第3章 part2



 町の住人の行きかう商店街。時間の経過とともに、だんだん人通りが少なくなっていく。
 営業中、と書かれた札が、新しくガラスの貼りかえられた薬局の入り口にぶらさげられた。
「また退屈になってきた。こんな日は、営業妨害も歓迎したくなってくるわねえ」
 ヨランダは、頑丈な網戸に守られたカウンターに、頬づえをついていた。彼女の背後に置かれた時計の針は、営業時間終了まであと一時間と示している。
 雨の日は、客が少ない。薬局に訪れる客のほとんどは戦士。目当てはもちろん、ワクチンだ。眼球洗浄液や消毒薬など、ほかの薬も置いてあるが、この薬局に置いてある商品の八割は、ワクチン。《森》との戦いが終わらない限り、この薬局の品ぞろえは変わらない。最も値段の高い商品であるが、それでも戦士たちは日々これを求めて薬局へ来る。
 しかし、
「雨の日は、本当にお客がこないわねえ。このぐらいの時間なら、お客さんがいっぱい来てるはずなんだけど、雨の中で《森》と戦いたくないんだから、しかたないけど」
 雨の日に討伐をしようと言う戦士はほとんどいない。雨で視界が悪くなり、地面もぬかるむ。そんな不利な条件で戦うつもりはない。一方で、苔の獣は《森》の内部へ避難して、己の肉体が雨でぬれすぎてばらばらにならないようにしている。雨の時、《森》は光合成をしないが昼間同様に防御態勢をとっている。苔の獣は、《森》を守るガードマンなのだから、《森》は彼らが雨でぼろぼろに崩れないように守らねばならない。もちろん、普通の天候ならば《森》だけでも枝葉を使って敵を攻撃できるが、夜間は大勢の戦士を相手にせねばならないので、防御が手薄になる。その時は苔の獣が《森》を守るために前線に立つのだ。しかし雨の場合、《森》は苔の獣を雨から守るために防御をより強化してしまう。この防御を破ろうと挑んだ者は多かったが、木々の壁を突破出来たものはおろか、誰一人として生きて帰って来なかった。
「あーあ、誰かこないかな。さっきの営業妨害でもいいからあ。天気の悪い日は、本当に退屈なのよねえ。一番売れ行きが悪い日でもあるし、雨が早く止んでくれないかな」
 ヨランダは、客が来るまでは店の奥に引っ込んで本でも読んでいようと思い、カウンターから離れた。
 薬局の奥には、彼女の腰の丈しかない高さの小さな本棚がある。背表紙のぼろぼろになった本たちが隙間なくぎっしり詰めてある。
 彼女が棚から適当に本を一冊ひっぱりだしたところで、カウンターに備え付けてあるベルが鳴らされる音がした。ジリーン、と鋭い音が店内に響く。
「はーい、いらっしゃ〜い」
 彼女は、本をいったん棚の上に置いて、カウンターへ向かった。
「いらっしゃーい、何をお求めかしら」
「ええと、ボディの消毒液と、錆止めを一瓶ずつ」
「はーい」
 商品をしまってある棚は、カウンターの背後に在る。ヨランダは鍵を懐から取り出して棚の鍵を開けてから、目当てのものを取り出し、格子で囲まれているカウンターに載せて小さな紙袋に包む。客は袋を受け取る代わりに銀貨をカウンターに置き、さっさと薬局を出ていった。
「ありがとうございましたー、またのお越しをお待ちしてまあす」
 ヨランダは営業スマイルのまま客にお決まりの声をかけた。ドアのしまる音の後、薬局にはいつもの静かさが戻る。
 営業スマイルが消える。
「あーあ、お客さん帰っちゃった」
 ヨランダは残念そうに、回れ右する。先ほどの本の続きを読もうと思ったのだ。
(さーて、本を……)
 彼女が回れ右するや否や、ドアの開く音がする。彼女は再度回れ右して、カウンターへ向き直る。網戸越しに、客の姿が見える。
「はーい、いらっしゃーい」
 すぐ営業スマイルに切りかえる。
 入ってきた客は、
「固形ワクチンをいただきましょう。お代はこれで」
 金貨を一枚、カウンターへ置く。あら、珍しい。金貨で払ってくれるなんて、ふとっぱらなお客様だコト。ヨランダはそう思いながら、棚の鍵を開けて、ワクチンの包みを入れてある箱を取り出し、必要な個数を紙袋に包んだ。
「はい、ワクチンですよー。今夜は天気の悪い日だけど、頑張ってくださいねー」
「ありがとうございます。あなたのような美しい人に声をかけてもらえるとは、本当に光栄ですよ」
「あらやだ、お世辞がお上手」
 ヨランダはそう言いつつも、表情はまんざらでもない様子。
 客はワクチンの包みを手にしてから、彼女に言った。
「あなたのボディは、五年前に開発されたものですな。まあここは《森》との戦いが激しい場所だから、サイボーグと戦うためのボディの開発が遅れても仕方がないですが、今のボディにご不満はありますかな」
 唐突なその言葉に、ヨランダは眼を丸くした。
「あら、どうしてアタシのボディの開発年数を知ってるの」
「喉を見ればわかるんですよ。対サイボーグ用ボディの製造年が、そこに刻まれてますからね。五年も前のものでは、今の戦士型ボディと比べて性能も劣りますが、それについてのご不満はありませんかね?」
 客の指摘通り、ヨランダのボディの喉には、小さく数字が刻まれている。
「あら、そう。でもアタシは今のボディに満足してるけど? 定期メンテナンスだってちゃんとやってるし」
「さようですか。しかし、この町の強盗や窃盗の発生率は他の町と比較しても遥かに高いと言います。一方で、《森》との戦いの激しさ故、《森》や苔の獣と戦うためのサイボーグ技術は日々進歩していくのに、対サイボーグ用の技術はなかなか進歩しない。……今後、さらなる戦士たちがワクチンや金のために、犯罪に手を染めないとは言い切れません。薬局にも警備隊はそれなりの数だけ配置されているとはいえ、いつ、最新技術を手にした戦士たちが襲ってくるかは分からない状態!」
「あ、そう……」
 ヨランダは、相手の熱弁に圧されていた。
(何なのこの人……)
 ただ買いものに来ただけと思いきや、すぐに帰ろうとせず、何やら語り始める。
(ボディがどうのこうのって……解説や演説が好きな人? それとも、話をしている隙をついて商品を奪おうとする輩なの?)
 ヨランダが不審に思っているのをよそに、男は話し続ける。
「そのようないざという時に陥った場合、ボディの性能の差で警備隊があっけなく全滅するかもしれません! いかに定期メンテナンスをして万全の状態であろうとも、日々進化を続ける戦士型ボディに敗北する日がいつかは訪れる! そうなればこの町の治安は一気に悪化すること間違いなし!」
「……」
「それを防ぐにはどうすればよいか。もちろん答えは、対サイボーグ用ボディの開発をさらに進めて早急に警備隊にそのボディを支給する事! 《森》と戦う戦士たちのボディは急速に技術が開発されていき、そのために昨日までの新技術は明日からは旧型として笑われる時代です。しかし、対サイボーグ用ボディの開発は、戦士型ボディの一つとして分類されているにもかかわらず、はるかに遅れている。最後の開発はそのボディで事実上停止している状態なので、戦士たちから見ると警備隊のボディは性能が遥かに劣る旧型なのです。他の町から来る者はこの町で開発されるサイボーグ技術に驚くと言いますが、それはここが《森》との戦いが非常に激しい地域だからで、技術発達は必然的なものとなっているからです。外の町の戦士型ボディを解析したことがありますが、その技術レベルは、我が町のそれに及ばぬもの! 今の、対サイボーグ用ボディでも十分勝てる、その程度の性能!」
「あら、そう」
 ヨランダはいい加減いらいらしてきた。一体いつまで、この客はここで長話をするつもりなのだろうか。商売の邪魔だ。
 男の話は途切れることが無い。その綺麗な黒髪に指で手櫛をいれて時々整えながらも、話は続いていく。
「しかしそれに甘えてはいけないのです。この町には、この町が苦労して開発してきた技術がある。それを《森》にだけ向けていては駄目なのです。《森》と戦う者すら、犯罪に手を染めて他の戦士や十人を襲ってくる。だからこそ――」
 ドアが開き、新たな客が入ってくる。ヨランダはほっとした。よかった、これで長話が中断してくれれば幸いだ。
 新たに入ってきた客は、長話をしている客の背後に立つや否や、相手が振り返るより早くその襟首をつかんだ。
「おい」
 苛立ちを込めた声を叩きつけるその青髪の客を、話の長い客は振り返る。もっとも、襟首を掴まれているので、首は真横までしか動かせなかったが。ただ、その明らかな軽蔑と不審の混じった表情から、ヨランダは、この話の長い客が、今入ってきたばかりの青髪の客とは知り合いであり同時に好かない相手同士であると考えた。
「報告の時間はとっくに過ぎている。ここで長話をしている暇があるなら、さっさと行ったらどうだ。時間も守れんようでは出世に響くことになるだろうが、それでも構わんのなら、ここで延々と無駄話をしていればいい。やたら似たような話を並べて相手を混乱させる無意味な演説モドキは、お前の得意技だろう」
 襟を掴まれている黒髪の客はその手を振りほどく。そして大げさに肩をすくめてみせ、
「おやおや、もうこんな時間になっていたか。急がねばならんな。わざわざ教えてくれて御苦労さま。それでは」
 黒髪の客はさっさと薬局を出ていった。
 ヨランダは心底から安堵した。やっと、うるさいのが出ていってくれた。
 青髪の客は、何か買うわけではなく先ほどの黒髪の客と話をするために来ただけのようだ。長々と話をした事への詫びを入れた後、青髪の男も薬局から出ていった。
 薬局は静かになった。ヨランダは安堵し、本を読もうといったんカウンターから離れた。
「……もう、今日はいっそのこと、お店しめちゃおうかしら。またあんなうるさいのが来たら嫌だしね」
 何気なく時計を見るが、まだ営業終了時間ではなかった。ヨランダはふくれっ面で、本をカウンターに載せ、読み始めた。

 町の一角に建つ研究所には、そこに務める局員のための寮がある。局員が外部に研究データを密かに持ち出したりしないよう監視するために、三階建ての研究所の内部に作られているのだ。
 トイレつきのワンルームというシンプルな作りで、残りのスペースは局員の私物や家具を置く。食事は食堂、風呂は専用の大きな浴室と、トイレとプライベート以外は、設備を共有している。
 その部屋の一つにて。
「あーあ」
 ドアを乱暴に開けて、スペーサーが部屋に入った。
「くたびれた。何故私がわざわざクレメンスを捜しに町へ行かねばならんのだ。町に用事のある局員なら他にもいただろうに。局長は無理ばかり言ってくるし、クレメンスはどこぞの一般人をつかまえて長々とあの妙な演説をぶっているときた。疲れない方がおかしい……」
 金属の肉体なので、肉体的な疲労は存在しない。だが、かつて血肉を持っていた身なのだ、疲労の感覚は憶えている。脳が、それを持っていた時と同じように疲労を感じさせてくるのは、その時の記憶をたどってボディに働きかけてくるからだろう。
「私のぶんの報告は終わったし、風呂に入ってからさっさと寝てしまうか。夜の討伐は、この天候の中でするのは危険だろうしな。まあ局長の事だ、いずれは雨天の中での討伐もやらせてくることだろう。データを収集するために……」
 窓の外から、ドームの天井を見る。ドーム内部の明るい街灯の光に照らされている天井には、大雨が常に叩きつけてきている。外へ出ることすら危険な状態とみていい。
「風呂――と、その前にメンテナンスだな」
 大浴室へ向かう前に、部屋に備え付けてある工具箱を開く。中にはボディの簡単なメンテナンスをするための工具が入っている。工具の中味が少ないためにボディ内部の点検はできないが、腕や足といったパーツならば点検が可能だ。
 三十分ほどでメンテナンスを済ませた後、今度は壁のカレンダーに書きこみをする。カレンダーには、その日にこなすべき仕事の内容が書かれている。数行、箇条書きで書きこんであるうちの二つは、「昼の討伐」「報告」と書かれており、赤ペンで線を引っ張って消してある。作業が終わっていることを指すのだろう。残る一行の「夜の討伐」には、バツがつけられた。
「明日は晴れてくれると助かるんだがなあ。データの収集にも期限がちゃんと決められているんだから、毎夜晴れてほしいもんだ。データ収集が遅れてしまえば、その後の研究に支障が出てしまうからなあ……」
 面倒くさそうに、カレンダーにバツ印をつけた赤ペンを机の上に放り投げた。
「今日は昼間から、色々面倒なことがあったなあ」
 そのまま彼は部屋を出て大浴室へと向かった。
 人のいない浴室。大きな湯船に浸かりながら昼間の出来事を思い出す。やたら口うるさいのにどこか抜けたところのある、ハルバードを持った赤髪の戦士。ややお人よしで真っ直ぐな男だが、頭の回転はあまりよろしくないようだ。とはいえ、口喧嘩を挑んでくるほど、威勢が良く無鉄砲。
(多少奴にあおられてしまったが、今思い出すとあの阿呆面はなかなか笑えるものだったな)
 トモダチになれ。スペーサーにそう言われた時のあの男の顔といったら……。
「まあ、ナニーに育てられていたころから本にかじりついていたから、私には友と呼べるほど関係の深いやつはいない気がするな。せいぜい、顔と名前は知っている、という程度か。まあ、無ければ駄目という法律もないのだし、友が無くても今のところは困りはしない」
 べたべたし合う密な関係は苦手だ。できれば放っておいてほしい。自分の世界に踏み込まれたくない。そんなだから、ナニーの何人かには、「一人でいるのが好きな、変わった子」と呼ばれていた。交友関係を築きたがらず、一人の世界を好む子供だったから。もちろん、一人でいることを好む子供は彼以外にもいたのだけれど、彼はそれが特に顕著だったので、ナニーたちの記憶に残りやすかったのだろう。
(一人ぼっち。そういう扱いは別に苦じゃなかったな。無理やり誰かと組まされることが最大の苦痛だった……)
 風呂を済ませて部屋に戻る。
「さて、明日も早いし、さっさと寝るか。明日こそは晴れてくれないと困る、本当に」
 カレンダーに書かれた「討伐」の項目は、あと一週間ぶんもある。その間に戦闘データを集めて研究所へ報告しなければならない。苔の獣や《森》の木、《森》の絶対防御。戦って収集すべきデータはまだまだある。一週間で集めきれるかどうか。まる一日《森》と戦えば何とかなるかもしれないが、それはさすがに無茶だ。適度に休憩をとり栄養を摂取しなければ、脳の働きが鈍り判断力も低下してしまうのだから。
「しかし」
 ベッドにもぐりこみながら、つぶやく。
 いかにスペーサーが真面目にデータを集めたとしても、また新たなデータをとるために町の外へ放り出されるかもしれない。或いは、今度は、苔に支配された戦士たちと戦わねばならないかもしれない。人間の敵は苔や《森》だけではない、苔に脳を支配され操り人形と化した戦士も含まれているのだ。
 戦いには慣れてきた。群れる苔の獣はブリザードで凍らせればいいし、《森》の木はワイヤーで切り倒せばいい。だが、人間はそうはいかない。苔に操られているとはいえ相手は戦士型サイボーグだ。ただ突進するだけではなく、装備した武器を用いて攻撃をしてくるのだ。その武器と、苔の獣や《森》の攻撃との組み合わせ次第では、ベテランの戦士も苦戦を強いられるかもしれぬ。まだスペーサーは、苔に操られた者と戦ったことはないが、研究所の書庫にしまわれている戦闘データを閲覧したことはある。出来れば出遭いたくない敵だ、とその時は思ったし、今も思っている。戦いに慣れてきたとはいえ、まだ彼は素人。戦闘経験を豊富につんだ戦士に、このボディの性能を可能な限り駆使したとしても、勝てるかどうかわからないのだ。
(木と獣の討伐に特化したボディの研究を急ぐのもいいが、対人用のボディの開発を少し進めるよう局長に話してもいいか。一蹴されるのがオチかもしれんが……)
 部屋の明かりを消して、彼は眠りについた。


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