最終章 part1
樹上にいるアーネストとスペーサーを攻撃したのは、間違いなくクレメンスであった。苔が体に付着した彼の周囲には、苔の獣も集まってきている。しかし誰も彼を攻撃しない。
「……ありゃあ、もう手遅れだな」
事情を察したアーネストの静かな言葉。苔の獣に攻撃されない以上、クレメンスはもはや《森》の配下となりはてているに違いないのだ。
「それでも、生死を問わず連れ帰れといわれてるんだ……」
スペーサーはこの事態を想定していたようだが、さすがに声が弱弱しい。
「だがどうやって……」
「《森》に操られた奴を町に連れて帰れってのか? ムリだろ、そんなもん」
「……わかっている」
《森》に操られた者を町へ入れれば、ボディに仕込まれた花粉などを撒かれて町中が《森》の配下になるおそれがある。だが指示を受けた以上は……。
アーネストは冷凍銃のエネルギー残量を見る。残量を示すゲージは半分をきっている。帰りのことを考えると、冷凍銃の無駄撃ちは出来ない。そもそも無事に帰れるかどうかもわからない。
クレメンスは再び腕を振り上げ、樹上の二人めがけて刃を飛ばす。
「なんだ、あの武器は?」
驚きながらもハルバードで再び刃を弾き返すアーネストに、声を震わせたままスペーサーは言った。
「ボディ切断用の刃……。苔の獣討伐用のボディに、対サイボーグの機能をプラスした最新型だから……」
「対サイボーグ? そんなら、こっちが手足切られる前にさっさと帰るぞ! もう見捨てるしかねえんだよ、あいつは!」
スペーサーを追いかけてきておいてクレメンスを見捨てろとは、我ながら矛盾したことを言っている。とはいえアーネストはクレメンスには何の借りもないのだし、実際、被害を拡大しないためにも《森》に囚われた者は助けないのが普通なのだ。だがスペーサーはどうやら見捨てることが出来ない様子。
そこで背後からのかすかな音をアーネストの聴力がとらえた。とっさに背後を振り返ると、彼らの乗っている大木の幹をつたって上に伸びてきた蔓が彼らの足元近くまでせまっているではないか。アーネストはとっさにハルバードを振り下ろして蔓を切り落とした。切られた蔓は切り口から嫌なにおいのエキスを洩らし、その場で動かなくなった。
《森》が襲ってきた。もう逃げなければこちらも危ない! 決断したアーネストはハルバードの柄についている金属の輪を防護服のベルトにひっかけて両手を空けてから、スペーサーを左肩に担ぎ上げ、回れ右して跳んだ。
「あっ……」
「馬鹿野郎、あんな危ねえとこにいつまでもいられるか! 俺たちまで《森》に呑まれちまうぞ!」
アーネストの聴覚は自分の足跡や枝葉をかき分ける音のほか、背後からの新しい音も捉えている。苔の獣が地上を走る湿った音や蔓が幹をうごめくカサカサという音に混じって、人の足音もする。この足音はクレメンスのものか、あるいは囚われて《森》に操られた他のサイボーグのものかはわからないが、後ろを振り返って確かめるつもりは無い。
不意に、カチカチと規則正しい音が背後から聞こえた。
「何の音だ?」
アーネストがごちた時、まだ左肩に担がれたままのスペーサーも彼と同じ音を聞きつけたようで、しかし音の正体に心当たりがあるらしく、ぎょっとした。
「時限式の液体爆弾だ!」
「じげんしき?」
「一定時間が経ったら液体爆弾が爆発する仕掛けになっているんだ! クレメンスはあの花粉の出所を探して破壊するよう指示を受けていたから――」
「なんだかよくわかんねーけど、バクダンを持ってきてるってのか?」
「そういうことだ!」
「そんじゃなおさら逃げなきゃならねーだろ!」
アーネストは、少しでも背後からの音を引き離そうと急ぐ。跳び移って移動するぶん、地上を走るものたちより移動は遅くなるが、地上に落とされて苔の獣の群れを相手にするよりはずっと安全だ。
スペーサーの視界には、二人を追って地上を走っているクレメンスと苔の獣の群れ、そして数名のサイボーグがいる。アーネストが言ったとおり、時限爆弾を持っているクレメンスを見捨てるしかないと頭の中では解っている。それでも……。
地上を走るサイボーグのひとりが、腕を振り上げる。ヒュッと空気を切って飛んできた何かを、スペーサーはとっさに腕で弾き落とした。錆だらけの槍の刃が地面へ落ちていく。
「うわっ」
不意に視界がぐらっと傾いた。
アーネストが、着地に失敗して枝の上で脚を滑らせたのだ。前のめりになったアーネストはそれでもとっさに右手を伸ばして細い枝をつかみ、なんとか勢いを殺すことでギリギリ踏みとどまった。だが、その大木の幹から、前方や左右の木から、蔓が彼らに向かって何本も伸びてくる。
「囲まれたか……?!」
エネルギー切れを覚悟で蔓を全部冷凍銃で撃って突破するか、それとも近づく蔓をハルバードで全部切り落とすか。数秒の迷いの間にも、蔓はどんどん距離を縮めてくる。
「上だ!」
不意に左肩から荷物が降りた。アーネストが迷いから我に返ったところで、スペーサーは、深く茂っている上方の枝葉へと、そのボディの性能をありったけ駆使して跳びあがっていた。
「お、おい!」
アーネストは慌てて後を追い、跳びあがった。茂った枝葉を突き抜ける。その先にあるのは空ではなく、太い枝を編んで作られた間に合わせの網。あくまで急ごしらえの網なので隙間がきっちりふさがれていない。アーネストはいったん枝の細いものにしがみついたが、すぐに太い枝に人の手が入る隙間を見つけたので、その隙間に手を入れて支えにする。見下ろせば、何メートルもの下方にうっそうと茂る《森》の枝葉が見えるばかり。
「た、助かったのか」
「今のところは」
少し離れたところから聞こえた声に、アーネストは視線を上げた。だが、編まれた枝の一部がぼろぼろと下へ落ちていくのが見えるばかりで、声の主の姿が無い。どこへ行ったのかときょろきょろしていると、枝の一部が落ちて穴が出来ているところから、声の主が姿を現した。
「何やってるんだ。いつまでもぶら下がっていないで、こっちへ来たらいいのに」
「お、お前そんなとこに……! って何やってんだよ?」
「枝の網目に穴を開けて通路を作っただけだ。ここでぶらさがるより、網の上を渡るほうが安全だと思ったからな」
アーネストは驚き呆れながらも、手を入れられる隙間を探しつつ、スペーサーの後を追ってその穴へ向かう。穴はちょうど彼が通れる程度の幅で、よじ登るには苦労しなかった。
網の上はとても見晴らしがよかった。月明かりで辺りが照らされており、遠くにはドームの照明が見えている。その照明の小ささから、《森》に入って、ずいぶん長い距離を進んできたのだとわかる。
「うわ、すげえな」
アーネストが感嘆の声を漏らす一方、
「感動している暇はない。《森》がこの網をとく前に、町に帰るぞ。この網を作っている木は変化への対応が遅いから、しばらくの間は大丈夫のはずだ」
スペーサーはさっさと回れ右した。ようやく、《森》に操られているクレメンスを見捨てることにしたらしい。アーネストもそれに倣って回れ右した。つまずかないよう気をつけながら、でこぼこの網の上を走る。様々な太さの枝が絡み合っているので、網目はひどくでこぼこしており、走るのも一苦労だ。
「時限爆弾が作動させられた以上、ぐずぐずしてはいられない。爆弾を持ったクレメンスが町へ着く前に、何とかしないと……」
「そうだったな。あとどのぐらいで爆発すんだ?」
「たぶん、長くても三十分ぐらい」
その時、二人の聴覚は背後から別の足音を捉えた。足を止め、武器を構えて振り返り、アーネストはハルバードでそれを叩き落した。枝の網に落ちたのは、ぴかぴかの刃。
「もう追いついてきやがった」
苔に操られたクレメンスは左手をアーネストにむけていたが、右手には大きな箱のようなものを持っている。箱にはデジタル時計がついていて数字は「15」を示していた。
クレメンスは無言で左手の拳をぐっと握る。ガチ、と微かな音が聞こえたので、アーネストは何が飛び出すのかと身構える。
その左手がまるごとバズーカに変化した、と思ったときには、クレメンスの上半身がまるでハサミで切ったように綺麗な切り口を見せてバラバラになった。驚いたアーネストは後ろを向いた。苦い顔をしたスペーサーがいる。その突き出した腕からはいくつものワイヤーが伸びていて、これでクレメンスをバラバラにしたのは間違いない。
「爆弾を持っているのに、まともに相手をするな……」
強化された聴力でなければ聞き取れないほど小さな声で、彼はワイヤーを戻しながら言った。その体も声も震えているのは、気のせいではあるまい。
網の上にバラバラになって落ちたクレメンスの後方から、苔の獣や他のサイボーグも姿を現した。全部を相手にしている暇はない、アーネストは気持ちを切り替えて回れ右し、ドームの照明を目指して走った。が、スペーサーの走りがどうものろいようなので、結局は、
「そんなちんたら走ってんなよ!」
と、彼をまた左肩に担いで走ったのだった。
そしてアーネストが肩に荷物を担いだまま《森》の作った網の縁から飛び降りた時、はるか後方で時限爆弾が派手に爆発した。爆発の威力と効果範囲は、これまでに作られた試作品をはるかに上回っていた。
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