第1章 part1



 うっそうとしげる森が、辺り一帯を緑で染め上げている。森の周りは、完全な荒野であり、道しるべとなりそうな道や標識など、全く見つからぬ状態。南の空で、太陽は眩しく輝いている。
《森》は、強風にあおられ、ざわざわとその枝を派手にゆする。だが、葉っぱは一枚も枝から跳んでいくことは無い。《森》の地面は、しげった枝葉のために光が届きにくいのに、みっしりと苔が生えている。そしてその苔はうごめいており、時折、妙な形のイキモノを生み出しては《森》の外へ放つのであった。

《森》は、世界各地に点在している。高所から周囲の荒野を見渡せば必ずそれが目に飛び込み、尚且つその鮮明な緑が広範囲にわたって苔を進出させ、荒野を侵食しているのがわかるだろう。
《森》が世界を支配したのは、今から数百年ほど前。微生物による細菌兵器の実験が派手に行われていた、ある地域の森に生えている苔が突如生命活動を活発化した。それをきっかけに、その周囲の植物もそれに合わせてぐんぐん成長、苔の侵食が進むほどに、植物はどんどん巨大化した。植物から花粉が風に乗って飛び、世界各地を侵食し始めた。人間達は森を焼きはらった。だがそれに対抗するためなのか、別の細菌兵器が苔に新たな力を与えた。密集した苔が、生き物となって人間を襲ったのだ。生き物は銃で撃っても死なず、ただバラバラに砕け散るが、完全に灰になるまで焼き尽くさないとたちどころに復活してしまう。各地を焼き払って森の勢力を削ぐ人間たち。自然界は多大なダメージをうけ、森と海、湖、川といったわずかな箇所を残して、残された「自然」はほぼ消滅した。人間側も当然無傷では済まず、細菌兵器の苔による犠牲を数多く出した。世界各地に、焼かれた後の荒野がひろがった。苔や森に侵食された町や村は全て緑に覆われ、焼き払われたとしても、廃墟となったかつての住居にひとが住むことは無かった。
 人間側の抗戦によって森と苔の侵食はある程度抑えられてきたが、長い戦いの中、苔は人体を支配することを学習した。脳と神経、肉体を支配された人間が新たな敵となった。試行錯誤の末、苔は無機物を操れないことを知った人間たちは、成人を迎えた者全てサイボーグ手術を施すことを決定。その年齢を迎えるまで、新たな人類は、完全無菌のドーム内部の育成が始まった。

 ある《森》の近辺にて、苔が四足の獣の姿を作りあげ、獲物を求めて外へ飛び出した。
「出た!」
 彼は、掌サイズのボールを投げる。それが苔の獣に当たるや否や、バシャッと音を立てて破裂、苔の獣の全身にふりかかる。泥色をしたぬめぬめしている液状のそれは、苔の獣の全身を覆い、動きを鈍らせる。苔の獣の拡散を防ぐための、特別な液体を詰めた球だ。
 全身がぬめりに覆われ、動きが鈍った苔の獣は、それでも目の前の標的を苔の温床とすべく、足を動かす。だが相手は軽いステップで後退し、距離を取る。
「とどめだ!」
 彼は、口径の広い銃を取り出し、引き金を引く。すると、一筋の青白い光が発射され、苔の獣を一瞬にして凍結させた。完全に凍りついた苔の獣は、完全に息絶えてしまった。
 彼は、氷像をハルバードで叩き割った。斧と槍を複合させた形をした、柄の長い武器だ。柄の長さは自在に調整できるよう、所々に節目がついている。用途に応じて、柄を手斧サイズの長さにもできるのだ。
 粉々に砕け散った獣に背を向け、彼はのんびりと去った。

 町にて。
 苔の侵食を防ぐために町の周囲はドームで包まれている。町の中央には、新たな世代の人間を一定期間育てるための、完全無菌の白いドームがそびえている。その隣にはサイボーグ手術を施すための専門の施設と病院が並び、後は、宿や店などの各施設や住宅街がある。行きかう人々は、皆、サイボーグ手術を終えた者たち。見かけは普通の人間と変わらない者もいれば、あきらかにサイボーグだとわかる機械じみた外見の者もいる。
「ちょっと体の調子がよくねえなあ。久しぶりに病院行くか」
 彼は、サイボーグ手術の病院へ入る。
 サイボーグ手術は、大きくふたつに用途が分かれている。《森》と戦うための戦闘能力を重視した戦士タイプと、ごく普通の日常生活を営むのに十分な家庭人タイプだ。成人してサイボーグ手術を受けると、最初は家庭人タイプになるが、希望者には戦士タイプの手術を施してくれる。もちろん、家庭人として生活した後に、改めて戦士としての改造を受け、町の外へ出て《森》と戦う事も出来る。
 彼は、病院の受付に、診察用カードを出す。受付は、掌サイズのカードを受け取り、内容を確認する。
「手術ナンバー8539、戦士タイプ。お名前は、アーネスト様ですね」
「おう」
「本日はどのようなご用件でしょうか」
「メンテナンス」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 言われて、大勢の患者で騒がしい待合室の、空いている椅子に座る。< br>  アーネストは、この町の近くにある《森》と戦う、赤髪と赤い瞳が特徴の、二十歳半ばごろの戦士。冷凍銃とハルバードを武器に戦い、日々苔を討伐している。戦士タイプのサイボーグ手術を受けてはいるが、ぱっと見た所は家庭人タイプだ。だがその肌色の人工皮膚の下には、ワイヤーや人工線維を用いて作られた人工の強化筋肉がある。
 そのうち名前を呼ばれ、アーネストはメンテナンス室に入った。メンテナンスを一時間ほどで終えると、料金を払ってのんびりと病院を出る。それから向かう先は武器屋だ。冷凍銃のエネルギーを注入してもらうついでにハルバードの刃も磨いてもらった。
 武器屋を出るころには、昼をやや過ぎていた。武器を磨いてもらったアーネストは上機嫌で、店に入る。大きな食料品店だ。食料品店と言ってもアルコール飲料も売られているし、店内で食べる事も出来るので、酒場か大衆食堂と呼ぶ方が正しいだろう。
《森》との戦いで、作物にも《森》の花粉が付着し、作物すら人間の敵になったことから、農産物は全てドームの中で作られるようになった。また、サイボーグ手術の黎明期のころは、戦士タイプの手術を受けた者は一度の食事で十人前もの量を食べないと、栄養不足で、戦うどころではなかった。現在では、一人前食べただけでも十分戦えるよう、技術が進んでいるので食糧危機に陥る事も無くなっている。食料生産の量と質は《森》との戦いが起こる前のレベルまで戻っているし、専用のドームで細心の注意を払って栽培されているので、苔や花粉の有無を心配する必要はない。
 腹を満たしたアーネストは、次に大きな建物へ入る。ここは、「ギルド」と呼ばれる施設だ。アーネストのような戦士タイプの住人が集まる場所で、《森》から飛び出す苔の獣をどれだけ倒せたかによって、それ相応の金が貰える。仕事の報酬というわけだ。《森》との戦いがだんだん落ち着いてきて、サイボーグ技術も発達するにつれ、一般人でも苔の獣と戦えるようになったことから、それぞれの町の行政は、戦士タイプの手術を受けた者に討伐の仕事を与えその報酬を渡すと言うシステムを作り上げた。苔の獣は四足の獣サイズから、家ほどもある巨体まで様々なランクがある。討伐とは、戦士が必ず生きて帰ってくるとは限らない危険なものなので、巨体あるいは群れで襲ってきた苔の獣に対しては、破格の報酬が渡される。
 ギルドには、食料品店ほどではないが、話をするためのテーブルや椅子がいくつかおいてある。そこではアーネストと同じ戦士タイプのサイボーグたちが軽食や飲み物を片手に、なにやらしゃべっているところだ。騒がしいギルド内部のロビーを真っ直ぐ抜けて、アーネストは今日の討伐を報告する。その証拠として、首の、黒いチョーカーの正面についている小さな飾りを出す。それは四角い飾りに見えるが、カメラになっていて、討伐の証拠がちゃんと録画されているのだ。
 受け付けは、専用の再生機で戦闘シーンの録画を確かめる。
「小さいからこれだけだな、お疲れさん」
 報酬として渡される、数枚の銀貨。あの程度の大きさの獣なら、経験をある程度積んだ戦士ならば簡単に仕留められるのだ。そのため、報酬も安い。
「おめえさんもだいぶ戦闘に慣れてるんだから、そろそろもっとデカブツを狙ったらどうだい」
 初老の受付に対し、アーネストはちょっと首をかしげる。
「そうは思ってるんだが、そういうデカブツが出てきたタメシがねえんだよなあ。運が悪いんだろうな、きっと」
「それはそうと、最近、新しいサイボーグ手術の広告出たろ。同じ戦士型でももっと能力を特別な咆哮に特化させたっていうやつだ」
「おう、知ってるぜ。それがどうした」
 アーネストの返答に、全身メタリックな人工皮膚を移植されている受付の男は、くだんのチラシを出してきた。
「このチラシの、ここなんだよ。ずいぶんお値打ちだろ? 金貨五十枚だとよ! 戦闘能力を上げるためにも、受けてみる気はねえかあ?」
「ご、ごじゅうまいって、おいおい」
 アーネストは首を横に振った。金貨五十枚と言えば、半年楽に暮らしていける大金だ。一方、銀貨約三枚が、(贅沢をしなければ)一日分の生活費にあたる。
「俺はこのボディで十分満足してるからいらねえよ。それにこんな大金払えっこねえって。そもそもこれだけ稼ぐのにどれだけかかると思ってるんだよ」
「がはは、それもそうか」
 受付は笑いながらチラシを引っ込めた。
 その時、背後でテーブルをひっくり返す大きな音が響いた。アーネストと受付、そして他の客たちが、音の方向を一斉に振り返る。
 見れば、中年の男が、ギルドの入り口をくぐってきたばかりの若い男にくってかかっている。支離滅裂な事を怒鳴っている。
「ありゃあ、メンテナンスをサボりすぎた結果だぜ」
 受付はぼそりと言った。
 サイボーグ手術をした後、定期的にメンテナンスを行い、パーツの交換も行わないと、劣化した人工神経等に障害が発生して、情緒不安定になりやすくなる。
 中年の男は、入り口の相手にわけのわからないことを喚いた末、周りの者が止めるより早く腰の銃を抜き放ち――

 スパッ。

 銃を握った中年男の手は、肘から先がすっぱりと切れた……。
 綺麗な切断面を見せる、中年男の腕。斬られた側の腕は、銃の引き金に指を引っ掛ける前に、床にゴトンと落ちた。
「別に痛みは無いだろう。痛覚がないのだからな」
 そう言い放ったのは、中年男にからまれていた若い男。片手を中年男に向けてつきだしているが、その掌からは、超硬質のワイヤーが飛びだしている。切断に優れた威力を発揮するが、これは苔の獣を相手にするには不向きな武器だ。むしろ《森》の木を切り倒すのに使うものだ。
 中年男は、自分の腕が突然半分失われた事への驚きで硬直し、裏返った声で何やら喚きながら、外へと飛び出していった。
 ギルドは再び、騒がしさを取り戻す。ギルドにいる者が決闘やら喧嘩やらをやらかすのは日常茶飯事なので、もう慣れてしまっているのだ。
 入り口に立つ男は、足元に落ちた手首を蹴飛ばして退かし、つかつかと受付まで歩いてきた。青髪青眼でややきつめの顔つき。身につけている防具は超合金ベストぐらいなものだ。首にチョーカーをつけているため、この男も《森》との戦いで糧を得ている戦士と思われる。チョーカーにつけているカメラを外して受付に渡す。初老の男は受けとって調べ、カメラと金貨二枚を渡した。
 男がぶっきらぼうに礼を言ってさっさとギルドを出ていった。アーネストは、受付に問うた。
「さっきの奴、見ない顔だな。知ってっか?」
「そりゃあおめえさんが見ないのも無理はない。ありゃあ、つい最近戦士タイプの改造を受けた奴でな、戦士としては新米なのさ」
「ふーん」
 それからアーネストはギルドを出、自分の泊まっている古びたアパートへ向かう。ワンルームでトイレはあるが、浴室は住人共同の大きなものを使うのでここには設置されていない。家具といえば、寝るための寝台と身支度をするための小さなタンス、とりあえず荷物置き場になっている椅子だけ。キッチンはあるが、水を飲む以外に使われた形跡はほとんどない。
 アーネストはアパートの部屋に入り、武器を壁のフックにひっかけた後、どっかと寝台に寝転ぶ。服は、浴室へ降りて行った際に一緒に洗うので、脱がない。
「夕方に備えて、ひと眠りするか」
 寝転んで目を閉じてすぐ、彼は寝息を立て始めた。


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