくその巨体を海上に出したことで、ルギアの背中に乗っている人間たちは、自分たちがそこに乗るのだと気がつく。濡れているので少しすべる。思わず尻餅をついてしまうが、自分たちの服もびしょぬれなので、服が少し濡れたときの不快感はすでに無い。ラプラスの甲羅のように固い背中だったが、表面にとても小さな凹凸があったのでそれが滑り止めになり、濡れた背中からズルズル滑って海中にダイビングすることは避けられた。
 ルギアは、今度はヨランダのチルタリスにも助力を求め、スペーサーのカメックスも、一緒に連れて行った。残ったのはペラップであった。いざというときの連絡役に。ルギアはそれだけ伝えたのみであった。ペラップは、残されることに何の不満も感じていないようで、やかましい鳴き声でガンバッテと言い、ルギアを送り出していった。
 ルギアの去った後、三人の乗っている巨大なポケモンが、彼らに首を向けた。その赤い目は、穏やかな光を宿している。
『オマエタチガ、テダスケヲシテクレルソウダナ』
 テレパシーも穏やかなものになっている。そばで、子供が「ピー」と鳴きながら、何とか親の背中に登ろうとしている。が、上手く登れないようであった。親は子どもの背中をそっとくわえ、自分の背中に乗せてやる。「ピー」と鳴きながら、子供はヨランダの傍まで寄ってきて、首をこすりつけて甘える。
『あの美味い物が食べたいそうだ』
 木の実やポフィンが食べたいのだろう。が、あいにくヨランダは木の実もポフィンも持っていない。子供はヨランダの荷物に頭を突っ込んで、食べられそうなものを探す。やがて、ゴムで口を縛ってあるドライフルーツの袋をむりやり引っ張り出して、ゴムを噛み千切って袋を無理に開け、中のドライフルーツを食べ始めた。ポフィンも食べ、木の実も食べ、海水に濡れたオレンの実も食べ、そして今ドライフルーツまでも食べている。どれだけ食欲旺盛なのだろう。食べ盛りなのだろうか。
「ところで」
 自分の荷物も首を突っ込まれないように背中にまわしたスペーサーは、親に言った。
「あなたの名前は?」
『ナマエ?』
「あのポケモンにルギアという名前があるように、あなたにも名前があるのでは?」
 ポケモンはしばらく悩む。自分の名前というものを知らないのだろうか。それとも、自分の名前を持っていたが忘れてしまったのだろうか。
『……ナマエ。ワレノナマエ……』
 長いこと悩んでいた末、やっと答えを出した。
『アノウミニスンデイタコロ、ワタシハ、《ストーム》トヨバレテイタ』
「……訳すと《嵐》かな? ところで、それはあなたの本名なのか?」
『ワカラナイ。ソウヨバレテイタコトダケハ、タシカダ』
 自分がそれ以外の言葉で呼ばれたことは知っているが、名前は分からないようだ。
「それじゃ、お前の事は《ストーム》って呼べばいいのか? 名前がないとさ、どー呼んでいいかわかんねえから」
『……オマエタチガソウヨビタケレバ、ソウスレバヨイダロウ』
 ポケモンはそれだけ言って、泳ぎだした。
『アカイヒカリノ、カイシュウサギョウヲカイシスル。ツカマッテオレ』


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