第9章 part1



 人類と《森》との戦いには、過去から有効な武器のひとつとして火が用いられてきた。しかし《森》が火への対策を編み出して火気への反撃態勢を整えてからは、武器としての火の使用率は激減した。爆弾などの火を用いる武器も、火気を感知し枝や根を伸ばして事前に攻撃を繰り出してくる《森》への対抗策にはならず、自然と廃れていった。核兵器のような広範囲攻撃を行う爆弾を用いた地域もあったが、《森》を一掃する代わりに現在は汚染除去に追われ、サイボーグ以外の者が外を出歩くことはできなくなっている。
 今現在、特に《森》の勢力が強く核兵器も有さないこの地域では、研究所内において爆発物の研究が盛んなものとなっている。火を使わない、薬品同士の科学反応で強引に爆発させるために、町に保管されている薬品や武器のあらゆるデータが集められた。過去の武器や現在保管中の薬品から熱を用いない爆発物を作るべく、研究が始まった。
 その研究をはじめるきっかけを作ったのは研究所に所属する若手の研究員であり、現役の戦士でもある。彼は実戦より研究室に閉じこもっているほうがはるかに好きなのだが、彼が液体爆弾の試作品を作り上げて《森》での戦闘でその効果を実証したというのに、肝心の研究には携われず、相変わらず液体爆弾の試作品を持って《森》と戦わされていた。当然のことながら、当人はとても不満を持っていた。
 液体爆弾のおかげで、熱をすぐには伴わない爆発によって《森》の木々を何本もなぎ倒し《森》へ少しずつダメージを与える快挙が続くものの、その研究員はいい顔をしなかった。自分が作ったものだからこそ、自分が改良して成果を確かめらねばならないというのに、薬の配合量や調合の手順などを細かく変えられてしまったベツモノの試作品を試さねばならないのだろうか、と。

 そうして液体爆弾の登場からはやくも数週間が経過した。《森》は液体爆弾に未だ何の対策も取れておらず、木々を倒され、サイボーグたちに破壊跡を次々に蹂躙されるばかり。液体爆弾の初登場以来、爆弾によって倒された木々は《森》の十パーセント程度の本数に過ぎないけれど、これまでサイボーグたちはろくに木々を倒すことも出来なかったのにいきなり何本もの木を吹き飛ばされたのだ、《森》が慌てるのも当然だ。《森》の奥に捕らえているサイボーグたちのストックもほぼ切れている。有効な攻撃手段は苔の獣と残りわずかな配下のサイボーグしかない。どうしたものか。《森》とて生き物だ、環境に適応して形や性質を変えるまでにはそれなりに月日がかかってしまう。のんびりしていては、あのドームに暮らす大勢のサイボーグを一人残らず配下に置く前に、自分が消えるではないか。はてさて、どうしたものか、どうしたものか……。

 さて、《森》を前にしたドームの中では、試作品の新兵器の登場で町に新たな希望の火がともり、人々はさらなる活気にあふれた。長い間《森》に苦しめられてきた生活に、近いうちに終止符がうたれるかもしれないのだ。人々が喜ぶのも当然であろう。
 しかし、
「何だよ、そのシケたツラは。酒がまずくなるだろ」
 ギルド備え付けの酒場にて、アーネストは、向かいの席に座る相手に言った。
「あの変なバクダンとかいうの、お前が作ったんじゃねーのかよ。そんなら大金星だろ? たった一発で《森》の木を何本もなぎ倒せるなんてスゲーじゃねーか」
「大金星は大金星だろうさ。たぶんあんたにとってもな」
 スペーサーはぶっきらぼうに言い返した。
「しかし、私は、試作品の爆弾を自分で改良したかったんだ。薬剤の爆発による土壌の汚染を最小限にしつつ、もっと広い範囲の木々を消滅させられる爆弾を作るつもりだった。いやそれよりもだ。まだ調合自体が中途半端だから調合のちょっとしたミスでここの建物が爆破したりしたら、いろいろと困るんだ。だから私がじきじきに調合を改良し試験したいと訴えてるのに、上層部は私の意見などおかまいなしに勝手にことを進めて――」
 その先はよく聞き取れなかったが、どうせ文句を言っているんだからとアーネストは聞きながすことにし、グラスを取り上げて飲んだ。
 スペーサーの文句の羅列が終わったころ、扉が開いて戦士型サイボーグが数名どやどやと入ってきた。ここ数日、戦士たちが液体爆弾のテスト役として研究所から雇われており、ギルドと研究所の両方から報酬を貰っている。話を聞く限りでは、彼らも液体爆弾のテストを終えて帰ってきたところのようだ。
 彼らの話を耳にしたようで、スペーサーの機嫌がさらに悪くなった。彼はさっと立ち上がると自分のぶんだけ勘定を済ませ、ギルドを去った。
「何だよ、あいつ」
 長々とした愚痴を途中で聞き流したので彼の不機嫌の理由がよく分からないアーネストは、その背中を見送りながら首をかしげた。
「俺としては、《森》に大ダメージを与えられる武器が開発されたから、ラッキーってとこなんだけどな。木を何本もイッキに倒せるから、苔の獣を狩ったのよりもずっと高い報酬も転がり込むし。このままいい生活が続けばラクなんだよな」
 自分の勘定を済ませてアーネストも外へでた。何気なく頭上を見れば、《森》の飛ばす大量の黄色い花粉で、ドーム天井の窓は黄色く曇っている。さいわい、ドーム内部の照明のおかげで町は暗くない。それにしても、液体爆弾が開発され日々改良される中、《森》は今も配下のサイボーグを求めて花粉を飛ばしているようだ。商店街を見まわせば、以前よりも明るい表情で通りを行き交う住人達。あの液体爆弾の効果は《森》だけでなくサイボーグたちの心にもあらわれたようだ。
 このままいけばいつかは《森》を討伐出来るはず。アーネストは明るい思いを胸に、アパートへの道を歩いていった。

 明るい気分でアパートへ戻ったアーネストとは逆に、スペーサーは不機嫌な険しい顔で研究所へと帰る。次の液体爆弾試験が開催される明日の朝まで待機命令が出ているとはいえ外出は自由なのだから、少しやけ酒をしたのだが、アルコールのせいか愚痴をこぼしたせいか、もっと気分が悪くなっただけだった。苛立ちをおしてまで無理に行くんじゃなかったな、と彼は後悔していた。
「嗚呼、全くもう。あれは試作段階だし土地の汚染も多少はあるんだから、《森》が滅び去っても土地の汚染を最小限にとどめる為にいろいろ改良したいのに……」
 火に耐性を持つ《森》への対抗策として閃き、過去のデータをもとにして自分が開発した試作品の薬物爆弾とはいえ、あれは本当に試作品に過ぎないのだ。日々改良されて戦士たちが《森》との戦いで使っているので不発や暴発などの欠点はいくつか報告されているが、まだ見つけられていない欠点はあるはずだ。爆弾の製造中に誤って化学反応を起こさせて建物を爆発させてしまったり、さらに、《森》が完全に滅び去ったとしても、薬品による土壌汚染でその土地に住めなくなっては意味がないではないか。だからこそ彼は自分の手で薬物の爆弾を改良したいのに……!
「研究所では、より爆発範囲の広い強力な爆弾を作ろうとしている。だがもしそれがこのドームの中で爆発してしまったら《森》どころか人間が滅びてしまう。本末転倒もはなはだしいぞ!」
 こうしてスペーサーが自室でぐちぐち言っている間、
「どうすればいい、どうすれば……!」
 クレメンスは別のことで焦り、愚痴をこぼしていた。出世欲の強い彼は、液体爆弾を発明したスペーサーが脚光を浴びるのとは逆に、日陰に追いやられ始めていたのに焦っている。人嫌いで出世欲はないに等しいが研究に没頭したいがために研究所に入った同期は、液体爆弾の発明によって自分が注目を浴びた事をいっこうに気にかけていないが(むしろ彼は自分の発明品の改良に携われない事を託っていた)、将来的に研究所のトップに立つことを望むクレメンスとしては重大な問題だった。
 確かに爆弾の登場によって《森》との戦闘が一気にサイボーグ側に有利に傾いたのは事実だ。だがそれによってサイボーグのボディの研究が一時中断され、爆弾の研究が開始されることになった。クレメンスは最新型のボディの実験体として積極的に携わり、戦闘で必ず生き残ってデータを持ちかえってくることで少しずつ研究所内での成績を上げて来たのだ。それなのに、一夜で作った試作品の兵器に、何年もかけて積み上げて来た成績がいっきに崩れ去った。クレメンスにとってこれほど屈辱的なことはない。
 クレメンスはほかのことでも焦っていた。爆発物による《森》への対抗策が出来、研究をはじめた研究所の上層部は毎日戦士達をつのって爆弾のテストをさせている。クレメンスは上層部にかけあって、結果を待っている所だった。
「早く結果がでないものか……」
 部屋の窓の外を見る。町の向こう、ドームの天井にうつるのは、煙の如く空を覆っている《森》のまきちらす黄色い花粉だけ。太陽の光などほとんど届いていないが、ドーム内部はライトで照らされているので暗さは感じなかった。
「まだか、あの結果は……」
 クレメンスはいらいらしながら、部屋の中をぐるぐると歩き続けていた。
 そして、翌朝の通達でクレメンスの願いはかなった。
 連日空を飛び続ける大量の花粉の正確な出所をつきとめる。《森》の爆破だけでなく、風向きや風の強さなどから《森》のどの部分から花粉が出てくるのか突きとめることで、《森》に操られるサイボーグの数を激減させることができる。その点についての調査をクレメンスは上層部にかけあい、長ったらしい会議の結果が出るのを待っていたのだ。爆弾は強力な武器だが、日々テスターとして出掛ける戦士の中には、液体爆弾を持ったままで《森》に取りこまれて手下にされる者もいないわけではなかった。だから将来的に液体爆弾を持ったサイボーグや苔の獣を相手にしなくてすむように、まずは敵の武器の1つである花粉を使用不能にするのが先決。それがクレメンスの理論であった。
 だからこそ、そのかけあった結果が届いた時の喜びようは言葉では表せないものだった。スペーサーとは別の形で、成績を上げる方法を手に入れたのだから。

 研究所の一角が爆発した。
 ドームのニュースは早朝からそれでもちきりになり、町中を飛びまわるモニターは同じニュースを延々と流していた。《森》との戦いばかりが報道される、ほぼ変わり映えのない日常の中で新鮮なニュースであった。
「おいおい、研究所爆発なんてシャレにならねーよ。《森》を攻撃するバクダンての研究してたってのによ」
 ギルドへ行く支度をしながら、アーネストは、飛びまわるモニターから流れるニュースを聞いて、急いでアパートの窓から身を乗り出す。研究所からは一筋の黒い煙が立ち上り、ドームの換気扇が懸命に煙を吸いこんでいる。ドームでも小規模の戦闘や放火などの火災発生は起こるが、研究所といった行政系統の施設が燃えるのは初めてで、必然的に住民たちの注目を浴びていた。
「もしかして、アイツが爆発させやがったのか? あんな神経質そうなやつがそんなことやんのか?」
 あれこれ考えながら、半ば混乱したアーネストはアパートを出た。目抜き通りは、主に研究所方面へと向かう人々でいっぱいで、押し流されるかと思うほどの人の数。それでも今日の仕事のためにアーネストはどうにかギルドへとたどりつけた。
「ちわー! 今日の仕事!」
 アーネストはギルドへ飛び込んだが、建物の中でも、研究所の爆発についての話でもちきりなのにうんざりした。
「なんだよ、揃いもそろって同じことばかりしゃべりやがって」
 バクダンを研究し日々テスターを募る研究所の一角が爆発した。それが大ニュースなのはアーネストも認めるが、ずっと聞かされてくるといいかげんうんざりしてくるものだ。
 さて今日の仕事、とアーネストがカウンターに歩み寄ったところで、カウンター奥のひときわ大きなモニターから新たなニュースが飛び込んできた。

 早朝に一部屋が爆発したという話は、それこそ一瞬のうちに研究所内に広がった。
 ビビー! ビビー!
 研究所内に響き渡るサイレン。睡眠中だったのを、脳に埋め込まれていた電極による極めて微弱な電流で強制的に目覚めさせられたスペーサーは飛び起きるなりサイレンの音に、その意味に気づいた。もしその体に血が流れていたのなら、顔から血の気が引いていたに違いない。
「まさか……!」
 そのまさかは確信に変わった。館内放送で「製造室より出火! 現在消火中!」とやかましいしらせが研究所内に響き渡ったからだ。
 液体爆弾が、爆発した。
 消火が完了後、ただちに原因究明が行われた結果、製造室で薬液をこぼして化学反応による爆発を起こしてしまったと判明した。液体爆弾調合担当のサイボーグ研究員たちは爆発の衝撃でほぼ全身が破損していたが、さいわい体の中でも特に頑丈に作られた部位だけあって、頭部と脳だけは無事だった。すぐ彼らの緊急手術が行われた。
 研究員たちは一室に集められたのち、上記の事実を伝えられた。
(ああ、予想していた通りだ……)
 スペーサーは不安が現実になったことを確信した。
(だから私が直々に改良に携わりたいと何度も言ってきたのに……)
 爆発に巻き込まれた研究員の心配などこれっぽちもしていないし、する必要もない。サイボーグのボディを製造する時も、少々のミスで機械やボディが爆発することがあるのだ。だから製造に携わる者のボディはとても頑丈につくられていて、製造への配属が決まると爆発に備えて手術でボディを変えるのだ。戦士とは別の形で死に直面しやすいので、配属を嫌がる者もそれなりにいるけれど。
 その後のことについては、スペーサーは脳に埋め込まれた記憶装置によって記録した映像を自室で見るまで、自分の携わりたかった研究に対してあれこれ考えていたので何も聞かずにいた。それが幸いだったのは、周囲の研究者たちの目が一度彼に向けられたのを、考え事に熱中していた彼が気づかなかったことだった。液体爆弾を発明したのは彼だし、発明した当人が今は研究に携わっていないこと、彼がそれを託っていたことも研究員には周知の事実であった。もちろん携わっていない以上彼には発明以上の責任はないのだが、わかっていても何らかの疑いの目で観てしまうのがヒトというものだ。
(製造の阿呆が……!)
 愚痴を吐きながら、スペーサーは自室へ戻った。これから液体爆弾の改良が停止するかそれとももっと細心の注意を払った上で改良を再開するかはわからない。だが、自分を改良に携わらせろともっと強く願い出ていればよかったという後悔だけは膨らんでいた。


 研究所の爆発事故から数日経った。液体爆弾の製造は一時中止となり、調合方法の見直しやより安全性の高い爆弾の研究や、製造設備のメンテナンスがおこなわれていた。その間は雨が降り続いたので《森》は花粉を飛ばせず、苔の獣や捕らえたサイボーグたちを外に出さずにいた。《森》が大人しくしている間、ドームで暮らす戦士たちは雨で外に出られない。液体爆弾のテストは中止。新型ボディのテスト期間も終わっている。だが、彼らは対サイボーグの戦闘技術を身に付けるために1箇所に集まっていたので、《森》ほど暇ではなかったのだった。以前の《森》に操られたサイボーグたちとの激戦により、ドームで暮らす戦士の八割が負傷した。皮肉なことにその被害によって、これまで日陰の立場だった対サイボーグ警備隊が脚光を浴びた。警備隊は、《森》との戦いに慣れた戦士たちにサイボーグと戦うための術を教えるのに忙しくなった。
 警備隊を既に抜けているヨランダはラジオのニュースでそれを聞きながら、いつもどおり薬局の店番をしていた。時刻はもう夜の八時だ。
「今頃サイボーグへの対策を立てても遅いと思うんだけどなー。でも何もしないよりはマシかもね。これで強盗の数が減ってくれれば文句なしなんだけど……」
 そのぶん、傷を負ったサイボーグの修理用キットの売れ行きはとても良かった。軽傷なら薬局で売られている薬で何とかなるのだから。
 営業時間はつつがなく過ぎていき、あと10分で営業終了となったところで、薬局のドアが乱暴に開けられた。ヨランダはカウンターの下で読んでいた本から顔を上げ、営業スマイルを作る。
「いらっしゃいませー……あら」
 入ってきた客はアーネストだった。だが彼は、以前にも見た青髪の戦士に肩を貸され引きずられている。ヨランダがあっけに取られていると、ため息をひとつもらして戦士は言った。
「単なる脳震盪だ。ショック緩和剤を一壜欲しい。まったく……」
 どんなボディであっても脳を守るために頭部のパーツは他の箇所よりはるかに頑丈に作られるのだが、それでも叩きつけられるなどして激しいショックを受ければ脳震盪を起こしてしまう。
 ヨランダは緩和剤を棚から出し、客に「すぐ使うから」といわれたので袋にはつめず、カウンターに手のひらサイズの壜を置いた。
「一体どうしちゃったの、アーネスト……」
「特訓で暴れすぎただけらしい」
 ヨランダの独り言に対して、ぐったりしているアーネストを床に降ろした青髪の戦士はぶっきらぼうに言ってカウンターに銅貨を置いた。「特訓」が警備隊からサイボーグとの戦いかたを学ぶものを指すのは明らかだが、一体どんな暴れ方をしたら脳震盪を起こすに至るのか。とにかくヨランダが代金を受け取ると、戦士は代わりに壜を取ってふたを開け必要な処置をアーネストに施した。床が汚れるから店で手当てしないでよね、とヨランダは言いたかったが、あえて黙った。処置の甲斐あってアーネストはまもなく脳震盪から回復し、意識を取り戻した。それを確かめた青髪の戦士は「それじゃ」とだけ言って、ヨランダが呼び止めるより早く薬局を出て行った。
 アーネストが完全に回復すると、ヨランダは脳震盪の事情を問うた。先ほどの戦士の言ったとおりアーネストは朝から「特訓」に励んでいたが、最初は順調だったのが二対一の模擬戦闘で劣勢となり、相手の鋼鉄の棍棒で激しく脳天を打ち据えられたらしい。それが彼の最後の記憶だった。
「――で、何で俺ここにいるんだ?」
「つれてきてもらったのよ、あの人に」
 未だ名前を知らないので、ヨランダがその戦士の容姿を言うと、アーネストは眼を丸くした。
「あいつが俺をここへ連れてきたってのか!?」
「ええ。ショック緩和剤を買って、あんたに処置をしてから帰っちゃった」
「マジかよ……」
 ヨランダと、背後のドアを交互に見るアーネスト。そこで営業終了のベルがリリリンと店内に響いたので、「会ったらお礼言っときなさいよ」とヨランダはアーネストを店から追い出した。
「あいつ、特訓には参加してなかったはずだけど――」
 薬局のシャッターが閉まる音を背後に、アーネストは、脳震盪で倒れた自分をわざわざ馴染みの薬局までつれてきた意外な人物の行動を信じられなかったが、たとえ癪に障る相手でも礼だけは言っておこうかと目抜き通りを見回した。だが、人のまばらな目抜き通りにその姿は見つからなかった。いないならば仕方がない、また今度会ったときにでも礼を言おうか。そう考えてアーネストは自分のアパートへ向かったのだった。
 ……。
 対サイボーグ戦の特訓には参加しなかったのに、知己らしいからと、脳震盪でぶっ倒れたその戦士の介抱を押し付けられたときは心底から憤慨したものだ。たまたま近道をしたくて通っただけなのに……! しかしどのみち外へ行く用事があるのだからと、ついでに仲のよさそうな店員のいる薬局へ連れて行き、店で手当てだけしてから本当の用事を済ませるためにさっさと出かけた。
 ドームの天井を激しく打っている大雨を見あげながら、スペーサーはため息をついた。さいわい、スペーサー自身には爆発の件で何も罰を科されることはなかったし(彼の手を離れてしまったから当然だが)、徹底的な管理のもとで液体爆弾の製造再開の目処は立っている。一方でクレメンスは始終嬉々としていたが、そんなことはどうでもよかった。とにかくスペーサーにとっては自分の開発した試験段階の液体爆弾の改良に携われないことこそが、彼を不機嫌にさせている最大の原因であった。
「自分が作ったものだからこそ自分で改良したいのに……」
 これに関しては上層部に何度もかけあったが、結局は一蹴されておしまいだった。もう抗議を諦めて、新型ボディや液体爆弾の実験体として振舞うほうがいいのだろうか。
「まったく、色々とツイてないものだな」
 閉店まぎわの書店に駆け込んで、注文していた植物学の本を脇に抱えて店を出ると、彼は研究所への道を歩いていった。
「また自棄酒するのもいいかな、薬局に置き去りにしたがちょうどいい愚痴吐き相手もいることだし……いや、止めておくか。明日には雨が止むと天気予報でも言っていたし、データとってこいと命令が飛ぶだろうし……」


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