最終章 part1



 ドボーン!
 ゴーリキーの投げた巨大な岩石が、渦へと派手に落下する。岩石は渦に砕かれもせず、少しくるくる回って、やがて海中へ沈んでいった。
「やった! 渦が消えた! やったなゴーリキー!」
 アーネストは甲高い声を上げた。ゴーリキーも同じく喜んでいる。岩はどうやら本当に渦を消し去ったと見え、水面は静かに波が立つ以外、何も見えない。
《ストーム》はどうしたのだろうか。

 痛みを訴える強いテレパシーが三人とめいめいのポケモンたちの頭の中を突き抜けた。

『ダレダ! イワヲナゲコンダノハ!』
 先ほど投げ込んだ岩は、《ストーム》に当たってしまったようだ。先ほどまで渦のあった場所に、にゅっと何かが海中から姿を見せる。《ストーム》の頭。小さなこぶが出来ている。
「わりーわりー、当たっちまったか?」
 アーネストは頭をかいた。ゴーリキーは喉の奥でうめいた。
「それはともかく、渦は消えたんだよな」
『ナミガミダサレタノデ、ウズハキエタ。ダガ、オマエノナゲコンダイワノオカゲデ、ヒカリノチカラハ、スコシチッテシマッタ』
「げ。それって尚悪くなったってことか?」
『ソウダ。ダガ、スグニカイシュウハオワル』
《ストーム》は首を別の方向へ向ける。見ると、海を泳いで、あるいは空を飛んで、ポケモンたちがこちらへ近づいてくるのが見える。ルギアに言われて手伝いに来たのだろう。
「なるほど、小さいものは彼らに回収を任せるとして」
 スペーサーは《ストーム》の頭を見る。
「あなたの回収すべき大きなものは、まだこの近くの波の中にあるのか?」
『ソノトオリ。イワガナゲコマレタセイデ、チカラガブンサンシテシマッタノダカラナ。サア、カイシュウニユクゾ。セナカニノレ』
 先ほどゴーリキーの投げ込んだ岩のために、赤い光の力のうち特に大きなものがさらに別の場所へ流されたようだった。

「厄介な場所に流されちゃったわね」
 冷たく濡れている《ストーム》の背中から首を突き出したヨランダは、思わず声を漏らす。彼女の鞄をあさって食べ物を探す子供に気がつかないほど、その驚きは半端ではない。《ストーム》が泳いできたのは、先ほどの場所から一キロほど離れた場所。直径一メートルほどの小さな渦だが、その色は赤かった。しかも、渦巻いている場所だけが赤く光っている。
「何で光ってんだ? さっきの渦は普通の海水だったのに……」
 アーネストの疑問には、誰も答えてくれなかった。渦だけが赤く光っている理由が分かっているのか、わかっていないのかというわけではなく、皆そろって驚きのあまり口が利けなかったのだ。
 目の前の赤い渦は、少しも大きくはならなかったが、渦巻く力は、先ほど消した大きな渦よりも強いものであり、洗濯機なみに激しく水が回転している。周りの海水が引き込まれないのが不思議なくらいだ。渦の周りにある岩も削り取られることなく静かにたたずんでいる。
「なんで岩や周りの水は渦に巻き込まれてないのかしら」
 ヨランダの疑問は尤もである。赤い渦は激しく回転しているのに、他の海水や岩は引き込まれる様子など全く無い。
「あの渦の勢いなら、こっちだって引き寄せられても不思議じゃないわ」
 いやいや、《ストーム》の巨体を引き寄せるほどの勢いではない。しかし、小型船や普通のポケモンならあるいは……。
《ストーム》は、大きめの岩に皆を下ろす。そして、渦の様子を見るために海にもぐった。
 突如、上空から激しい風が吹き付けて、海水がひどくあおられて小さな波を作った。
 皆が派手な水しぶきを浴びてずぶぬれになると、うえからルギアがゆっくりと降下してきた。
『まだ回収は終わっていないのか?』
「これからやるところ」
 ヨランダは、濡れた自分の服をつまんでちょっと絞った。ずぶぬれになったアチャモはぶるっと身を震わせた後、モンスターボールの中へ引っ込んでしまった。
「それにしても、もっと静かに登場できないのかよ。また濡れちまった」
 不平たらたらのアーネストの傍で、濡れたヘルガーとコドラがルギアに怒りのうなり声を上げている。
『仕方なかろう』
 ルギアは流してしまった。そして、赤い渦に首を向けた。
『あの赤い渦は一体何が原因で発生した? あれほど激しい力の流れは見た事がないぞ』
「え、まあちょっと光の回収に失敗して……」
 海中から、テレパシーが届いた。
『……ヒカリノチカラガ、イワデクダカレタショウゲキヲノミコミ、ヨリキョウリョクナウズヲツクリダシテイル。ホカノモノガマキコマレズニスンデイルノハ、ウズヲツクリダシテイルアカイヒカリノチカラガ、ウズニヨッテギャクニトジコメラレテイルタメダ。フシギナコトモアルモノダ』
 言葉の後、《ストーム》がその長い首を海面に突き出した。
『ウズヲケスニハ、サキホドノヨウナヤリカタデハダメダ』
「ギャー、テオクレカ?! モウダメナノカ?」
『ソンナコトハ、イッテオラヌ!』
 やかましくさわぐペラップにぴしゃりと叩きつけた《ストーム》はやっとルギアに目を留める。しばらくポケモンの言葉で話をする。人間には内容が分からないので、会話が終わるまで黙って待つしかない。
 やがて話が終わった。同時に、赤い渦の回転が激しくなる。だが、先ほどと同様に渦の周りの岩も海水も引き込まれていく様子は無い。渦だけが活動している。
 ルギアは勢いよく海中へ飛び込む。その際のしぶきを、またしても三人とポケモンたちは派手に浴びる羽目になった。
『ウズノチカラハ、ヨソウイジョウニオオキクナッタ。オマエタチダケデハ、ドウニモナラン』
「俺らはいらねーってか」
 アーネストの言葉に賛同するかのように、彼のポケモンたちも反応を見せた。
『ソウデハナイ。イマノジョウタイデハ、オマエタチノテニハオエナイ、トイウイミナノダ』
 それ以上何も言わず、《ストーム》は海中へ首を引っ込めてしまった。ピー、と寂しそうな鳴き声をあげた子供は、親を見送った。
 聞きなれたポケモンの鳴き声と、波を派手にかきわけてくる音が聞こえてくる。皆が音の方向を見ると、チルタリスとカメックスが海と空を突き進んでくるのが見えた。さらにその後ろから大勢のポケモンたちがやってくる。最後の赤い光の力を回収しに来たのだ。
 五分も経たないうちに、赤い渦の周辺は大勢のポケモンで囲まれた。

 海中の渦は、海面から見た時よりも激しく回転している。鋭いドリルのように赤い水が回転し、海底に向けて少しずつ縦へ伸びていく。
 赤い渦の力は徐々に増している。渦の回転が赤い光の力それ自体を閉じ込めているとはいえ、逃げ場を持たない赤い光の力は徐々に凝縮されていく。凝縮され続ければその力は渦の回転それ自体をも取り込むことで逃げ場を確保し、辺りの海水を一気に引きこんで渦を更に巨大化させることになるだろう。そうなると、近くの海域全てが渦に呑み込まれることになる。下手をすれば、海水の流れ自体も渦で狂わされることになるだろう。
 さて、潜ってその規模を確かめたものの、この赤い渦の勢いをどう弱めるべきか、この二体にはその方法すらつかめていなかった。ただの渦ならば力を弱めてしまえば消せる。だが赤い光の力を吸収した渦の威力は彼らの手に余るほど大きくなりつつある。だからといって、このまま手を出さないわけにもいかないのだが……。
 周りの波の中からたくさんの音が伝わってくる。それは、ルギアにとって聞きなれたものだ。あの音は、この海に住むポケモンたちがここへ向かって泳いでくる音だ。
(援軍だな。彼らにも手伝ってもらわねば)
 やがて、二体の周囲には大勢のポケモンたちが集結し、指示を待つばかりとなった。
『皆、よく来てくれた!』
 ルギアはポケモンたちに伝えた。
『だが見てのとおり、渦の力は強すぎて、我々でも手出しは難しい状態になっている』
 海の中のポケモンも、空にとどまっているポケモンも、ルギアの言葉に耳を傾けている。目の前で激しく渦を巻きつつ少しずつ大きくなっていく真っ赤な海水を見れば、この渦の力が徐々に強まりつつあることなど一目瞭然だ。
『この仕事が最後! 皆の力を貸してもらいたい!』

 もう一度《ストーム》が海面に顔を出す。待ちくたびれたといわんばかりに、皆は一斉に、《ストーム》の頭の出ている方向に身を乗り出す。
『オマエタチ、モウイチド、ウズノチカラヲヨワメテモライタイ』
「さっきと同じこと言ってんな」
 アーネストの言葉に、《ストーム》は歯をガチリと噛み鳴らして次の言葉を叩きつける。
『アタリマエデハナイカ! ソノタメニ、オマエタチヲココマデツレテキタノダゾ! オマエガソモソモシッパイシサエシナケレバ――』
「アー、わかったわかったから。で、渦を消すって言ったな?」
『ソウダ。コンドハ、オマエタチノチカラヲアワセテモライタイノダ』
 言われるまでもない。
「で、何をすればいい?」
 強く渦巻く真っ赤な渦を見てちょっとおびえているサーナイトをなだめながら、スペーサーが問うた。
「力を合わせるといっても、どうもピンとこない」
『ルギアノウツテシダイデ、オマエタチニコウドウシテモライタイノダ』
「ルギアの打つ手次第? まだピンとこない」
 彼は鸚鵡返しに聞き返す。
「なあ、先ほど岩を投げ込んだことによって力は衝撃を吸収し、この有様となった。……もし仮に、力を合わせる事が渦に対する攻撃を意味すると仮定しよう。この場にいるポケモンたちが一斉に渦の弱体化を図って攻撃すると、渦はその攻撃の力自体も飲み込んで更に強大化しまうのでは?」
『オマエノイウコトハ、タシカニタダシイ。ダガ、ルギアハワレニソレイジョウハツタエテクレナカッタ。ワレガヒカリノチカラヲキュウシュウスルニハ、アノウズノナカノチカラソレジタイヲヨワメネバナラナイノダカラ、ケッキョクハルギアノカンガエニシタガワネバナラン』
「納得いかんな……。もっと他にないのか?」
「無理言ってる場合じゃないわ。出来る事がそれしかないなら、それを試すべきじゃないの?」
「そりゃそうなんだが――」
 のどの奥でしばらくうなるスペーサーだが、それ以上反論しない。何も考えが浮かばないようである。
「今は、それしかないんだろうなあ。しかしなあ……」
 不満を顔に貼り付けたままだが、何も考えが浮かばないのか、それ以上の文句は言わなくなった。
『デハ、イクゾ! コレイジョウ、ウズノチカラヲヒロゲヌタメニ!』

『合図がきた! 取り掛かるんだ!』
 ルギアの一声で、最後の作業が始まる。
 海中のポケモンたちは、赤い渦の力を広げぬために、まず渦の周囲の海水の流れを一時的に逆向きに変える。大勢の水ポケモンたちが渦の周囲を渦の向きとは逆にぐるぐる旋回していく。逆に回転する海水を飲み込み始めた真っ赤な渦は、最初のうちこそ徐々に広がっていったものの、逆流には勝てなかったと見え、広がるのをやめた。だが赤い光の力自体が衰えたわけではない。衰えたのは赤い海水の流れだけではあるが、赤い渦の広がりをこれ以上許すわけには行かない。
 赤い渦の周囲の海水が猛烈な勢いで逆回転する。空を飛んでいるポケモンたちは、ペラップの指示を受けて、渦に向かって強風を送る。人が立っていれば塵芥のごとくあっけなく吹き飛ばされてしまうほどの強さだ。強風は波をさらに動かし、水ポケモンたちの行動を手助けする。赤い渦は、勢いよく逆回転する周囲の海流に閉じ込められ、広がる事が出来なくなった。
 海中のルギアは、渦の真下に回り込む。そして、海中から勢いよく『ハイドロポンプ』を打ち出した。発射された巨大な水柱は赤い渦を突きぬけ、その勢いを殺さぬまま海面へと飛び出した。その水柱が通過した後、赤い渦はただの海水の色に変わった。
『ハイドロポンプ』のパワーを、赤い光が取り込んだのだ。渦は『ハイドロポンプ』の勢いに負けて力を失い、ただの海水に戻った。
『皆、よくやってくれた! さあ、なるべく遠くへ避難するのだ!』

 まるで噴水のように、海面を突き破って『ハイドロポンプ』の水柱が飛び出したとき、その衝撃で、岩の上の皆は危うく腰を抜かすところだった。水柱は赤く光り、かわりに海面の赤色は消え去っている。今度は、この水柱の中に赤い光の力がこめられているのだ。
「この水柱を何とかすれば全部終わるって事でいーんだよな?」
 アーネストは、《ストーム》に問うた。ポケモンは肯定した。
『ヒカリノチカラヲジャッカンヨワメルダケデカマワヌ。ソウスレバ、ワレハコノチカラヲカイシュウデキル。コノミズバシラヲ、ハカイシテモライタイ。モチロン、ワレモチカラヲカス』
 しかし目の前の水柱はルギアの『ハイドロポンプ』だ。ただの水柱ではない。ポケモンの技は、それを上回る威力の技か、特別な道具なくしては破壊できない。
「こりゃ、力を合わせなければ、駄目だな」
 スペーサーが呟くまでもなかった。
「この水柱を破壊できれば全部解決なんでしょ?」
「だったらさっさと壊してやろーぜ」
 勢いよく噴き出す赤い水柱は、西へ傾いた太陽の光を反射して、不気味な赤に輝いた。やれるものならやってみろ、といわんばかりに。
「そうと決まれば、さっさと攻撃だ!」
 待ってましたとばかりに、ポケモンたちが身構える。最初に《ストーム》と戦ったときのように。
《ストーム》の横から派手に波しぶきをあげて、ルギアが海中から飛び出す。ポケモンたちが次々に岩の周りから離れていく。
『皆は避難させた。……最後の仕事、私も助太刀するぞ』
 赤く光る水柱の勢いが強まるにつれ、辺りの空気が冷たくなる。雲ひとつ無いかんかん照りなのに、身震いしてしまうほど周囲の気温が一気に下がる。だが寒がっている暇は無い。
『総攻撃! 水柱に穴を開けて光を引きずり出すんだ!』
 赤い水柱に向けて、ポケモンたちが次々に攻撃を繰り出す。無数の葉、水泡、炎、飛礫、光線。ルギアと《ストーム》も攻撃を繰り出す。全てが一斉にぶつかる。だが、赤い水柱は水流を乱すことなく噴水のように赤い水をあたりに撒き散らしては再び終結させている。
『簡単には壊させてはくれんか。赤い力を外へ出すのに、ありったけのパワーを『ハイドロポンプ』に注いだのがあだとなったな』
 ルギアの呟きには、あいにく誰も耳を貸していない。赤い水柱は先ほどの猛攻にも耐え、何事も無かったかのように周囲に赤い水をまいている。
「赤い光の力は水に溶けている、のか?」
 どこか自信のなさそうな問いを、スペーサーは《ストーム》に投げかける。《ストーム》は否と答えた。
『マダダ。ダガ、モウシバラクスレバ、カイスイニトケコンデシマウ』
「そうか、それなら」
 スペーサーは、ニューラとカメックスに指示を出した。
「ニューラ、『こごえるかぜ』、カメックス、『ふぶき』だ」
『ふぶき』と『こごえるかぜ』が赤い水に直撃する。激しい吹雪は冷風を更に冷たくし、赤い水を取り囲む。赤い噴水は最初のうちこそ優雅に流れていたが、しばらくすると少しずつ固まり始めた。水が凍ってきたのだ!
『周りを固めて力の広がりを防ぐというわけか。力を取り込みきっていないなら、ただの海水に過ぎないからだな』
 ルギアは感心したようなテレパシーを送ってくる。が、相手は冷たく返答した。
「感心している場合か?」
『そうだな』
 皆、氷の技を一斉にぶつけて助太刀する。中でもルギアの攻撃は最も強力であり、赤い水はさらに固くなり始めるが、同時に、水の中の赤い光は強く輝き始める。赤い光の力が海水に溶け始めているのだ。
『イソイデカタメルゾ! アノチカラガ、トケハジメタ』
 言われるまでもない。完全に赤い水を凍りつかせて《ストーム》に処理させねば、またもとの木阿弥だ。海水の力を更に吸い込んでしまうと、この『ハイドロポンプ』の力自体も増してしまい、力の吸収が難しくなるのだ。
 しかし、半分以上凍ってきたとはいえ、それ以上なかなか凍りつかなくなってくる。光の力が海水だけでなく、氷の中にまで忍び込んできたのだ。さらに凍りつかせるために、他の技を繰り出し、追い討ちでそれを凍らせて赤い水の柱にぶつける。凍りつく速度はあがらないものの、赤い光の力が徐々に負けてきたのか、赤い柱は確実に凍ってくる。強く輝いていた光は弱まり始める。
「まだ力を吸収できないのか!? もういいかげん良い頃だろ!」
 アーネストは《ストーム》に怒鳴る。猛吹雪を吐き出していた《ストーム》は赤い目を一度アーネストに向け、口をあけた。
『モウ、ダイジョウブダ!』
 言うなり、ポケモンはいきなり海中に勢いよくもぐりこんだ。そのまま《ストーム》は海中で口を開け、勢いよく海水を吸い込み始める。海水は何百リットルも一気に吸い込まれていく。そしてその海水の中に、凍りかけの赤い水柱もあった。
 体内に吸い込まれた赤い水柱は、やがて《ストーム》の体内に吸収された。


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