第2章 part2



 辺り一帯の空を覆い尽くした雷雲は、派手に稲妻を放ち、大量の大粒の雨を降らせた。
「あー、間にあって良かったぜ。あやうく濡れるところだった」
 アーネストは、町の中に入った途端に大粒の雨と稲妻が空から降り注ぐのを見て、ほっと息を吐いた。大雨はドームの天井を激しく叩いている。通り雨ならいいのだが、このまま降り続けると、夜間の討伐は中止にしなければならないかもしれない。足場も視界も悪くなる雨の下で戦うのは、自殺行為に等しいのだ。
「雨、止むかな」
「それはいいから、さっさと下ろせ!」
 彼の肩に担がれたままの青髪の男は、手足をじたばたさせる。それにやっと気付いたアーネストは、男をおろしてやる。
「あー、悪かったな」
 下ろしてもらった男は礼も言わず、アーネストに背を向けて歩きだす。
 町の外へと向かって。
 アーネストは男の襟首を引っ掴んだ。
「おい、何処へ行くんだよ。外はもう大雨だぜ?」
「ノルマを果たしに行くに決まってるだろう。戦士なんかになりたくないのにこればっかりは――」
「あほ! やっぱりお前は素人だな、全く。外はこんな天気だ、苔の獣も《森》へ引っ込んでるぜ。やつら、適度にしけっぽいのは好きだけど、雨でびしょぬれになるのは大嫌いなんだよ、固まった苔が雨で流されやすくなるからな!」
 そこで男はやっと納得したのか、出口へ歩こうとするのを止めた。

 降っている雨は当分やみそうにない。街頭に設置された巨大なテレビモニターには、今日は夕方まで雨だと表示されている。アーネストは、夜間の討伐までの時間をつぶすため、まだ怒りが収まっていないように見える青髪の男をギルドへ引っ張りこんだ。ギルドはいつも通り混雑していたが、隅の空いた席を取ることができた。
 青髪の男は、空っぽの皿やコップを目の前に、不機嫌な顔で話をした。
 戦士タイプのサイボーグボディの研究所の局員・スペーサーは、ドームでの育成期間を終えて家庭人型のサイボーグ手術を受けた後に、試験を受けて合格し研究所へ就職した。数年経過した現在、研究所は《森》の木を切るのに特化したボディと、苔の獣を討伐するのに特化したボディを開発し、さっそく売りだした。が、そこで研究は終わらない。開発完了したばかりのボディを更に改良して新商品を開発すべく、若手の局員二名にそのボディの改造手術を施して戦闘データを集めさせることになった。スペーサーは、木を切るのに特化したボディの改造手術を受けさせられた。
 スペーサーは元々体を動かすよりも、机にかじりついての勉強や読書が好きなので、当然研究所の決定には異議を唱えた。が、上司は聞こえないふりをした。結果、彼は手術室へ放り込まれ、戦闘データを取るために日々《森》へ出かけさせられることになったのだった。
 皿が片付けられた後、二人用テーブルには勘定書きが置かれた。スペーサーはそれにちらと眼をやると、宙に視線を戻し、ため息をつく。
「まあ、討伐で得た報酬を自分の小遣いにしてもいい、といわれた事だけはありがたいな。日々のワクチン代は馬鹿にならないからな」
 固形ワクチンは、一つにつき銀貨一枚の値段。一日の生活費のおよそ半分を渡すことになる。局員としての給料が支払われていたとしても、毎日ワクチンを買うとなると、それは決して安い金額ではない。
「木を倒してるんだし、結構稼いでるように見えたけどなあ。そんで話は変わるけどよ――」
 アーネストは、度数の低いアルコール飲料をちびちび飲みながら、言った。
「お前が伐採用のボディを持ってるなら、もう片っぽの、苔の獣用のボディを持ってる奴って、誰なんだ。ほらあの、やーな笑い方をしたあいつ」
 その問いは相手を更に不機嫌にさせた。が、答えはもらえた。
「私と同じく研究員の――クレメンスだ」
 クレメンスは彼と同じく最年少の研究員で、自ら望んでボディの改造手術を受けている。
「あれは外面が良く、出世欲も旺盛だ。手術を自ら望んで受けたのも、考課の点数稼ぎのためだ」
「その外面の良さ、なんて普通はわからねえだろ」
「上司や他の局員の前では聞き分けのいい局員になって、私やアルバイトの前では、やたらと態度が横柄になるんだ」
「何でお前に?」
「入社試験の点数が、私の方が上だったから、というのが悔しいらしい。それと、出世欲が強いものだから、それへの競争心のない私を見下しているらしい。私は研究ができればそれでいいんだから、別に局長になりたいとは考えていない。とにかく何かにつけて、あんな態度を取ってくるものだから、こちらとしてもいいかげんに鬱陶しくなってくる」
「めんどくせえやつが同期なんだな。出世のためにコビ売ったりやたら競争心あおってきたりとかする奴なんて、俺でもごめんだぜ。でもお前もそうは言えねえと思うけどな」
「何故?!」
 相手が抗議しようとする前に、アーネストは素早く言葉を叩きつける。
「お前はそのクレなんとかってやつを毛嫌いしてるし、俺だっていけすかない奴だとは思ったけど、お前だって同じだろ。プライドばっかり高くて、それを隠しもしない。そんなんでよくあいつを非難できるな、おい。あいつが出世欲と競争心をむきだしにした嫌な奴なら、お前は机にかじりつくしか取り柄のないくせに、プライドが高くて常にだれかを見下してる嫌な奴だ。俺から見れば、どっちも同じだ。お前、自分だけが相手を一方的に責めても許されるような、すばらしい人格者だと思ってたのか、おめでたいアタマしてやがるな。試験に合格するためのアタマはあっても、世の中をうまく渡っていくためのアタマはねえんだからな」
「……!」
「言い返せないってことは、自覚があるんだろ! 研究所でも他の局員に嫌われてるっていう自覚がよ! お前、キライだイヤだとか愚痴はこぼしまくってるけど、研究所でそれをぶちまけられるような、仲のいい局員はいるのかよ? どうせ、一人もいやしないだろ! その性格じゃあ友達なんて作れやしないだろ!」
 相手はまだ言い返してこない。テーブルの上で拳をきつく固めているだけだ。
「これもアタリか?! だったらお前にも、そいつを責めたり悪口を言ったりする資格なんてねえだろうがよ!」
「それなら私がその友達をつくれば文句は無いと言うんだな?!」
 初めて相手が反撃した。怒鳴るうちにだんだんとヒートアップしていたアーネストは、売り言葉に買い言葉で、返した。
「そうだとも! でも、どうせできっこねえだろ!」
「そうかそれなら話は早い!」
 スペーサーはテーブルに身を乗り出した。
「私の友達になってもらおうか」
「あ――」
 次の言葉を迎撃しようとしたアーネストの口が閉じなくなった。彼は、口と同じくらい眼を大きく開けて、正面の相手を凝視する。
「お、お前、と、ともだ――」
 言葉が上手く出てこない、阿呆面のアーネスト。
 今度は、スペーサーがたたみかける番だった。
「そりゃ私には、あのドームの中で育てられていた時は友達と言えるほど関係の深い者はいなかったさ。ドームを出てからもそうだ。が、そんだけ対人関係について私をけなすんだ、馬鹿にされっぱなしと言うわけにもいかん。だから、まずは」
「だぁから!」
 やっとアーネストは相手の言葉をさえぎり、空のカップをどんとテーブルに乱暴に叩きつけた。
「何で俺がお前の友達にならなきゃならねえんだよ! お断りだ、そんなもん!」
「そんなもん?」
 スペーサーはちょっと首をかしげる。
「ほー、そんなもんと言うか。そんなふうに友達というのを軽視できる身分なら、そちらにもさぞや大勢の友人がいるんだろうな、それこそ私が両手の指で数え切れないほどに」
「いるよ。まあ、正確には、いた、の方だけどな」
 アーネストの先ほどの勢いはどこへやら、急に口調が静かになる。
「ドームで育てられている間、結構仲のいい奴は痛んだ。そのうちの半分は、ドームを出る前に、今の俺と同じ戦士タイプのボディの手術を受けた。座ってるだけのデスクワークが苦手だったからな、俺らは。だから、外で暴れて稼ごうとしたわけだ。その結果、そのほとんどが《森》との戦いで、命を落としちまった。戦士タイプの手術を受けた中で生き残ってる友達は、掌で数えるほどしかいない。生き残ってるのは、この町に住んでるか、討伐の腕をかわれて他の町へ出ていったか、戦士を止めて普通の家庭人として暮らしてるか、そのどれかだよ。それでもお前なんかと違って、ひとを見下す態度を取らないし、癪に障る喋り方だってしないしな。お前なんかよりずーっとマシだよ」
「そうか」
 てっきり、しんみりするかと思いきや、スペーサーの表情に変化はなかった。それを見たアーネストは思わず手に力を込めてしまい、カップを握りつぶしそうになった。
「てめえ、ひとの心ってもんがねえのかよ?! 育児ロボットやナニーはどういう教育をこいつに施してきたんだよ。どういう躾されたらこんなひとの心の壊れたようなポンコツ野郎に育つんだよ?!」
 町の、ドームの中で生まれた人間たちは成人するまでの期間、『ナニー』という育児担当スタッフと、育児ロボットから、躾や教育を受ける。
「スタッフも私たちと同じ人間。育児ロボットが補佐したとしても、全ての赤子が全く同じ性格に育つわけではないだろう」
「が、お前の場合は極端すぎんだろうがよ」
「ああ、私とあんたの性格は極端なまでに違うな」
「俺と比べるんじゃねえ!」
 アーネストがテーブルをどんと殴った時、稲妻が空を裂き、視界が一瞬白くなり、轟音が若干町を揺らした。
 ギルド内部は、雷鳴でざわめきがとまったが、それも瞬きする程度の時間。すぐ馬鹿騒ぎが始まった。
 スペーサーは、うつむいて肩を震わせたかと思うと、次には哄笑を始めた。ひとしきり笑った後、ぽかんとしているアーネストに、まだ笑いながら言う。
「いやー、まいったまいった。自然現象さえあんたの味方か、はっはっは」
「おい――」
「自然現象も私に怒っていると言うわけか、はっはっは、これはまいった! それなら私があんたの交友関係についてどうこう口をはさむのは不要以前の問題と言うわけか、はっはっは!」
「いやその、ひとのことに口をはさむってのはマナー違反てやつじゃねえのかよ……」
「エチケットだろう、それは」
「どうでもいい、そんなこたあ。とにかく、笑うのをやめろ! 馬鹿にしやがって!」
 相手はようやっとバカ笑いを止めたが、まだ顔に笑みがわずかに残っている。
 アーネストは立ち上がった。
「とにかくだ、お前のような奴とトモダチになるのなんか、まっぴらごめんだ、お断りだ、大金積まれたって無理だ!」
「そうか」
「そうだ」
 これ以上ここにいたら相手のペースに呑み込まれる。アーネストはそう判断し、勘定書きをさっと取りあげると、さらに続けてぶつけてくる相手の言葉に耳を貸さず、さっさと会計を済ませてギルドを出ていった。
 雨は夜になっても止まなかった。今日の討伐はおあずけだとアーネストは、ため息をつき、そのまま夕食を食料品店で済ませてから、今日はさっさと寝てしまおうとアパートへ戻る。その道中、昼間のギルドでの出来事が頭の中に流れる。
「ああくそ、むかついてきた! 何だよあの上から目線!」
 髪を乱暴に指でかきむしった。
「あんな性格で友達ができるわけないだろ、ましてや俺があんな奴と?! ああ、くそ腹が立ってしかたねえや! 一杯飲んでから寝るか」
 アパートへの道を回れ右して、商店街へと、彼は戻り始めた。


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