第9章 part2



 翌日は雲ひとつない快晴であった。気温も高く、地面の水溜りは太陽が高く昇るにつれて小さくなっていった。《森》は花を開いて花粉を飛ばしながらも光合成にいそしみ、サイボーグたちの襲撃にそなえて硬質な木造の壁と迎撃用の鋭い枝を外側へと張り巡らせた。サイボーグの投げてくる液体爆弾への対策には枝を複雑に絡み合わせて木造の網を作り、間に合わせの対策をした。苔の獣は大型の者ばかりが《森》の外をうろついて見回りをした。
 もちろん《森》の変化はドームでもきちんと観測されており、《森》の上部に大きな網が作られたことはたちまち町中に伝わった。
「森のてっぺんに網が出来たって?」
 ようやっと外出許可が下りたので、町中の戦士たちは日銭をかせぐためギルドに押し寄せる。その一人であるアーネストは、ギルドの巨大モニターから流れるニュースを見て驚きの声を上げた。モニターの映像には、確かに《森》の木々のてっぺんに枝を複雑に組み合わせた巨大な網が映っている。
「何であんなのが……。カラスでも捕まえようってのか?」
「液体爆弾への対策か」
 ガヤガヤとした喧騒の中、覚えのある声が近くで聞こえたので、アーネストはとっさに右を向いた。その両目が声の主を捉えてまん丸に見開かれる。
「薬剤へ木々の成分をなじませるには時間がかかるから、網を作って爆弾を受け止めるつもりか。そうなると薬液を包む容器の強度次第では枝の網の中で破裂せずに、爆発は起きないという可能性も出てきてしまう。それを逆に投げ返されるとこちらの痛手になるかもしれない……」
 クレメンスが彼の側で何やら呟いている。
「しかし小生の仕事は花粉の出所を突き止め、必要なら破壊すること。液体爆弾のことは研究所に任せておけばいいな」
 すぐ側にいるアーネストに気付いた様子もなく、クレメンスは雑踏をぬってギルドの外へ出て行った。
「何か勝手にぶつくさ言ってどっか行っちまいやがった。俺の知ってる研究者ってあんなのしかいねーのな」
 夜間の討伐に備えてアパートに戻ったアーネストはハルバードと冷凍銃を手入れし、素振りをしてボディを馴らした。そして待望の夜になってから、ワクチンを買いに薬局へ出かけた。
「よー、新しいワクチン入ってるか?」
 薬局のドアを開けてずかずか入店したアーネストに、ヨランダは読みかけの本から顔を上げた。
「あんた今頃来たの? 新しいワクチンなら今朝たくさん入荷したけど、お昼すぎには全部売り切れちゃったわよ」
「ええっ、売り切れ……?!」
「――といいたいところだけど」
 ヨランダはカウンターの下に手を伸ばして小さな紙袋をカウンターに置いた。
「こんなこともあろうかと、1回分だけとっておいてあげたわよ。あんたいつも遅刻するんだしね」
 そして、嬉々として包みを受け取ろうとするアーネストに、ヨランダは取り置き代としてワクチン本来の倍額を請求した。
「それとさ、あんた駆け出し戦士のころに、《森》に入ったとかホラ話してたけど――」
「ホラじゃねえよ! 守りの手薄なところから入ったんだ! 獣の群れに襲われたからすぐ出たけど」
「どっちでもいいわよ。それより《森》に入っちゃう度胸あるからって、無茶なことしないでよ。《森》が変なこと始めてるってことぐらい、わかってるでしょ」
 ヨランダが言うのは、《森》が枝を組み合わせて網を作り出したことだろう。
「わかってるって」
 包みを手に、アーネストは薬局を出た。閉じられたドアの向こうで小さくなっていく背中を、ヨランダは見送った。
「ちゃんと帰ってきなさいよ」

 ワクチンを接種したアーネストはすぐに複数の戦士たちに混じってドームの外へと飛び出したが、月光とドームの照明で照らされる《森》を見ると眼を丸くして立ち止まってしまった。
「な、なんだありゃ」
 日が沈んで花が閉じた《森》の茂る葉の上には、枝の網が作られている。午前中にギルドのモニターで観たときよりもはるかに大きなもので、まるで《森》の上に巨大な皿を乗せたようにも見える。戦士がほとんど出て行かない日中のうちに、液体爆弾の受け皿用の網を作り上げたのだろう。さらに、《森》は木造の壁や槍による防御を解いていないし、苔の獣の姿も無い。
 アーネストの視界の端で、誰かが武器を手に《森》を攻撃した。《森》の木に矢のような細いものが飛び込んだが、どうやら打撃を与えるどころか、木造の壁に刺さって終わりと言った様子。それでも《森》との戦いで用いられる弓矢は分厚い鉄板を楽にぶちぬく威力を持つ。だから、矢の長さや弓の大きさ次第では大木を容易に貫通することも可能なのだ。だが、先ほどの鈍い音からしても木にダメージを与えたようには思えなかった。
 矢が木を完全に貫けない。それを見て動揺する戦士たち。いや、本来は驚くには値しないことなのだ、《森》とて生き物、環境の変化にあわせて動植物が時間をかけて適応するように、かつて《森》の最大の弱点であった火をある程度克服したように、少しずつ年月をかけて幹を硬質にしていき、ついにそれが今宵で完成しただけのこと。戦士たちも《森》が進化して適応することぐらいはわかっている。だがそれを実際に見るのは初めてだった。
「木の幹がこれほどの固さを得るにはどのぐらい年月が必要だったんだろうなあ」
 あまりにも場違いなコメントが聞こえたアーネストは、驚きからさめた。
「こないだと違って、これほどの硬度を得てしまうと木の伐採が難しくなりそうだが試さないと解らんな。しかし、なんで私がこんなことをしなきゃならないんだ。クレメンスのやつ――」
 コメントの主の言葉は《森》の攻撃によって途切れた。木造の壁の細い隙間から蔓のように長い枝がいくつも伸びてきて、戦士たちを捕らえようと襲い掛かってきたのだ。戦士たちは応戦したが、幸い、枝の硬度は幹よりはるかに劣っていて彼らの手持ちの武器でも容易く真っ二つに出来た。しかし矢が木を貫けなかった先ほどの光景を見て驚き怖気づいたぶん、動きは鈍っている。その隙をつかれて何人かの戦士が脚や腕、あるいは胴に枝を巻きつけられて、高々と持ち上げられた。そして枝葉の生い茂る中へズボッと突っ込まれてしまった。
 高さ十メートルにもおよぶ大木が戦士たちの前に並ぶ。ある大木の、葉の生い茂る枝に向かってブリザードが吹きつけたので、付近の枝葉は一瞬にして凍りつく。その枝葉は次に襲ってきた細長いワイヤーの一撃でなぎ払われる。凍った葉と細い枝がばらばらと地面へ落ちていき、残ったのは凍てつきに耐えた太目の枝のみだ。
「まだここは無防備か」
 その無防備なところからは枝が襲ってこない。光合成の要である葉を担当する枝は攻撃を仕掛けてこないようだ。あの無防備なところからならば《森》に入れるかもしれないが、中に入ったら最期、出ることはかなわないだろう。《森》には多くの木々が密集しているし苔の獣や配下のサイボーグもいるのだから、単身で突っ込むのは多勢に無勢。
 だが……日々花粉を飛ばす花の位置を突き止めるために《森》に何らかの手段で入ったクレメンスを探し出し、生死を問わず連れ帰ること。これがスペーサーの嫌々ながら受けた命令なのだから仕方ない。基本、戦士はほかの戦士が《森》に捕らえられても助けることは無い。ミイラ取りがミイラになるわけにはいかないのだから。だがスペーサーがどんなに言葉をつくして訴えても、データをほしがっている研究所の上層部に通じるはずも無く……。
 自分めがけて襲い掛かってきた枝をワイヤーでなぎ払って切り捨ててから、スペーサーはその無防備な箇所へと跳びあがり、《森》の中へと入った。
 戦士たちが戦う中、それに気付いたのはアーネストだけだった。
 戦闘の素人が《森》に入るなど自殺行為以外のなにものでもない。過去の先人たちの中にも《森》に入った者がいて、中には《森》の生態について貴重な情報を持ち帰る者もいたのだが、そのほとんどは《森》の配下となるだけだ。だから、早く連れ戻さなくては。
 アーネストはハルバードの柄を手斧ほどの短さに切り替えて、襲い掛かってきた枝を切り落とすと、後を追って跳びあがった。ブリザードで凍らされワイヤーでなぎ払われたおかげで、邪魔な枝はほぼなくなっている。彼は凍てついている細い枝を強引にへし折りながら《森》の中へと飛び込んだ。
 丈の高い木々や生い茂る枝葉、そして枝を組み合わせて作られた大きな網のおかげで《森》の内部にはほとんど光が無かった。だが、わずかな光でも逃さない義眼のおかげで、背後のドームからもれる光をとらえて《森》の内部は昼間のようによく見えている。高さ十メートルを越える大木を跳び越えたアーネストは太い根の上に着地したが、苔で足を滑らせそうになった。慌てて体勢を立て直し、枝の攻撃に備えるが、不思議なことにどの枝もアーネストめがけて伸ばされてはこなかった。
(俺を襲ってこないぞ?)
 彼の侵入を察知できなかったのか。あるいは外のサイボーグ戦士たちを相手どるのに忙しいのか。それとも頭上に作り上げた枝の網を維持するのに忙しくて彼に構う余裕がないのか。
 しかし安心はできなかった。枝の攻撃の代わりにアーネストを出迎えたのは苔の獣の群れだったのだ。獣の群れは冷凍銃で凍らされ、ハルバードで叩き割られた。木がたくさん生えているので周囲は狭く、ハルバードの柄を長くして苔の獣と距離を取ることができないのが、アーネストにとって痛いところだった。それでも苔の獣を全て退けると、聴力を増幅させて音をあつめ、義眼に備わった暗視と生体反応探査能力を強化して、周囲に眼を向け姿を探す。しかしレベルアップした聴力は背後の喧騒をよりいっそう派手に拾ったので、脳が揺さぶられるような騒音に変わり、やむなく聴力を元に戻した。
 既に《森》に囚われていたら諦めて脱出しようと思いながら、アーネストは慎重に探す。何本かの木の幹にはサイボーグたちが枝で縛り付けられていたが、アーネストが彼らからの生命反応を視認できないところからして、既に絶命しているようだ。時々頭上から聞こえる悲鳴と視界の端を駆ける生体反応は、《森》にとらえられたサイボーグのそれだ。だがアーネストは彼らも見捨てた。下手に助けて自分が《森》に目を付けられるわけにはいかないからだ。
(俺はあいつより後に入ったけどそんなに時間は開いてないはずだから、そう遠くへは行けてない……)
 しかしアーネストの両眼が捉えるのは、光の届きにくいところに密集している苔が獣となって襲い掛かってくる光景ばかり。大木一本を隔てて、大勢の戦士たちが《森》と戦う中、アーネストはたったひとりで苔の獣の群れを相手にしなければならなかった。
 激戦の最中、アーネストの聴力は大きな音を捉えた。すぐ背後で戦士が戦う音ではなく、《森》の奥から聞こえたのは、何かがメリメリと裂けて割れるような音。その音が響くと、アーネストを襲っていた苔の獣は急に回れ右をして、《森》の奥へと駆け出した。後には《森》の外から響く喧騒とアーネストだけが残される。
「さっきのは木を切った音だな。そういや、あいつのボディも木の伐採に向いてるやつだったはず……!」
 木を倒されたことで《森》が外の戦士ではなく内部の侵入者へ攻撃を開始しないとも限らない。その前に音の主を見つけ出さなくては。アーネストは奥へ進むことにした。

(これだけは、ツイていてくれたな)
 スペーサーは呟いて安堵のため息を漏らした。
《森》に入ってから、猿よろしく、空に向かって伸びて大きな網を作っている枝を出来るだけ静かにつたって、苔の獣を避けて《森》の奥へ進んでいった。さいわいなことに、《森》は侵入者に攻撃を仕掛けてはこなかった。
 前日、彼は液体爆弾に次ぐ新しい武器を作るヒントを求めて書店で植物学の本を受け取った。研究所にある本にも《森》のデータは掲載されているが、全文を暗記するほど読み込んでしまったので、別の地域では《森》とどんなふうに戦ってきたかを知るためにわざわざ注文をしたのだ。遠く離れた町同士で《森》や周辺の生き物のデータのやり取りをおこなうのは珍しいことではない。おかげで在庫の本がすぐ手に入った。
 この地域の《森》は規模がとても大きく、様々な場所の植物が集まっているが、そのほとんどを占めているのはある種の木であった。この木は外から攻撃されると反撃し、植物としての成長も早く樹皮も固くなりやすいのでなかなか厄介なモノ。だが、自分たちの縄張りの外から攻めてくる相手にはめっぽう強いのに一旦なわばりに入られてしまうとすぐには対処が出来なくなる、矛盾した性質を持っている。液体爆弾が《森》の内部に投げ込まれてから対処法を編み出すのに日数をかけたぐらいだ、スペーサーが葉をなぎ払ったところから内部へ侵入しても《森》は彼に対処できないでいるのだ。
(こんな場所はさっさと出るに限るな。《森》が私を攻撃してくる前にクレメンスを見つけないと)
 花粉を撒き散らす花の出所を突き止めるために《森》へ入ったクレメンスは一体どこにいるのだろう。スペーサーは枝から降りることなく、両眼の生体反応探査能力を強化して、慎重に枝から枝をつたっていく。成人サイボーグを楽に支えるほど枝は太くて頑丈で、簡単にきしむことはない。そして《森》は彼に触れられても他の枝を伸ばそうとはしない。今はまだ安全だが、《森》が対処できない状況はいつまで持つのか……。
 時折、悲鳴を上げる戦士が枝に捕らえられてスペーサーの横を勢いよく引っ張られるのを見送る。あっというまに去ったので助けようがない。スペーサーはあっさり諦めて前進した。
 不意に、彼の視界の端で何かが動いた。
 とっさに枝の裏に身を隠すと、その枝に衝撃が走った。何かがぶつかったのだ。彼はすぐ視力を強化して、身を隠した枝から少しだけ顔を出して攻撃の正体を探る。うごめいている細めの針葉樹だ。先ほどの一撃は、木が放った棘と葉だったのだ。その攻撃に呼応するように、苔の獣がその針葉樹の周りに集まってくる。
 針葉樹の高さは彼の隠れている大木のおよそ半分。幹の太さは成人サイボーグ一人の両腕で輪を作ったほどもあるだろう。枝に突き刺さった棘と葉は、長さ数十センチもある。
 針葉樹は攻撃を仕掛ける。葉と棘を飛ばし、スペーサーをしとめようと試みる。棘が枝にドスドスと勢いよく突き刺さり、しかも絶え間なく攻撃が続くため、スペーサーはその場からほとんど動けない。
(まずいな。このままでは……)
 はるか下を見れば、獲物を見つけた苔の獣がこの大木の周りに集まってきている。そして、大木に生えた苔を利用してよじ登ってくるではないか。
 このまま枝に留まって攻撃が止むのを待つことは出来ない。その前に苔の獣に捕まってしまう。どうすべきかとスペーサーは少し考えてから、針葉樹を止めることに決めた。
 攻撃の止まない針葉樹に向けて、身を隠している枝から少しだけ体を出して右腕を突き出し狙いを定め、腕と体に数発の棘と葉の攻撃を喰らったが構わずにワイヤーを発射した。空気を切り裂くように勢いよく飛んだワイヤーは狙い過たず針葉樹の幹にぐるっと巻きつく。その手ごたえを感じた彼は、棘が深く腕に突き刺さるのも構わず、思い切り右腕を後ろに引いてワイヤーを強引に戻す。すると針葉樹に巻きついた切れ味鋭いワイヤーがその幹を切り裂き、持ち主の手元へ高速で戻って収納される。幹を横に真っ二つに切られた針葉樹は、メリメリと大きな音を立てて斜めに倒れながら周りの木に枝葉をぶつけ、あるいは細い木を巻き込み、最後にはズシンと大きな音を立てて地面にふせった。スペーサーを狙って大木を登っていた苔の獣が大慌てで木から降りて、その針葉樹の周りに集まっていく。
「やったか……」
 棘と葉の攻撃が止み、スペーサーは安堵した。そして、腕に刺さった棘や葉を引っこ抜いてから再び枝を伝って先へと進んでいった。

 針葉樹が他の細い木を巻き込んで倒れている。その周りには苔の獣が群れていたが、いずれも冷凍銃の凍てつく一閃で氷像となった。
「やっぱりあいつの仕業か?」
 苔の獣を追ってまっすぐ駆けて来たアーネストは、氷像をハルバードで全部叩き壊してから、針葉樹の幹と切り株の切り口を調べた。自然に倒れたものではなく、切断されたとわかる綺麗な切り口。そして、周りを見ると、ある大木の幹だけに針葉樹の葉や棘が山ほど突き刺さっているのを発見した。だが、おかしい。歩いていて針葉樹に攻撃されたのならば、地面に近い根のあたりに葉や棘が突き刺さるはずだが、棘や葉はいずれも幹の中央から上部の枝にかけて突き刺さっているではないか。これは一体どういうことだろうか。しかしアーネストはそんなことより、視力と生体反応探査能力を、今度は聴力も強化して目当ての人物を探す。
 少し離れたところに生体反応があり、小さな音も聞こえる。しかしその発生源は地面の近くではなく、大木の上部だ。どうやら目当ての人物は木に登っているらしい。その理由はわからないが、見つけた以上はすぐ連れ戻さねば。
 アーネストは生体反応を追おうとしたが、強化された聴力が背後から敵の近づく音を捉え、義眼が左右から別の生体反応をも捉えた。どうやら三方を囲まれたらしい。
「うっとうしいんだよ! 先へ行かせろ!」
 無事に帰りたいので、必要以上に消耗したくない。アーネストは最寄の大木めがけて勢いをつけて走り、数メートル以上も跳びあがる。最新のボディのすばらしい跳躍力のおかげで、楽に上の枝まで跳びあがれたので、彼は細めの枝にしがみついてよじ登った。安全圏に脚を下ろした彼が下を見ると、《森》に操られているらしい苔まみれのサイボーグ戦士が二人、アーネストを狙って幹をよじ登ろうとし、苔の獣も幹の苔を利用して登ってくる。この距離なら登るまで時間がかかるだろうと踏んでアーネストは体勢を立て直すと、目当ての生体反応を追って、枝から枝へ飛び移る。そのうちはるか下には微弱な生体反応が増えてきたが、どうやらそれらは《森》に囚われたサイボーグたちのようだ。アーネストは彼らを相手にするつもりは無かったので、そのまま前進した。

 どのぐらい奥へ進んだのかよく分からなくなったころ、すぐ近くに生体反応があった。スペーサーはいったん足を止め、他の生体反応が無いかを探った。もしかすると他のサイボーグがいるかもしれないからだ。どうやら何もないと分かると、彼は再び枝から枝へ移って前に進んでいった。
「あと少しだな」
 しゅる、というか細い音を聴力が捉えたとき、スペーサーの右足が思い切り下方へ引っ張られた。
「っ!」
 重心を崩されて倒れたが、彼はとっさに枝にしがみついて踏みとどまる。右足に異様な力がかかっており、一体何事かと見下ろせば、蔓が自分の右足首に巻きついているではないか。蔓が彼を引っ張っているのだが、その先にあるのは巨大な袋状の植物。消化液を袋の内部に蓄えて獲物をその中へ放り込み、溶かして喰う植物だ。その周囲には錆びだらけの武器が散らかっている。捕らえたサイボーグを食っているのは間違いなかろう。
 喰われてたまるかとスペーサーは蔓から脚を抜こうとしたが、蔓の力は想像以上に強く、彼の足を放そうとしない。体勢が悪いのでブリザードを蔓や袋の植物に吹き付けることができないし、ワイヤーを放とうにも、片手を離せば自分が蔓の力に負けて枝から引き摺り下ろされるかもしれない。
「く、いっそ脚を切るか……?!」
 だが脚を切り落としても蔓がそれで諦めるとは限らないし、仮に蔓が諦めたとしても脚を失えば今後の彼の行動に支障が出てしまう。スペーサーは完全に詰んでしまった。
「どうすれば……!」
 打開策を必死に考えていた彼は、左足を目指してもう一本伸びてくる蔓に気付いていなかった。その蔓が、踏ん張っている左足首へ巻きつこうと鎌首をもたげ――
 一瞬にして氷像と化した。
 ビシッという異音でスペーサーは我に返り、振り返った。いつのまにか自分の左足のあたりに別の蔓が伸びているのだが、カチカチに凍り付いている。
 彼が振り返ってすぐ、彼の右足首に巻きついている蔓は凍てつく閃光を受けて氷像と化した。右足も巻き込まれたがあいにく生身ではないので凍傷になることはない。さらにその下、蔓の主である袋つきの植物も一閃を受けて氷像と化した。
「間に合った!」
 奥の暗がりから強い生体反応が表れ、聞き覚えのある声がして、それらの主がスペーサーのしがみついている大木の枝に跳び移ってきた。
「あんたは……!」
 予想外の人物の登場にスペーサーは驚きを隠せなかった。
「お前なあ!」
 彼が驚きから立ち直らないうちに、怒り心頭のアーネストはスペーサーの襟首を片手で引っつかんで乱暴に持ち上げた。それから単身で《森》へ入る愚行や戦闘技術の未熟さや油断についてアーネストにさんざん怒鳴られたが、スペーサーは不機嫌そうにしているだけで、堪えた様子はなかった。
「私とて、《森》に入りたくなどなかった! だが上層部からどうしても行けと言われて嫌々来ているんだ!」
「はぁ? どういうことだよ。お前みたいな素人に《森》へ入れだなんてバカじゃねえのか」
「バカなんだろうよ。ここ数日、《森》の飛ばしている花粉、その出所である花を探して破壊するために《森》に入って未だに戻らないクレメンスを生死を問わず連れ帰れというんだからな」
「嫌なら嫌って言えよ」
「さんざん言ったが、上層部は誰も私の訴えには耳を貸さなかった。だから仕方なく来た」
「言うこと聞いてるお前も十分バカだ」
「自覚はあるさ、液体爆弾に次ぐ新兵器開発のヒントが欲しかったんだから。それより、どうしてあんたがここにいる?」
「お前を連れ戻しに来たんだよ! まあ昨日、わざわざ俺を薬局まで届けた礼もあるし……」
「被害を増やさないために、《森》に囚われた者を助けないのが戦士の在り方じゃなかったのか? あんたはずいぶんと義理堅いな」
 その言葉で、アーネストの怒りの炎がまた燃え上がった。
「マジで性格悪いよな、お前。ひとの神経逆なでするようなことしか言えねえのか!?」
「性格悪くて結構。それよりも降ろしてくれ」
 アーネストに背中から襟首をつかまれてぶら下げられていたスペーサーは、やっと枝の上に降りた。それから足元の枝に脚をぶつけて、右足に巻きついている氷像を乱暴に破壊する。
「とにかく私は――」

 ヒュッ!

 不意に聞こえた風切音。
 とっさにアーネストはハルバードの刃でそれを防いだ。鋭い金属音と共に弾かれたのは、真新しい合成金属の刃。
「この刃は……!」
 スペーサーの驚き困惑した反応からして、この武器の主は――
 アーネストは、生体反応が現れている、枝の下を見た。その地面に立って、刃を発射したであろう穴の空いた腕を彼らに向けているのは、間違いなくクレメンスであった。


part1へ行く書斎へもどる