第1章 part2
《森》の活動が活発になるのは、夕方からだ。細菌兵器に侵食されたとはいえ元は植物、太陽の出ている日中は光合成をおこなって酸素を吐き出している活動を優先するため、それほど苔の活動は派手ではない。日が沈みかける夕方から夜間こそが、彼らの最も活動する時間帯だ。それまで、町の者はなるべく昼間のうちに苔の獣を狩っておき、《森》が苔を修復する時間をのばして、侵食のスピードを落とさせておく。そして、夜になったら本格的に戦士たちが動き出すのだ。
火を放って燃やす。それが最も手っ取り早い討伐のやり方であるのは誰もがわかっている。だが、それができればこの世界からとっくの昔に《森》は滅び去っている。苔が植物を呑み込み始めたころは、各地で森を焼き払っていたのだが、時が過ぎるうちに細菌兵器が炎の恐怖を学習し、それに対抗するために、一定以上の熱を感知した時点で苔や根や枝による盾を瞬時に作りあげることをおぼえた。学習能力を持つ細菌兵器によって、炎攻撃への対抗策が作られ、そう簡単に木々のバリケードは破れなくなった。生木は簡単には燃えない上、たとえガソリンをかけられて火を付けられたとしても、簡単に突破されることのないよう、《森》はバリケードを幾重にもかさねて作りあげたのだ。
さて、夕方になると、アーネストはすぐ目を開ける。防具をつけ、武器をとり、頭をすっきりさせるために水を飲んで、さっさと部屋を出た。
オレンジの光が、辺りをそめあげる。住人たちは帰宅への道を歩く。一方、《森》との戦いにそなえた者たちは、一斉に町の出口へと向かった。苔の獣の討伐だけではない、《森》の木を一本切り倒すだけでも、それなりの報酬がもらえるのだ。《森》の守りを担う木々を少しでも減らさねば、《森》の防御を破る事は難しいのだ。苔と違い、木は大木になるまで何年もかかるのだから。細菌兵器も、さすがに木々の成長速度をはやめることはできない。
アーネストは、町の出口へ向かう前に、薬局へ駆けこんだ。半分機械化された人間たるサイボーグに薬局が必要な理由は、万が一苔や花粉を吸い込んだ時にそなえて、体内や脳内に抗体をつくるワクチンを買うためだ。サイボーグ技術が進化するのと同様、《森》もゆっくりと進化している。サイボーグ手術を施したのに苔に脳を支配され、町の住人を襲った戦士がいた。それを防ぐために、薬局でワクチンを開発、販売しているのだ。もちろん効き目はあるが永続しない。せいぜい一日ぐらいだ。そのため、戦士たちは、金がある場合に限って、《森》と戦う前にワクチンを飲み、戦闘に臨んでいる。
薬局は、入り口の扉をくぐってすぐ、頑丈な網戸で覆われたカウンターがあるだけの、非常にシンプルなつくり。だが商品はその奥にある。ワクチン強盗を防ぐために、客との接触は最低限のものとなっているのだ。商品と金の受け渡しは全て、網戸に設置された小さな隙間を通じて行われる。
アーネストがカウンターに備え付けられたベルを乱暴におすと、ジリーンとうるさい音が店内に響く。ぱたぱたと奥から足音が響く。
「はーい」
姿を現したのは、まばゆい金髪の女性。この薬局の店員ヨランダは、網戸の向こう側にいるアーネストを見つけた。
「ああ、来たのね」
言いながら、鍵をふところから取り出し、棚の頑丈な鍵を外していく。そして棚を開けて、錠剤の入った小さな袋を取り出した。固形ワクチンだ。口から摂取する仕組みになっている。
「銀貨二枚ね」
「あいよ」
アーネストは財布から銀貨を取り出し、カウンターへ置く。ヨランダは、網戸の一部を外して手を伸ばし、銀貨を受け取った後、ワクチンを渡した。
「じゃ、もっと稼いでいっぱいワクチン買ってちょうだいねえ。《森》の木を十本くらい切り倒してきてよ」
「無茶言うなよ……。木に近づくまでが難しいんだぜ?」
アーネストが引きつり笑いを浮かべて薬局を出ようとした時、薬局の扉が開けられて新たな客が入ってくる。昼間、ギルドで中年男にからまれていた、あの青髪青眼の男だった。アーネストは、カウンターへ歩む男の背中を、眼を丸くして見た。
「いらっしゃーい、ワクチンね?」
ヨランダが言うまでも無く、
「ワクチンを三回分。固形で」
相手は言いながら銀貨をカウンターに置く。ヨランダはまだ棚を施錠していなかったので、再び棚に手を突っ込んでワクチンを出し、カウンターに置いて金を受け取った。ワクチンをうけとった相手は、入り口の傍にいるアーネストなど眼中にない様子で、薬局から出ていった。
アーネストは、それを追うように、薬局から街道へ出る。その背中に、「まいどあり〜」と「あ、いらっしゃいませ〜」の、ヨランダの声が響いていた。
日が沈む前、町を包むドームは、ライトアップした。眩しい人工の光は昼間のように明るく《森》を照らしだす。
ドームの外へ飛び出したサイボーグ戦士たちは、《森》から放たれる苔の獣たちに、めいめいの得物を握りしめて立ち向かった。
山ほど飛び出す苔の獣は様々な姿を取る。小さな獣から、建物と同じぐらいの巨大な獣まで。いずれも、動物図鑑に載っているものばかりだ。戦士たちは、めいめい獲物を見つけては、攻撃をくりだす。
「さあ、稼ぎ時だ!」
ワクチンを服用したアーネストもまた、ハルバードを握り、手近な獣に斬りつける。ネコ科の動物の姿を模した苔の獣は真っ二つに切り裂かれるが、すかさず冷凍銃の一閃で全身を凍結させられる。ハルバードの斧の刃がその体を叩き割って粉々にする。
急に、それよりもう一回り大きな、ライオンの形をした苔の獣が《森》から飛び出す。アーネストはその姿を視界におさめるより早く、体勢を立て直し――
ひゅんっと空気を薙ぐ音がして、苔の獣の体が真っ二つに割れた。驚いたアーネストがその音の聞こえた方向を見ると、ギルドと薬局にいた、あの青髪青眼の男が……。
男はそのまま前進する。彼の真っ二つにした苔の獣は、合体して復活しようとしていたので、アーネストが冷凍銃で完全に凍てつかせて絶命させた。その間も男は振り替えらずまっすぐ進んでいく。《森》から、枝や蔓が槍や鞭のごとく勢いよく飛び出してくる。戦士の何人かは刺され、打たれる。だが男は膝をやや落とした後、大きく跳躍した。サイボーグ手術ならではの身体能力だが、その跳躍力は、アーネストの知っている戦士型サイボーグとは違っていた。男はたった一度の跳躍で、《森》の木の枝葉以上の高さをこえるところまで跳んだ。アーネストの知る、サイボーグの跳躍能力の限界は五メートル程度。だがこの男は、その倍以上の高さまで跳んだ。
宙にいる男は枝葉をつきだす木々めがけて片腕を伸ばす。ワイヤー束が勢いよく伸び、一本の木の幹を絡め取る。
「それ!」
落下と同時に勢いよく腕を引っ張る。まだこの木は若木で、ひとの胴体ほどの太さしかないが、それでも男が腕を引くと同時にその幹に綺麗な切り口が現れ、木は派手な音を立てて、ずんと倒れた。
苔の獣たちは、木が倒されたと気づくや否や、着地したばかりの男めがけて襲いかかる。戦士たちは、木が倒れたのに驚いたが、苔の獣が新たに《森》から飛び出したのを見て、すぐ我に返って攻撃を続行する。
着地した男はちらっと肩越しにふりかえり、腕を振る。襲ってきた三体の苔の獣が、ワイヤーで水平に体を真っ二つにされる。上半身は地面に落ちて他の戦士に氷漬けにされるが、残る下半身はそのまま突進する。
アーネストが飛び出し、冷凍銃で獣の下半身を一体凍らせ、粘液玉を投げつけて残りの二体の動きを鈍らせる。そのままハルバードを振りまわして、凍った獣の下半身を打ち砕く。
「どけ!」
男が怒鳴る。息を深く吸い込むような動作をしてみせると同時に、アーネストはその動作の意味を瞬時に理解し、跳び退った。
男は口から、強烈な冷気を吐き出したのだ。局地ブリザードが吹きつけ、近くが一瞬で凍りつく。もちろん、獣の下半身もだ。
誰かの声。
「おい、あの吹雪、まさか最新の手術を受けた奴がいるのか?! すげえな、あのブリザード」
だがその声はすぐかき消される。苔の獣が《森》から飛び出してきたからだ。
《森》は、戦士たちに蔓や枝、根を伸ばして攻撃を仕掛ける。逃げ遅れた者は《森》へ引きずり込まれる。もしワクチンを飲んでいなければ、脳内に苔を植えつけられて操られ、《森》の放つ刺客となって襲ってくるという末路が待っている。一斉に皆は後退するが、それでも何人かは苔の獣に足を取られ、《森》へ一瞬のうちに引きずり込まれてしまった。だが助ける余裕はない。《森》へ飛び込めば、苔の餌食になるからだ……。
辺りを凍えさせる冷気が発生した。ブリザードが吹きつけ、根と枝の活動が急激に弱まる。樹皮が凍りついたのだ。
ブリザードを吹いた青髪の男は、腕を振って、ワイヤーで辺りを薙ぎ払う。周りの戦士たちがあっけにとられている間に、鋭い切れ味のワイヤーは、凍てついて動きの鈍った枝や根をばっさりと切り落とす。凍りついた苔の獣たちも真っ二つだ。
《森》の奥から、苔の獣たちが新たに飛び出してくる。そこで戦士たちがようやっと我に帰り、再び攻撃を開始した。
おそらくは最近チラシに載っている最新式のサイボーグ手術を施されているであろう青髪の男の活躍に闘争心をかきたてられたらしい戦士たちの獅子奮迅の活躍ぶりで、苔の獣たちは、朝日を浴びる前に最低でも百体は打ち倒された。《森》の木々の根や枝も、今宵の戦士たちの猛攻ぶりに怯えたらしく、攻撃の頻度が低下、さらに何本も木を切り倒されてしまった。
東の空が白み、朝日が昇り始めると、植物たちは光合成を開始する。そうなると、植物としての活動を優先してしまうため、人間を襲う事は二の次になる。《森》に引きずり込まれた者たちは、助けようがないので、そのまま放置せざるを得ない。夜にでもなれば、《森》からの刺客として、町から出たサイボーグ戦士たちを襲うだろう。そうなるともう殺してしまうほかはない。例えワクチンを事前に飲んでいなくとも、体を苔の温床にされ、無事でいられるとは限らないのだ。そうならないためのサイボーグ手術とはいえ、苔を支配している細菌兵器も日々進化していく。機械化したといえど、肉体には必ず生身の部分があるのだ。そこを狙って菌や花粉を送りこもうとするのは分かり切っている。だからこそ、《森》に誰かが引きずり込まれても、誰も助けない。被害が広がるからだ。
戦士たちは、数名の犠牲者を惜しむことなく、町へ撤退した。《森》も、追撃はせず、光合成を開始した。
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